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「自分の蒔いた種は自分で刈り取る」とありますが、悪いことをして
結局それが自分に跳ね返って来るというものですが。
もし、日常の生活で悪いことをしてしまった・・・と反省の心が
あれば刈り取るということは消えてしまうものなんでしょうか?
どんな善意なことをしても刈り取る作業は必ずしなければいけない
ものなんでしょうか?

例えば・・・
すごく嫌いな人(克服できない)に対してケチつけたり、悪口を
たくさん言ったり、追い返したり。
です。

A 回答 (7件)

質問にある例えはとても善意とは思えませんが。



悪い事をしてしまったと感じるならば、それは善意で行った行動じゃないですよね。
ありがた迷惑ならそう思うかもしれませんが、言われなければ気付かないでしょう。
もしありがた迷惑だった場合、それはありがた迷惑だという事を知らされるまで
蒔いた事にはならないかと思います。

反省の心があるから、跳ね返ってきた(失敗した)経験を活かして次の繋げるのだと思います。
もしくはその事によって窮地に陥った時に、どれだけの事をしてその場から脱却するか。
その行動が、「刈り取る」なのでは。

と、思いつくままに書いてみました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
確かに学びというのもあるのかもしれませんね。

お礼日時:2007/02/14 19:24

例えはよくわかりませんが


そのことわざの意味するものは
「自分の行動には自分で責任を取れ」ということです。

自分の行いが後で自分に帰ってきた時に
「悪気があってやったことじゃないんだ」とか「善意でやったことなのに」とか
「反省の心があるから」とか、そういうふうにうだうだうだうだと言い訳して
自分のやったことに対して責任を取ることを放棄しようとするんじゃない!
ということだと思いますよ。

それが善行であれ悪行であれ、自分のまいた種は自分で刈り取るべきです。
種をまくだけまいて、面倒な刈り取りは他人にやらせようなどという道理は通りません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
確かにそうですね。

お礼日時:2007/02/14 19:26

自分の蒔いた種は自分で刈り取る


通常これは悪事又は失敗の責任を取るということです

善行の場合は
情けは人のためならず
です

反省しても責任は消えません
消えるのならどれほど悪事を働いても
反省しているのだからもういいじゃないか
と言う理屈になります
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/14 19:29

>結局それが自分に跳ね返って来るというものですが



ちょっと違うのでは?

自分で発生させた不都合な問題は自分で解決する責任があるよ

だと思います

>日常の生活で悪いことをしてしまった・・・と反省の心があれば刈り取るということは消えてしまうものなんでしょうか?

消えないでしょう、実行しなければならないでしょうね

たとえが貧弱ですが
「畳の上に飲み物をこぼした」
「お母さんに頼まず自分で拭きましょう」

「友達を暴言で傷つけた」
「きちんと謝りに行きましょう」

心の中で反省しても役に立ちません

>例えば・・・
>すごく嫌いな人(克服できない)に対してケチつけたり、悪口を
>たくさん言ったり、追い返したり。

自分で解決すべき問題です、反省しても役に立ちません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
反省よりも解決ですね。

お礼日時:2007/02/14 19:34

 自分の言動が悪い結果を招いた場合、その責任を自分で解決しなさいと


いう意味ですので、『反省の心』というのが行動を伴わず、内心反省して
いるだけでは、起きてしまって表面化した問題は解決されないので刈り取った
事にはならず、消えません(時間が経てば有耶無耶にはなりますが……)。 
 消す為には何らかの行動が必要です。

 善意の行為がそのまま善き結果となり、何も問題が起きなければ刈り取る
必要性も発生しないと思います。
 もっとも良かれと思ってやっても裏目に出るということは多々あります
ので、悲しいかなそうなってしまった時は、やはり刈り取りは必要となる
場合も出てくるでしょう。

 例えに出てくるすごく嫌いな人が質問者様とどのような関係にあるのかは
判りませんが、極端な話、その行為に対して相手が訴えてきた場合、自分が
蒔いた『悪口雑言』という種が見事に芽吹いて『告訴』という実を結んだので、
謝って取り下げてもらうか、そのまま裁判に臨むという自らの行動を選択
して最終的にけりをつける。これが刈り取るという事です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
反省よりも解決なんですね。

