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永遠のテーマなので、質問すること自体ばかげて
いると思いますが、最近スピリチュアルな話や本が流行って
いるので皆さんの考えを伺いたいと思います。
最近読んだ話は、自殺者の魂は死んだら楽になるというのは
大間違いで、生きているとき以上に苦しむということです。
自殺者の霊はほぼ間違いなく後悔しているとのことです。
私は基本的に死後の世界を信じ、どんな苦しい世の中でも
生きている人はすべて意味があるという考えです。
生きていくのは本当に辛いことばかりですが、
どうか自殺大国日本から、少しでも自殺者が減ればと思います。
死んだら本当にそれで終わりなのか、それとも魂は行き続ける
のか。皆さんはどう思われます?

A 回答 (27件中1~10件)

私個人のレベルでは死後の世界(or死後)は絶無と言う視座を頑なに採りますが、"ある"と主張する人達が実在するのも否定できぬし、そう捉えるのも自由なのも又然り、と言えるでしょう。



ですが、私は死後(or)死後の世界があると主張する人達に問いたいですね。「死後(or死後の世界)を往々にして"黄泉の国"と呼ぶが、貴方達は日本から直接(orその他の大気圏内の地点を経由して)、そことの間を往復したのか?」と。

もし、"無料大数が一"にそうされた方がいたら、会って見たいです。・・
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こんにちは



人間の死には、ふたつあると思われます。
人間として生まれ、上昇傾向の人生・・カルマ的に・・を送り、人間のカルマが、む切れたゆえに死を向かえ、天に天象する。又は、人間のカルマが、切れ、死を迎え、その死後のばるどーの清算にょつて天象するめもの。後者はたいてい、良くても、人間界への転生、たいていは握手と呼ばれる世界への転生といわれてます。
ただし、例えば、解脱者、仏陀釈迦無二は「三ヵ月後に肉体を捨てる(=死)」といって病気で死にました。これは、たぐいまれなケースとお考えくださいね。

では、自殺について考えてみると、死の直前の意識の状態で来世を決定いすると言われています。で、『苦しく・・死にたい』というひとの意識状態、これは、やはり、来世も苦しみの多い世界への転生となる可能性はなくもないと思われます。
>死後はあるか?
宗教で「死後の世界、転生はない」という教団、宗教はないことを考えると、それは否定の存在となるものとし思われます。
>どうか自殺大国日本から、少しでも自殺者が減ればと思います。
結局は、日本は無宗教の国家なるが、ために発生している4ものと。アメリカは自由国家ですが、キリスト教が、大多数を占めてますし、アジアの例えば、タイは仏教国。したがって信あるがいえに、自殺はないものと思われます。
宗教の存在、それは自分の将来における、未来への確信、夢、希望を持つが、ゆえに自殺は考えないものと、私は考えます。
以上
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 読まれたなら、飯田教授のスタンスは「真理は人それぞれ」であり、後は意地の張り合い以上のものには決してならないという、後処理の問題ですね、ご存知だと思います。



 飯田先生の本を読まれたということでしたら、何がドグマ(思い込みによる決め付け)で、何が理性的な人間の書き込みなのか、理性的に判断できると思います。

 私は、ある方の意見はどんなに科学用語を用いても、非理性的であり、逆につたない言葉でも、理性を用いている方の書き込みであれば、判断できるつもりですし、飯田教授も、その旨お話されていますね。やはり、この種の疑問というか、問いかけですね、必ず予想通りの回答が出てきます。要するに「自分の価値観を認めよ!」という類のものですね。

 早めに締め切られたら如何でしょうか?「意地の張り合い」は所詮小さな戦争以外の何物でもない愚考ですから。
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あの世があるかわかりませんが、


少なくとも
天寿を真っ当して良い死に方をしたら天国で、
自殺したら地獄ということはないと思います。

日本に自殺者が多いのは政策や資本主義の影響も多いにあります。
先進国の多党連立性のドイツやフランスや北欧諸国を見ると
教育費は無料で子育ても楽、失業すれば年金を貰え、
誰も飢えることなく天寿を真っ当してこの世が天国です。

日本も福祉や経済力もある先進国なのに
結婚することも家族を増やすことも親と同居することも
負担が増えてしまうので、「生かさず殺さず」な世界ですね。
そりゃ、この世が地獄って感じになりますよ。
死んだら天国に行けるって慰めがあって欲しい気持ちは解ります。
でも、まだ生きるんだから、そう親切に言われても虚しいです。

