
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
大名も今の我々と同じように、境界争いや歴史的な経緯などで隣藩との仲の悪いところもあれば、親密なところもあったと思います。
でも何時なんどき、お隣様のお世話になるかわからないわけですから、普通は近所付き合いに気配りをしていたと思います。
例えば罪人の隣藩への逃亡などは結構あったでしょうし、万一一揆や大規模な逃散が起こったときは大変でしょう。
自藩の武力で手に余るという状態になることは、ほとんどないでしょうが、大勢が隣藩へ逃げ込むということが起きたら、お世話にならざるを得ません。幕府に知れたら幕府による原因究明が行われるでしょう。こんなとき隣藩が幕府の事情聴取に上手く返事をしてくれますと、お家取り潰しといった最悪の事態を回避することができます。
こういうことは、小さい大名ほど大事でしょうね。平常時でも行政上の新知識や種々の情報の入手については、隣の大藩にはお世話になることはあるでしょうし、幕末の激動期には隣の大藩の動向が、自藩の命運を決することになります。
殿様も家来もそれぞれの立場で、第一親戚、第二お隣ということで、心掛けていたと思います。安定した江戸期ですから、遠交近攻のような考えは出てこないでしょう。 また、江戸屋敷のお隣さんとのお付き合いも当然あったと思います。
江戸時代は江戸詰藩士の武家奉公人が契約期間中に無断でいなくなって、他家の奉公人として収まっているという事も多かったようです。そういう時も留守居役あたりが武家奉公人の返還などの折衝をしていたようですし、ましてや隣藩となるといろいろな付き合いがあったのでしょうね。
江戸屋敷のお隣さんも結構気を遣ったでしょうね。
今、Yahoo!で公開されている「スクロール古地図」を見ると、大名屋敷・旗本屋敷はびっちりと密集したいたようですね。
古地図で見ると、江戸の町には寺社の数が想像以上に多いのにも驚きました。
ありがとうございました!
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