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江戸後期、つまり幕末頃には、日本家屋においても、板ガラスを窓ガラスとかガラス戸に使用し始めていましたか? 大きな町、例えば、江戸から大阪、京都においてのことだとは思いますが。なにかご存知の方は教えていただければ幸いです。

A 回答 (6件)

日本の木造住宅に板ガラスを初めて用いた記録は、元禄時代、伊達綱宗が江戸品川の居宅の障子に高価な輸入品の板ガラスをはめ込んだのが最初といわれています。



日本木造住宅産業協会のHPの「木心エッセイ」の中の「すまいの発明王」に記事があります。
http://www.mokujukyo.or.jp/index_user.html

幕末に欧米人が住んだ洋館には、ガラス窓が入っていますが、日本家屋であっても、豪勢な商人の居宅にも輸入品のガラスを使った建具が使用されていたと思います。

板ガラスの国産化は失敗の連続で、やっと成功したのは明治末です。
だから、ご質問の「日本家屋」を一般の民家と解釈しますと、ガラスの建具が使用され始めたのは、大正に入ってからということになります。
それも地方の素封家や成功した実業家の居宅に使用されたくらいです。
地方の上流階級の家で外まわりまでガラス戸にするのは、昭和10年ごろだといわれています。
一般の民家は、ほとんど何十年かで建替えられるから維新前後の家で現存している例は少なく、また記録に残すことも少ないから、正確なことは分かりませんが、大きな町と同じように雪国の家にもガラス建具は普及していきました。
http://www7.ocn.ne.jp/~kita3079/nanao-no-rekishi …

朝日選書の小泉和子著『道具が語る生活史』に少し載っています。
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この回答へのお礼

詳しくお教えいただきまして本当にありがとうございます。
日本家屋におけるガラスの建具、ガラス戸とかの使用について、調べていたのですが、大変役に立ちました。やはりかなり当時は贅沢品だったようなので、その使用は、お金持ちとか欧米人に限られていたのでしょうね。でも、幕末にはすでに日本家屋における使用が見られたとのこと、厚く御礼申し上げます。お教えいただいたサイトにも行ってみます。

お礼日時:2007/01/08 20:57

"日本でも17世紀~18世紀にかけて、板ガラスが輸入され、僅かながら国産化"との記載が(旭硝子と共に世界の2大(板)ガラスメーカーとされる)日本板硝子の関連会社等のHP内にありました。


http://www.nsg-ntr.com/TIME/GLASS/library-05.htm
http://www.glassman.or.jp/chishiki/index.html

又、1879年以後("1945年~1972年"迄の米国統治時代を除いて)明らかに日本の施政権が及んでいる沖縄で息衝いている"琉球ガラス"に関する記述が下記HPでなされています。(但し、ガラス工芸の類ですので、琉球ガラスの製法による板ガラスはない点が難ですが。)
http://www.wonder-okinawa.jp/009/what.html

尚、蛇足ですが(NO4さんが指摘されている如く)洋館や教会には窓ガラスが多用されているのが常ですが、流石に中世迄遡ると、欧州でも(窓)ガラスは高級品云々との説明が下記HPに、見られます。
http://sinba.seesaa.net/article/4314869.html
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この回答へのお礼

興味深いサイトをいろいろお教えいただきまして、ありがとうございました。早速覗いてみたいと思います。

お礼日時:2007/01/08 21:07

俳人の正岡子規の明治34年?の文章に不満に思う事として「日本で板ガラスの出来ぬ事」を挙げています

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この回答へのお礼

正岡子規のおもしろい逸話をありがとうございました。

お礼日時:2007/01/08 20:58

 日本におけるガラスの歴史は、弥生時代までさかのぼります。

主に装飾用の玉ですが、当時の物は大陸からの輸入品。国内製造は古墳時代末ごろと考えられています。もちろん当時の技術では小さな装飾品や器です。
 平安時代以降ではガラス製造は衰え、再び大陸からの輸入品となります。安土・桃山時代にはヨーロッパからのガラス工芸品が輸入されますが、後の鎖国政策のためガラス製造は日本では隆盛しませんでした。しかし、長崎や堺ではビードロ鏡・鬢鏡(びんかがみ)などの小型ガラス鏡が作られて、身だしなみ用に使われます。特に寛永~寛文年間に吹きガラスの技法を長崎の技術者が会得したことで、小瓶などを製造。大坂や江戸へ技法が伝わり、明和年間には「ギヤマン」として切子ガラスが作られます。
 幕末期には鹿児島・長州・佐賀の各藩でもガラス製造が行われ、特に鹿児島では藩主:島津斉彬により、安政2年(1855)にガラス製造所が集成館に作られ色ガラス、切子が作られます。

 以上が日本のガラス史の流れですが、このように当時のガラスはあくまでも装飾品・調度品・工芸品であって、現在のような工業用品ではありませんでした。工業用品としてのガラス製造は明治に入ってから。日本で本格的な板ガラス工業は明治40年に旭硝子によってです。また板ガラスの大量生産は20世紀初頭から始まります。

参考
『国史大辞典』第3巻(吉川弘文館)
参照
旭硝子HP「旭硝子ヒストリー」
http://www.agc.co.jp/company/history/index.html
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この回答へのお礼

詳しくガラス史についてお教えいただきありがとうございました。
板ガラスはやはり明治になって本格化したのですね。
厚く御礼申し上げます。

お礼日時:2007/01/08 20:52

聞いた話ですが、昔の板ガラスは現在のそれとは作り方が違っていたそうです


大きなガラス皿を作るように円盤状に広げて延ばしていったものから切り出していたそうです
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この回答へのお礼

板ガラスについての興味深い情報ありがとうございした!!

お礼日時:2007/01/08 20:49

私は困った時はいつもウィキペディアで調べておりますが、


それによりますと、本格的に日本でガラスの製造がされたのは16世紀との事です。
ただ、弥生時代の遺跡からもガラス玉が出土しているとのことです。
ああいう時代には今のように実用品というよりは、神秘的なモノとして扱われていたのかもしれませんね。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%A9% …
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この回答へのお礼

早速、ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2007/01/08 20:47

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