新興宗教はよく非難されますが、創価学会の創価高校・創価大学に比べ、同じく新興宗教である天理教の天理大学・天理高校、PL教のPL学園、金光教の大阪金光高校はなぜ非難されないんでしょうか。

天理市なんて、天理教から来ていると思うのですが、天理教じゃない人はどう思っているんでしょう?
もし、私が住んでいる市町村が「幸福の科学市」とかだったらと思うと、天理市に住んでいる人がなぜ平気でいられるのか理解できません。
行政機関の名称が新興宗教の名前であるなんて、政教分離に違反する創価学会と同じくらいとんでもないと思うんですが・・・。

ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。

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A 回答 (7件)

No6の補足です。


私は、
>創価学会が批判されていることに関して言えば、
と書きました。他の団体は詳しくありますん。
破門されたのは「日蓮正宗」からです。

創価学会が、日蓮(正確には富士興門流)、法華経に依拠してないだろうと思われるのは、挙げれば切りがありませんが、

まずは、個人崇拝に陥っているところです。日蓮は「依法不依人」で個人崇拝を戒めました。
実質は池田さんが教祖の宗教とも呼べないものです。

(1)広宣流布祈念文では、池田さんは仏壇に向かって報恩感謝されています。(池田さんが創価学会の形式に従えば自分で自分に感謝していますが。)
(2)会則では、池田さんは、生きたまま「永遠の指導者」です。
(3)新人間革命では、池田さん=日蓮ととれる・・。

実質日蓮ではなく、池田さんが教祖です。

これは、統一教会、顕正会、に見られる傾向で、カリスマ的な指導者の意図の元、教祖に都合にいいように教義を強調して主張します。
この団体も批判されていると思います。

問題のある団体に多いのです。

また、基本的に、学会員の行動、新聞、寸鉄には、「安楽行品」の法華経の行者の行いが欠如しています。

挙げればきりがありませんが、
ネットの世界では限界があります。
一度東京信濃町にいかれては如何でしょうか。異質度は天理市よりありません、そこの学会本部近くの本屋に行って見てください。

日蓮関係の著作は、奥の方で少ししかありません。
一番多いのは、池田さんの行動を讃えるもの、いかに折伏するか?いかに創価学会は素晴らしいか?ばっかりです。

質問では、新興宗教ということでしたが、
新宗教は、元になる教義すらないのが現状だと思います。

最後に、
貴方は、ごく自然に疑問に思って質問された、学会の方ではないとおもいます。

もし、信仰されていて、質問者さんのように、学会員さんがいうのなら、「本朝の外道」です。
また、批判される原因は週刊誌にあるというのは、原因は外に求めることになります。
もはや、日蓮門下でも、宗教ですらないでしょうね。
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NO1です。


創価学会が批判されていることに関して言えば、
創価学会が批判されているのは、実は「日蓮仏法」を理解していないからです。法華経を良く読まれていないからです。

それだけです。

この回答への補足

ありがとうございます。

>>創価学会が批判されているのは、実は「日蓮仏法」を理解していないからです。法華経を良く読まれていないからです。
だから、日蓮宗を破門されたんでしょうか。あれだけの人数がいて、法華経をきちんと読んでいる人がいないとは驚きです。

他の仏教系の新興宗教は、すべてもともとの宗派の教えを完璧に理解して、その通りの活動をしているから非難されていないということですね。

補足日時:2007/08/03 08:38
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>政教分離に違反する創価学会


これは無認識・無知なんでは!そもそもアメリカの大統領選挙でもキリスト教の政治活動は有名ですよ!逆にヨーロッパなどではキリスト教徒でもない無宗教の人を探すのが難しいのではないのではないでしょうか?

歴代の内閣法制局長官談話答弁では「政教分離」原則は「宗教団体の政治活動を制限するものではない」「(宗教団体の政治活動は)表現の自由の一環として尊重されるべきだ」とあります。
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多分あまり表に出ていないだけで、その地域の方からの非難はあると思いますよ。

なぜ創価学会が非難を受けてるイメージが強いのかというと、創価学会は全国どこにでもあるからだと思います。世界中にありますので。その分、表面に現れ易いんじゃないですかね。いい話は広まりませんが、悪い話は広まるのが早いですし。天理市=天理教と思われがちですが、実際のとこは違うのかもしれませんね。
それと、政教分離ってよく言う方が居ますが、よく調べてみると私たちが思っているような意味合いじゃないんですよね。信教の自由って言葉も出てくるので。時間があったら調べてみてはどうですか?
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因果応報。



日頃の行いが良ければ民衆から支持されます。
忌避されたり唾棄されすのは日頃の行いが悪かったからでしょう?

