木彫の古い由緒ある仏像に、よく無様に醜く虫食い穴があいているのを見ます。それを見たとき、印象的でした。
なぜかというと、「仏様」の代用として扱う物体が、同じ生物の昆虫にとっては、食料でしかない、そこら辺の木となんら変わらないわけです。
それまでは、なにか宗教的価値観、体系というものは、そこら辺にある生活物質や自然物とは一ランクか上の価値観を持っているものかもしれないと思っていました。しかし、人間的宗教的価値観といのは、実はまったくの幻想である、ということを示唆しているように思われました。生物の成功種である虫のほうが正論のように思われました。というか、虫の正論と人間の正論が食い違うのはおかしいと思いました。なので、仏像の説得力が落ちました。
このことをどう考えればいいのでしょうか。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
「>人間的宗教的価値観といのは、実はまったくの幻想である」というのは事実でしょうね。
しかし、幻想が必要な場合があることもまた事実と言えます。
人間が宗教という形式を生み出したのは、本能によって成立している生体に超自我という余計なものが属性として備わっているからでしょう。
つまり、その矛盾に耐え切れず、解決策として想像された概念にすぎません。
この本質から目を逸らすと、「仏像=仏」という不合理な思い込みが簡単に発生してしまうのだと思われます。
宗教という方法論の道具のひとつだということを忘れなければ、虫に食われたり欠けたりすることは、【(道具として)不完全になる】というだけのことだとわかります。
しかし、「思い込み」がどうしても必要な人や場合もあります。
方法論は違っても、目的に取って変わってしまうような本末転倒さえなければ特に問題はないと考えます。
仏像が木という自然でできているということは、それだけ真理に近い形態と言えると思うので「代用」としての値打ちは高い(「思い込み」をしやすい)でしょう。
虫に食われるという現象は、その象徴的現象と捉えることが可能ではないかという気がします。
必ずしも虫に食われたほうが良いということではありませんが。
先の思い込みがあるうちは仏像に説得力を要求するだけになると思いますが、真理へ至る一つのきっかけであると解釈すれば、「虫の正論」からも何かを得られるのではないか、という気はします。
今回の「魂」論と、無視の論理?と仏像の象徴的利便法によって一段高い認識が得られた気がします。やはり超自我まで備えてしまった人間の作り出した幻想と、その物体的表現活動に、自然という無慈悲なものが介入するという、ややハードな話だったようです。
No.8
- 回答日時:
「鰯の頭も信心から」と言いますよね。
『鰯の頭』に価値があるのではなくて、それを信じることに価値があるのではないでしょうか。
たとえば『お金』にしても、生まれて間もない赤ん坊にとってはたとえ一生贅沢に暮らせるほどの金額であっても見向きもしないでしょう。
ブランド物のバックにしても、関心も無く使う機会も無い人にとっては邪魔なだけでしょう。
価値観とは、人によって異なるものだと思います。
すでにいろいろなご意見が出されていますが、『虫に食べられた仏像』に諸行無常を感じる人もいれば、虫に対する仏様の慈悲の心を感じる人もいるでしょう。あなたのように感じる人もいると思いますが、どれが正論でどれが間違っているとはいえないと思います。
最後にひとつ、自分が感銘を受けた言葉を・・・
「下駄も仏も、元は同じ木のかけら。刻まれ方によっては人に拝まれる仏となり、あるいは人に踏まれる下駄となる。」
魂の持ち方によって、ものごとはえらく変化してしまう。それは真実だと思います。そのことを体現しているようです。虫のとっての真実と人間にとっていかに違うということの悟りでもあります。
No.7
- 回答日時:
bossamba様、
仏像を作るのは仏師の仕事です。
仏師は自分の中にある宇宙観、人生観、仏教観・・その仏像に対する全ての思いのたけを込めて作り上げます。
彼の心の中にある仏像・・観音・・菩薩・・如来・・
その神々しい姿・・
光り輝く様・・・
慈悲深い表情・・・
慈愛に満ちたまなざし・・
優雅な手つき・・結ばれた印・・
全ての道理を深く理解し、未来まで見通す威厳のある視線・・・
優雅にひるがえった衣のすそ・・・
その姿は仏師の心の中にあり、仏師はその姿を少しでも忠実に表現しようと全身全霊で挑みます。
仏師の仏像に対する思い入れが強く、魂が乗り移るように込められたとき、その仏像はまるで生きているようにそこに存在するようになります。
その後、開眼供養をし、僧侶たちによって仏さまの魂が召喚され、仏像に入魂されます。
東大寺の大仏でも毎年すす払いをするために一々魂を抜き、きれいにした後再び魂を呼びもどす行事が行われ、テレビでも毎年放送されています。
私たちは、その仏師の仏像に込めた魂と僧侶によって心から供養されている仏様の魂に触れて感激しているのだと思います。
