No.1
- 回答日時:
墾田永年私財法(743年)のシステムが有効になってきたからじゃないですかね?
三世一身法(723年)では土地は返納しなければならなかったのが、耕しただけ自分のものになるようになって、
しだいに権力者に土地が集まるようになって、自分の領土を守る為に、土地に縛られない傭兵を雇うようになり、
集まった傭兵から権力者が出ても、土地に縛られない人間なので、鎌倉や江戸に飛ばされても開墾を続けたら、
京都のまわりは土地不足だが、公家や寺社は引っ越しができないのに、武士はどんどん日本の僻地を開拓して、広大な領土を手にしてしまい、
中世の通貨は米なので、土地=米(石高)の社会では、国替えなどが当たり前だった武家社会が土地を株取引のように扱ったので、強くなったのではないでしょうか。
ヨーロッパは開墾の概念が薄いので、教会が強いままだった事もあり、
日本人の土地神話と武家社会は密接だと思います。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
ひとりでに重んじられるような社会になった、わけではなく、平清盛や源頼朝やその後の北条氏たちが、武家政権を維持するためにがんばったからです。
もともと日本という国は、大宝律令やその後改定された養老律令などによって国家制度を定めていました。今の憲法のようなものです。
が、時代とともに内容が実体とずれていきました。
しかし、養老律令以後は正規の改訂も無く、単なるお題目になってしまっていきました。これも今の憲法と同じですね。
具体的には、違憲立法が乱発され、憲法に無い役職が多々作られるということです。これも今の憲法と同じですが。具体的には、墾田永年私財法が違憲立法の例ですし、検非違使などの「令外官」という役職が憲法のに無い役職のそれです。自衛隊法や、自衛隊のようなものです。
で、その流れの中で桓武天皇が軍隊を廃止しました。
本人が何を考えてのことかは、よく分かりませんが、国家の治安維持機能を放棄したということなので、覿面に国内の治安が悪化します。先ほど述べた検非違使は、平安京すら治安が悪化したので、止むを得ず設置した警察軍のような組織です。
地方には、こうした警察軍が作られませんでしたから、地元住民は自衛のために武装するようになりました。無論、攻める側もそれに応じて重武装化・組織化するか、地元住民の武装組織に取り込まれるか、比較的軽武装の地域に移動するか、という動きになっていきます。
結局、軍隊解散の結果、日本国内全体が三国史的な力で解決する社会になっていったわけです。
でも、律令はありますし、皇室や貴族に権威はあり、金もありますから、武装集団を一時的に雇って実力行使をすることも、ときにはできました。平将門や藤原純友の反乱が鎮圧されたのは、そのせいです。
が、そういう時代が続くに従って、地元住民の武装組織(=武士組織)は強化され組織化され、地方経済の実権を握るようになります。
こうなると、完全に現状と実態が乖離してしまうので、「中央にいる貴族は何のために俺たちの上にいるんだ」という感覚が、一部の武士の中には沸いてくるわけです。
この機運が、鎌倉幕府を作った理由ですし、その後に建武中興が長続きしなかった理由です。
結論として、答えは「武士が土地を実効支配していたから」ですね。
No.4
- 回答日時:
必要があったからです。
平安朝が機能していなかった(もしくは先進的すぎて実情に合わなかった)ため、各地の開墾地の人々は自分の土地を自分で守る必要が生まれました。
特に関東地方では、平安朝の影響が薄く、また、地理的な状況から、蝦夷地(東北地方)との争いに頻繁に狩り出されたため、平安朝とは異なる兵士としての倫理感(潔さや頼もしさ)を育んだといわれています。
簡単に言えば、野蛮で好戦的な関東地方の農場主(後の武士)たちが、「機能してない平安朝」による支配を嫌がったのが、日本で武家政権が生まれるきっかけとなりました。
No.6
- 回答日時:
多分、より根本的な理由としては、農民(有力農民)が以前よりも富を手に入れたからじゃないでしょうか。
最初は貴族に逆らうなどもってのほかでしたが、地方に送られてきた貴族(受領)などが任期をまっとうした後も、京に帰るより、その地に留まる方に魅力を感じるだけの富がそこにはあったのでしょう。そこには富と、その富を守るための武力があったのでしょう。その辺が武士誕生のおおもとだと思います。
ですから私的には、「日本列島のGDPが上がった結果、その富が貴族以外にも分配され、それらが武士となって既存の権力(貴族)に対抗して、ついには権力を奪って鎌倉時代に突入した」という感じの理解です。
政権の大義名分が武力にあった(一応貴族を立てていたが)わけですから、「武」を重んじた社会になるのは当然だと思います。
No.7
- 回答日時:
古代末期、10世紀から12世紀にかけて在地での田畠の開発が進み、
開発の進行→人口の増加→住民の新しい村落結合といったような事が在地では進行していき、時代の大きな変化が進行していった。
したがっで以前からの伝統の枠組みは形骸化し、村堺や用水をめぐる相論、栃・財産をめぐる相論などが、噴出し従来の制度では解決できない事態に到ったようです。それで、紛争多発の状況の中で、武力を持って紛争を解決するものとして『兵』が登場する。
この「兵」が在地での生命・財産を進退する立場に立ち、のちに開発領主として成長していくようです。
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