架空の映画のネタバレレビュー

私は大学4年生、22歳の女です。
タイトルの通り、私は何でも「(近い未来に)自分が死ぬこと」を前提に物事を考えてしまい、長期の人生計画をたてることができません。

以前から「二十歳になる前に死ぬ」など期限付きで生きてきました。
これは小学生の時からで、原因は家族、特に祖母にあります。
最初は「十三歳になったら死ぬ」で、それが祖母との約束でした。
十三歳になる直前に、祖母自身が死んでしまいましたが……。
実際に何度も期限があったのですが、その度に生きることを選択してきました。
しかし、21歳の時に精神を病み、軽い自傷を行ってしまいました。
そのことが原因の一つとなり、当時付き合っていた最愛の彼氏と別れました。
私は当時通院しており(症状が軽かったため2回で終わりました)、私の自傷がよくなったので、彼から「もう自分がいなくても大丈夫だ」と別れを切り出されました。
その後、初めて本当に死ぬ準備をし、自殺未遂をしました。昨年の4月のことです。
今は落ち着いており、自傷もしておらず、時々ひどく落ち込むこともありますが、表面上は普通の生活を送っています。
しかし、「卒業したら死ぬ」と思ってしまうために、4月以降のことが考えられません。
4月からは修士課程に進学が決まっているのですが、入学手続きなども無意味なものに思われてしまいます。

おそらく多くの人にとって私の考え方は不愉快なものだと思います。
しかし、本気で悩んでおり、普通の人のように生きたいと思っています。
でも、できないのです。
ふっと「卒業したら死のう」と思ってしまってから、どんなに頑張ってその考え方を振り払おうとしてもできないのです。
卒業式以降の未来を考えようとしても(例えば修士の入学式)、「どうせ生きていない」とどこかで思ってしまうのです。

私はどうすれば普通の人のように考えることができるようになるのでしょうか?

A 回答 (24件中11~20件)

まず死なないで。

そして逃げないで
そして祖母を許して上げて。
私は誰もが皆、洗脳の世界に生きてると思うのです。祖母は自分の時代の考え方を刷り込まれて育てられ、有る意味「被害者」でもあるのです。そして知らない間にあなたに対して「加害者」になってしまった事、祖母は決してあなたに「自殺」なんか望んでも想像もしていなかったと思います。
祖母の影響であなたは大分苦しんだ事でしょう。祖母に対する「憎しみ」も有ると思います。
ひとつ意識して欲しいのですが、「鏡」です。光を跳ね返す鏡。
人に対して「憎しみ」を持てば、それが全く違う人からも返って来ます。悪循環です。
今は出来なくても、あなたの中が「幸せ」や「感謝」の気持ちで満たされれば、それが全く関係無い人からも返って来ます。
「逃げない」「許す」「感謝」これらを大切にして下さい。
実は、私自身に言ってたりするんですけどね^^;
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

祖母を憎んだりしたこともあったんですけれども、今は特に何も感じていないです。
でも、「許す」っていうことができないのです。
許してしまったら、なんと言えばいいのか分からないのですが、幼いころの私がかわいそうというか、そのころの私はどうなってしまうのか、と思います。
かわいそうって言うのも正しい表現ではないですが、語彙が少なくてうまく表現できないです。
冷静に考えれば、過去は過去で、許しても許さなくても、過去が変わるものではないのですけれども。

すみません、よく分からないことを言ってしまって……。

本当に許して、過去を過去にすることができるようになっていきたいです。
「逃げない」「許す」「感謝」、特に最後の「感謝」を忘れないようにしたいです。

お礼日時:2007/01/11 13:38

No3です。

補足拝見しました。
私は専門家でも何でもないので読み流してもらって構いません。

質問者さんはもう立派な大人です。まだ学生ですが、これから何年かすれば就職し、独立します。
しばらく家族を忘れてみませんか?
今を、自分が生きている今を、自分のために行動する今を
大事に生きてみようと思うことはできませんでしょうか?

