プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

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こんな疑問が浮かびました。
最近、学校モノのドラマが多いですよね。どのドラマも決まって生徒が冷ややかで冷静で先生を小ばかにしています。しかし私は逆にそんなことができる子供たちがうらやましいです。私の世代というと、先生の言うことは絶対、何を言われても逆らえない、その通りにするほかない。しかし今思えば先生の「おごり」や怒ることができる「優越感」が度を越して、本当に理不尽なことが沢山ありましたし、今もトラウマになっていることがあります。私は3人兄弟ですが、3人が口をそろえて最悪と嘆いていた教師に、私の兄は上着をゴミ箱に捨てられたことがあります。「今の頭であの時代に戻れたら、先生もほんと憎たらしいだろうね!」と冗談でよく話します。ところが今の子供たちはそれがかなっているような気がします。そこで思ったのは、これって、理不尽に学校で育てられた親が、学校に対する嫌な思いやトラウマを抱いた結果ではないでしょうか?私は30代前半の独身子供がいない男性ですが、子供がいるのであれば「先生にこういわれたらこういいなさい。」と教えるに違いありません。それくらいのことを最悪な教師にされてきました。細木数子さんが、先生は教壇の上に立つ絶対的な存在でなければならないとか言っていましたが、これはある意味では正解ですが、違う意味では間違いだと思います。何も知らない子供たちに勘違いもはなはだしいバカ教師の独裁を許していいわけありません。
一方で、私たちが教わった(?)理不尽なことばかりしてきた教師たちとは全然違う、とってもよい先生に教わって、教師を目指して今に至る若い先生たちは、今の子供たちを見て愕然とする・・・
結局私は、今の学級崩壊、そして理想を抱いて先生になった人たちの絶望は、私たちを教えた生徒たちの上に立ってちょっと勘違いしてしまった教師たちの責任だと思っています。
そこで質問ですが、最近の学級崩壊は誰のせいでしょうか?みなさんはどう思いますか?

A 回答 (12件中1~10件)

親(保護者)、教師、社会の3者にそれぞれ問題があるように思われます。



親に関しては、その後の社会ともリンクするのですが、目上年上の者を敬うとした教育がなされなくなってきた世代だからです。
良い面では個性や自主性と言った個の重要性と社会的平等を意識した教育を受けてきたと言えますが、逆の面では集団的社会性や目上の者に対する尊敬の気持ちなどの教育が足りない世代となります。
儒教的な教えではなく、個性を重視し社会的平等を当然として養成された教員から教えられた現在の保護者世代では、自分の子に対して教員の事を尊敬するようには言いません。
保護者は教師であっても保護者自身や子供とも、社会的に平等だと考えるからです。
また集団的社会性よりも個を重視した教育を受けた保護者世代では、子供達自身が作る子供による自主的な社会(上下数歳による地域の遊び仲間)にも介入し、今の20代後半以降では一般的であった小学生くらいの近所の異なる学年間における上下関係や、同世代ないし隣接世代同士の喧嘩を好としなく予防ないし禁止させようとします。
仮りにこのような事態が発生した場合は、教師の責任であると保護者は追求し、それを見ている子供からすると教師は親より偉くないと認識することにもなり、社会性を学ぶ機会を失われることにもなります。
※子供の親となる歳を20~30半ばとすると、現在中1の親であれば30前半~40後半。
※上記より現在の保護者が教育を受けた年代は、1960年代~1980年代半ばに教育を受けた世代になります。
※教員の平均年齢はわかりませんが、1960年代の平均勤続期間を35、6年(55~60までの定年)とすると、中央値は丁度40歳となり、教員養成期間は1942年以降が主流になります。但し、戦後当初は教員の補充も大量にあったであることを考慮に入れると、教員は1945年つまり敗戦後の世代が主流であったと考えられます。
※戦前は儒教思想における目上年上の者を尊敬し反論することは許されないと教育されましたが、戦後アメリカにより戦争の原因が大君を中心とする家長父制であり、その根拠ともなりうる儒教色を一掃し、アメリカ以上の社会的平等と個を重視する教育へと遷移。
※つまり10数年前より、戦後に養成された教員に師事した保護者世代となってきており、今日では保護者の大多数が戦後に養成された教員から教育を受けた世代になります。

