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現代社会の授業で、昔のキリスト教では、尊敬している師が死ぬと、その人の遺体の一部をスープにして食べたと言っていましたが、ほんとですか?

A 回答 (6件)

そんなの嘘です。

絶対にあり得ません。
ただ聖書で、

 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。(ヨハネ伝6章53~55節)

という箇所があり、また、ミサでいただく聖体は「キリストの体」と呼ばれます。
こういうことから、クリスチャンでない外部の人々に誤解された結果、貴方が言われるような間違った噂が囁かれるのだと思います。
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それはパプアニューギニアかなんかで食人の習慣がありました。


カトリックの神父がそれを辞めさせるためにやってきました。

そして啓蒙のすえ、人食いの習慣がなくなりました。
それで神父が安心して帰国しようとしたら、その晩に神父は村民に食べられました。

理由は大好きな神父を別れたくないという事でした。

この話は昔リーダーズダイジェストに載っていました。
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確かに、中世には、聖人と目されている人が亡くなると、遺体を分けて、大切にする習慣があったと聞いたことがあります。

聖フランシスコ・ザビエルの腕が、この間、日本に来てましたよね。トマス・アクイナス(だったかな?)が亡くなったときは、おっしゃるとおり、スープにして皆で食べたって聞きました。その聖性にあずかりたい、という意味らしいですね。
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くわしいことは失念してしまいましたが、


ある神父(牧師?)が亡くなったとき、人々はその肉体の一部を手に入れようと
墓荒らしにまでエスカレートしてしまった。
そこで、遺体を煮て、そのスープを配った。
と、いった事件があったそうです。
この話では?
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『聖書神話の解読』(西山清著=中公新書)では、


イエスがパンとブドウ酒を使徒に分かち与える行為は、強者を殺してその肉を共食した習慣の名残であり、宗教的なカニバリズム(人肉嗜食)の一種である。

と書かれているそうですが、それは間違いであります。
イエスがパンとブドウ酒を使徒に分かち与える行為。このことを主の晩餐といいます。
聖書には、『このパンをわたしの肉とおもいなさい。また、このぶどう酒をわたしの血と思いなさい』とありますが、この意味は、
イエスが十字架にかかったときの肉体を意味しています。
ですから、初代教会時代では、パンを裂いて(キリストの肉が十字架刑によって裂かれた事を意味する)食べていました。
ちなみにぶどう酒は、キリストの流された血を意味します。

キリストが全人類の罪の身代わりとなって十字架に架かり、肉を裂き、血を流して死んでくださった。この痛み、苦しみを、おぼえておくためにおこなうのです。

ですから、・・・習慣の**名残**であり、宗教的なカニバリズム(人肉嗜食)の一種である。というのは間違いです。

ただ、異端教会では、”尊敬している師が死ぬと、その人の遺体の一部をスープにして食べた”のかも知れません。

しかし、聖書を信じている一般のキリスト教徒は絶対にそのような事をしません。
その事は昔も今もしません。
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『聖書神話の解読』(西山清著=中公新書)では、


 イエスがパンとブドウ酒を使徒に分かち与える行為は、強者を殺してその肉を共食した習慣の名残であり、宗教的なカニバリズム(人肉嗜食)の一種である。と、指摘していますので、キリスト教の深層部分には、食人文化があることは否定できません。しかし、キリスト教徒が実際に食人を実践したかについては、私にはわかりません。

参考URL:http://www.mionet.org/~uqmk/bunko/noa/index.html
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