天国は死後にあるのではなく、
生きてるうちにこの世を天国と
実感出来るようになって欲しいです。
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死後の世界とは、この世界のことだと思います。



科学の発達した現在の知識を基に考えると、「自然」は人間の欲望、期待、道徳などに左右されることなく、非常に合理的な独自の法則で動いているように思えます。

そこで、人間の欲望、期待、道徳などのしがらみから離れて、クールに合理的に「死後の世界」を考えると、以下のような結論になります。

単純に考えると、「死ぬ」ということは、「生まれる前の状態」に戻る。それだけのことだと思います。「生まれ前の状態」に戻るわけですから、その次のステップは、また、「この世に生まれる」ことになると思います。従って、「死後の世界」と言うのは、実は「この世界」のことだと思います。

そうすると、どうなるかというと、もし、この世界が住みにくい世界だと、もう一度生まれてきたときに、自分が苦労するということです。それに、生まれてくるとき、日本に生まれてくるとは限りません。下手すると、北朝鮮の農民の息子として生まれてくるかも知れません。

だから、今、生きているうちに、日本だけではなく、世界中の人々にとってこの世界が住みやすくなるように努力しておかないと、結局は、自分がいやな目に会う可能性が高くなるわけです。

この世界は、なかなか合理的にできていると思います。だから、自殺等するよりも、自殺しなければならない情況がなくなるように、「この世界」や「人々の気持ち」をより良いものにする努力をしないと、今度生まれてくるとき、また、死にたくなってしまいます。
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>霊の存在を否定している人でも昔からの日本人の風習があると思います。


輪廻転生・因果応報なども言葉も霊の存在があるから、ある言葉ではないでしょうか?

恐らく私は他に人より頻繁に墓参りをしていると思います。
辛い事が有った時はよりどころとして、嬉しい事が有れば報告し、それが夜中であっても思いついたら、車を走らせています。
が、それと霊とは何の関係もありません。

言葉が有るから存在するなら「錬金術」も「フリーエネルギー」も「タイムマシン」も「ワープ、デスドライブ、ボゾンジャンプ、ハイパードライブ」も存在する事になってしまう。

私は、霊や死後の世界を信じていない立場の人が「霊などはいない」と証明する必要はないが、有ると言う人が霊がいると認めさせたいのなら、万人が納得する形で、証明する義務があると考えています。
私自身は「霊」や「未知の生物」等不思議の世界は大好きで、その手の本も結構持っていますし、遡れば小学生の頃のテレビ番組「あなたの知らない世界」を楽しみに食い入るように見ていたものです。
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あの世の宣伝マンと言われた人が亡くなりだいぶたちますが、その後どうされているのでしょうね。


彼はどうやってあの世を生きながら見れたと認識したのでしょうか。

スピリチュアルの世界は危険をはらみます。
20年ほど前にアメリカで大ブームになりました。
沢山の人が幸福になったのか?
答えを言うと、誰一人として幸福になった者はいなかった。

スピリチュアルに傾倒した結果、家庭崩壊、人格崩壊、人生の崩壊、そして自殺。
これがスピリチュアルに傾倒した人たちがいきついた世界でした。

そしてスピリチュアルという商品を売りつけ金儲けした人も、自らが推奨したその世界に堕ちていき、おかしくなってしまいました。
自分が罠をつくり、人びとを罠にはめて、ついには自分がその罠にはまってしまった。
狂気をはらんで精神的におかしくなってしまった。
これが地獄というものです。
生きながら地獄に落ちてしまった。


死後の世界とは何か。
私は清い人、実はスピリチュアルを唱えて金の亡者になり果ててている人が、虚無の世界を述べているのをみておかしくてたまりません。
いえ、笑いを通り越し、この極悪人が! よくもそこまで平気な顔をして自分が創った嘘に酔いしれて、先生と呼ばれることを快楽として、いよいよふんぞりかえり、他人に自分が作った幻を信じ込ませ、人びとを蜘蛛の巣でからめとり、自分の世界にひきずりこんで滅ぼしている事を気にもとめずに入られるのか、と吐き気を催します。


