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日本の仏教のお寺との関わりは人間に関しては死んだ時だけが連れではないでしょうか

生まれた時は神社で結婚式も神社キリスト教の教会であり、めでたいことは神道とキリスト教です

何かが終わろうとしている 年末や 葬式など そんなものだけがお寺です

お寺側の努力が足りないからこうなったのでしょうか

質問者からの補足コメント

  • 限界集落で 寺がなく
    隣の町の寺に住む 住職がやっていきます

    住職はタバコ を吸い
    酒も好きです

    お礼の品を 3箱 届けようとすると
    門の前に 仁王立ち に なりわしの足元へ 置けと言いました
    地面であり 砂利ではありません
    濡れた砂の上に 包装 のし紙でくるんだ品物を置けと住職言いました

    もしも寺がたくさんあるならば 寺としての良いサービスを行わなければ衰退しますが

    この住職のように
    ふんぞり 返っても
    お布施がもらえます

    競争がなく
    戒名に書く字がどれほど汚くても
    この住職 しかいません

    わしが嫌なら他へ行って 他の寺へ依頼に行けとその住職は答えました

    宗教人のつもりでいるのか

    この住職は何を学んだのか

      補足日時:2023/05/05 19:47
  • 回答ありがとうございます

    記載もれでした

    限界集落で競争がないことに怠けた住職が本業の努力をせずその行動は宗教人の基本からかけ離れたものであることに愕然とします

    だらけていて単なる収入の機会であるようにとらえているようです

    また仏教の考え方として葬儀が終わってからも 7日ごとに 住職がやってきて お布施を巻き上げていくことが非常に腹立たしいです

    世の中ではアルバイトをしても1時間に1000円ぐらいです

    もちろんお経を覚えること 仏事 一通りを覚えることに投資をされたわけですが

    戒名が25万円で
    30分のお経に50万円
    その他もろもろ

    競争相手がいれば このような仏教 産業はすぐに変革が起きるでしょう

    嫌なら他の寺へ行けと言った一言が その住職の性格を表していると思います

      補足日時:2023/05/05 21:28

A 回答 (6件)

お寺側の努力が足りないから


こうなったのでしょうか
 ↑
葬式仏教ですね。

儲けるために努力した結果です。

戒名一つ2000万、なんてのが
話題になったことがありました。

まさに、死体に群がるハイエナ産業です。

統一教会も真っ青。




日本仏教が堕落したのは
江戸時代に始まった檀家制度にあります。

キリスト教を阻止するため、
幕府は檀家制度を設けました。

これで、競争原理が無くなり
仏教が堕落した、という説が
有力です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2023/05/07 00:50

ここでこれを書いちゃイケナイとは思うが書こう


お礼などのコメントも必要ない
考える一助になれば良いと思う

そもそも神とは人に対する人による人のための概念であり
人がいなければ成り立たない物であり(人が考えなければ存在し得ないモノ)
宗教とは究極目的には金儲けの一つです(弱った心を助ける意味もあるし慣習という意味合いもある)

故に和尚さんの行動はある意味間違ってはいない
間違ってる・おかしいと思えば頼まなければ良い
唯それだけの事だ

まぁ…それで周りの貴方への評価がどうなるかは知ったこっちゃないがね
生まれ育った教育・洗脳・習慣という名の概念で行動を勝手に決められますから(○○をやらなければならない等)
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この回答へのお礼

独占状態のお寺を運用することで時間あたりに換算して 法外な利益を上げ それで 宗教人なのかなと思いました

嫌なら他へ頼めという考え方も 宗教法人には税がかかっていないわけですから その代わりに 社会への貢献が求められているわけであって

無責任な 考えだと思います

それで 仏門に従事していることについて 何ら恥じておらず 高齢な住職の年齢を考えると残念な人生を歩んで来られたと思います

お礼日時:2023/05/05 22:37

地方ですと江戸時代以来の家制度と檀家制度が根強く残っている事があるので


本家と分家、集落の風習などに依存して、そうしたぼったくり行為に及ぶ住職が現れる事がある様です。しかし家父長制が消滅しているので法的裏付けはありません。他の住職に変わったすると古い檀家を大事にして寺の存続の為に新たな方針を打ち出すお寺もある様です。
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人生の節目に現れる重要な存在とも言えるのではないでしょうか?キリスト教を信奉する権力者が長く実権を握る西洋と同じ様にはいかないと思います。

仏教は知識をもたらし人心を救い、権力者に帰依され事もあれば、権力と戦う事もありました。現在の檀家制度が幕府による人民掌握、徴税システムの名残りである事は有名ですので、それほど嘆く必要はないと思います。
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仏教を信仰している家庭では、確かに死んだ時に世話になる


のは間違いではない。でもその後の法要時には寺がなくては
法要すら出来ない。

結婚式でも寺を使う事はある。これを仏式結婚式と言う。

悩んだ時に人生相談にのって貰える。

だから、あなたが考えている事だけが寺と言うのは間違い。
あなたは寺と親密に付き合いをしていないから、そんな質問
しか出来ない訳。
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日本は多神教だからです。


仏も神も、神の1人にすぎないのです。
あっちもこっちも拝んでおけばいい、それが日本人の信仰意識です。

日本人の感性として感覚的、情緒的で目新しい物に飛びつくので、七五三や結婚式はあくまで習慣行事、ファッションであって「宗教心」ではありません。

政治的にも、徳川幕府は仏教を国民支配のシステムとして利用し、明治政府は国としては神道(天皇)を奉じましたが、政治システムとしての仏教制度は利用価値ありとして温存しました。

これをもって、お寺(仏教)側の努力が足りないというのか?
それは過酷すぎる要求ではないかと思います。
たとえばキリスト教は多神教の地域において、宗教・政治・軍隊が一体となってその地の宗教を否定して支配を広げていきました。

日本において、宗教側はそういうやり方をすべきだった、とは言えないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

結局 バチが当たらないように 住職を呼ぶ  バチが当たらないように神社へ行く  そんな都合良い部分もあるかと思います



新興宗教が1000円のツボを10万円で売る時の言い方として罰が当たらないように買ってはどうかと

お礼日時:2023/05/05 19:50

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