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万葉集に天武天皇の「よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見」があります。
この歌の上の句の件ですが、素人の直感では吉野の風土なり景なりを愛でた既存の歌なり言葉なりが天武天皇の念頭にあったが故に、「よき人の よしとよく見て よしと言ひし」になったのではないかと推測します。この上の句が誰の、どんな言葉を念頭に置いたものかを追求した資料をご存知の方は居られませんか。

手元の解説書の例では第5句の「よき人」が誰であるかを述べているのに対して、上の句が誰の、どんな言葉であるかについては触れていません。これは定説がないか調べることの困難を暗示しているのだろうと思う一方、高校生の自由研究、学生の卒論、趣味人の研究、研究者の余技などで如何にも取り上げられていそうな気もします。難しそうな予感はしますが念のためにお尋ねしてみます。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

壬申の乱後、天武天皇は六人の皇子を宮滝に連れて行き、天皇と皇后に忠誠を誓う、いわゆる「六皇子の吉野誓約」を行った天武8年5月5日の端午の節句に、天武天皇の読んだ歌であるとして。

 

淑し人の     清く優しく徳のあるこの后(皆たちの母)が
良しと吉く見て  ほどよく整っていると愛でたく観じて
好しと言ひし   似合って好ましいといったその
芳野吉く見よ   吉野において(皆たちも)世の中を愛で大切にせよ
良き人四来三   ほどよく整った生き方の叶った私もしっかり見守るからに
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この回答へのお礼

第一句の「よき人」=「后(皆たちの母)」説ですね。言われてみれば自然に読み取れるので「説1」として記憶しておきます。

私は手元の書籍に引っ張られ過ぎたか、過去の有名人だけを想像していました。
手元の書籍(小学館、日本古典文学全集「万葉集(1)」)の解説には
「第一句のヨキ人は昔の君子、第五句のヨキ人は今の世の君子をさす。後者は天皇の周囲にある諸皇子への呼びかけであろう。」との記述が有りました。
この記述から第一句の「よき人」=「后(皆たちの母)」は思いつきませんでした。

有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
第二、第三の説もあるかもしれませんので7/1(日)までは締め切らないでおきます。

お礼日時:2007/06/24 06:31

#1です。

補足します。
この歌は、読み手が自分の奥さんをそばにおいて、6人の子供たちに言い聞かせた形なのだと考えています。
 もし私に何かあったら各自が勝手な振舞いをせず、まずは妻であるのみならずもっともこの国の行く末を「良しと吉く見て」来ている、また私にとっても吉野隠棲など「好しと言ひし」一番の導き手でもあった、このお前たちの母上にこそ、何事も相談の上で事を図るように、と。

 「淑き人」は詠み手天武天皇の奥さん=皇后(持統天皇)を指します。
 第五句の方も、読み手である天武天皇=「良き人」として今日こうして「ほどよく整った生き方の叶った」のも、ひとえに皇后=「淑き人」のお蔭なのだと。
だからお前たち6人は軽率に動かず、周囲に流されず、つまりは「芳野吉く見よ」と諭しているのだ、と。

 実際この時代の王位継承をめぐる争いは一通りではなく、有間皇子への天智天皇の関係、そしてその子である持統天皇とその弟大友皇子の天武天皇との関係、母子兄弟仲良くと説いたこの歌の7年後での、大津皇子の自死と草壁皇子の急死、そして皇后が持統天皇としての即位…何とも目まぐるしいまで、です。
 皇位継承をめぐる、このような熾烈な過去への反照と、そしてやがて起こりうる近未来へ向かっての、「良き」国の「善き」人々を希求する「良き人」の祈りの歌でもあったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

重ねて詳しい解説を有り難うございます。
色々な説が集まるとよいのですが、果たして・・・。

お礼日時:2007/06/25 00:30

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