教師に関しては、教育者となり次の世代を育てたいという志を持つ人ではなく、サラリーマン的な安定を求めて教員になる人が増えたことが問題となっています。
上記の保護者の変化と同様に、現在の教員世代も、戦後に教育を受けた教員から教育を受けた世代であり、教員としての志よりも個人を大切とする教育を受けており、自分の趣味などを優先したいと考える人が増えています。
サラリーマン的になれば、自分の給与の範囲内で仕事をすることを当然とする人が増えることを意味し、事なかれ主義的な教員が多くなってきています。
また事なかれ主義的解決方法の最も簡単なものは、師弟という上下関係では無く友人関係に近い関係を構築することにより、生徒との対立軸を無くすことが可能となります。
但し、友人的な教師では反抗的な生徒を指導することが出来ず、逆にその反抗的な生徒に迎合することによって教員としての地位の安定を保とうとする結果になってしまいます。
更には昔は良く見られた、生徒への拳骨などは、現在では暴力として禁止されてしまったため、反抗的生徒を抑える手段が無いという足元を生徒たちに見られてしまっている現状もあります。

社会の面では、全てにおいて極端なまでに力による行為が非難されるようになっており、子供に関連することも年を追う毎に力による行為が非難されるようになってきています。
まず子供同士による喧嘩から非難されるようになり、喧嘩による痛みと加減をしらない子供たちが中学・高校へ進み、目立たぬよう陰湿ないじめでかつ限度を知らずに死に至らしめるような事が頻発事態になってしまっています。
幼少時に喧嘩をしていれば、叩かれることの痛みを身をもってわかり、またどの程度までだったら大丈夫かの加減を把握することが出来ますが、今の世代では知らずに育ってしまっているのです。
次に教師による体罰が悪とされるようになり、最近では廊下に立たせるだけでも権的行為と非難されるようになってきており、何か問題があった場合でも教師は口で指導する他ありませんが、しつけ教育という面では十分な教育を行えないのが実態です。
昔は忘れ物をすれば、数回繰り返せば名簿表で叩かれたり、でこピンをされたり、廊下に立たされて身をもって注意すべきだと理解させられました。
今日では保護者による自動虐待の報道が増えるようになり、家庭内のしつけにおいても叩くことなどは悪だとする風潮になっています。
こうなると親でさえしつけをすることが出来なくなり、子供は悪いことをしても口で怒られはしても、身をもって理解する機会を与えられなくなります。

まとめとして、現在の学級崩壊は保護者、教師、社会が原因であり、色々な対策案などを講じてはいるものの、今後当分の間は悪化の一途を辿るものと思います。
戦前の教育、戦後の教育と両極端をなしており、この中道を模索しない限り、あと1世代程度の間悪化しつづけた後、悪化した状態で安定するようになるのではないでしょうか。
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私の意見としても、No.8さんと同様で、そもそも「学級崩壊」というものの基準が曖昧であり、今、子どもが荒れている、というムードが先行しすぎている結果ではないか、という風に思います。



昨年の秋、「小学生による校内暴力の件数が過去最高」という調査結果が文部科学省より発表されました。この発表で、子どもが荒れている、というような話が大々的に語られました。
しかし、この調査、内容を良く見ていると極めておかしなものといえます。この調査によると、05年の小学生による校内暴力の件数は全国で2100件ほど。そして、その4分の1弱である500件が神奈川県で起こっています。すぐ隣の東京都では、70件弱しかありません。
これだけでいかに、この調査が曖昧であるか、というのがお分かりいただけるかと思います。

学級崩壊というのも、「子供(達)が教室内で勝手な行動をして教師の指導に従わず、授業が成立しない学級の状態が一定以上継続し、学級担任による通常の手法では問題解決ができない状態に立至っている場合(学級がうまく機能しない状態)」という定義であり、「機能しているかどうか」というのを判断するのは、文部科学省に申告する教師であり、学校になります。
恐らく、今年秋に発表されるイジメ件数は、激増することでしょう。しかし、これをもって急激に子どもがイジメを行うようになった、とは取れないでしょう。昨年来、一連のイジメ自殺報道により、イジメの件数把握に神経質になったことが激増の原因と考えるはずです。
学級崩壊についても、同じようなことがいえると思います。「崩壊しているかどうか」というのを判断するのは人間です。そして、その判断の背景には、その時々のムードが影響します。それを考慮すると、増えたからと言って、即ち子どもが悪くなっている、教師の指導力が、親の指導力が低下している、というのはあまりにも根底の部分が脆すぎます。
その根底の部分を考慮せず、「子どもが荒れている」という暗黙の了解のままに「対策」を練っている「教育再生会議」には大いなる疑問を持たざるを得ません。

