電子書籍の厳選無料作品が豊富!

質問です。
脳死は人の死だと思いますか?
今は合法的に脳死になり本人・家族の同意があれば臓器を取り出すことができますが、私は脳死は人の死とは思いません。

理由としては
●心臓が動いている。
●脳死状態の妊婦が出産したことがある(死人が子供を産めますか?)
●脳死状態になれば数日の内に死ぬと言われているが、脳死状態から回復する人もいる。
 他にも色々ありますがこのぐらいにしておきます。

ドナーカードを持つことは「愛の行為」と言ってますが、ドナーカードを持っている人は、脳死・臓器移植について充分な知識はありますか?「愛の行為」という言葉にだまされてなんとなく持ってませんか?
私は臓器を合法的に取り出すために、脳死は人の死と法律で決められたと思います。脳死が人の死ではないと法律で決められてれば、臓器を取り出したら殺人行為になりますからね。

みなさんの意見を聞かせてください。

A 回答 (19件中11~19件)

私はドナーカードを持っています。

そして提供に同意することにマルをしています。家族にもそういうときがあったらぜひ提供して欲しいと伝えてあります。理由?それはズバリ「もったいない」からです。
使えばそれで命が助かる人がいます。けれども提供しなければその人の命が助からない上その臓器はどうなるかって燃やしちゃうんですよ。これをもったいないといわずになんというのか、と思います。
家族などには、もし俺の臓器が使われればその臓器については俺の一部が残ることになる、と伝えています。他人の体の中で私の一部が生き続けるわけです。

臓器提供に反対意見の人も、もし自分か自分の家族が臓器移植が必要な状態になったら臓器移植を望むと思います。
「出すのは嫌だが、もらえるならもらいたい」
これはエゴだと思います。イタリアでは、臓器提供を拒否する人は臓器提供も受けられない、と法律で決まっているそうです。私はこれはこれでフェアなやり方だと思います。
日本では長年臓器移植が認められていなかったのでみんな海外で臓器移植を受けてきました。現在も日本では実質的にはほとんど進んでいません。しかし法律的には臓器移植は認められているのでアメリカなどでは日本からの患者を受け入れるべきか議論があります。反対する人たちは「日本で臓器移植が認められているなら日本で受けるべきではないか。そのためにアメリカ人の患者が一人提供を受けられないのはおかしい」といいます。一理あると思います。どこの国でも、臓器提供を必要としている人たちは長い長い列を作って待っています。誰かが割り込めば、誰かが後回しになります。

>脳死・臓器移植について充分な知識はありますか?「愛の行為」という言葉にだまされてなんとなく持ってませんか?

このご意見に対しては痛烈に批判をしておきたいと思います。なぜなら、質問者さん自身が基礎的な医学知識もないことが明らかだからです。そもそも脳の脳幹という部分が心臓を動かすなどの生命維持を行っています。これは脳の最も奥深くにあるので大脳が機能停止をしてもここの機能が失われない状態があります。これが脳死です。心臓や内臓の筋肉は腕の筋肉などと違って自分の意志で動かすことが出来ません(これを不随意筋といいます)。脳幹の能力が失われなければ臓器は動き続けるということになります。しかし脳死の多くでは自発的呼吸が失われるケースです。この場合、呼吸装置を外すと死んでしまいます。つまり、見方によっては脳死の患者は「機械によって生かされている状態」だともいえるわけです。そしてこういった患者が回復する可能性は極めて低いのが現実です。なぜなら、脳の細胞(神経細胞)は再生しないからです。ですから、脳内出血や脳梗塞などで失われた神経細胞は永遠に失われたままなのです。なので回復する可能性は極めて低いのです。
現代医学では、心臓は臓器のひとつにすぎません。人体を支配しているのは脳であり、脳こそが人を人たらしめているのです。パソコンでいえば、脳死というのはいわゆるフリーズした状態です。キーボードを押してもマウスをくるくるしても全く無反応です。けれども、電源は入っています。これを「故障した」というかどうか、これは議論が分かれます。ある人は「パソコンとしての能力が失われているのだから故障している」といい、ある人は「いいや電源が入っていて状態が維持されているということは中の機械は正常に動いているから故障ではない」というでしょう。
質問者さんはこういった脳に関する基礎知識をお持ちの上でなんとなく持っている人を批判されているでしょうか。

