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No.11
- 回答日時:
論理的に生きてゆくときに、人生は「一切皆苦」と云う事になる可能性があります。
「神経症」「ノイローゼ」というのをご存知でしようか?これは在る時を境に人生において、不安、恐怖などの感情を抱いてしまって、その不安、恐怖を論理的に、意思の力で排除しようとする症状を呈してしまうことです。何事についても、納得してから、行動をしたい、頭では納得出来ても、今度は感情が納得出来なくて、やっぱり行動できなくなります。この姿を見ているときに「一切皆苦」と言う事と重なります。お釈迦様は「ノイローゼ」になって、家を捨てなければ生きていられなかった。それ程「症状」がきつかったのではないのかと思えます。
それでは「ノイローゼ」と言う事を説明します。
これは中二病の典型的なものです、子供の時には平気で出来た事が出来なくなる事です。今まで出来た事が、在るときを境に「身構えてしまって」出来なくなってしまうことです。
「ノイローゼ」の対極にあるのが、子供と「禅」の悟りを開いた人達です。この事を簡単に「行動」の面から説明します。不安時は不安だけ、楽しい時は楽しいだけ。これは子供です。後には何も残りません。ところが「ノイローゼ」の人は不安の時にはこれを排除しようとします。何時までも不安が続きます。不安がなくとも不安が続きます。楽しい時にも、先の不安が残ってしまい「四六時中」不安になりはしないかと怯えているようになってしまうことです。楽しい時にも不安から楽しい感情が沸かなくなってしまいます。この事が「一切皆苦」の世界です。
この事がどうして起こるかと言えば、論理的に人生を渡ろうとしているからです。感情というものは、論理ではどうする事も出来ません。論理を超えた論理が必要になってきます。
それを超えるために「禅問答」と言うものが在ります。是は論理上、分別上に答えを探しても答えは無いのです。この事を納得してもらうのには「脳」の機能の説明が必要になります。
「脳」の説明の前に経験上の感覚の説明をしておきます。悩みと言うものが、在りますが、この事で半分説明した事になります。悩みが生じる時に気が付く事がありませんか?二つの考えが在ってその二つの考えが対立している事を。その二つの考えの矛盾が悩みだと言う事を感じませんか。多分誰でもが感じている事かと思います。
「脳」の説明です。
「分離脳」の研究が1,981年ころに進みまして判ったことがあります。
I 左脳と右脳にはそれぞれ別の人格が在ってそれぞれは、全く別な ものと言う事。
II 左脳の機能は言語を持っていて、分別、論理的にものを考えると 言う事。この中に現意識が感じられる。
右脳の機能は言葉に拠らない事、感情、直感、芸術。スポーツ、 体を使う事全般、無意識の世界を操縦している事等。
その事で、左脳は「有限」の事を「右脳」は無限」の事を扱っていると言う事が推論される。
それで、禅匠は「分別を捨てろ」と言います。分別を捨てないと「禅問答」は解決しないわけです。普段使っている脳では解決する能力がないからです。解決能力のない脳で問題を抱えているのが「ノイローゼ」「悩み、不安」なのです。ですから、「禅問答」が解ければ「ノイローゼ」は解決します。
「禅問答」を解くと言うこと。
左脳に在る現意識が命掛けでこの問題に取り組むことです。ついに解けないことが判るまで、一生懸命に取り組むことです。解けないことが判る時に、一遍「我」が死んだ状態になります。その時に右脳の「無意識の世界の主人公の仏性が出て来て」その問題を解いてくれる訳です。
その事を自分の性を見る「見性」をした。と言います。「生死を明らかにした」といいます。「悟りを開いた」とも言います。その事で今まで死にたくないと思っていた「我」が「仏性」の永遠の命に触れる事が出来ます。「我」と仏性」とが出会って、今まで矛盾していた意識同士でその矛盾が解消されると言うわけです。その事で悩みの完全解消が出来るということです。矛盾の解消の事を「般若の智慧」言います。
論理に拠らない論理是こそが、お釈迦の教えです。この教えは、「究極の精神療法」と云ってよいかと思います。是は宗教ではありません。「究極の心理学」です。お釈迦様が宗教を退けた訳はここに在ります。ですが、今の精神科医もお釈迦様の弟子達も、その事に気付いている人達が少ないように見受けられまして、残念な事としか言いようがありません。

No.10
- 回答日時:
>論理的に否定される物語、言語を使わない表現ってあるのでしょうか?