TVでやっている番組。ゲストは俳優であることを忘れてはいけません。
俳優とは迫真の演技を偽ってできるってことです。
泣けと言われたら即座に泣け、驚けと言われたら即座にできる芸のある人たち。
彼らによって娯楽ショーが繰り広げられ、それを娯楽番組としてみるのなら、それはそれで楽しめますが、視聴者がその芸の世界に酔いしれ彼らが作り出した幻の世界を現実だと思ってしまっては、賢い視聴者とはいえません。

つまりホステスやホストの作り出した世界を金で買っているという自覚がなくなり、真実の愛だと確信する客のようなものです。
お互いわかっていて、騙し騙されるのを楽しむ世界なのに、「スキだといったじゃないか 結婚してくれ」となると幻の世界は崩壊してしまいます。
「はぁ 借金して金持ちのふりして貢いでいた? お前のような人間が楽しむ娯楽じゃあねえんだよ!」とハイヒールで蹴られても気づけないほど陶酔する客じゃあどうしようもない。


スピリチュアルの世界を宣伝する宣伝マンたちが言う死後の世界など私は信じていません。 
というかそんなものあったらとっくに科学的に確認できているハズです。
ホーキング博士がタイムマシンが存在しないと言った理由と同じです。


ただ、死んで終わりかというと完全に終りではありません。
子どもがいればDNAに残り続けます。

しかし、自分のDNAではない。
先祖代々うけついできたバトンが次の世代、次の世代と受け継がれて永遠を作っているわけです。

人は自分ではコントロールできないものを持っています。
基本的な性格、特徴、病気、 設計図の多くは先祖から受け継いできたものであって、自分だけのものじゃあない。
それらによって性格の一部が形成され、それに気づかなければ、自分だけの性格だと思っているわけです。

それは今まで何百万年と生き続けてきたDNAです。
人間の身体はDNAが未来へと行くための乗り物です。
私たちが未来へと彼らを運んでいるのです。
自殺してその橋渡しを拒んでも、DNAは強いので、他の戦士たちを未来へと運ばせます。
より強いDNAが未来へ 未来へ と運ばれていく。
もう駄目だと未来へいくのを拒んだDNAは弱いので未来へいけません。
他の強いDNAが未来へとばく進していくのです。
それは、腕力が強いもの、賢いものだけではありません。
運が強いDNAも生き残れるし、他のDNAを運ぶ人に遭遇して助けてもらって、生き残れる場合もあります。
乗り物が生まれた場所 国 時代によっても未来へのばく進経路が違ってきます。

DNAの天敵はウイルスです。
DNAの戦士たちはウイルスとの戦いに勝ち抜いたことで生存を遂げています。
スピリチュアルの世界を説く人はウイルスのようなものです。
未来へDNAが行くことを阻むウイルス。
強いDNAの戦士たちは、そのウイルスの出す麻薬に惑わされず、勝ち抜くでしょう。
ウイルスが出す媚薬に酔いしれ幻を信じてしまって狂ってしまったら、それは弱いDNAなので未来へ運ばれないだけです。
スピリチュアルの世界の宣伝マンに「さあ スピリチュアルの世界に行きましょう」と言われ、朦朧として自爆スイッチを押すだけです。
ウイルスは自爆した人間を見て、ククククと思うのでしょうか。

そしてDNAレベルではなく、もう一つエネルギー体として捉えても人間は死後もエネルギーとして宇宙に存在しつづけます。
宇宙のエネルギー総量は常に一定。
生命とされている状態であろうと、他の物質と結合している状態であろうと、常に均衡は保たれ宇宙が存在している限り、エネルギー総量は一定。

このことをスピリチュアルの宣伝マンが言っているとはとても思えません。
まるで死後分解され自然に還元された後も、自由に思考できるかのようにホラ吹く金の亡者の出す幻を信じるほど愚かでは、所詮弱い遺伝子でしかないので滅ぼされるしかない。
ウイルスのエサになるかどうか、それは自分で選択できることです。
ウイルスのエサとなりウイルスの繁殖を願い人間が絶滅するか。
今まで勝ち続けてきたDNAが負けるはずが無い。
どんなに手を変え 品を変えて攻撃してこようとも、ウイルスに負けるはずなどないです。


こう考えるとウイルスが出していた幻の世界が消滅し、現実の世界が見えてきて未来への視界がすっきりとしません?
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死後の世界や霊は存在すると思いますよ。


私達はお盆・お彼岸には墓参りに行き、死んだ人に話しかけたり。
初詣や合格祈願に神様に願掛けしたりと・・・
霊の存在を否定している人でも昔からの日本人の風習があると思います。
輪廻転生・因果応報なども言葉も霊の存在があるから、ある言葉ではないでしょうか?