 そ れ だ け の こ と で す 。
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この回答へのお礼

でも、他の新興宗教の非難が全然やらないのは解せませんよね。

お礼日時:2007/08/01 23:34

>新興宗教はよく非難されますが、創価学会の創価高校・創価大学に比べ、同じく新興宗教である天理教の天理大学・天理高校、PL教のPL学園、金光教の大阪金光高校はなぜ非難されないんでしょうか。




他人を非難するものは、自分も非難されるという法則があります。
他人に為した思念、行為は、自分に還ってくるのです。こういった法則をカルマの法則とか、原因と結果の法則と言い、古来より多くの方が、この法則の存在を指摘しています。

創価学会は他宗を邪教と非難し、邪宗を信奉する家庭には、仏罰として身体障害者が生まれるとまで言っております。

天理教やPL教、金光教は、比較的穏健な性格を持つ宗教団体のようで、さほど他宗を非難していません。

こういった違いから、創価学会が非難を浴びているのだと理解しています。
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この回答へのお礼

>>創価学会は他宗を邪教と非難し、邪宗を信奉する家庭には、仏罰として身体障害者が生まれるとまで言っております。

うーん・・・、そんなこといったら当然批判されますよね。ただ、言っていても実際にそんなことが怒るわけないので勝手に行っていろという感じですが、市の名前になることを批判しないことのほうが気持ち悪いですね。

お礼日時:2007/08/01 22:11

もともとは教団側は「山辺市」を推薦していたそうです。



昭和29年に誕生したそうですが、おそらく、豊田市の例のように、行政側に理があったのではないでしょうか?

私は、石上神社を見にいった際、市の中央部を通りました。信者さんの泊まるところが県別に建物があるのが見えました。

祭祀施設も神社?ともいえないような不思議な建物でした。

これは私の印象ですが、
信者さん以外は居心地が悪いような気がします。

車で通ったのですが、信者さんが交通誘導していて、こっち、こっち、という感じで施設に案内していたみたいですが、私たちが信者ではないと判るとバツが悪そうに謝っていました。
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この回答へのお礼

>>私は、石上神社を見にいった際、市の中央部を通りました。信者さんの泊まるところが県別に建物があるのが見えました。

うわぁ、最悪ですね。税金(市民税・住民税)を納めていない宗教団体が市の名前になって、市に広大な敷地を持っているとは・・・。

一切批判されないとはPL教、天理教はおそらくマスコミ(創価学会をよく批判する週刊誌等)にとんでもない圧力を加えているんでしょうね・・・。

清原・桑田・中日福留選手・柔道の野村選手など結構好きだったんですが、彼らのことが気持ち悪くなりました。

創価学会よりも天理教・PL教の方が恐ろしい・・・・。

お礼日時:2007/08/01 22:07

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非文明的な生活を送る宗教(組織?)の名前

「文明的なものをいっさい使わない人達がいる」「その人たちの目は死んでいるように思えた」「心に傷を負った人が行き着く場所」「退廃的?」「カナダ?」

ずっと昔に上記のような文章を見たような記憶があります(あるいは別の表現かもしれませんが、意味するニュアンスは似てると思います)。その宗教(もしかしたら、ただの組織かもしれません)の名前を知りたいのです。一応、WIKIPEDIAで宗教一覧から探したのですが(ざっとですが)、それらしい生活を送る宗教はありませんでした。Googleにて「宗教 非文明的 生活 名前」のようになんとなく頭にある言葉を並べても、まるで見当違いの情報がでてきてしまって、あとはどう調べればよいのかわかりません。そこで、質問させていただきました。

本当にうろ覚えなのですが、よろしくお願いします。宗教名がわかれば、あとは本部支部の所在地は恐らく自力で調べることができるかと思います。

そういった人たちとの会話は、きっと自分にとって良い経験になるのではないか、と思いました。

Aベストアンサー

「文明的なものをいっさい使わない」「宗教的」北米、という記述から、アーミッシュだと思いました。
Wikipediaのページを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

文明的な機器を否定して自給自足の生活を送る素朴な宗派です。
教義を厳格に守るためか俗世とほとんど接触がなく、非常に禁欲的な印象を受けます。
宗教はキリスト教だと思います。

死んだような目、というのもすさまじい表現ですね(^^;

Q創価学会も新興宗教?