おばあさんとの件は子供心につらく刻まれた事でしょう。
けれど、そのおばあさんもこの世にはもういません。
ご両親も、弟さんに未だにひいきしているならば
それはそれでいいではないですか?

この際、弟さんにご両親をまかせてあなたは自分のためだけに
生活してみてください。
ご両親もあなたに何も求めないなら、それまた結構。
その余力を自分の力を高める努力にまわしましょう。
苦しい時に助けてくれるのは家族であってほしいのは誰もが
思うことですが、その家族が助けてくれない場合だって
あります。そうなった時はやはり自分で乗り切るしかないんです。

自分をどんどん強く、立派なものにしていきましょう。
家族なんて単純です。
家族内の誰かが偉く、立派になれば、今まで期待してた人物なんか切り捨ててそちらにすがってきます。

私も、大学卒業後は一人暮らしを始めました。
それまで家族と暮らし、家族あっての毎日でしたが
今は、自分が日々、生きていく事だけで精一杯で、
家族のことまで頭が回りません。
生きるために働き、食べ、勉強する。これだけで精一杯です。
死にたいって考える暇もありません。

もし、可能ならば、一人で暮らし、すべて自分の力で構成し、
家族の助けを期待するのではなく自分の力を信じて行動してみてください。

考え事、悩みが多い時は
是非、どこかに旅行してみてください。
ちょっといつもの生活から離れ、忘れましょう。
たまには大々的な現実逃避したっていいんですよ。
息抜き!息抜き!
まったく違う世界、違う雰囲気に身を置いて
大自然を目の前にすわり、しばらくボーっとしてみてください。

何ともいえぬ解放感が味わえます。
自分の悩みもとてもちっぽけな悩みに思えてきます。

まだまだ人生これから、過去の事は忘れて
これからの自分の人生を楽しく生きていくことだけを
考えてみてください。

がんばって!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

読んでいて涙が出てきました。
ありがとうございます。

今は、一人暮らしのためのアパートを借り、少しずつ物を入れていっています。
何もないですが、寝泊り程度ならできるようにはなってきました。
もともと一人暮らしがしたかったので、「どうせ死ぬなら好きなことをしよう」という気持ちもあったのですが、新しい居場所ができたようで、少し楽になれたような気もします。
これからも学生生活が続いていくわけでして、自力での生活がどこまで続くかわかりません。
経済的にきつくなるのかもしれませんが、頑張っていきたいと思います。
今を大切にしていきたいと思います。

お礼日時:2007/01/11 13:28

何度もごめんなさい、でも心配で心配で、


もう一度書き込みさせてください。
返事をくれないのでは、(悩みすぎていて)
と思っていたので嬉しいです。
No.9のimoaraiです。

太宰治の、「晩年」「人間失格」は読んだことはありますか?
どちらも自殺することを前提に書かれた本で、実際に太宰は一度は心中未遂、最終的には自殺しました。

「晩年」の書き出し、一ページ目を読んで、ピンとこなかったら読まなくていいです。感じるものがあったらぜひ、読んでみて欲しいです。

人に好かれるよう自分を偽り、道化(ピエロ)のようにして幼年期を過ごした太宰は次第に人生に疑問を感じ、女や酒・薬に溺れ、自殺します。

私はここに初めて書きますが、
小説を書いていて、それで食べられるようになるのが夢です。
文学なんて、あなたのような人にこそ響くものでなければ、
書く意味なんてないに等しいんじゃないかって思うときがあります。

私は21歳です。
そして他の21歳と同じで、恐ろしいくらいに有り触れた存在です。
明日も多分、今日とそっくりな一日を送るんじゃないかって、
いつも恐れています。
あなたは私と一歳しか違いませんが、とても思慮深い女性だと思います。
それは死について、真摯に向き合っているからです。

自死とは自身に対する最大級の暴力表現です。
死ぬことで完璧な存在になろうとしても、実は本当の答えは出ません。
その答えを出したのが文学です。

痛みを伴う自国の文学に、一度触れてみてください。
どうかあなたが生きようと思ってくれることを切に願っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今は、一人暮らしの物をそろえたり、卒業研究を行ったりと、生活が忙しいおかげで、わりと深く悩まずにすんでいます。
心配してくださってありがとうございます。

