いちばん失敗した人決定戦

 変な話ですがこの世の中が現実ならこの現実はとても不思議なものです。 
リンゴが落ちたり空間が膨張したり数え上げれば切がありません。
魂の次元とその外の次元がリンクして意識化されている世界です。
(外の次元が本当に存在しているかどうかは分かりませんが)
この不思議な世界は本当に現実と言えるでしょうか?
押井守の世界ではありませんがある種今ある現実は別の現実と結びついているのではないかと思うのです。
今の外の次元が魂と同時に捻じ曲がっていて今の科学の法則がこく一刻と変わっているのだけれども変わっているのが判らない状態なのではないかと思うのですがこの世の現実は本当に正しいでしょうか?

A 回答 (8件)

 所謂、貴方の考えは「今の現実が、本当の世界ではない」という古典的な思想の一種だと私は思います。

古くは中国思想の荘子の「蝶の夢」、小泉八雲「怪談」にも「蝶の夢」に似た話が出て来ますし、仏教の「色即是空」も似た思想だと思います。

 つまり昔から似たような考えが形を変えて存在していたわけです。最近では「水槽の脳」という考えも出てきています。

 回答者の中にマトゥラーナ、ヴァレーラのオートポイエーシス論を挙げている人もいますが、確かに認識論的な問題と言うことも出来るかもしれません。

 私達はこの世界の現実を正しく認識しているのか、いないのか。ただはっきりしている事は、外的な行動、出来事、刺激で認識は変化するということは確かでしょうし、自分の肉体が外的に致命傷を負えば痛いし、命を失くすでしょう。

 現実を肯定するか、否定するかの態度を現実に生きる人間は、否応なく取らされるのですが、肯定して生きるほうが生甲斐がありますし、逆にそれを証明するために生きているのかもしれません。

 要するに、証明する事は不可能です。だって私達が存在する事だってある種の矛盾の上に存在しているんですから。

 

 
 

この回答への補足

私の言う現実は魂的現実と魂外現実が変化係数0か?ということを質問しているのです。

補足日時:2007/06/17 01:14
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/17 01:21

 あなた様はまず現実を定義しないといけません。

定義しないと、別の現実というのもわけわからないものにあります。外の次元あるなら、内の次元あるわけで、それをどう定義するのでしょうか?

 たとえば現実を「現に見ている客観的な光景、物体、生物」であるとしましょう。しかし、生物学的に範疇からいえば、実は視角というのは生物によって違います。たとえばハチの目と、犬の目と、人の目から見える世界はまったく違うことが証明されています。ではどれが現実なのか?それぞれにとってそれぞれが現実であるとされるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
>あなた様はまず現実を定義しないといけません。定義しないと、別の現実というのもわけわからないものにあります。外の次元あるなら、内の次元あるわけで、それをどう定義するのでしょうか?

これはNO.8さんの補足の欄に書かさせて頂きました。

お礼日時:2007/06/17 01:18

その根底にあるのは、コンピュータはプログラムしてやればどんなことでもこなせるのは勿論、愛想よく協力的に自己表現するべきだ、という考えだった。

つまらない仕事をするべきなのはコンピュータであって、ユーザーではない。
これは当たり前のことに思えるかもしれないが、アップル社がコンピュータを発売するまでは、全くそんなふうに考えられていなかった。主流を占めるコンピュータの形式は、年がら年中コンピュータの仕事をしている技術者が開発した原則に基づいている。当然ながら、そういう技術者は、コンピュータ内部の状態を表現する。ありとあらゆる奇妙な符号や略語を平均で覚える。何故なら、彼等にとって興味があるのはコンピュータそのものであって、それを使って何ができるかではないからだ。ところが、一般人にとっては逆だ。

