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A 回答 (17件中1~10件)
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No.17
- 回答日時:
ANo.10 の者。
有益なお言葉、とても嬉しい。質問の方の代理ではありませんが、つい喜びと感謝で。私達の三世代くらい前の方々の青年時代の何かと口にすることばが、ザインとゾ(ル)レンでした。私は今はヒンドゥに傾倒していますが。存在は渦、力としてあるもの、意識の当為意志が本体だという説明もあります。これでいくとザインとは当為、フォース(force)です。魂は、唯一存在者(という意識)の意識の個別照射であるということを敷衍しています。それでいくと、当然魂はザインたる、フォース。力・意志なのです。そしてその意識なのです。そういう意味では、魂は存在している、ということになります。形象では存在していないが。日本語でも入魂のとか言いますが、先輩達もザイン(実在性)・ゾルレンのないということは、恥とされていました。確かに形象の知覚での経験と確認はできないでしょう。形象しているものが拠って来るもの、そしてそれが目指す理念と価値、これらも形象として覚知はできません。それは人間の理屈の構成や作り物でしょうか。そういうものばかりでしょうか。もしそうであるなら、人間なんて誰しもあまり大きな顔で、そこらを歩いていてはいけません。ところで何かの説明のときに、それが拠って来たる基盤や原初、そしてその目指す目的に敷衍しない説明が、説明になるでしょうか。そういうものが形象の存在になっていないからといって、最終的根拠と価値を、人間の頭や歴史の都合での構成や作り上げというのは、あまり納得的ではないと存じます。絶対とか、人類普遍のとかのことばは、客観的にはあくまでも修飾語で、無内容な言葉あるにしても。その魂が唯一意識の中でいる状態の世界、そして形象の世界を見ている世界、そして形象の世界を見ることを去り、唯一意識との中間を経験している世界、そして唯一者と一体になった世界を一笑に付すことは、軽はずみと存じるのです。盲目的に信ずる人も、悲しいことではあります。あの世の“あの”とは単なる、いろんな指示用語としてのものではありえません。ですから、その世とか何とかを言葉として出して問題にすることは、観念的遊戯になる虞があります。苟も人の為し事というものは、理知と言葉の論理だけが要件ではなく、世界と自己に応えようとする意志が欲しいと日ごろ思っています。だから、踏み出し、踏み外しも含んでの、論理的一貫性が必要だな、と心がけております。No.16
- 回答日時:
ありました!
あの世はこの世にあります。
厳密に言うと意識がこの世に存在するからこの世にあの世も存在する
ということです。
つまり意識が霊魂の一部なのだからそれがこの世に存在していることが
事実ならばあの世はこの世に存在しています。
ただ生きている間は認知的にはあの世を見ることは不可能(凡人のみ)
ただあの世のベクトルが宇宙外領域や非空間性領域まで達している可能性もあります。
NO.14でした。
No.15
- 回答日時:
貴方の言うように、この世界は全て陰と陽でこの世の反対があの世ならこの世に存在する宇宙にはあの世はないでしょう。
また宇宙の外があったとして、それもまたこの宇宙ならあの世はないでしょう。
まぁドラゴンボールにはあの世がありましたけども
No.14
- 回答日時:
あの世はどこにあるのでしょうかの「どこ」ここが味噌です。
あの世というのが指でさせる場所に在るのか指にさせない場所にあるのかの違いです。
表と裏で物事を考えるなら空間的存在がこの世なら非空間的存在があの世と考えるのも面白いかもしれません。
もしこの場合ですと「どこですか?」と聞かれれば「どこにも在りません」が答えでしょう。
もし表と裏なんか関係なかったら「どこですか?」と聞かれると「科学では解明出来ていない場所」が答えでしょう。
ひょっとしたら人間の目には見えないだけでその辺に居るのかもしれませんし我々の世界そのものが霊界かもしれません。
少なくとも我々は霊界とつながっているということは間違いありません。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3009031.html
No.13
- 回答日時:
己は己としてあるのみ.
卑しい意識が
隙をうかがってみていようとお構いなしだ.
否.
それを超えて在る.
それがどういうことか
お前にわかるか.