太宰治の「人間失格」は読んだことがありますが、「晩年」はありません。
アドバイスを読んで、近くの書店に行ってみたのですが、置いてなかったので、また他の場所で探してみたいと思います。

私は死について、真摯に向き合っているのでしょうか。
よくわかりません。
生きることをおろそかにしてしまっている気もします。

時間を見つけて、文学に触れていきたいと思います。

お礼日時:2007/01/11 10:39

No.8のkumosuke32です。



 まず、引用させていただきますが、
 -家族にあるからこそ、逃れるすべもなくつらいのではないかと思います。
本来ならば、精神的に苦しい時に最後まで支えてくれる、または味方でいてくれるのは家族ということが多いようですから。。。

 これは、ちょっと現実的ではありません。

 家族であるから逃れにくいのではあるのですが、逃れられないのではありません。
 そして、苦しいときに最後まで支えてくれるのが家族でも、残念ながら、ありません。それは理想論です。突き詰めていけばわかりますが、家族でも頼りにできない人は多いし、家族に追い詰められる人も多いのです。最後に残るのは自分であることが多いです。だから、そんなけなげな自分を大事にした方がいいのではないでしょうか。

 普通の家庭でも、多くの家庭で困難にあったとき、最後まで助けてくれる家庭がどれほどあるか、疑問です。癌とかなら見舞ってくれたりはしますけれどもね。僕もそれなりに見てきましたが、人は自分のキャパシティを超えた問題には取り組めないのです。親でもそれは変わりません。

 家族の幻想から解き放たれて、家族を否定し、批判してもいいのではないでしょうか。もちろん、親族も含めて。

 絶望を知るものは、希望の価値を知る、という言葉は結構言われています。自分の絶望を受け入れて、外に吐き出す作業が必要なのではないでしょうか。自分の絶望は小さいものではないということを思って、そんな自分に耐えてきた自分をいたわって欲しいぐらいに思います。

 確かに落ち込めば死を願う時だって出てくるでしょう。それは、もう、止むを得ないというか、通らざる得ないでしょう。それだけ、自分は傷つき壊れているのですから。

 結局、生に期限をつけるのも親に愛されるためではないでしょうか。でも、親に愛されるために自分を愛せない状況にいるから、それに耐えられなくて自分が壊れていっているのだと思います。

 まず、自分を愛するために、助けを呼ぶ必要があるのではないでしょうか。新たな絶望も確かに怖いですが、今ある絶望も抱えきれるものではないでしょう。

 ありとあらゆるもの、医療機関やカウンセリング、その他もろもろを利用して、自分を愛せるようになるために動き出してはどうでしょうか。子供が生めないと思う気持ちはわかりますよ。僕だって子孫は残せないと思ってきましたから。
 でも、そんなネガを抱えていては生きてても苦しいばかりでしょう。

 あの日には死ぬと言いながら、まっとうな生活をしてきたのはそれも家族に愛されるためだったのではないですか?今の家族からは難しいかもしれないけれども、新しい家族を得られれば、そこから愛情を得られるのではないですか?他にも選択肢はあると思います。

 人間なんて簡単に死んでしまうものなんですよ。いつまで生きられるかなんて誰にもわからないんですよ。いつ死ぬかなんて天命なのですから。いきなり死がやってきて、その時に幸せがわからないなんてのだったら嫌ではありませんか?
 