このようなところで、敢えて「学級崩壊増加の原因は何か?」ということを語るのであれば、「子どもが荒れている」というムードであり、それを流布している「マスメディア」ではないかと思います。
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学校=悪、教員=悪の手先、のようなイメージを植え付け報道されていることにいかに多くの人が洗脳されているかを感じます。

「昔はよかった」といった回顧的な印象で現代をみては、なんでも悪い方向にならざるをえません。前の回答にもあるように、学級崩壊がどのような状態でどの程度の割合で発生しているかを検証せず、「起こっている」の一言で片付けられると、なんの改善にもなりません。
どのような職種・職業でも身命を賭して向き合っている方もいれば、当然、どうしようもない人もいると思います。テレビの中で先生に対する印象がよかった人を出演させるか、印象が悪かった人を出演させるかは、テレビ側がどのような報道を行いたいかで決められていると感じます。
そもそも、「先生100人に」といった類の番組も、学校内部の事情をあたかもおもしろおかしく、驚愕するように仕組んでいる。実際にはめったにない事例をあたかも日常的に発生しているかのごとく伝えている、と教師である知り合いから聞きました。
情報を批判的に検討することなく報道に踊らされている人々がいかに多いかを感じざるを得ません。私も含めて。
責任を個人化させても仕方ないし、教育の悪口をみんなですることで、一種の連帯感が作られているような気がします。
本当に子どものことを考えるならば、行政、現場、保護者、地域の立場からのやるべきことを果たすこと、また、そのような取り組みを熱心に行っていくことが必要だと思います。そのような責任を果たさずに、教育問題の現状を語るのは、本当にがんばっている方々に対して失礼なこととなります。
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学級崩壊があるとしたら「教師」の責任だと言わざるをえませんね。


親の責任って声も多いようですが、実際には下手すりゃ1クラスに一人や二人居そうな昨今の問題のある親の数を考えたら学級崩壊の数は圧倒的に少ないと思うのですが。。ちなみに私の廻りの小中学生の子供を持つ親御さんの話では皆無です。
そのような親の責任が事実なら学校崩壊はケタ違いな数に上るでしょう。

少々問題しされる親が居ても崩壊させずにクラスを運営する教師が圧倒的多数存在している以上、崩壊に至る教師側の能力に問題が有ると思いますね。
一部の問題教師とゆう言われ方をされますが、「教師」と「医者」は一部でも問題人物が居てはいけない職業じゃないですかね。
問題教師一人のお陰で何人の子供たちが犠牲になってるのか掛け算で考えてもらいたいです。

躾とせっかんの区別もつかず我が子を死に至らしめるような昨今の稚拙な大人共による体罰はろくなものを生みません。大反対です。
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この回答へのお礼

>「教師」と「医者」
まったく同感です。両者はある意味「逆らいにくい」存在です。相手第一という精神を、絶対的な権力と勘違いして仕事されると犠牲者は等比数列的に倍数化するということですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/28 03:24

まずは、「本当に学級は崩壊しているのか」ということから考える必要があるはずです。

この点を抜きにして厳罰化やら何やらを論じている番組もありますが、そもそも学級崩壊の原因が体罰であるかどうかさえも分かりません。「親が教師が軟弱で狡猾に…」という理由は簡単で分かりやすいのですが、簡単な理由ほどそのなかに「嘘」が混じり込んでいるものです。もしかすると、ほかに複雑な要因が絡みあっているのかもしれませんし、であるのならより深い議論が求められます。広田照幸さんの『日本人のしつけは衰退したか』という本など、参考になるかもしれません。読んだことはありませんが、内藤朝雄さんのイジメ関連本も面白そうです。

No.1さまと似たような意見になりますが、教師や保護者に責任を押しつけて、外野がワーワーと騒いでいるだけのような気がします。道徳心がどうこうというような単純な話ではなくて、もう少し本質的な議論を進めてほしいところです。たかが道徳や体罰で解決できるほど教育は簡単なものではないと思いますし、むしろ現行の教育政策こそが矛盾をはらんでいるようにも思えます。そこでまた「本当に学級は崩壊しているのか」という議題に立ち戻り・・・、この質疑応答では解決できないほどの問題です。