あれだけ有名で信者数も多い創価学会ですが
「新興宗教」に分類されるのでしょうか?

Aベストアンサー

創価学会の設立は1930年頃。
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現在の宗教学では、1970年代以降に台頭してきた宗教団体の事を新興宗教と呼ぶ学者さんが多いので、この考えだと新興宗教ではないようですね。

一部の宗教学者さんの間には、二次大戦後から台頭してきた宗教団体の新興宗教とする説が根強いので、そこから考えると学会も新興宗教と言えます。


ただし、学会は1991年に正式に日蓮正宗から破門されています。
そう言う意味で、学会は新興宗教と言えるでしょうね。

宗教団体なのか政治団体なのかわからないですが。

Q宗教の本質

宗教の本質

哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

1.宗教の発生時期
  宗教は人類の誕生とともに自然発生的に生まれました。
  どのような原始社会においても宗教は発生しています。
  宗教の生まれていない地域、社会は皆無といってよい。

2.宗教の種類と数
  宗教は全世界に溢れています。
  その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
  また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。

3.宗教を構成するもの
  宗教は神、天国、地獄の3つの概念により構成されます。
  この3つの概念を備えない宗教は存在しません。

4.宗教の宇宙観
  全ての宗教は有限宇宙観に支配されるものです。
  すなわち宇宙はある一時期をもって開始し、その広がりは有限であると。

5.宗教を動かすもの
  宗教は心地良いものです。
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  酒を飲むと心地よくなるのと同様の現象です。
  もちろん酔いが醒めると辛いものが待ち受けておりますが、宗教も同様であることに説明の必要はありません。

6.宗教の目的
  宗教はもともとは人間社会の統治の道具として生まれました。
  これは古代エジプト王国などをみればよく分かることです。
  大勢の奴隷を効率よく統治管理するための道具として有効利用されたのです。
  この状況は根っこの部分においては現在でも全く変わっていないと言ってよいでしょう。
  国が宗教を擁護するのもこのためです。

7.宗教の未来
  統治の道具としての宗教の力は既に失われています。
  これは近代科学、近代文明が発達した結果としての自然の成り行きなのです。
  それと同時に宗教を支配した神、天国、地獄の3概念もそのイメージが次第に弱まってきました。
  つまり宗教の役目は失われつつあり、既に宗教の時代は終わったといってよいでしょう。

8.宗教の次にくるもの
  それは真理の探究であり、思想と哲学の時代です。

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哲学について考えるとき必ず付いてまわる宗教とは何か「宗教の本質」について考えた結果、以下の結論に至りました。