ただし、日本最初の心臓移植であった和田移植から、どういうわけか日本の医師は死の青田刈りとインフォームドコンセントの不徹底が改善されません。先日病気の臓器を移植して問題になった医師がいました。私は彼の行為を完全否定はしませんが、それはあくまで「患者が病気の臓器でもよいという同意があった上」です。それをせずにやってしまったことは理解不能ですし臓器提供を支持する者としては耐え難い裏切り行為です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は何もドナーカードを持つなと言っている訳ではありません。
何の知識も無くなんとなくドナーカードを持っている人がほとんどではないかと思います。ドナーカードを十分な説明もせず配っているという事は非常に危険だと思います。臓器を提供してから、家族が後悔しても遅いですから。

お礼日時:2007/09/10 22:11

 思う思わない、感じる感じない、というのは個々人勝手に決めるものですから、こういう問題については、あまり私としては価値を感じませんね。



 コンセンサス、という意味でその辺のすりあわせをする作業も、政治的には必要なのでしょうけれど。

 知識、という観点からしたら、脳死が人の死です。
 あなたの言う「脳死」の定義がどういうものかは知りませんが、脳機能が停止して回復しない状態になった時点で、その人の人格は消滅します。死とは、このように人格が消滅したことを指すと、私は考えています。
 心臓が動いていようが呼吸していようが、それは単なるメカの動作に過ぎません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>心臓が動いていようが呼吸していようが、それは単なるメカの動作に過ぎません。
 メカの動作に過ぎないというのはちょっと賛同できません。

>思う思わない、感じる感じない、というのは個々人勝手に決めるものですから
 確かにそうですね。人それぞれ意見、考え方は違いますから。

お礼日時:2007/09/10 22:06

>他の臓器は機械化できるかもしれません、


>でも脳はどうでしょうか。

実のところ、人間の脳というのは免疫系統的にはもっともガードされていない個所でして、神経や血管の接続さえうまくいけば理論上は拒絶反応に関しては他の臓器に比べて簡単に移植できます。大変ですけどね。
臓器を入れ替えるよりも脳を入れ替える方が効率がいいのかもしれません。

>極端に言えば、生きている人間から取るのが最適なのではないでしょうか?
まさにそのとうり。
脳死状態の患者から臓器を振り分けるよりも、健康体を処分して移植にまわした方がいいんです。
白血球をはじめとした免疫系統が似通った人を探し出して、うまく処理して臓器移植すれば拒絶反応をかなり抑制できるでしょう。
身近なところでは"兄弟"どうしが免疫系統が近いといわれています。

臓器がほしけりゃ、殺しまくればいいやん。
という理論で動いている国は非常に多いです、特に中国などは・・・・。
今でこそ日本は臓器を買う側ですが、この先どうなるかはわかりませんよ。

この回答への補足

>極端に言えば、生きている人間から取るのが最適なのではないでしょうか?
 考えるだけで恐ろしいです。

補足日時:2007/09/10 22:04
    • good
    • 0

私も脳死は人の死だとは思えません。


心停止になってからが、人の死になると思います。
おっしゃるように、臓器を合法的に取り出すために定められた法律だと思います。
「命のリレー」という美談には賛成できません。

もし、自分の家族が脳死状態になったら、、、
本人の意志があったとしても、臓器提供には同意しません。
たとえ何人の命が助かろうとも、大切な家族の体にメスを入れることはできません。
脳死になるまでには、十分苦しんでいるはずです。
その上、臓器まで取り出すなんて到底できません。
心停止まで待って、最後は安らかに眠らせてあげたいです。

私が危惧していることは、
犯罪被害など(悪質な交通事故による被害者も含む)によって、脳死状態になった人が、臓器移植のターゲットにならないかということです。
このような方々が 『当て』 にされてはたまりません。

現行の法律にはありませんが、
15歳未満の子供の臓器移植は、特に反対です。
脳死者からの臓器移植が必要な子供を助けるためには、ほかの子供が脳死状態にならなければいけません。
臓器移植が必要な子供を助けるために、ほかの子供の命を見捨てることになります。
提供する親の立場からしたら、見捨てるということになるのです。
親だったら、たとえ絶望的な状態であったとしても、最後の最後まで子供のそばにいて奇跡を信じるはずです。
我が子の回復のために祈り続けるはずです。
決して見捨てることなどできません。

脳死状態であっても、血は通っています。涙も尿も汗も出ます。体は温かいです。
これは、生きているということだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>15歳未満の子供の臓器移植は、特に反対です。 
 私も絶対反対です。臓器が思ったより集まらないので子供にまで臓器を提供させることは許せません。