自殺する人は、この世から逃げ出したい気持ちや生きているのが辛くて苦しいからだと思いますが・・・
(1)死んだら「無」と思っている。
(2)死んだら今回の人生をリセットして生まれ変わる。
という観点から今回の人生をリタイヤしてしまうのだと思います。

今、自殺を考えている人は前世でも同じ環境だったと思います。
また今回、自殺すればまた振り出しに戻ってやり直すだけです。
しかし、自殺後の「後悔」は耐えられないほどの苦痛を長い期間また味わうことになります。
分かりやすく言えば、小学1年生から進級できない環境で足踏みをしている事になります。
ですから、この人生のカリュキュラムを全うする事が今回の課題でもあり自分が決めた約束という事です。
なので、どんな言い訳をしても自分には嘘はつけません。
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こんにちは、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、お気持ちはよく分かります。死後の世界がある・死後の世界はない。あなたの観点からすると、どちらも同じ事では?

死後の世界がある=だから死後の世界で幸福になるために 現世をきちんと生きなくてはダメだ。

死後の世界がない=だから、限りある命をきちんと生きなくてはダメだ。

しかし、いずれにしても、難しいですよね。自殺のことを話題にするとき、いつも考えるのですが。たとえとしてあまりよくないですが、「末期ガンの老人の方に向かって」限りある命だか、大切にしなくてはダメだ。と言うことが果たしていいことなのかどうか?

自殺する人は、精神的に追い込まれて、あの世があろうが無かろうが関係ない、とにかく今の辛さから逃げたいと言うことなのだと思います。そんな人に対してかけてあげるどんな言葉があるのでしょうかね?

回答にならない回答でごめんなさい。
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生の苦しみ、それから逃れるための死、しかし死後世界の存在のあやふやさ。


ちょっと、長くなりますが、このテーマに関する答えとして好きな言葉の引用で回答に返させてもらいますね。

『 生か死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生き方か、(中略)
  いっそ死んでしまった方が。死は眠りに過ぎぬ-それだけのことではないか。眠りに落ちれば、その瞬間、一切が消えてなくなる、胸を痛める憂いも、肉体につきまとう数々の苦しみも。願ってもないさいわいというもの。死んで、眠って、ただそれだけではないか!
  眠って、いや、眠れば夢も見よう。それがいやだ。この生の形骸から脱して、永遠の眠りについて、ああそれからどんな夢に悩まされるか、誰もそれを思うと―いつまでも執着が残る、こんな惨めな人生にも。(中略)
その気になれば、短剣の一付きで、いつでもこの世とおさらば出来るではないか。それでも、この辛い人生の坂道を、不平たらたら、汗水たらして登っていくのも、なんのことはない、ただ死後に一抹の不安が残ればこそ。
旅たちしものの、一人としてもどってきたためしのない未知の世界、心の鈍るも当然、見たこともない他国で知らぬ苦労をするよりは、慣れたこの世の煩いにこづかれていたほうがまだましという気にもなろう。(以下略)』
    シェークスピアのハムレットより

ハムレットは劇の終盤で、この苦悩に一つの答えを導き出します。

『一羽の雀が落ちるのも神の摂理。来るべき者は、いま来なくとも、いずれは来る―いま来れば、あとには来ない。―あとに来なければ、いま来るだけのこと。―肝心なのは覚悟だ。いつ死んだらいいか、そんなこと考えてみたところで、誰にも分かりはすまい。所詮、あなたまかせさ』
   ハムレットより2

死後の世界があるかないか、所詮、誰にも分からない。ただ分かっているのは、あっちの世界へは一方通行だと言うこと。
そして、いつかあっちへ行く日は必ず来ると言うこと。
それこそが、真実であり、いつ来るかやあの世のことを悩んだところで無意味。
それなら、いまの「生」を必死で生きよう。
これが、「ハムレット」の悟りだと思います。

以前、TVで言っていたことなのですが、近頃の子供たちは「よみがえり」を信じているんだとか、、、。
私は、「よみがえり」をした人を知らないので、「ハムレット」に同意ですね。
「他国で知らぬ苦労をする」のと、「慣れたこの世の煩いにこづかれていた」方と、どちらを取るかと聞かれたら、私は後者を取りますね。
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