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歎異抄の13章の、さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし、っていう親鸞の言葉にはどんな意味がふくまれているんでしょうか。どうか意見をお聞かせください。   

A 回答 (1件)

 「海河に網を引き、釣りをして世を渡るものも、野山に鹿(しし)を狩り、鳥をとりて、いのちをつぐともがらも、あきなひをもし、田畠をつくりてすぐる人も、ただをなじことなり…」に続く部分ですね。

この少し前には、親鸞が唯円に「人を千人殺せば往生できよう」と言う有名な箇所があります。途中ははしょりますが、「往生のために千人殺せと言われても、実際には一人も殺せないのは、自分がそのようなことをする業縁を持たなかったせいだ」と続きます。それに続けて、猟師や漁師や商人らの生き方を列挙して、ご質問の箇所です。
 文脈に照らせば、
「そういう運命のもとにあるならば、人はどのようなことでもするにちがいない」
というほどの意味になるでしょう。
 中世の頃、商人や漁師・猟師は視されていました。が、彼らとても「業」の故にそうした仕事で生計を立てているのだから、それは仕方がないこと。むしろ、そういう「業」の深さゆえに、「よきひと」よりも弥陀の本願に近いのだ、という内意だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。助かりました。

お礼日時:2001/01/27 03:23

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