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長嶋茂雄さんと王貞治さんが選手だったときの巨人では、王さんが3番、長嶋さんが4番の試合と、長嶋さんが3番、王さんが4番の試合とは、それぞれどういう試合の場合だったのですか?

A 回答 (4件)

どうもこんにちは!



まず、データ的なことから述べさせて頂きますと、

3番 王、4番 長嶋 =1,061試合

3番 長嶋、4番 王 =502試合

で、3番王4番長嶋の打順が倍以上となっています。

これは一発のある王選手に対する敬遠策を取らせないためだったといわれています。
勿論、好不調による組み替えもありましたし、長嶋選手が引退(昭和48年)した年とその
前年は、3番長嶋、4番王が多かったと思います。
(因みに王選手の引退は昭和55年です。)

それぞれの打順でのON合わせた打率と本塁打率、1試合平均打点を見てみると、

3番 王、4番 長嶋 =打率.302、本塁打率13.0、1試合平均打点1.54

3番 長嶋、4番 王 =打率.306、本塁打率13.8、1試合平均打点1.37

…ですから、打順に関わらず相手チームにとっては脅威のオーダーだったでしょう。

他に

4番 王、5番 長嶋 =75試合、打率.331、本塁打率10.5、1試合平均打点1.89
4番 長嶋、5番 王 =65試合、打率.288、本塁打率23.0、1試合平均打点1.17

2番 王、3番 長嶋 =1試合、打率.556、本塁打率9.0、1試合平均打点4.00

というオーダーもありました。

ご参考まで
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この回答へのお礼

お答えをありがとうございました。
とても詳しいデータを教えていただき感謝いたします。
とても勉強になりました。

お礼日時:2007/05/07 13:03

既にある回答にもあるように、トータルで多かったのは王3番、長嶋4番ですが、


ちょっと思い返すだけでも複数試合出てくる程度には長嶋3番、王4番という試合もありました。

それを思い返してみるに、あまり固定された理由はないような気がします。

王が55本塁打を打った1964年の4番打者は長嶋75試合、王64試合とほぼ半々でしたが、これは相性等を考慮してのものでしょう。川上監督は手堅いイメージがありますが、意外と打順をよくいじる人でした(特に在任初期~V9前半)。

1971年、王が長期スランプに陥ったとき、逆に気分転換をもくろんで王を4番に置いたことがあります。
(かの有名な日本シリーズ第3戦、王が山田からサヨナラ3ランを打った試合も長嶋3番、王4番でした)

1973年~74年は単純に長嶋の力が衰えたので王を4番に置くことが増えた、ということだと思います。
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この回答へのお礼

お答えをありがとうございました。
当時の状況をお詳しく説明していただき感謝いたします。
とても勉強になりました。

お礼日時:2007/05/07 13:04

逆もありましたよ。


参考URLをどうぞ。ON砲です。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B6%8B% …
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この回答へのお礼

お答えをありがとうございました。
長嶋さん3番、王さん4番という打順の試合もあったのですね。
大変勉強になりました。

お礼日時:2007/05/07 13:02

私の記憶では「長嶋さんが3番、王さんが4番」というのはありません。


巨人というチームは伝統と格式のチームですから、いかに不振なときでも長島は4番だったように記憶していますが。
また長島が引退した後は、王選手が4番居座り、これまたいかに不調であろうと4番でしたので、王選手は衰えを実感したときは直ちに引退せざるを得なかったのです。(相撲の横綱のようですね。)
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この回答へのお礼

さっそくお答えをありがとうございました。
長嶋さんが3番、王さんが4番という試合はなかったのですか。
それは失礼いたしました。
とても勉強になりました。

お礼日時:2007/05/06 18:01

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