<省略>

ユーザー側に負担の大きいコンピュータから手軽に使えるコンピュータへの大変革が遂げられたのは、スモールトークが開発され、それにユーザーイリュージョンが適応されたおかげだった。ユーザーイリュージョンという概念は、ユーザーインターフェース──モニターやキーボードなど、人がコンピュータとのコミュニケーションに用いる部分──の革新的な変化を意味する。初期のコンピュータを開発した技術者達は、ユーザーインターフェースのことなど配慮しなかった。ユーザーは全て専門家だったからだ。そのため一般人には、コンピュータは不可解で扱い難いものに思われた。アラン?ケイは書いている。「かつて、ユーザーインターフェースは、システムの中で最後に設計される部分だった。それが、今では最初に設計される。なぜ最優先に考えられているかといえば、初心者にとってプロにとっても、感覚器官が接するのはコンピュータなのだ。ゼロックスのパロアルト研究所で、私と同僚達が〈ユーザーイリュージョン〉と呼んでいたのはシステムの動きと次にするべきことを説明するために誰もが作り上げる、単純化された寓話である」
つまりユーザーイリュージョンとは、ユーザーが描くコンピュータのイメージだ。このイメージは、筋の通った妥当なものでありさえるれば、正確かどうか、或いは完璧かどうかは、実のところ問題ではないことに、ケイと同僚達は気付いた。例え不完全で比喩的であっても、コンピュータがどう作動するのかというイメージがあるほうが全くないよりましだ。
従って、大切なのは、コンピュータがどう作動するかをユーザーに説明することではなく、首尾一貫した適切な寓話をでっち上げることだ。それも、コンピュータではなくユーザーの立場に立って。現在この単語を記録しているコンピュータは、ユーザーである私に対して、デスクトップのフォルダに整理された一連のテキストを表示している。私は、出来の悪い章をドラッグして右下のゴミ箱に放り込む。一つの章が長すぎるかどうかを知りたいときは、机の引き出しのアイコンから電卓を取り出して使うことができる。
しかし、コンピュータ内部にはフォルダもゴミ箱も電卓もない。大量の0と1が並んでいるだけだ。その量たるやとても書き表せるものではない。コンピュータには何千万という0と1が入る。だが、ユーザーはそんなことは全く気にかけない。ユーザーにとって必要なのは、原稿が仕上がったとき、それをコンピュータから引き出すことだけだ。ユーザーは、大量の0と1に全く無関心でいられる。ユーザーにとって興味があるのは、ユーザーイリュージョンが示すもの──書きかけの章、未解決の事柄やメール、未整理の考えなどが収められたフォルダ、といたものだけだ。
ユーザーイリュージョンはメタファーであり、実際の0と1など相手にしない。その代わり、0と1が全体として何ができるかを問題にする。そう考えると、ユーザーイリュージョンは、意識というものを説明するのにふさわしいメタファーと言える。私達の意識とは、自己と世界のユーザーイリュージョンなのだ。
意識は、世界全体や自己全体のユーザーイリュージョンではない。自分が影響を及ばせる世界の諸側面と、意識が影響を及ばせる自己の一部の、ユーザーイリュージョンだ。
このユーザーイリュージョンは、まさに自分独自の自己の地図であり、自分がこの世界に関与する可能性を示している。イギリスの生物学者リチャード?ドーキンスは言う。「意識が生じるのは、脳による世界のシミュレーションが完全になって、それ自体のモデルを含めねばならぬほどになったときであろう」
意識が、私が抱く私自身のユーザーイリュージョンであるならば、意識は、私というこのユーザーイリュージョンこそが、まさしくユーザーなのだと主張せざるを得ない。そして使われる側ではなく、使う側の視野を移し出さなくてはならない。その結果、意識というユーザーイリュージョンは、〈私〉という名のユーザーと共に機能しているわけだ。
〈私〉の経験では、行動するのは〈私〉ということになる。感じるのも〈私〉、考えるのも〈私〉だ。だが、実際それをしているのは〈自分〉だ。私は、私自身の私にとってのユーザーイリュージョンなのだ。
コンピュータの中にはユーザーにとって興味のないビットが山ほどあるように、〈自分〉の中には〈私〉にとって興味のないビットが山ほどある。〈私〉は、どうやって心臓が〈自分〉の隅々にまで血液を送っているのか、気にかけてなどいられない。少なくとも、四六時中、気にかけなくてもよい。それに〈私〉は、どういうふうに〈自分〉の中で連想が起こるのかも気にしてはいられない。〈私〉は〈私〉自身に関係があることが知りたいのだ。
しかし、個人のアイデンティティとして、また、行動の主体として経験される〈私〉だけが錯覚なのではない。私達が実際に経験しているものもまた、ユーザーイリュージョンだ。私達が経験する世界は錯覚なのだ。私達の周りの世界には色も音も匂もない。それらは私達が経験するものだ。だからといって世界がないのではない。だが、世界はただ存在するのみで、人が経験しないかぎり、世界には属性がない。
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この回答へのお礼

とても興味深い回答でしたつまり今か?良くわからないが科学者が考えるものとしては世界は存在する。属性は魂とリンクしたときだけということなのでしょう。
んーーやっぱ何かあるとしか考えられないということでしょう。
んーーーー属性=世界もしくは属性≠世界もしくは属性≒世界どれに
あたるのでしょうね?興味深いところです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/18 02:15