No.12
- 回答日時:
電波はそこらじゅう飛び回ってるが見えないね。
アンテナと受信機があれば受信できることもある。
あの世とこの世の関係はそのようなものです。
例えば、電波に意思があれば電波の世界があの世の世界ということですね。これとまったく同じです。死ねば誰でも意思あるエネルギーになるだけですから電波と同じということです。
だから同じ場所にあるということですね。
例えば、同じ場所といえば、刑事ドラマで取り調べ室に鏡がありその鏡の後ろに別の部屋があって取り調べ状態を見てる人がいる。取調べ室からは鏡としかみえない。あの世から見ると鏡の裏部屋から見ているそんな感じでしょう。
No.10
- 回答日時:
No9&No8のご回答における、ご論述とご紹介の論述に理解を同じくします。
私としてはやはり、それでは、自己内にいろいと世界を紡ぎ、編集している意識などの発端と、最後についてのご説明が、もう少し具体的にほしいなぁと思いました。私はそういうことについては、Sankhyaという哲学のお講義を独学ですが、勉強していて、総合的なたいへん理解に役立つと思っています。しかし、一切の創造者という、一なる意識の唯一の存在とすることを、理論か物象で証明してなければ承認しない、という場合は、読みにくい理論となるかも知れません。それをここでご紹介しても、承認していただくには役立たないと存じます。ご自分でそちらのほうに傾倒することが必要なので。そういう面からいうと、これも哲学とはいえやはり、信仰の宗教のかなと存じますが、傾倒すると、ぬきんでて、完璧ですね。
No.9
- 回答日時:
あの世がある、あの世はない、という断定は間違っています。
なぜなら、それを判断する情報が十分に得られないからです。
なぜ十分な情報が得られないかというと、私たちは「この世」の中にいて、この世を外(この世でない部分)から観ることができないからです。
窓のない家の中でずっと育ち、外に出たことがなければ、家の中がすべてと思うかもしれないし、家の外があるかもしれないと思っても把握できません。
それと同じです。
「あの世」があるとすれば、「この世」以外の所。
ただし、「この世」以外の所は無いかもしれないし、逆に「あの世」だけでなく「その世」「どの世」「かの世」などたくさんあるかもしれません。
ただ、物事の考え方として、この世・あの世を設定する方が物事を深く見ることができたり、矛盾無く考えやすいなどのことはあります。
考えやすい、矛盾が無いことは合理的ですが、あるとかないとかが証明されたことではありません。
No.8
- 回答日時:
回答ではありません。
世界は陰と陽です。は幻想です。アメリカの歴史家モリス?バーマンは、ノイマンの解釈を要約した文章で次のように述べている。「オデュッセウスは、無意識で未分化の女性的な力の激しい引きを幾度となく経験する。それは、かつてほんの赤ん坊だった頃や母の胎内にいた頃と同じように、再びその力に溶け込んで一体になりたいという回帰の欲望、無意識状態に戻りたいという欲求だ。しかし、彼の英雄たる所以は、そうした誘惑を退けた点にある。オデュッセウスは無意識の持つ暗黒エネルギーには興味を示さなかった。彼の無意識に対する『勝利』は、一つ目の巨人キュークロープスの目を潰すこてに象徴されている。キュークロープスの目は、直観的な理解をもたらす『第三の目』だからだ」
バーマンはこう続けている。「この英雄の誕生は自我の誕生に他ならないのだが、それによって、世界は二面性を持つようになった。世界は、男性と女性、黒と白、神と悪魔、自我と無意識に引き裂かれた。こうして壮大な物語が始まり、世界中の文化がそれに巻き込まれていった」
しかし、この解釈によると『オデュッセイア』は意識の起源の走りと、無意識が意識に見舞う誘惑を描く物語の域を出ない。