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続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持っている守備範囲を表すもので、どれもその核心を突いているわけではありません。
「未知の物に説明を与える」ということに関して言えば、宗教は説明以上に謎を呼びます。スーダンのザンデ人のあるお宅の屋根が崩れました。すると、ザンデ人たちはすぐに妖術師の仕業であると疑い、説明をつけ始めた。この時ザンデ人の宗教を研究していたエバンス・プリチャードは、屋根の所にはシロアリが食っているのだから屋根が落ちた原因は妖術師ではなくシロアリの仕業だと指摘します。しかし、ザンデ人はシロアリが原因であるや建物の老朽化などのことは百も承知であったが、シロアリに関心を寄せませんでした。彼らの関心事は「なぜ今その人が屋根の下にいる時に、屋根が落ちたか?」という理由でした。これが適切な「謎」であれば「宗教は未知の物に説明を与える」ということもいえるでしょうが、そうではありません。宗教自体が新たな謎を呼んでいるのです。一休禅師の歌の中にも「釈迦といういたずら者が世に出でて世の諸人を迷わせるかな」なんて歌を詠んでおられますが、このような点からも宗教はただ説明を与えるだけではないことが伺えます。
「宗教は安心を与える」というのは前述の通りそれだけではありませんし、「宗教は秩序を与える」というのも秩序を壊すのも宗教であったりします。また、「宗教は妄想である」というのも、私達は妄想と隣りあわせで生活しているわけで、「もし」や「シュミレーション」や「遠く離れた恋人の思い」であったり、その妄想から力を得ることもありますが、そういうことには言及されないことが多い。どの説明でも不十分なのです。
それを前提において考えますと、私としては一番それらしいかなと思っているのは、認知科学的な方面からの研究によれば宗教の本質は「人間の認知機能の表象」であると考えられています。分かりやすく言えば「人間は宗教的なものを感じるように出来ている」ということです。前々回の回答の中でも記したように、人間の行為者の過剰検出であったり、それを安定した形で定着させる機能だあったり、前回の中に記した推論機能であったり、数多くの人間の認知機能の表象として宗教と言うものがあるという説明です。
しかし、私はこの回答では宗教の本質というより「人間の本質」の問題であるように思います。では宗教の本質とは?「いろいろ」です。刹那的にみれば、一つの宗教から、多くの宗派が生まれたように見えます。ここから一つの宗教から多くの宗教が生まれたのだから「宗教の本質を答えることが出来る」と考えるのが自然なように見えます。しかし、文化人類学や進化心理学においては「多から少」、質問の中にも
>>その数は分類のしかたにより数千とも数万とも数百万ともいわれています。
>>また宗教は人の数だけ存在するという人も多数います。
とあるように、宗教は歴史的な多様化ではなく、数限りない宗教の絶え間ない自然淘汰による凝縮の結果と考えられています。私もこのように考えます。
 つまり、「人間の認知機能」という共通ですが、その対象が違うのです。砂漠における砂の認識と、湿原における砂の認識は違っているわけですから、同じ砂を信仰対象としたとしても、共通点はあってもその本質は違っています。だからこそ日本には宗教全般を表わす「宗教」という言葉が存在しなかったのはそのためです。日本の分類は「仏道」「神道」「儒学」「キリシタン」という括りまでです。なぜなら、それぞれの「本質」が違うことを意識せずとも知っていたからでしょう。つまり、宗教の本質は「いろいろ」ということです。

 しかし、この答えでは満足いかないでしょう?そうでしょう。書いている私が満足してません。説明としては不充分なのです。けれども、だからこそ学ぶのです。「宗教」について語られたものは、宗教学、神学はもとより、歴史学・文化人類学・認知科学・進化心理学等々多岐にわたります。今の時代、調べれば知ることが出来るのに、それをしないのは怠惰以外の何者でもないと私は学び続けています。
あなたのような熱い方とお話が出来て嬉しく思います。ありがとうございました。
 ただ、お答えにはなっていませんね。申し訳ありません。
合掌 南無阿弥陀仏

続けて失礼いたします。
>>私の提示したものに一々否定したり、不十分であると述べたりするばかりで何ひとつ自身の答えを示そうとはしません。
 認知科学のパスカル・ボイヤー氏は宗教をひとくくりにして説明してしまうことはよくやれられるがこれ間違いだと述べておられますが、私も同意見です。よく、「宗教は未知のモノに説明を与える」とか「宗教は安心を与える」「社会に秩序を与える」、または「妄想に過ぎない」と説明を加える方が居られます。しかし、それは「宗教」という言葉のあらわすものが持って...続きを読む

Q創価学会は最初「創価教育学会」だったはずが、後に「創価学会」

創価学会は最初「創価教育学会」だったはずが、後に「創価学会」
と改名しましたが、その理由は教育より信仰の方を重きに置いたか
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Aベストアンサー

#2です 補足です
創価教育学会の教育の意味ですが、基本は初代牧口会長の価値論に基づく創価教育学大系の研究・普及にあります
(一般的な教育の意味ではないので注意が必要・・牧口会長の主張する教育論を指しています)
それで当初は教育者が中心の研究会のような物から始まっています・・この時点では日蓮正宗(信仰)との関係はありません
その後、牧口会長が日蓮正宗の教義を知る事となり、日蓮聖人の教えを信仰する事が人間的価値の創造に繋がり、自らの教育論(創価教育学体系)をより効果的に実践する事が出来るとの想いにより、会の中に日蓮正宗の信仰を広めていった物です
戸田2代会長が再興した創価学会の主目的は日蓮正宗の信仰を広める(日蓮聖人の仏法を広める)事による民衆救済が主目的で、牧口会長の創価教育学大系の研究・普及には言及していません・・実際の所これに関しては会の指導としては特に行なわれていない・・実質は棚上げ状態(場合により価値論が取り上げられる位)
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Aベストアンサー

