電子書籍の厳選無料作品が豊富!

永遠のテーマなので、質問すること自体ばかげて
いると思いますが、最近スピリチュアルな話や本が流行って
いるので皆さんの考えを伺いたいと思います。
最近読んだ話は、自殺者の魂は死んだら楽になるというのは
大間違いで、生きているとき以上に苦しむということです。
自殺者の霊はほぼ間違いなく後悔しているとのことです。
私は基本的に死後の世界を信じ、どんな苦しい世の中でも
生きている人はすべて意味があるという考えです。
生きていくのは本当に辛いことばかりですが、
どうか自殺大国日本から、少しでも自殺者が減ればと思います。
死んだら本当にそれで終わりなのか、それとも魂は行き続ける
のか。皆さんはどう思われます?

A 回答 (27件中21~27件)

    • good
    • 0

正直にいいますが、


死とは、生命活動という測定可能な現象が終了することです。
つまり、死の主体以外の外部からは、
そこが終わりであります。
なおかつ、死を迎えた生命の主体が、その終了を自覚できるかどうか。
これは、誰も実証できていませんね。
わたしたちの精神活動(肉体の活動も)脳という器官に依存している以上、その器官の活動が終了した時点で、
精神活動も停止し、そこで終了とするのが自然な考え方であり、
魂の不滅ですとか、輪廻といった考え方を、
生命活動の延長と捉えてしまうと、生から死という、
生物全般に適応される現象そのものが、破綻してしまいます。
つまり、
私たちは肉体が滅んでも、魂(?)は滅びないとする考え方です。
これは道徳規範や、その規範を体系化した宗教など、
古来、社会構成のための求心力や強制力として利用された技法であり、
その技法の、表層的な「死後世界」という多分にフィクション的な要素が、
かってに一人歩きをしてしまったという、
長い長い、歴史的な背景があります。
つまり伝承という経緯により、それを否定することのタブーであるとか、妄信、または懐疑することへの罪悪という、
たいへん観念的な呪縛による、
その定義そのものに対する思考停止を、強要されてきたと考えられます。
長くなりましたが、私が言いたいことは、
そのテーマ性に内包されている、
「そもそもの存在」が人が作りだした、考え出した観念であるものを、
このごにおよんで、あるかないか?とする風潮や慣習に疑問を感じます。
スピチュアル世界を希求する文化は、いまに始まったことではないのですが、これとてオカルトと紙一重な世界観であり、
また、言っていることは、
別に魂論や死後世界に関連つける必要がない内容ばかりです。
    • good
    • 0

このテーマについては仏神を信じるかどうかと非常に密接な関係にあるのです。


見たことがないので信じないという人もいるでしょうが、哲学的に説明も可能です。
人間はサルから進化したといわれていますが、それにしてはあまりにも高度な科学や文化をもちすぎています。これを進化論に例えて言えば高層ビルが建つのにそこらへんの砂やがれきや鉄やガラスが嵐か風でもいいですが勝ってに飛んできて積み重なって雨が降って、建つのと同じ理屈になるのです。そんなことはありえません、やはりなんらかの存在が目的をもって設計し働きかけをしていると考えたほうが妥当なのです。
つまりこの世というのは人間という高度な霊的意識が修行できる場として創られているということなのです。それを放棄する行為が自殺になるわけです、そうすると「創った存在」からペナルティが課せられるのも納得がいかないでしょうか。
人間は何十年か生きると自分の生涯を一冊の本にかけるぐらい経験を積むといわれていますが、死んで灰になるだけならば本当に空しいと思いませんか。人間の魂はそれだけ価値があるのです。
    • good
    • 0

 死者は無の状態になってしまいますが、死後の世界はあると思います。

ただし、亡くなった方にあるのではなくその人に関わった周りの人にあるのだと思います。
 自殺者の周りの人に限れば「もっとああしてあげればよかった」「助けてあげられなかった」「私が~してあげられなかったから自殺してしまったんだ」と後悔し苦しむことでしょう。私はそれを死後の世界だと思っています。
 自殺を減らすには自殺しないように思わない気持ちも大切ですが、周りの一人一人を尊重し苦しみを与えない、苦しんでいる人がいたらそっと声をかけてあげる、そういうことの方が大切だと思います。
    • good
    • 0

死後の世界、生まれ変わりなどは宗教によって全く違いますから、生前信じていた、或いは身近に有る宗教に大きく影響されます。


日本人の多くは仏教に親しんでいるので「輪廻転生」と普通に思いますが、キリスト教などの一神教には(一部の宗派を除き)基本的に生まれ変わりと言う概念はありません。
臨死体験も仏教徒とキリスト教徒とヒンドゥー教徒では全く違います。
(仏教徒は川を渡ると言うが、キリスト教徒は天使が迎えに来ると言い、ヒンドゥー教徒はそのどちらでもない。)

魂が生き続けるのなら生まれ変わりも矛盾してきます。
イギリスの産業革命以後世界人口は爆発的に増え、それ以前とは10倍もの差があります。
絶対的な魂の数が足りません。
以前に「魂は増える」と言う回答を見た事があるのですが、あまりにもご都合的だとしか言い様が有りません。
たった数年、数十年で量産体制ですか。
魂製造工場も機械化が進んで大量生産出来るようになったと。

私自身は日本人なので仏教的な死生観に大きく影響を受けていますが、個人的には死んだ瞬間に全てが無くなって欲しいと考えています。
    • good
    • 0

道元が1000年位前に回答をだしています。


心身一如と言い切っています。
永平寺開祖ですが、60年位生きてきましたがそのとうりだと思います。
死後の世界はありません。
    • good
    • 0

死んでないから何ともわかんないですが


生まれ変わりってのも記憶がないし
でも生と死の世界はあると思うけど
やっぱほんとになければ霊能者とかいないだろうし
似たような事は言わないでしょ
確かに自殺すると魂は浮かばれずに自縛霊になるとか聞いた事がある
それに生きてる間に良い事(神仏や善行など)をすると来世で良い思いが出来るとか
輪廻転生とか
かわいがっていたペットが守護霊(背後霊)となって大事にしてくれた主人を守ってくれるとか
色々聞く
それに犬や子供が霊を見たり会話したりするのも聞いた事がある
ていうかここでそんな質問者がいたけど
なので本当だと思う
ちなみに霊体験はそんなにない
まあこの分野は科学的に証明できないけど
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す