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自己犠牲とは?

ひとは皆、自己犠牲の性質を宿しているのではないですか?

自己を犠牲にして、得られるものを、本能的に知っている気がします。

それは、今の自分にとって可能な範疇で行われる場合がほとんどでしょうが、あるときには、自己の器を越えた自己犠牲を発揮する場合もあります。

それによってなにかが得られると、ひとは知っているのでしょうか?

A 回答 (14件中11~14件)

ヒトに限らずトムソンガゼルとかミツバチでもやっています。


既知情報かもしれませんが、利己的遺伝子が利他的行動を促すのだ、という考え方がありますよね。
要するに種の保存よりも遺伝子の保存のほうが重要だということなんでしょう。つまり、「得られるものは」の答えとしは、遺伝子の保存ということになるようです。

入口はこちら↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A% …
上記のページでなぜかリンクがはられていないのでこちらも↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1% …
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自己犠牲とは単なる本能だと思います。


社会性を持つ動物は自分が所属するグループ(群れ)のために自己犠牲を発揮することがよく確認されてます。
アリとか蜂とか草食動物から肉食動物にいたるまで。社会性を持つ生き物である人間がそういった本能をもっていてもおかしくはないでしょう。
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この回答へのお礼

なぜか好きな人のためなら気持ちいいと感じてしまいます。

お礼日時:2007/11/11 20:54

「自己犠牲とは?」と尋ねるからには、自己犠牲のなんたるかを知らないのですね。


そこで、「ひとは皆、自己犠牲の性質を宿しているのではないですか?」とあたかも知っているかのように話すことはおかしいですね。
生命は生まれてから、死ぬに至ります。この身体が滅びていくことを「自己犠牲」と呼ぶならば、そういう性質を宿していることになりますが、この死へ向かうことを「消費」と呼ぶならば、自己犠牲というのは1つの見方によるものにすぎません。
「自己を犠牲にして、得られるものを、本能的に知っている気がします。」と、またしても自己犠牲について知っているかのように語っておられますが、何かを犠牲にして何かを得るというのは、見方を変えれば単なる「等価交換」です。
本来等価交換のはずが、相場の変動によって、「自己の器を越えた自己犠牲を発揮する場合」になることもあります。
つまりそれはものの見方の変動によるものです。

「それによってなにかが得られると、ひとは知っているのでしょうか?」という問いは、もしあなたが知っているならば、問うまでもない性質のものです。

この回答への補足

死んだ後、名を上げる方がたくさんおられます。

お墓の先祖の名前の漢字を良く調べてみると……?

補足日時:2007/09/28 20:51
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この回答へのお礼

囮。

サッカーでも、子供の遊びのかけひきでも、つたない小さなものですが、いたるところで人間はその力と、後のすがすがしさを、多く味わってきました。

お礼日時:2007/09/28 20:50

>ひとは皆、自己犠牲の性質を宿しているのではないですか?


確認?それとも質問?あなたがそう思う理由は?

>自己を犠牲にして、得られるものを、本能的に知っている気がします。
明らかに本能というものを勘違いしています。

>それによってなにかが得られると、ひとは知っているのでしょうか?
何かって何?

敢えてアドバイスするなら、あなたは自分を見失っています。
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この回答へのお礼

生きていくだけなら、自己犠牲は必要ないしろものでしょう。

しかし人間とは複雑で雑多な生き物です。

そういう感情が、存在しているということだけ、知っておかれればいいと思います。

私のことを思ってのアドバイスありがとうございます。

お礼日時:2007/02/03 11:37

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