ルリヤは、パヴロフの考えを更に進め、脳を三つのブロックに分類した。

すなわち、覚醒?トーヌス(緊張)?注意を制御するブロック、感覚データを処理するブロック、計画と認知を行うブロックだ。視床は、最初のブロックで主要な役割を果たす。
ということは、第一ブロックをサーチライトと見なしていいかもしれない。この第一ブロックが皮質のどこを照らすかを決め、それによって注意を向けるべき対象を定めるのだ。暗い部屋を動き回るスポットライトに意識をなぞらえる比喩は既に紹介したが、こらはそれを解剖学的表現で焼き直したものだ。クリックは1980年代半ばに、このモデルを明確化しようとして、視床の周りにある視床網様核という構造が、意識のサーチライトを制御していると示唆した。しかし彼は後に、この発想が単純過ぎることに思い至った。
とはいえ、これは立派な比喩になっている。注意と意識は、様々なことが同時進行しているステージ上で、特定の何かを選んで照らし出すサーチライトであると言って差し支えない。
「蛙の目はその脳に何を伝えるか」の共同執筆者ウンベルト?マトゥラーナは、フランシスコ?ヴァレーラと共に、次のような見解の主唱者となっている。すなわち、私達は周囲の世界を経験する際、対象を脳に写し取って再現しているわけではない、外界の表象や反映は経験プロセスには関与しない、という考え方だ。事実は複雑だ、と二人の生物学者は言う。1987年にヴァレーラは「通常、LGNは皮質への『中継』点と表現される。だが詳しく調べてみると、LGNニューロンが受け取る情報の大半は、網膜からではなく、脳内の他の中枢から来ている。……網膜から脳に達する情報は、進行中の内的活動をわずかに攪乱するだけだ。内的活動は調整されることはあっても、指令を受けたりはしない、この点が肝心だ。神経活動プロセスを反表象主義の立場から理解するには、どんなものであれ媒体から伝わる攪乱は、システムの内的一貫性によって規定されるという点を指摘すれば事足りる」
言い換えれば、私達に物が見えるのは、そもそも網膜からメッセージを受け取ったからではない。外界からのデータを内的活動と内部モデルに結びつけるための、広範囲にわたる内的処理の結果だ。しかし、こう要約すると、二人の主張が正しく伝わらない。実際には、マトゥラーナとヴァレーラは、外界から何かが入ってくることを一斎認めていない。全体が閉鎖回路だと二人は言う。神経系は環境から情報を収集しない。神経系は自己調節機能を持つ一つの完結したまとまりであって、そこには内側も外側もなく、ただ生存を確実にするために、印象と表出──つまり感覚と行動──との間の整合性の保持が図られているだけ、というわけだ。これはかなり過激な認識論だ。おまけに二人は、この見解自体を閉鎖系と位置づけている。特にマトゥラーナは、認識論に見られる数千年の思想の系譜と自説の関連について議論するのを、断固拒絶することでよく知られている。完璧な理論に行き着いたのだから、問答は無用という理屈だ。
では、蛙の目の論文にあったカントにまつわる議論については、どう思っているのだろうか?実は、かなり冷たい見方をしている。「外界の記述というのは、外界に関するものではなく、私達についてのものなのです」と、マトゥラーナは1991年に語った。「経験があるだけです。それを説明しているにすぎない。認識論的に言えば、他に何もありません」と彼は言う。私達の存在を抜きにして世界自体を語るなど無意味で、そもそも語りようがないのではないか?
マトゥラーナとヴァレーラの説を例える。私達は、一生を潜水艦の中で過ごす乗組員と同じような形で世界を知覚している。乗組員はレバーを操作し、自らの干渉行為の影響を観察して記録することはできる。しかし、潜水艦の外にある世界を直接経験することはない。実際の世界は、乗組員がこれまで蓄積した経験と食い違わないというだけで、彼等の想像とはかけ離れている可能性もある。
マトゥラーナとヴァレーラの見解は、彼等の研究分野で少数意見だという意味では異端だ。しかし、首尾一貫していて矛盾がない。二つの説は、論理的構成のおいて、量子力学、つまり原子の物理学の〈コペンハーゲン解釈〉を彷彿させる。これは、ニールス?ボーアを中心に提議された解釈だ。「物理学の務めが、自然の有り様を突き止めることだと考えるのは間違っている。物理学にとって重要なのは、自然について我々が何を言いうるかだ」とボーアは述べ、私達が世界を記述しているという事実を記述に含めずに、世界を記述することはできない、と力説した。
〈コペンハーゲン解釈〉の現在の唱道者達は、マトゥラーナの思想に興味を持っていないし、マトゥラーナもまた量子力学の諸概念には関心がない。だが、両者の類似には目を見張るものがある。私達が自分の記述について語るうえでの大きな問題は、世界とは、自分が脳で記述し、描き、再現し、複製し、表象しているものだと考えたくて仕方ない点にある、といずれも論じている。
しかし、そういう考え方では、曖昧さを排して明瞭に話すことはできないかもしれない。同様に、「我々の考えている世界など、我々の周りには全く存在しない」といったスタンスで、曖昧を排して明瞭に語ることも、明らかに至難の業だ。本章だは一貫して、世界が存在するという伝統的視点に立ってきた。そうでなければ、錯覚を錯覚として語ることはできない。
どうやら、内と外という考え方自体が廃れつつあるようだ。物理学と神経生理学の両方から、そういうメッセージが聞こえてくる。それを端的に言い表したのが、ジョン?ホイーラーの言葉「我々の考えている世界など、我々の周りには存在しない」だろう。
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物事はえてして逆転します。