物質としては木そのものであっても、私たちははその中に込められた宇宙観や神々しさや慈悲深さ、優雅さを感じ取ることが出来ます。
私たちは木という物体を見ながら、実際に見ているのは木そのものではなく、それを遥かに越えた魂に訴えかける何か・・を見て、感じているのです。
木の仏像が虫に食われるのは哀しいことですが、虫に食われているほど、時の流れと、その遥か昔の時代の仏師の心意気と、僧侶たちの尊い供養が、時のへだたりを越えて現代にも息づいていることを感じることが出来ます。
当時の魂がその虫食いの仏像の中にも息づいているのを見るのは感動的です。
ただ、哀しいかな・・形も分からないくらいに崩れてしまったならば、物質によって制限されている私たちの目でそこに込められている魂の痕跡を辿るのは難しいかもしれませんね。
仏像はいかに魂を込めて作るのか、改めてよくわかりました。古代から脈々と受け継がれる伝統です。しかし人間の技、つまり有限の技なんですね。あらゆる工業製品を含めて。なので、虫食いという人間にとってとくに魂を込めたものにおこる無造作な仕打ちに、どうも納得行くのが難しいという面があります。これを使用するとより仏像と祈りに関する認識が高まる機気がします。
No.6
- 回答日時:
こんばんは。
。既によいご回答が挙がっており、重複する部分がありますが、御邪魔します。
仏像は「像」であって、仏そのものではありません。仏像そのものには「説得力」はもともとないわけです。ですから本来は「代用」でもないわけです。「呼び水としての仕掛け」という感じ、あるいは仏像に向き合う側の心象の問題かと思います。
大半の方は、信仰する上で、何らかの「向き合うモノ」があった方がなんとなく感じが出るというか、「説得力」があるように感じるのではないでしょうか。(だから仏像というものがあるのだと思います。)
方便(仏教本来の意味での「方便」。真摯かつ大真面目なもの)として、偶像であり、しかも架空の設定(ある種のスーパーモデル)としての仏・菩薩・明王・天に向き合い、礼拝し、「説得力」を持たせ、その信仰を勧めることも真。
他方、仏像を「こんなものが仏であるものか」と焚き木にすることもまた真。
虫には「方便」は通じないし、より達観しておられる(?)ので、方便は必要ないわけです。
仏像は、最終的には「人間的宗教的価値観」を粉砕することを意図しながら、しかもあえて偶像として作られ祀られているわけですので、虫に喰われることも、それをご覧になったご質問者さんが「仏像の説得力が落ち」たと感じられることも、少なからず方便としての機能を発揮したということでもあり、本望なのではないかと思いました。
別問題として、美術的な価値や文化財としての価値があるものが壊れるのは残念ですし、人々の想いがこもったものを破却することはいけないことだとは思いますが・・・駄文にて失礼しました。では。
日本においては、価値のある?文化財的な仏像はやたらに大事に納められているという面があるので、どうも虫に食われたりしている「普通の物体」である姿を見ると、どうも納得行かなかったわけです。東南アジアとかでは、勝ちある仏像も無造作に開いていますね。
よくわかりました。方便としての偶像という面が大きいんですね。
No.5
- 回答日時:
こんにちは
>人間的宗教的価値観といのは、実はまったくの幻想である、
この意見、賛成です。
結局は、仏教の大切なものは、その中身、悟りの教えと感じます。
で、特に日本の場合、中身を忘れて、形式だけを真似する傾向が、あるものと感じてます。
したがって、仏像に虫食いのあとが、あったとしても、それは形式にとらわれをもつなと言っているのかもしれません。
言い方を変えれば、幻影とも言えないことも、ないものと。
(ここの解釈、勘違いが、あったら、ごめん。)
で、虫たちに言わせると、そこに美味しい木(=えさ)が、あるから食べただけのことと。
もし、悟っているひとが、それを見たとしたら、やはり「無常を根本とする」の教えを理解したかも、しれませんね。
以上、参考になれれば、幸いです。
確かにこのことで一種の教訓も導き出されますね。
なにか虫のほうに真理がないとはどうも思えないので、今回の質問に至ったわけですが、矛盾なく説明できる門ですね。
No.3
- 回答日時:
あなたが感じたままに受け止めればいいのではないでしょうか?
同じ人間でも仏像の前で涙を流す人もいれば、何も感じない人もいます。仏像が元々説得力を持っているのではなく、それを見る人の心が仏像の価値を見出すのです。虫が仏像を食べるのは当然です。見出す心を持ち合わせていないのですから。
人が通りそうも無い山道にあるお地蔵様にお花が供えられていました。
そのお花を供える人がいる限り、そのお地蔵様には誰も否定できない価値があるのです。人によって、虫によって正論が食い違うということが物事の正論であると思います。
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