誕生日にもらった意外なもの

同じような質問があったらすいません。
是非とも幅広い意見を聞きたいので、回答お願いします。

私は大学生で、今年の夏に海外にボランティアに行ってきます。
友達に誘われて、興味を持ち、参加することを決めました。
内容は、貧困問題解決のための住居建築活動です。

しかし、私は何のためにボランティアをしに行くんだろうかと、ふと思います。
これまでの大学生活、あまり勉強したわけでもなく、よくある、大学卒業したのに何も残ってない学生になりたくない!
そこへ友達のボランティアの誘い。
前々からボランティア自体に興味があったので参加。

ここまでいたる経緯が、ただ流されてきたなというか。
何でボランティアをするのかという意味をちゃんと自分の中に持ってこなかったと思っています。

話がそれてしまいましたが、今回聞きたいのは、何故海外ボランティアに行く必要があるのかということです。
よく考えてみると、ボランティア自体は日本国内でも出来るし、
まして、貧困問題とありますが、日本にはホームレスの方が沢山いるわけで。

自分で海外でボランティアするぞ!と意気込む一方、日本の貧困?を無視して海外の貧困問題に目を向けるというのは間違っているのではと思ってしまいます。

そのような海外ボランティアに参加したことある人や、ボランティア活動に疑問を持っている人の回答、是非ともお願いします。

A 回答 (6件)

世の中には専業のボランティアの方もたくさんおられます。


そういう方々と話をしていて感じることはたいていの方がボランティアを
する以外の別の目的をお持ちだということです。
言葉は不適切かもしれませんが一種の下心とも言うべき動機です。
ボランティアというのは「奉仕」ではなく、「自ら進んでする」ということと
「金銭的報酬を活動の動機にしない」ものだとしますと、ボランティアの
人々は金儲けは考えていないけど、何かしたいことほしいものがあって
やっているという感じです。
例えば動物とか植物の研究をするために海外に行くきっかけとして
ボランティアになったとか、単純にその国が好きだからとか、
いろんな国に住んでみたいからとか、人それぞれですね。
極端な例ですが、某国の国家的ボランティアでは兵役を逃れるために来ている
という人もいます。
不純だと思われる方もいるかもしれませんが、何の報酬も求めず、
ただひたすらに他人への奉仕だけをしたいというのも何となく人間らしく
ないような気がします。

それとやってみると分かると思いますが、実にやりがいのある仕事ですよ。
海外ボランティアは何から何まで自分たちの力で困難を乗り越えて
目的を達成していく活動なので、日本の会社社会のように歯車になって
働くよりはずっとやりがいを感じられます。

それからスマトラ沖地震の津波災害の時に救助隊の方が(通訳ボランティアで同行)、
こういう災害時に海外の人が助けに来てくれたたということは、その事実を
被災者が目にするだけで勇気付けになるもんだよ言われていました。
外国人が海外でボランティア活動をすることにはそういう意味もあるのかも
しれないなぁと思います。
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何やら誤解されるような書き方をしたようなので、念のため付け加えます。



私はボランティアが相手に奉仕する行為であることを大前提としてNo.1を書いております。しかし、「相手に奉仕する」ということだけに重きをおけば、それはボランティアではなくなるでしょう、ということを言いたかったのです。

相手からの需要がまずあり、それに対して自分が最も充実・喜びを感じられることを供給する、そこにボランティアの意義があるのではないかと言いたかったのです。

そうでないと、「○○してあげている」という傲慢な発想になりかねません。また、「何故日本でなく海外なのか」という質問者さんの疑問にも答えることができません。

日本からも海外からも「需要」は常にあります。待っている人たちがいます。その中で、海外でボランティアをすることに質問者さんがより意義を感じられ、何か得るものがあると感じられるのであれば、それが質問者さんのするべきことではないか、ということを言いたかったのです。

私はボランティアが一番陥りがちな問題は「○○してあげている」という傲慢さや、「もっと困っている人がいるのだから」といった「困っている人たちの比較」という安っぽさだと思っています。
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海外でボランティア活動中のものです。

内容は、識字率の向上活動です。日本では不必要な活動ですので、海外に出かけています。
そのためには現地の言葉(スペイン語)を不自由なく話せないと活動が出来ません。

No.1さんのご意見に私は賛成できかねます。ボランティアはあくまで自分の意思での活動ですが、同時に相手に奉仕する目的があります。相手に受け入れてもらえなければ意味がありません。日本にも金銭的に不自由な人がたくさんいるのは承知していますが、現地の状況は日本とは全く異なります。小さな活動ですが、将来大きくなるための種まきをしていると考えています。その考えがあれば、国内であろうと海外であろうと、ボランティアする場所は関係ありません。
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junjun1616さんに今、海外ボランティアに行くお金と時間があるのなら、ぜひ行ってきてください。



私は国際協力の仕事をしています。

はっきり言わせてもらうと、短期間でjunjun1616さんが海外へ行ってボランティアをしても、また短期間で、国内でボランティアをしても、何か大きな仕事ができるとは思いません。ごめんなさい。

でも、実際、体験してもらうだけで、国際協力に対する理解は格段に深まると思います。

何事も経験です。行ってきてください。

ただ、海外には危険なこともたくさんあるから、それだけは気をつけてくださいね。
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海外ボランティアは、一種の「自分探しの旅」ではないでしょうか。


外の世界から日本を見つめ直すことなどによる、自己の再発見を試みるのだと思います。

実際には、海外の方が失業率が高いのに、日本から何の技術の持たない、言葉も不自由な、
単なる人手が行ったところで、大した役に立ちません。
経済的に成功する目算があって人を雇えるのであれば、現地の国民を雇うのが筋でしょう?
また、成功して商売になりそうなプロジェクトには、必ず地元民も率先して参加してくるはずですし...