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち徹底してその本質まで考える癖はついていました。

だからといってこの人生について解ることは、徹底して考えるほどに自分の未熟さ、青二才ぶり、甘さ、どうしようもなさ、小ささ、木の葉のような状態でしかなかったのですが、  自分の中では、これが60歳になってみて(50歳ごろ全体的にまとまったのですが) 物事は総合的にかんがえると(人生のことがらすべてをなのです。このOKウェブのカテゴリが無限にあるわけではないことから、60歳の思索者のそのへんを想像していただけると幸いです。)人間の能力はけして何もかも出来る可能性なんて持ってはいないけれど、 A地点からB地点までの一歩一歩の旅ならば必ず答えが見えてくるそういう確かな「可能性の大地」という世界、 つまり深く本質的にそして広く総合的に考えれば必ず 次への見とおしならば開けるはずで その頂点であるべき思索開拓の道が本来哲学であるはず、→ すなわち、この相対的は世の中にて、諦めていいような問題は存在しない。 哲学がそこにある限り、常に前進への道はあるはず。 という考えにいたっているというわけなのです。

宗教の問題に限らず、憎しみの連鎖の問題、生物の弱さの問題、医学の進歩の問題、経済の問題、外交のあり方の問題、大きくて不可能に思えてしまう問題も、 けして諦めてはならない。 哲学が諦めたらもちろんすべては絶望しかないのでしょうが、そんなことはありえない。という考えだということです。 

今では、論理以上に「諦めない心」のほうが大事と思えるほどになっています。

ジョンレノンでしたか「宗教の無い世界を夢見てごらん、国境の無い世界を夢見てごらん♪」といった歌詞(くわしくは知らないのですが)の「夢」を音楽と詩で語っていますよね。

夢は 音楽哲学にしろ、言葉や詩の哲学にしろ そこから生まれたさらに進化した音楽や詩や文学にしろ、 裏のその哲学がどこまで煮詰められているかによって 実現へと近づいてゆくという理論もなりたちます。

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へんな自己紹介ですが、ここまでをここでの自己紹介とさせていただいます。

紙数の都合で 回答自体はANO15まで筆を伸ばします。(一応最初の回答という形ですが)

***
 paradox8様の質問文に直接対応した回答は次のANO15(から)となりますが、 まだ紙数がありそうなので、付け加えます。

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また哲学の歴史自体が、何か個とか個性というあたりでもしかしたら へんな曲がり方をしてきてしまったらしいことも聞いています。  個とい概念はとても大事な人間性についての思索なのですが、絶対個という概念を 文字通り「絶対」に通じ合えないのだからそれが故にお互いを尊重しあうことが大事なのだとかいうふうな簡単な考えでまとまってしまっているらしいことも聞いています。

 アカデミックな哲学が こんな地点から抜け出せないでいるというのが事実であるなら ちょっと信じられない世界です。

学者の卓上の論理というのは もしかしたら、生きる必死さ、真剣さに欠けているのかもしれませんね。 それだから この宗教の問題にも哲学が答えられなくなっているということなのかもしれません。 ここにそのような推理が働いてしまう者です。

でも、本来 人間の哲学の可能性を哲学すれば、深く広く総合的、本質的、厳密に考えれば そんなはずないと思う者の 私はもちろんその一人です。

私自身は、諦めません。  つづけます。

そちらの質問は、“本来哲学が忘れたり、諦めたりしてはならないはずの問題”というふうに、 私はなのですが、 本気で思っています。

ごめんなさい。馬鹿にされてしまうかもしれないですが、その本気さの出どころを正直に書きます。 そのあたりの自己紹介を先に書きます。

わたしは、肉体労働者でほとんど本とか読んでいません。 アカデミックな哲学の世界の歴史とかを知らない人間なのです。
しかし、子供の頃 差別といじめから体を壊し何度も死の床をはいずった体験からか、物事を考えるのにいちいち...続きを読む

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創価学会の初代会長、牧口常三郎氏が創価教育学会を打ち立てて後、日蓮正宗の信仰を付け加えたのはなぜでしょう?  従来の考えでは足りなかったのでしょうか? また、創価教育学会と日蓮正宗、その考え方に共通点があったのでしょうか?