 自分の幸せのために家族と決別してもいいぐらいの覚悟でこれからを考えてもいいのではないでしょうか。
http://www.iff.co.jp/
僕の知っている範囲でURLを載せておきます。

 人生は1回しかない。僕は普通の幸せが得られなくても、納得のいく今を過ごしたいと思っています。あなたも腹をくくって自分を愛し始めてはどうでしょうか。医師に通うなり、カウンセリングを始めるなり、本を漁るなりすることは一歩になるとは思いますよ。
 限定的な家族の愛のために自分を殺すなんて馬鹿らしいと思いませんか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、家族に対しては幻想を抱いているのかもしれません。
私は独りでは生きていけない弱い人間ですので、
家族に支えを求めていた面もあったのかもしれません。
でも、必ずしも人に支えを求めなくてもいいのかな、とアドバイスを読んでいて思いました。
自分の打ち込めるものや勉学、2年後になりますが仕事などでも心の支えになるのかな、と。
いろんな人に多くを求めすぎていたのかもしれません。

校内のカウンセリングを利用するのもいいかな、と思いました。
そういったことを通じて、少しずつ自分を大切にできるようにしたいと思います。

サイトのほうもゆっくりと見てみたいと思います。

お礼日時:2007/01/11 10:31

ご質問者が「該当する」という意味ではありません。


あくまで参考意見としてお読み下さい。
「強迫神経症」という障害があります。
こちらのサイトがわかりやすいです。
よろしければ、じっくり読んでみてください。

http://www.npsybt.jp/index.html

「もしや」と思い当たるようであれば、できるだけ早く認知・行動療法の専門家を訪れるのが一番です。
それから、(とりあえずですが)以下の本は間違いなく役に立つでしょう。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%86%E3%81%A4%E3%81 …

最後に少々、キツイことを申し上げます。
「強迫観念」「強迫行動」にとりつかれ、苦しんでいる人々の殆どに言えることですが、彼らは「強迫観念・行動」に苛まれることによって、ほんらい正面から対峙し、対決しなければならない諸問題から「逃げている」ということが言える。
「強迫神経症」=「逃避」だということです。

これはもっと、後になってからわかることです。
今のところは、心の片隅にでもしまっておいて下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

紹介していただいたサイトを見てみましたが、当てはまる部分はほとんどありませんでした。
ですが、zpfさんの諸問題から「逃げている」というのは、当てはまる点があると思います。
私は様々な苦痛、将来実際に起こるかもわからない不幸から結局逃げたいのだと思います。
それが生きていたくない原因の一つだと思います。

お礼日時:2007/01/07 21:28

誰しも一度は死を考えます。


そんなに長生きしたくない、という人も案外多い世の中です。

自殺はすすめません。
でもどうしてもそう思うなら、あなたが自殺したい理由をノートにまず書き出してみてください。
そんなに破滅的な人生ではない、と思えるのではないでしょうか?

芸術に傾倒するもよし、好きな人とセックスするもよし。

死ぬつもりで人生自由にやってみればいいじゃないですか。
本当はやってみたいこと、あるんじゃないですか?

それができなかったら次を考えましょう。
理由もなく死ぬのはとても勿体ないことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やってみたいこと、ですか。
本当にあまり思いつかないんです。
今までに「やってみたい」と思っていたことは大体やってしまったので。
頑張って考えるものでもない気はしますが、考えます。

死にたい理由をノートに書き出してみたいと思います。

お礼日時:2007/01/07 21:23

 気になることの一つは”いつまでに死ぬ”と期限を設けながら、割とまっとうに人生を築いているのは、なぜですか?



 普通、死ぬと決めたり、定まったりして人は、刹那的な行動になりがちですよね。でも、伺っている範囲では、割と普通の人と同じ人生を送っていますよね。とても計画的だと思います。それはなぜでしょう?


 それと、これは他の人も言ってますが、なぜ、おばあさんと13歳になったら死ぬ約束をしたのですか?あなたが生きていることで、おばあさんの思惑とは違うものになってしまうからですか?
 おばあさんに自分の生を否定されたので、それ以来、自分の存在価値を見出せない、というのが今のところの仮説です。
 でも、そういった人生の価値観を築いたのは。何もおばあさんだけでなく家全体にそういった空気があるのではないですか?