お礼日時:2007/02/14 19:36

こんにちはー



自分の行動や言動に最後まできちんと責任を持ちなさいと言う事だと思います。
(悪いことが起きた時に使うのが普通です)

普通は自分の言った言葉(行動)が原因で何かトラブルが起きた場合
知らないふりをしたり、他人に解決を頼んだりしないで
最後まで(解決するまで)自分の責任できちんと処理しなさい
と言う事だと思います。

例えば、あなたの遊び仲間があなたと、友達A(Aさん)、友達B(Bさん)の3人だったとします。

例1
ある日あなたがBさんと喧嘩をしました。あなたは冷静さを失い
Aさんに、Bさんのありもしない嘘の悪口言ってしまいました。
このことが原因でAさんとBさんも喧嘩する結果となり
3人の仲は険悪になってしまいました。
AさんとBさんが話し合いをしたら原因があなたの嘘だと
バレてしまい、Bさんから「自分の蒔いた種は自分でちゃんと刈り取りなさい」と言われてしまいました。

例2
ある日あなたがインターネットオークションを始めました。
友達A、友達Bはあまり乗り気ではなかったのですが
あなたが安く買えるし、しおもしろいからと言って無理に
友達A、友達Bを仲間にして3人でインターネットオークションを
始めました。3人で同じブランドのバッグを購入したのですが
詐欺にあい偽ブランドだとわかりました。
被害に遭った友達A、友達Bはあなたになんとかしてといいます。
あなたもいろいろ努力をしてみましたが詐欺犯は返品に応じません。
あなたが「みんなで相談してやったんだから仕方ないよね」といったら
友達Bから「もともと、あなたが蒔いた種なんだからあなたがきちんと刈り取ってね」と言われてしまいました。

こんな感じの使い方をするんじゃないでしょうか?
「蒔いた種」とは原因となる行動や言動「刈り取る」とは責任を持って解決する
という意味だと思います。
「蒔いた種」(原因となる行動や言動)に悪意がなくても
結果がわるい場合に使われるのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
みなさんと同じく「解決」ということなんですね。

お礼日時:2007/02/14 19:38

似たような題の質問を哲学カテで見たな~、って思って調べてみたら、どうもそれを匂わせる記述が聖書の中にあるようなんですよね。

(その質問内容を見るに、その言葉って聖書からきたものなのかも知れません。僕は聖書読まないから知らないですけど。)

で、聖書方面から調べてみて考えたんですけど、その”種”ってのは因果の事で、収穫物が勝手に育っていく様は”経過”、そして刈り取った実は”結果”なのではないでしょうか?
つまりは、刈り取るか刈り取らないかの選択はヒトには選べず(反省の心があろうがなかろうがね)、『(時が満ちれば)いつか(必ず)刈り取る事になる』って事なんじゃないでしょうか?
また、聖書ではあまり善悪を人間が定めてはいません。殺人者(僕も知ってるのはカイン)許される(?一応は守護されてるわけだしね。)事はあるし、反対に僕ら人間が善かれと思うような事をしても悪とされる事もあります(これまたカインの事)。
ヒトには何が善い種で何が悪い種かなんて事は判らないのではないでしょうか?(多分、”実”についても善いか悪いかはヒトには判らないのでしょうね。)
ただ、どんな種を蒔いたにせよ”いつかはかならず”刈り取る時が来る。そしてそれを刈り取る(結果を受け取る)のは他でもない自分自身だと。そういう事なんだと思います。

まあ、質問文に沿って考えるなら、どんな悪意をもって種を蒔いても、どんな善意で種を蒔いても、刈り取る作業は必ずしなければいけないでしょう。因果には必ず結果があります。そこに心はありません。
そうです。善意で蒔いた種が善い種だとは限らないんです。万が一それが悪い種だった時・・・それでも刈り取る時は必ず来ます。そういう時は必ず来るんだよ、って事なんだと思います。

まあ、これは聖書に限った事でもないと思いますよ。
業は業。受け止められればそれで良し、受け止められなければ・・・ご想像にお任せしますw
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
聖書のほかにもマーフィーの法則でも読んだことがあります。

お礼日時:2007/02/14 19:39

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