「蛙の目はその脳に何を伝えるか」の共同執筆者ウンベルト?マトゥラーナは、フランシスコ?ヴァレーラと共に、次のような見解の主唱者となっている。すなわち、私達は周囲の世界を経験する際、対象を脳に写し取って再現しているわけではない、外界の表象や反映は経験プロセスには関与しない、という考え方だ。事実は複雑だ、と二人の生物学者は言う。1987年にヴァレーラは「通常、LGNは皮質への『中継』点と表現される。だが詳しく調べてみると、LGNニューロンが受け取る情報の大半は、網膜からではなく、脳内の他の中枢から来ている。……網膜から脳に達する情報は、進行中の内的活動をわずかに攪乱するだけだ。内的活動は調整されることはあっても、指令を受けたりはしない、この点が肝心だ。神経活動プロセスを反表象主義の立場から理解するには、どんなものであれ媒体から伝わる攪乱は、システムの内的一貫性によって規定されるという点を指摘すれば事足りる」
言い換えれば、私達に物が見えるのは、そもそも網膜からメッセージを受け取ったからではない。外界からのデータを内的活動と内部モデルに結びつけるための、広範囲にわたる内的処理の結果だ。しかし、こう要約すると、二人の主張が正しく伝わらない。実際には、マトゥラーナとヴァレーラは、外界から何かが入ってくることを一斎認めていない。全体が閉鎖回路だと二人は言う。神経系は環境から情報を収集しない。神経系は自己調節機能を持つ一つの完結したまとまりであって、そこには内側も外側もなく、ただ生存を確実にするために、印象と表出──つまり感覚と行動──との間の整合性の保持が図られているだけ、というわけだ。これはかなり過激な認識論だ。おまけに二人は、この見解自体を閉鎖系と位置づけている。特にマトゥラーナは、認識論に見られる数千年の思想の系譜と自説の関連について議論するのを、断固拒絶することでよく知られている。完璧な理論に行き着いたのだから、問答は無用という理屈だ。
では、蛙の目の論文にあったカントにまつわる議論については、どう思っているのだろうか?実は、かなり冷たい見方をしている。「外界の記述というのは、外界に関するものではなく、私達についてのものなのです」と、マトゥラーナは1991年に語った。「経験があるだけです。それを説明しているにすぎない。認識論的に言えば、他に何もありません」と彼は言う。私達の存在を抜きにして世界自体を語るなど無意味で、そもそも語りようがないのではないか?
マトゥラーナとヴァレーラの説を例える。私達は、一生を潜水艦の中で過ごす乗組員と同じような形で世界を知覚している。乗組員はレバーを操作し、自らの干渉行為の影響を観察して記録することはできる。しかし、潜水艦の外にある世界を直接経験することはない。実際の世界は、乗組員がこれまで蓄積した経験と食い違わないというだけで、彼等の想像とはかけ離れている可能性もある。
マトゥラーナとヴァレーラの見解は、彼等の研究分野で少数意見だという意味では異端だ。しかし、首尾一貫していて矛盾がない。二つの説は、論理的構成のおいて、量子力学、つまり原子の物理学の〈コペンハーゲン解釈〉を彷彿させる。これは、ニールス?ボーアを中心に提議された解釈だ。「物理学の務めが、自然の有り様を突き止めることだと考えるのは間違っている。物理学にとって重要なのは、自然について我々が何を言いうるかだ」とボーアは述べ、私達が世界を記述しているという事実を記述に含めずに、世界を記述することはできない、と力説した。
〈コペンハーゲン解釈〉の現在の唱道者達は、マトゥラーナの思想に興味を持っていないし、マトゥラーナもまた量子力学の諸概念には関心がない。だが、両者の類似には目を見張るものがある。私達が自分の記述について語るうえでの大きな問題は、世界とは、自分が脳で記述し、描き、再現し、複製し、表象しているものだと考えたくて仕方ない点にある、といずれも論じている。
しかし、そういう考え方では、曖昧さを排して明瞭に話すことはできないかもしれない。同様に、「我々の考えている世界など、我々の周りには全く存在しない」といったスタンスで、曖昧を排して明瞭に語ることも、明らかに至難の業だ。本章だは一貫して、世界が存在するという伝統的視点に立ってきた。そうでなければ、錯覚を錯覚として語ることはできない。
どうやら、内と外という考え方自体が廃れつつあるようだ。物理学と神経生理学の両方から、そういうメッセージが聞こえてくる。それを端的に言い表したのが、ジョン?ホイーラーの言葉「我々の考えている世界など、我々の周りには存在しない」だろう。
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