 ある家族問題を扱う精神科医は”なぜ、病巣が深くなって、ひどい有様になってから来院するのか?もっと早く来てくれれば人生もすぐ立て直せたのに・・・・。”という発言をしていました。医者が万能とは思いませんが、通うことによって自分なりに方向性を見出せたりはしますよ。利用してみてはいかがでしょうか?

 不愉快どころか親しみやすい考え方ですが(僕にとっては、ですが)、どれほど深刻なものかは、正直わからないのです。

 普通に生きようと思うのなら、まず、自分の家族の問題、自分の問題と正面から向き合わなければならないでしょう。そして、世間とどこが違うのか、どこが居心地がいいか、家を出ればその問題から逃れる瞬間があるのか、いろんなことを身をもって確かめていかなければなりません。医師カウンセラー等と相談するのもいいと思います。そして、同時にそれらを材料として自分自身考えていく必要はあると思います。

 僕は正直言って、問題の根本はあなたの家庭にあると思います。そして、家族・親族の中にある価値観からいかにして脱却し、個人としてきりつできるか、一個人として自分なりに価値観や思想を築けるかがポイントになってくると思います。一緒に暮らしていても自分なりにある程度はきりつできるぐらいにはなります。他人と如何に距離をとるか、になるんではないかと推測します。

 普通に生きている人でもある程度の負は背負っているものです。自分の負を自覚しているほうが感情や思考の奔流に正面から対処できたりしますので、自分の負も財産と思えるようになるといいですね。でも、重すぎる荷は降ろしたほうがいいですが。

この回答への補足

確かに私の人生はごく一般的ですね。
まっとうと言われれば、まっとうなのかもしれません。
理由は分かりません。
家庭の方針もあるのだと思いますが、私自身が学ぶことが好きだったからと言うのもあり、大学進学の道を選びました。

祖母との死の約束についてはNo.3で回答してくださったstamkmさんへの補足に書きましたので、お手数ですがご覧になってください。
確かにおっしゃるとおりで、これは祖母とだけの問題ではなく、家族全体にそういった(弟びいき)雰囲気があったのは確かです。
両親と祖母から、私は完璧な人間でいることを求められているような気がしていました。
また、自分が家族に認められているのは勉強だけしかないようにも思えます。

確かに私の問題の根本は家族にあると思います。
家族にあるからこそ、逃れるすべもなくつらいのではないかと思います。
本来ならば、精神的に苦しい時に最後まで支えてくれる、または味方でいてくれるのは家族ということが多いようですから。。。

補足日時:2007/01/07 20:57
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

こうやって期限付きであっても生き続けることができているうちはいいのかな、とは思います。
しかし、以前のように深い闇に陥ってしまった時に、本当に死を選ぶのではないかと、こうやってパソコンに向かう余裕のある今は心配になります。

お礼日時:2007/01/07 21:19

こんばんは。



生きている未来の自分の姿が想像できない感じでしょうか?
辛いですね。
死の事なんか考えず、もっと、生き生きと生活したいですよね。

私も死を前提に物事を考えています。
ただ、yuiyui12さんとは、違う死を前提とした考え方です。
人は必ず、死にます。
自ら命を絶たなくても、長くても100年もすれば、必ず死にます。
長い歴史の中で考えれば、本当に短い、束の間の人生です。
例え、辛いことがあったとしても、束の間のことです。
私は、その束の間の生を感じていたい。
辛かったけど、とりあえず、生きてみたな~と言いたい。

yuiyui12さん、寿命まで生きてみませんか?
寿命まで生きれば、今のyuiyui12さんには想像もできないよう事を、たくさん経験することができると思います。
楽しいことも、嬉しいことも、辛いことも。

学生時代はどうしても、視野が狭いものです。
でも、実際、社会に出ると、本当に色々なことがあります。
そして、自分なりの大切なもの、目標もはっきりしてきます。

進学が決まっていらっしゃるようで、社会に出るのは、まだ先でしょうが、視野を拡げる為に、勉強と並行して、色々なことに触れてみるのがよいと思います。
色々な人に会うようにした方が、よいと思います。

> 私はどうすれば普通の人のように考えることができるようになるのでしょうか?