百聞は一見にしかずで、言語を用いて論理的記述を如何に正確に重ねても一枚の写真に敵わないでしょうし、寓話、メルヘン、映画、音楽、芸術、・・などには、論理的には否定されあるいは矛盾しつつも、優れた論文に勝る影響力を持つことは言うまでもありません。
とはいえ、いわゆる真理等を表現する画期的な方法は、論理でもなく、芸術でもない・・ように思います。
脳幹直接接続による自己体験化以外に方法はないのかもしれませんけどね。
No.9
- 回答日時:
多くの事象を因果律で説明し得ますが、すべてが因果律で成り立っているわけはありません。
もし、成り立っているならば、過去、現在、未来すべてがビッグバン特異点の時点で決定することになり、それは、完全であり、絶対的存在を意味しています。絶対的存在から未来へ向けて放出されるものが存在することは論理的にあり得ない・・・ですね。それは、完璧な完全なのですから。
No.8
- 回答日時:
こんにちは、touzinさん。
「論理的な考え」を「内部に矛盾を含まない」「形式論理学に従う論理の体系」と約束すれば、矛盾、対立、抗争、闘争、戦争など、現実の運動するすべてのものは、「論理的な考え」を超えています。学問の世界、大学では、専門化がすすんで、となりの研究室では何を研究しているのかわからない、ということもあるそうです。
一般的な議論をするよりも、touzinさんが得意な教科、学問で、具体的に、「論理的な考え」を超える考え、を検討されることをおすすめします。
コンパスで円を描いて、その円の面積を求めることは、半径が与えられたら公式から直ちにできます。しかし、大学で、極限を学習すると、有限の面積を求めるのに、無限(極限)を使うのです。知らないことが一杯あります。
それと同時に、惑星地球号の運命も前途多難です。人間は、目の前の問題を解決してきました。しかし、今までの生産と消費を続けることは困難になってきています。地震で、原子力発電所が簡単に止まります。再開の目途も、被害の実態も、原子炉のふたをあけるクレーンが修理できないとわかりません。
現実は、現実です。それをどう変えていくか、そのために大いに学び、お励みください。

No.7
- 回答日時:
論理的な考え・・というのは共通言語であって、
思考、想念、思想等を第三者(将来の自分を含む)に対して、排他的かつ因果律通りに表現する手法だと思うのですがどうでしょう。
とすると、論理だけでは表現不能な分野がかなり多くあって、論理的に否定される物語や言語を使わない表現の中に、論理的な説明では指し示す事さえできない真理、真実を表現しているものがあるわけです。
また、そもそも森羅万象は、相対的で確率で左右されるのですから、究極的に論理性は破綻をきたします。原因と結果の因果律は絶対ではないということになります。それを表現しうるのは超論理的考えといいうことでしょうか。
この回答への補足
回答ありがとうございます。
>論理的に否定される物語や言語を使わない表現の中に、論理的な説明 では指し示す事さえできない真理、真実を表現しているものがあるわ けです。
ですが僕は因果律ですべてのもの(表現)が成り立っていると思うのです
論理的に否定される物語、言語を使わない表現ってあるのでしょうか?
No.5
- 回答日時:
そもそも「論理学」という学問は、日常言語の中でも推論・証明・論証といった側面に関わる言語規則を抽出して、その適用の妥当性を吟味する事を目的とします。
「論理的」とは、煎じ詰めれば、そういった言語規則の妥当性に敏感になる事です。
従って、「考える」という行為が言語の表現可能性内に留まる限り、「論理を超える考え」という言葉は、狭義に捉えればナンセンスとなるでしょう。(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』に従えば、「思考の限界と言語の限界と論理の限界は一致する」ということ。乱暴ですけど)
逆に、もう少し広義に(従って曖昧に)捉えて、推論に関わる言語規則の中で、これまで明確に論理と見做されなかった分野を、論理学として確立(要するに新しい非古典論理の分野を見付けて完全性を証明する)できれば、「(これまでの)論理を超える考え」という意味で、その一連の行為が表題の回答に該当するのかもしれません。
この回答への補足
>思考の限界と言語の限界と論理の限界は一致する
ということはつまり、思考は言語や論理。
言語は思考や論理。
論理は思考や論理。
ということなんでしょうか?
No.4
- 回答日時:
こんにちは、touzinさん。
数学は、論理的な学問です。ユークリッドの幾何学が、長い間、支配的でした。それ以外の幾何学は、考えられなかったのでしょう。19世紀に、非ユークリッド幾何学を提案した数学者たちがいました。20世紀のはじめに、アインシュタインが相対性理論を発見したときに、数学は、非ユークリッド幾何学(リーマン)を採用しました。それぞれの幾何学のなかでは、何の矛盾も存在しません。しかし、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は、同時に同じ場所では成立しません。学問には、それぞれ歴史があり、研究方法もあるでしょう。天文学で、天動説から、地動説へ転換するとき、コペルニクス的転回といいます。革命的に世界観、宇宙観がひっくりかえるのです。
一見、固定的、絶対的に見えるものも、少しずつ変化が蓄積して、数十年、数百年のうちに、蓄えられた膨大なエネルギーを放出するのです。
安定的、固定的なものの見方を、機械的、形而上学的とよんだりします。
変化、流動、変革の立場からみるものの見方を、弁証法といいます。
論理的な考えを形式論理学とするなら、飛躍とか、矛盾は存在しません。
しかし、現実は、矛盾、対立、闘争などが存在し、歴史の中で個人が活躍する余地があるのです。「老子」を読んでみてください。福岡正信さんの本も役に立ちます。
参考URL:http://www.shunjusha.co.jp/series/00704.html
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