Aベストアンサー

199012です。すみません。又補足します。信徒団体である創価学会に教義なんかあるはずがないのです。
日蓮正宗から仏法の教義を賜り民衆に正しく広めて来ました。第三代会長になると創価大学が出来ました。
あくまでも信徒団体創価学会が経営で日蓮の仏法に大学を建てなど一切ありません。この第三代会長がやがて名誉会長になり学会も普通預金何十億(マスコミ報道)になった。そしてそれまで教義を頂いていた日蓮正宗の僧侶を中傷、誹謗するようになった。日蓮正宗は平成2年、信徒団体創価学会を「破門」処分とした。そこでこの創価大学出の若い弁護士が出て来た。これを学会の「総体革命」、政界、法曹界、マスコミ、警察、全部創価大学出を送り込んでいます。

Q総合格闘技団体みたいな、総合宗教団体を作りたい。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
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それで、思想の違いから意見の対立があるから、
宗教オリンピックを開いて、宗教論争の戦いをやる。宗教の専門家に審判をお願いする。
もちろん、これが元で宗教戦争になったら困るので、言い争っても、テロとか、やらないように、論者に頼んで、また信者にも頼んで、合法的な活動にする。
それで、相手を批判したり、自分が批判されたりして、自他共に、良い所、悪い所を認めあい、自分の宗派や派閥を、良い物にして行く。

これは、どうでしょうか?面白いんではないでしょうか?

柔道的な発想です。
嘉納治五郎も、その昔、柔術が無くなって行くから、柔術を総合し、人道を加えて、柔道を作りました。

それなら、宗教から、宗道べの時代が、やって来てないですかね?

少々無理があるかもしれないですが、回答を、よろしく、お願いします。

最近、宗教の事を身近に感じます。
少し無理が有るかもしれないですが、すべての宗教をまとめる宗教団体を作りたい。
総合格闘技みたいな。
宗教法人、宗教研究会とか、宗教法人、総合宗教団体オールとか、宗教法人、宗教オリンピックとか、宗教法人、宗教交流会とか、宗教法人、宗教すべてオッケーの輪とか、宗教の宗派や、派閥は、あっても良いけど、宗教は宗教だから、みんな一つの輪だから、思想も色々あるが、とりあえず一つの輪になって、宗教活動したい。
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Aベストアンサー

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Aベストアンサー

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造をするモノになるより、創造されたものを大量消費するモノの方が圧倒的多数。
創造する人はマイナー。


キリスト教を例にとると、人々はいい宗教だからと 自らの自己決定で選んだわけではない。


学校には制服があるじゃないですか。
学校に自ら作った服を着ていかず、既製服を着ていきますよね。
それと同じように、時の支配者が創造したというか、ミックスした宗教を、被支配者階級に「これを着なさい これ以外は学校では着てはいけません」というように、「これを信仰しなさい。これ以外の信仰はしてはいけません」となったわけです。


どうして支配者は、キリスト教を選んだのかというと、被支配者の頭を上げさせないため。
押さえつけて支配者に服従させるため。

という側面と、集団を一つの宗教だけ信仰させることで、統一し纏め上げることが容易になるから。
散らばっている羊より、固まっている羊の方が、扱が容易ですよね。


ぜんまい仕掛けのおもちゃみたいなもの。
創造者、支配者、そして設計者でもあるその者の思い通りに、宗教を使えばできてしまう。

それに気づいたローマ皇帝たちは、だからキリスト教を使用して、領土を拡大することに成功したわけです。



従って、どの宗教が集団のメジャーとなるかは、支配者が利用価値があるとして使用するかどうか次第。


考えてみてください。
「あれは敵だ」と戦争を支持する者の息子は、決して戦場にに行くことはありません。
人々は国のため、神の正義のため という言葉によい知れ、奮起させられるが、決して支配者の息子が戦場の前線で国のため、神のためと戦うことはありません。
つまりその宗教の価値があるとしているのは、それがすごい物だから信仰すべきだとしているのではなく、自分の世界を拡大するために利用価値が大いにあるとしたから。
だから利用価値があるから支配者は利用することとなった。
利用しても成功しなければ、利用しないまでです。