それでもあえて提言させていただくと、「教育」という言葉ほど怖いものはないなぁと思います。教育という名を借りれば、親も子も教師も国家も好き勝手できますから。教育に頼る時代は、そろそろやめるべきなのかもしれません。教育のためなら何をやってもいいと考える人が増えすぎたのではないでしょうか。子どもも含めて、今の国民に権利なんてありゃしませんよ。

参考URL:http://amazon.co.jp/dp/4061494481/
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この回答へのお礼

>まずは、「本当に学級は崩壊しているのか」ということから考える必要があるはずです。
そうでしょうね。真実がみえないからいつまでも病気が治らないんでしょうね。それぞれの学校がもっと本質(子供or親or教師、それぞれの教室で誰に責任があるのか?)を見極める体制をとって欲しいものです。
>「教育」という言葉ほど怖いものはないなぁと思います。
元教師(だったかな?)の江川達也さんがゴールデンボーイという漫画で、日本の「教育」は決められたことしかできないロボットを製造するようなものだ、みたいな表現をしていました。子供は生まれた瞬間が一番「天才」なんだと。ある意味その通りだと思います。日本の教育を根本から見直す必要がありそうですね。。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/28 03:30

先生&保護者(親)だろうね。

問題は
先生のした事に対する親の反応が異常に敏感。そのため、先生は子供に何もできない。それを見た子供は好き放題。でも、親がいるから放置、という変な悪循環もあるのかな。「子供の権利条約」とやらも関係あるのかも
ただし、中には問題となる教師もいますが…
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この回答へのお礼

>先生のした事に対する親の反応が異常に敏感。
なるほど、「過保護」ですね。確かに親が受けた教育だけのせいだけではなさそうですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/28 03:13

30代前半というと80年代から90年代にかけて学生をされてた方ですね。

80~90年代にかけての学校の先生はほんとに酷かったですよね。私は20代中盤で質問者様より少し若い世代なので、理不尽な教師が減ってきていましたがまだまだ学校に一人や二人はそういう教師がいました。いわゆる「厳しい先生」とは違うんですよね。まさに「理不尽な先生」です。
厳しい先生はみんな恐れながらも何だかんだ言って尊敬して、人気もある先生が多かったです。
理不尽な教師は、何故そこで怒るのか、何故そのことでそこまで怒るのか分からないような人が多かったです。厳しいのではなく、単純に「イヤな奴」というか。
以前60代の父と学校生活について話していたとき「自分の時代の先生も確かに厳しかったが、そんな(80~90年代の教師みたいな)理不尽なことやるやつはいなかったよ」ということを言っていました。

先日同窓会があり、担任の先生も出席してくださりました。厳しい先生でしたが私達は理不尽とは感じなかったし、とても好きな先生でした。その先生が「今は昔みたいなことができないんだ…」とおっしゃっておられました。
そういう酷い時代を変えるときに、理不尽な教師と一緒に厳しい先生も排除されてしまったのではないでしょうか。そして、甘やかしすぎな時代がきたと。

ただ誰の責任かって言うと、みんなに責任があるような気がします。
「悪い」のは理不尽な教師、「責任」は関わった全員。
学校だけに関わらず行政というものは、誰かが作ってくれるものではなく、国民全員で作り上げるものだと思います。
それに誰かに責任を擦り付け合っていても現状はかわらないので、誰に責任があるかよりも今後どうするかを考えたいですね。
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この回答へのお礼