>犯罪被害など(悪質な交通事故による被害者も含む)によって、脳死状態になった人が、臓器移植のターゲットにならないかということです。
 これは心配ですね。悪質な犯罪に巻き込まれる可能性もあるかもしれません。今後このような事例がでないことを祈ります。

お礼日時:2007/09/10 22:03

本当に完全に脳細胞が死滅していて回復不可能であり、生命維持装置無しには生存不可能であるならば脳死は人の死なのかもしれませんが。



脳死であるかどうかを判定する医者や司法関係者や行政を信用することがわたしにはどうしても出来ません。
臓器移植のためならば、匙加減に手心をくわえたり、データの改竄ぐらいは気楽にやるでしょうね。特に日本は緊急医療にかなりの不備がありますから。

それに、仮に臓器移植に成功したとしてもかなりの拒絶反応に見舞われるうえ、副作用の強い薬品を飲みつづけなければなりませんし、寿命もそれほど延びるというわけではないでしょう。術後10年も生存していれば奇跡的なのではないでしょうか。ま、医療関係者は儲かるかもしれませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに臓器移植が成功しても、その後が大変だと思います。

お礼日時:2007/09/10 21:57

法律的なお話にはタッチできませんが、


意見、ということで投稿します。

私は、脳死状態は「死」だと思っています。
脳死状態からの臓器提供についても良いのではないか、と思います。
理由として、やはり人の命がかかっていること。
臓器などは(おそらく)組織が生きていないといけないので、
極端に言えば、生きている人間から取るのが最適なのではないでしょうか?
もちろん、本人及び家族の同意が前提にあるのは間違いないとおもいますが。

質問者様へ反論するとしたら、
・心臓が動いている、といっても、”人間として”生きているかどうか
 大抵の方は、自分は死にたくない、と思っているでしょうが、
 果たして脳死状態の患者に意志があるのか?
・脳死に限らず、母親が亡くなっても、子供は産まれてくる(ハズ)
 同時に死ぬわけではないでしょうから
・回復する人もいる、でもほぼ助からないと思います。
 と、いうより脳死状態から回復した人いる事を初めて知りました。
 脳死状態といわゆる植物状態は違いますよね。

最後に、ドナーカードは意志表示カードですから
臓器提供をしたくない方用に、提供しません、という欄もあります。
提供したくない方にこそ、持っていて頂いた方がいいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>理由として、やはり人の命がかかっていること。
 確かに人の命がかかっていますが、私はどうしても賛同できません。仮に家族が臓器移植でしか助からないと言われても、臓器移植には反対します。なぜなら私は脳死は人の死と思ってませんから、誰かを殺して誰かを助けるということはできません。
でも人間一人一人考え方は違いますから、私の回答は参考程度にしてください。

お礼日時:2007/09/10 21:54

こんにちは。


>臓器を合法的に取り出すために、脳死は人の死と法律で決められたと思います。
その通りだと思います。
私も人の死としては認められません。
この関係の法律は議論を急ぎすぎました。
日本では今日にいたってもコンセンサスが取れてるとは思いません。

ただ、人の死というのは不思議な現象で完全に解明されてるとは言えず、心臓も止まって完全に死んだはずの人が生き返ったり・・・などという事例もあり、法律上はある資格の者が死を認定した時その人が死ぬ、というどうにもならない現実があるので、そこまで言ってしまえば、明らかに生きてる人を有資格者が死んだと認定すれば・・・みたいな議論になっちゃいます。
そういう意味では心臓死も脳死も大差ないのかな、とは思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに人に死というのは不思議ですね。死んだはずなのに生き返ったり・・・死という現象が解明される日はくるのでしょうか。

お礼日時:2007/09/10 21:46

>心臓が動いている。



これは意見が分かれると思います。

臓器移植を専門としているアレクシー・カレル博士という方がいるのですが、この方はニワトリから心臓を取り出し、1910年から培養液の中で心臓を34年間も生かし続ける事に成功しています。(34年というのは実験者の死亡による実験打ち切り)

生き続けられた詳細なメカニズムは不明で、まだまだ研究されなければならない点が多いでしょうが、必ずしも「心臓が動いている」→「死ではない」のかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ニワトリの話はすごいですね。びっくりしました。

お礼日時:2007/09/10 21:44

私は脳死こそ人の死だと思っております。


脳がその人の人格そのものだと思います。

他の臓器は機械化できるかもしれません、
でも脳はどうでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

脳死こそ人の死ですか。言い切られますね。人工臓器ができるなら臓器移植よりはましかもしれませんね。

お礼日時:2007/09/10 21:42

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!