またはじめと終わりもまたそのひとつです。円を描くとき出来上がった円には終わりも始めもないですがしかしそれでは円は描けません。私は現実というのはこの円のようなもの(数学ではなく)だろうと思います。複数の円があった場合、円と円が融合すれば又円になります。人間が行なっている認識も同じではないでしょうか。このようなイメージで考えれば現実か現実でないかという問いはそれが円のように閉じている系かどうかということになるように思います。ニーチェの言う永遠回帰というのもその事かもしれません。またホーキングの理論のような物理学も同じことを言っているように思います。
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この回答へのお礼

???なんですが
円のように閉じているものは本物閉じていないものは偽者という解釈にさせて頂きました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/17 01:32

どうも



”押井守の世界”について

質問者さんはcyborg theoryというのを聞いたことありますか?(Donna Harawayが一番有名だと思うんですけど)今人間達はサイボーグ化し始めていると彼女は言っています。テクノロジーと人間の共存、そしてその中での時間、空間の概念などの考え方などです。例えば携帯/インターネットを使うことは、空間と時間を圧縮しているというような感じです。そうですね、マトリックスのような世界観です。cyborg theoryは結構面白いので読んでみると良いと思います。ちなみにDonna Harawayの名前はイノセントという映画でオマージュ的に使われていたと記憶しています。

Jean BaudrillardのThe Ecstasy of Communication/Simulacra and Simulation、 それとwilliam GibsonのNeuromancerも読んでみるといいかもしれませんね。僕はBaudrillardの考え方はちょっと乱暴なような気がするんですけどね。彼はこの現実世界は全てシュミュレーションされていると言っています。読み物としては面白いので興味があれば是非どうぞ。

上記した本は日本語で探してみてください。一応、英語ですけどリンクをここに紹介しておきますね。

質問者さんへの答えではないですけど、参考として受け取ってください。

参考URL:http://www.stanford.edu/dept/HPS/Haraway/CyborgM …

この回答への補足

いろいろありがとうございます。

補足日時:2007/06/17 01:26
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おなじ事象も誰がどう見るかによってその意味するところは異なってきますから、「正しい」とは思いません。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/17 01:22

質問には2つの疑問がありそうですね。


今感じているものは現実か否か---今感じているものしか現実と呼べない。
 人間が、感じられないもの、観測できないものは、いくら考えても現実にはならないと思います。仮にあったとしても、人間にとって現実ではないです。
人間の現実認識は正しいのか---正しくない。
 絶対的実存や絶対的真実は、人間の社会には存在しないと思います。認識や感覚も相対的に変化してしまいます。よって、感じている現実は、実は人それぞれ異なっていて、収束することはありません。
私は、人間と現実は、それぞれが客観的事象ではなく、混沌とした主観的事象ではないかと思います。いかに感じようとも、それがその人間にとってのすべてであって、他の人間は共有できないと思います。(共有できると考えているだけ)

この回答への補足

すみませんでしたNO8さんです。

補足日時:2007/06/17 01:24
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この回答へのお礼

回答ありがとうございましたとりあえずNO7さんの補足に書かさせて頂きましたのでよろしくお願いします。

お礼日時:2007/06/17 01:24

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