オッサンの私から見れば、視野の狭さが出てますよ。
普通の人なんていません。
皆、それぞれ、悩んで、生きています。
色々な考えを持って、生きています。
もっと、多くの人に接する事をお薦めします。

色々な本を読むのもよいかもしれません。
私の個人的な趣味で、池波正太郎先生の本なんかはいいですよ。
若い人に読んでもらいたい。

色々、経験してください。
そうしたら、今、見えないものが見えてくると思います。

生きなければ、経験できませんよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね、普通の人なんていないのだとは思います。
私のように考えない多くの人を表す言葉が見つからず、「普通の人」と言う表現になってしまいました。

「頑張ればいいことがある」と信じていたのですが、今までの経験で、私が学んだことは「頑張ってもいいことなど何もない」ということでした。
頑張っても報われませんでした。
他の人より恵まれている部分もたくさんあるとは思うのですが……。
色々経験し、さらに絶望を見たくないと言うのもあります。

お礼日時:2007/01/07 20:54

20歳くらいのころは、難しい人は難しいです(精神面で)。



僕もそうでしたし。あなたの場合、今現在そういう症状(おもってしまうということ)が強くでているなら、うつ状態とか診断されるとおもいます。薬をのむとだいぶ気分がまぎれますよ。

私もどうしようもないという状態が何年も続いたのですが、結局は薬に助けられたようなものです。

一度、ちゃんとしたメンタルクリニックをネットなどで探して、行ったほうがいいとおもいますよ。

薬は雑念(あなたが頭で思い浮かべているようなこと)を、徐々にといてくれます(月日はかかりますが)。

お大事になさってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今は、こういった場所に質問できる程度には精神的余裕があるので大丈夫だと思っていました。
人前だと明るく振舞っていますし、笑ってもいるので、欝とは違うと思っていますが、どうなのでしょう。

もう一度、精神科に行ってみようかと思います。

お礼日時:2007/01/07 20:45

初めまして。



そういえば私の娘(3才)も私の話(お菓子ばかり食べてたらバイキン増えちゃうよ、野菜食べたらバイキンが死んでお腹が強くなるよとか)を真に受けていますが、幼いときの経験は一生を左右するものですね。

大分昔に唯心論対唯物論の論争がありましたが、あなたの場合はそれ以前の問題のように思われます。

「死」はあなたの祖母にとってはそう遠くではない現実の問題であり、あなたにとっては刷り込まれた観念でしかありません。

それに囚われてしまったあなたはそこから脱却出来なくなっているように思われます。

人は成長するにあたって自ら判断し、新たな世界に突き進んで行くことが生きる喜びにつながります。

それを経験せずに人生を終えるのはモッタイナイことですね。
誰の上にもいずれ「死」が訪れます。

女であるあなたのするべきことは死ぬ前に新たな「生」を求めることです。

あなたの祖母は子、孫と「生」を得たことで心置きなく旅立つことが出来ました。

あなたの「生」はその時期を待っています。

たとえ結婚して子供が出来なくても、結婚相手の男に「生(生きる喜び)」を与えて下さい。

それからでも「死」を考えても遅くはありません。

あなたを必要としている人を見捨てて遠くへ行けますか?

何故か書いているうちに涙が出てきて止まりません。
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この回答へのお礼

初めまして。
回答ありがとうございます。

そうですね、私にとって「死」は観念上のものでしかありえません。
死を口にしながらも、死は現実的なものではないのだと思います。

私を必要としてくれる人がいるのでしょうか……。
女として新たな命を育むことは、とても重要なことだと思います。
しかし、私は子どもを生みません。
生めない体かどうかは知りません。生まないのです。
私は自分の子どもが自分のようになるのが恐ろしいのです。
自分の子を愛せる自信もありません。
虐待まではいかなくとも、子どもを心身ともに痛めつける可能性があるので、生まないでいると前から決めています。
なので、私には結婚相手もいないと思います。

お礼日時:2007/01/07 20:41

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