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神の存在を証明しようとした人は歴史上数多くいますが、
今日までに行われた存在証明で最も理論的な証明は何でしょう?
証明を行った人とその方法を教えてください。

"いる"でも"いない"でも結構です。
また、いくつか挙げていただくだけでも結構です。
また、ご自分の論でも結構です。
ただし、論理的な証明のみでお願いします。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

一神教と多神教にしろカルトにしろ、矛盾を含む創造主とは別にいる存在(グノーシス主義的な最高位の神)にしろ、人知のあらゆる性質においてすべてを超越した絶対的で矛盾の無い世界を定義するための概念だと思います。

(多神教の神は日本や北欧の神にしても、人間味があるので、何かを超越した存在ではありませんが、古代の人が身の回りの世界を捉え、説明して分かったつもりになるための概念だと思います)だから、この世や自分の存在意義が分からない人は、その概念を信じて、拝んだりするのだと思います。

http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/0000ginotaiyou2 …
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/0000ginotaiyou3 …

色々と本を読んでいて、ゲーデルの不完全性定理を考えたチャイティンという人に興味を持ちました。このサイトによると数学者なのに、神がかり的な言葉に収束していますね。あとグリムの定理というのも面白いですね。現代思想的なのは、このあたりの人でしょうか。量子力学はもとより数学においても運命(+宿命)は予測不可能はおろかということでしょうか。私は文系でも理系でもなく、ただ自分が神になりたいだけの凡人なので、詳しくはわかりませんが。
「システムSにおいて、そのランダム性を証明不可能なランダム数Gが存在する」証明不可能なランダムGがある。この世は不完全でどの系のシステムにおいても証明不可能な存在がある。宇宙が沢山あっても完全な世界などあり得ないということでしょうか、神の国にも矛盾がある…完全じゃない人間がこの疑問を解いてしまったってことが問題らしいですが…理系の投稿者さんはどのように考えますか。矛盾ない存在が神で矛盾あるシステムならば、創造主すら感知できない未来へと向かっていて、自由意思で未来を変化できるそうです。

結構今売れている、ドクター苫米地の新・福音書、この本に小難しい数学論が書かれていました。自分には消化できません。内容が不完全でしたらすんまそん。

http://www.tomabechi.jp/archives/50358165.html
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真偽の証明と言いますが、そもそも「真偽」なる意味に2種類あるということがカントによって、明らかにされたそうです。



その2種類とは(イ)「分析的真義」と(ロ)「総合的真偽」です。

(イ)は、その言質に対する言葉の構造だけを論じるだけで、それが「真」であるか「偽」であるかが決定できる類の「真偽」です。
例えば、「私が馬鹿だったら、馬鹿でないのは私ではない」というのは「分析的真」です。数学の論理は全てこの範疇に入ります。

(ロ)は、その言葉をどう分析しても「真偽」が決定できない類の「真偽」です。それを確認するには、実験して見なければ分からない。
例えば、「私が持ち上げているこの石を手から離すと下に落ちる」というのは「総合的真」です。これは理屈なしに正しいようですが、人工衛星の中で手を離しても下に落ちません。自然科学の言う「真偽」は全てこの範疇に入ります。

カントは「証明した」という主張に、このようにまるで違った2種類があることに気が付いたので、その応用問題としてさっそく、その当時までにバチカンで公認されていた十幾つかの「神の存在の証明」を分析したそうです。その結果、その全ての証明が(イ)の分析的真であることを示したそうです。

このカントの発見により、数学は言語学と同じ人文科学であることが明らかになり、数学は自然科学の一分野ではないとされるように成りました。

私はまだ「神の存在」の総合的証明を見たことがありません。
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デカルトの神の存在証明は、端的に言えば、以下のようになります。


つまり、<神>という<完全なもの>が人間という<不完全なもの>に由来するはずがなく(神とは人間の観念によって生み出されたものである)、従ってそれは人間以外の完全なものからやってきていると考えるべきである、というものです。
デカルトのこの考えは

完全>不完全

という素朴な図式を強引に論理にあてはめたもので、はっきり言って説得力に欠けるように思います。

しかし彼の哲学の眼目は<知>の領域をそれまでの伝統的な神学的な拘束から開放したという点にあるとされているので、この命題の真偽に意味があるというよりこの命題を立てること、それ自体に意義があった、と看做すのが正しいようです。

ご参考になれば^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、説得力に欠ける証明だと思います。
そもそも、完全な物が不完全な物を作るという事はそれは完全ではないという事だと思ってしまうのですが・・・
どうでしょう?

お礼日時:2007/08/24 11:57

No1です。


他の人も意見欲しいですね。

考えている自分という存在を、論理的に証明することが出来ない、という意味もあると思います。
そのためには我という存在を相対化する超越的な存在が必要である、と推測できませんでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

それは証明ではなく、超越的な存在がいる気がするという事なきがします。
私が理解不足なだけかもしれませんが・・・

お礼日時:2007/08/24 11:55

我思う、故に我あり。


この言葉、神とは言いませんが、超越的な存在の実在を語っているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

この世で絶対に存在する事は『私が考えているという事』だけだという意味だったと思います。
ここから、超越的存在を証明する事が出来るのでしょうか?
よろしければ詳しく教えてください。

お礼日時:2007/08/23 17:07

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