神の正体とは、人間であり民を支配している者。
その者が利用価値があると選択した宗教が、メジャーになるわけです。


人々はその者が創造した商品を大量消費することに楽しみを感じる。
大量消費からブランドとして、価値を付加するわけです。

ブランドの誕生は、支配者が使用するようになってから、ブランドとして名が通り、高い値で取引される。

手作りで、職人が作るわけだが、人々の関心は、それを消費することであって、メーカーのように創造・製作することを楽しみたいからではない。
信仰とは消費と同義語。



仏教だって支配者が選択したからだし、神道だって支配者の都合で各地に伝わっていったわけですし。

人々は被支配者が決めた服を着て(消費して)喜んでいるだけ。



物を作っていた時代から、交換になり、消費がはじまり、大量消費になり、創造に興味はもたず、今はブランドに興味を持つようになったという人間の進化の過程を、宗教に置き換えて考えてみました。

人間の特性を知れば、解ける問題ですね。
そして人間の特性を知った人は、利用し勢力を拡大していった。
気づき利用したことで、自分が中心となる王国を築けた。

マイナーがメジャーになるきっかけは、やはり支配者の決定じゃないでしょうか。


古来 人間はモノを創造していた。製作していた。


今のように大型量販店で、できあいのモノを買うのではなく、自ら作っていた。


各地で特産ができて、自分たちには無いものを、自分達独特のものと交換していた。
無いなら作ればいい から 作らずに品物を手に入れる方法として物々交換をしていたわけです。


そういうわけで、創造から今では人間の特性は消費に進化したわけです。


従って今では、創造を...続きを読む

Q俺も創価学会のように宗教で一儲けしたい!

ナンマイダ~お札何枚だ~w
いくら儲けようが一般法人と違いほぼ、法人税がゼロな
宗教は、日本に置いては、限りなく完成された商売だと
私は思います。

宗教商売のサクセスストーリーを
妄想込みでプロデュースしてみて
下さい。
銭が欲しい><金を恵んでくれる
アホな信者は、どうすれば集まるの?

センチメンタルに神を冒涜するで
ない見たいな回答は要らんで!

Aベストアンサー

どんなジャンルであれ、ひとかどの人物になろうとするなら才能は必要だと思うのですよ。詐欺師となるなら心理学(駆け引き)に長けていないといけないですし、株の相場師として一儲けするなら勝負師としての才能が必要です。
で、新興宗教で一儲けとなったら、やっぱり必要なのはカリスマ性ではないでしょうか。TVタレントも「なんとなく好き」「なんとなくいけ好かない」ってあるじゃないですか。だからこう人と会ったときにパッと他人を惹きつけるカリスマ性は絶対必要だと思います。
あの麻原だって、TVに出てたときは「ユーモアのあるおじさん」という感じでしたよ。まだ若かった私なんかまんまと「この人は本物だ」って思いましたもん。

そして次に必要なのが、宣伝してくれる参謀役の弟子でしょうね。だいたい教祖本人が「私はスゴいんです」といったら全然効果がありません。整体屋さんなんかも、「あの先生はスゴ腕なんですよ!」って誰かがいうから「へー」ってなるんであって、自分が「俺はスゴ腕だ」といっても「うさんくせえ」としか思わないでしょ?
「ウチの教祖様はスゴいんです。こんな奇跡を起こしました。あんな出来事を予言しました」と宣伝してくれる人が必要でしょうね。それで本人にカリスマ性があれば、「なんか噂どおりの人だった」と思われるって寸法です。

大真面目な話、宗教的なものは「本人ではなく、弟子が残した人が生き残る」そうです。論語も編纂したのは弟子です。だから、「師曰く」から始まりますよね。仏教も、ブッダの教えをまとめたのは弟子です。もちろんキリスト教も聖書は弟子たちによって書かれました。だから自ら霊界通信をされている某教祖様は彼がお亡くなりになったら下火になっていくでしょうね。誰か優秀なお弟子さんが「教祖様から霊界通信でお言葉を頂きました!」とやれば話は別になるでしょうけど。

個人的には、人たらしができない人には教祖様は務まらないと思います。

どんなジャンルであれ、ひとかどの人物になろうとするなら才能は必要だと思うのですよ。詐欺師となるなら心理学(駆け引き)に長けていないといけないですし、株の相場師として一儲けするなら勝負師としての才能が必要です。
で、新興宗教で一儲けとなったら、やっぱり必要なのはカリスマ性ではないでしょうか。TVタレントも「なんとなく好き」「なんとなくいけ好かない」ってあるじゃないですか。だからこう人と会ったときにパッと他人を惹きつけるカリスマ性は絶対必要だと思います。
あの麻原だって、TVに出て...続きを読む


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