まあ「時代」のせいなんでしょうね。それをいうと終わってしまいますし、この世の中の悪いものすべて「時代」のせいになってしまいますから、一番の責任者は誰か?と限定すると、関わった全員、その中で一番悪いのは理不尽な教師、ということになると私も思います。まさにame830さんのおっしゃるとおり、私にも厳しい先生がいました。子供ながらに理不尽!って思ったものですがその裏に何かしら理由が見えていたものです。そういう先生は今でも尊敬してしまいますが、その一方で理不尽な教育の挙句に卒業するまでなーんの落ちもないつまらない教師が多かったです。
また思い出しましたが・・(^^;) 誰かが給食のカレーの桶をこぼして私がそのせいにされかけたことがあります。やたらと怒鳴る教師で当番の私と一緒に持っていた相方の女の子が被告になりましたがもうひとりの当番の女の子はなーんの突っ込みもなし、明らかに見た目で判断しています。そして私には「おまえやったんか?」ではなく「おまえやったんか!!」です。ここでしていないから「やってません」と答えても「うそつけ!」といわれる勢いです。だからといって「はい」と答えると殴られます。どっちにせよこの教師に目をつけられた時点でもう終わってるのです。結局私は負けたら終り、と思い「知りませんでした!」と強く訴えました。運良くバカ教師は深いため息をついて終わりましたがその心は『まだ解決しないのかよ』という想いがありありと見えていて、まさに今流行りの誘導尋問でした。「はい」といったら終りの世界でした。
話がそれましたが小学生の心が成長する時代にこんなことされたら忘れてるつもりでもどこかで教師に対する反感、偏見が芽づくのは自然なことです。
>誰に責任があるかよりも今後どうするかを考えたいですね。
そうですよね。今の犠牲者が妥協しないと仕方ないでしょうね。しかし私の時代とはその妥協度が数倍のようで耐えられるとは思えませんが。
ご解答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/28 03:09

親が悪いと思います。



親が先生を馬鹿にしている限り
子供たちは、先生を尊敬しないと思います。
親が先生に躾をまかせ過ぎ。
先生がちょっと子供を叱っただけで
文句を言う親が多い。
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この回答へのお礼

親も悪いでしょうね。そのせいでまた教師も悪くなる。悪循環ですね。ありがとうございました。
>先生がちょっと子供を叱っただけで
>文句を言う親が多い。
多分この親は学生時代に理不尽な体験をしたか、あるいは世間でいう本当のわがままな親かのどちらかなんでしょうね。

お礼日時:2007/04/28 02:46

公立高校の先生 = 公務員ですからね


自分は20代前半ですが、学校の教師がよかったと思った事はないですね。
向こうは給料だけの為に働いているいかにも公務員らしいと思いましたね。
だから、イジメだって面倒な事にかかわりたくないから見て見ぬふり、
中学の先公は、高校受験も面倒だから入れる高校を選ばせる
そんなような奴ばっかりでしたよ
もっとバーチャルスクールを取り入れていった方がいいと思いますよ。
最近は金だして小さい時から勉強させて中学受験させてる親が多いみたいですが、そおいった親の子は、どんな大人になるんですかね
運動音痴でイジメ対象じゃないですかね。
親と教師が悪いんですよ。
いい教師だけが教えてバーチャルスクールがどんどん拡大するべきです
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この回答へのお礼

もっともなご意見ありがとうございました。おっしゃるとおりだと思います。

お礼日時:2007/04/28 02:44

私は基本的に学級崩壊のクラスにいる子供達の親の責任だと思います。


馬鹿な親が多いから子供も馬鹿になるんだと思います。
教師にも大いに責任があると思いますが、本当に手のつけようのない子がたくさんいます。
知り合いに聞いた話ですが、驚くほどどうしようもない子が本当にいるそうです。

仮に自分が子供の時嫌な先生に教わったことがあったとしても、
だからといって今自分の子供に「先生を馬鹿にして良い」なんて言うのはおかしいですよね。
そりゃ今も昔も変な教師はいると思いますが、それは一部じゃないでしょうか?

私はいつの時代も先生は教壇の上に立つ絶対的な存在でなければならないと思います。
体罰はダメだ、とか保護者がうるさい、とか今の教育現場って一体何なんでしょうね。
私は、前にやってた「女王の教室」のような先生が良いと思います。
(ちょっと厳しすぎるところもありましたが・・・)
でもあのような先生に賛成するのは今の若者で、親世代の人は反対派の人が多いらしいですね。
面白い結果です。
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この回答へのお礼

>だからといって今自分の子供に「先生を馬鹿にして良い」なんて言うのはおかしいですよね。
先生を馬鹿にしてよいというより、先生の間違いを正す という意味で書きました。理不尽な体罰や差別的発言、行動をする先生(?)には間違いを正すように自分の子供には教えると思います。
>私は、前にやってた「女王の教室」のような先生が良いと思います。
私もそう思います。でもあの先生がいいのは理由があってやっているからです。理由もないのに体罰をしたり子供の気持ちも考えない先生も確かにいる、そのせいで今の子供の親は変な意味でひねくれてしまってそれが子供という鏡に映ったというのが私の意見です。

お礼日時:2007/04/28 02:42

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