性格いい人が優勝

政治家やマスコミの人のように、平和などの理念をもとに発言をし、主義など鮮明にする必要のある立場の人ならわかるのですが、そういう立場でもないのに、戦争=悪・平和=善という信念にこりかたまっていて、現代の価値観をやたら歴史に持ち込んだりして、歴史の見方に偏りのある人がいます。
こういう人と歴史を話題にするときの注意点を教えてください。


日本の近代をやたらに弁護して、無理のある発言をする人もいますが、こういう人よりも理想家や平和主義者のほうの対処法をお伺いしたいです。というのは、彼らは普遍的な価値観をもとに発言をしている、という考えをもっているせいか、かなり度し難い印象を受けるからです。

A 回答 (6件)

一般論としての「戦争=悪」「平和=善」は分かります。

ただ、困るのは「戦争=悪」が「軍隊=悪」に発展することです。
これは余りにも短絡的です。
戦争にも自衛戦争というのがあります。ヤラないとヤラれるのです。
「この人たち(兵士)には罪はない。悪いのは指導者層であり、この人たちにも愛する家族がいるのだ・・・」なんて考えている間に撃たれてしまいます。万一の場合には、ためらいもなく撃たなければなりません。
自衛システムに自信があるからこそ、外国(列強国)にモノが言えるわけです。そうでないと外国の言いなりになります。これでは形式的な国家主権は持っていても、真の独立国家とは言えません。

ま、いずれにせよ、「現代の基準で過去を裁くな」ということでしょうね。
ご質問者様のおっしゃる「平和主義者」というのは、往々にして「過去は暗黒だった」というような方々が多いですよね。
でも、それは現在の基準ではそうかもしれませんが、そんな基準(概念)がなかったころはそれが当たり前であり、庶民は意外に普通に(当時の基準で普通に)生活していたと思います。
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あの太平洋戦争もアジアの解放戦争だったという見方ができます。


欧米諸国が白豪主義を推し進め、近代に入ってからアジアを武力で植民地化したので(インド・清などに始まる)日本軍が勝率の無い戦争であそこまでねばったのでしょう。

まあ、日本軍が「アジアを開放するぞ!」とやったわけではないと思いますが(そーだったらこんなミソクソ言われない)、欧米に不満を抱いていたのは確かでしょう。


しかも、あの戦争がなければ日本は生まれ変われなかったでしょう。
そして世界に原爆の恐怖を身をもって教えたのです。

ナチスの収容所での生体実験は日本の七三一部隊の研究成果とは違いきちんと生かされていますし。

何よりも人類と社会が変化するのには大きな混沌が必要なのです。
それは「大化の改新」や「攘夷活動」「フランス革命」などをみればわかると思います。


長くてスイマセンが、第二次世界大戦期の意味を伝えるにはあまりにも短いです。
教科書や資料だけではなく、ぜひインターネットを活用し色々な視点から見たときの意見を見聞きしましょう。
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この回答へのお礼

1.2.3. 具体的・現実的な回答ありがとうございました。
4. どういうわけか、無条件に「政府=悪」て人もいますね。
5. そのときは気にもしてませんでしたが、高校の時の歴史の教師の言動を思い返してみると、完全なレフティーでした。憲法改正派を批判したとき、「明治憲法モ外国人に作ってもらったようなもんだ」とうそぶいてました。
6. 話す材料がなければ始まりません。おっしゃるようにいろいろ調べてみます。

お礼日時:2007/09/03 22:31

質問者様が言われるような人たちは「空想平和主義者」と呼ばれます。


戦後日本で、スターリン独裁下のソ連がスポンサーであるコミンテルン配下の共産党(長いですね)が支配する日教組が、そういう考え方を広めました。米軍の行動や米軍の核兵器には徹底して反対するが、ソ連や中共の軍隊は「正義の軍隊」として、全てを無視するのが特徴です。

戦後の日本には、ソ連が占領した満州や北朝鮮で全てを失って身一つで引き揚げた人たちが100万単位で存在しました。これらの人は、荒廃した日本でゼロからのスタートを強いられ、高度成長期まで貧困に苦しみました。その背後には、満洲や北朝鮮で餓死・凍死、あるいは虐殺され、飢えと寒さの中で現地残留して生き残った日本人非戦闘員が合計で数十万人いました。

さらにソ連によって戦時国際法(ハーグ陸戦法規)もポツダム宣言(日本軍将兵の速やかな復員を約束)を完全に無視してシベリアに拉致され、奴隷労働で多数の犠牲を出した関東軍将兵と満洲で捕まった日本人男性がいました。

そうした人はソ連(社会主義国)がアメリカより遥かに恐ろしいことを身をもって知っていたわけですが、日教組系の教師はそうしたことは一切教えず、「アメリカは悪、ソ連は善」ということを純真な生徒に叩き込みました。そういう人の一例が
http://potthi.blog107.fc2.com/
のブログ主さんですね。「空想平和主義者」のお手本のような方です。職業は地方公務員か教員ではないでしょうか。

空想平和主義者は、学校の先生の言うことに疑問を持たずに全てを信じる「多少頭の良い子」であることが多いので、地方の国立大学に進学して教員や地方公務員になる例が多いみたいです。こういう人が教員になった場合、自分が心底から信じている空想平和主義を真剣に教え子に植え付けようとしますから非常に始末が悪いです。今後も、ある程度の数の空想平和主義者は再生産されるでしょう。

一方、本当に頭の良い子は、日教組教師の唱える空想平和主義のインチキさを見抜きますが、そういう子は一流大学に行って官僚、大企業社員、大学教員、医師などになります。よって、社会を動かす力を持つ人が空想社会主義者である例は通常存在しません。

まあ、空想平和主義者が容易に絶滅しないにしても、そうした人たちの社会での影響力はどんどん減っています。気長に絶滅するのを待つしかないですね。空想平和主義者といくら議論しても「ムダ」です。
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戦争と平和は対義語ではありませんよと言ってあげればいいのです。


戦争状態の対義語は交渉状態
平和な状況の対義語は混沌な状況
交戦の対義語は非交戦
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戦争を避けるために努力すべきであることが国際的な共通認識になったのがいつなのかをはっきりさせることでしょうね。



国際連盟「締約国ハ戰爭ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾シ・・・」(1920年設立)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents …

パリ不戦条約「締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ・・・」(1929年日本批准)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents …

第1次世界大戦の後,戦争は避けるべきだという国際世論が形成され,日本も国際連盟の常任理事国となり,かつ不戦条約を批准してきました。

第2次世界大戦当時はすでに「戦争=悪・平和=善という信念」が国際的に存在していました。だからこそ東京裁判などでは「平和に対する罪」が成り立ちます。
第1次世界大戦以前の戦争にはそのような共通認識は無かったでしょうけど。

ただし奴隷制度を今になって反省するように,過去の間違いを現在の立場で反省することなら可能です。
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平和=善、ということなら別に間違っちゃいないでしょう。


ただ、「戦争してなければ平和か?」とかいえば違いますし、平和と叫んでいても平和なんて来やしないでしょう。

確実にいえることは、価値観の合わない人とそのような話をしないほうが懸命であり無理に論破しようと思わないほうがいい、というところが注意点ですね。
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