なので、ボランティアに「~~してあげている」という意識を持ってしまうと、
続かないか、裏切られた思いになりますよ。

海外に憧れる人が多いのと、なんだか自分が必要とされている人間であることを実感できそうなことから、
ボランティアが若者に人気(希望があるように見える)があり、そこに各種団体及び業者が、乗っかっているのだと思います。
ボランティアという大義名分を動機にする人達を相手にすると、ビジネスとして儲かるもの。

一方、日本政府などによるボランティアは...
湾岸戦争などで日本は大金を出したのにも関わらず、「金だけ出して人は出してない」と諸外国から非難を受けたことなどによる
国際貢献...いや、国際外交を有利に推し進めるための人的貢献数の帳尻合わせです。
専門家を揃えると費用が掛かって仕方ないので、ボランティアという名目で費用を抑えて人材を派遣しています。

あと、このこともちょっと考えて下さいね。
外国政府が望むのは技術移転であり、日本から見ると技術流出に該当します。
資源がなく、技術で持っている日本が、人件費が安い外国に、国際市場で競争できるだけの技術なんて本当に出せるのか?
ということを見て下さい。
様々な制約が掛かっていることも見えてくるでしょうし、交換取引があることも、失敗を前提に大金を投じている場合もあります。

外国政府にとっては、国民に選挙で選ばれることが大事です。
日本政府にとっては、国際会議の場で支持して貰えることが大事です。
たとえ夢でも信じ込んでいるうちは...ってことで、現地住民のためになってない場合も多いです。
南北問題(貧困問題)の解消が、いかに難しいか理解できると思います。
で、素晴らしい解決案は、現在のところ存在せず、考えても結論は出ません。
住居建築活動とやらが、本当に貧困問題の解決になるのかどうか、よ~く見てこられては如何でしょうか?

だからって、ボランティアに否定的な見解を持つのも待って欲しいと思います。

・戦争に負けたことにより、明治時代の道徳教育が否定されたこと。
・政教分離政策
・核家族化
などにより、絶対的に正しいとされた道徳的な価値観やコミュニティーが崩壊し、
家族や地域の人々が手弁当で担っていた役割を果たす者がいなくなってしまいました。
それに変わるものとして持ってこられた言葉が、ボランティアです。
元々日本にも「隣近所の助け合い」など、ボランティアは沢山あったわけですけどね。
でも、言葉を変えてでも、定着させてしまえば、新たな仕組みも出来ますし、地域社会も廻ります。

諸外国において、道徳教育を担っているのは宗教です。しかし、宗教には弊害もありますよね?
そして、日本人は戦後教育のせいで、宗教を本気で信じている人が少なくなりました。
新たな枠組みとして、ボランティアというのは良い制度だと思いますが...
もちろん、目指すところは「自分自身にとっても住みよい社会」なわけですから。

「神仏(かみほとけ)、拝まぬ先に親拝め、親にましたる神仏はなし」 吉田松陰
親の恩も分からない人に、社会の恩などわかるわけもなく、義もなにもないだろう...という流れですな。
ですから、「日本でもボランティア活動は出来る」というのはもっともな考え方です。
身近なところも大切にして下さいね。

どのみち矛盾だらけですし、社会は白黒が付くことばかりではありません。
悩んで自分で考えることが、若者には大事なんだと思います。
否定的な面はありますが、申し込んでしまったわけですし、得られる経験もあるでしょう。
まずは、ご自身の目で確かめられてきて下さい。

あと、働くことも、モノを作りモノを売ることだって、真っ当なモラルを持っている限り、立派な社会貢献です。
どちらが偉いと言うこともありません。
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アメリカ留学中です。

状況は違いますが、私も現在ボランティア活動をしています。日本ではボランティアの経験はありません。

私も時々同じことを考えます。私なりの現時点での考えは以下の通りです。

ボランティアはあくまで「自分のため」にやるものです。だから、それが日本であろうと海外であろうと、あなたが興味を持ったものに取り組むこと、そこに価値があるのだろうと思います。「誰かを救わなければ」ではなくて、「この活動をすることが自分にとって意味を持ちうる」からやるのだと思います。日本国内にも問題はあるかもしれませんが、あなたは海外でボランティアをやることに興味を持ったのだから、それがきっとあなたにとって価値を感じられることなのでしょう。そうであれば、ただそれをやってみて下さい。引き受けるからには責任が伴うのはたしかですが、「こうあらねばならない」という形のボランティアはどこかゆがんでいると思います。そうではなく、「やりたいからやる」というボランティアであるべきではないでしょうか。
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