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ゆとり教育によるついての見解を民主主義と社会主義の立場からみるとどのように評価されるかを教えてください。

A 回答 (5件)

#2です。

回答で私の勘違いがありましたらご免なさい。

><民主主義>と《資本主義》の見解からというのに間違えて社会主義にしてしまいました。

 社会主義を資本主義に置き換えたとしてもよく判らないのですが、「ゆとり教育が社会経済に及ぼす影響」ということでしょうか。それとも、「ここで言う民主主義=最低限の教育を受ける権利」「ここで言う資本主義=教育の自由競争」という意味で受け取ってよろしいのでしょうか。

 「ゆとり教育が経済に及ぼす影響」は、分数のできない大学生が例に挙げられているように、基礎学力の低下をまねくため、日本の若者の平均的な国際競争力が弱まってきているという見解と、規定課目以外の教育も可能になるため、若者の発想が豊かになる教育ができるから、日本経済の活性には必要であるという、二つの両立できそうでなかなか難しい議論が展開されているように見受けられます。

 民主主義=誰もが最低限の教育を受ける権利をもつと解釈するのであれば、これまで義務教育として行われてきた「学校間の教育内容の差異を極力なくす」ということが必要となるわけで、どこまでを最低限の教育と規定するかで議論が起こるわけです。あまりレベルを高くすると、低学力の子供の教育を受ける権利を奪いかねない、だから教育内容のレベルを下げるのだ(この解釈は個人的には好きではありませんが)という意見があります。レベルの低い義務教育は中程度以上の学力の子供の足を引っ張り、さらなる学力のステップアップを阻害するので全体的な学力低下の原因となっているという意見もあります。

 一方、ここで言う資本主義=教育の自由競争という解釈でいくと、ゆとり教育とは、小中学校の公教育に関しては本当に最低限に負担を軽くし、各学校や家庭、さらに塾などで好みの教育をすることで、個々人の能力に見合った教育をすることができるという「配慮(?)」だそうです。これに関しては、教育能力に長けた教員、家庭、塾などに恵まれていれば、これまでとは違った、まともな教育をさせることができますが、そうでない環境の子供の場合、果たして最低限の公教育を受けられるのかどうかという問題があるようです。事実、土曜日全休になったとたん、塾通い競争が激化したとか、家で一日中ゲームだけしているとか、子供達の学力の差が開きつつあるという現象もで始めているようです。勉強させる方も相変わらず「良い大学」が目標であり、一方で全くの放任がありと、親のレベルも影響します。超エリートは国を引っ張るのに重要であり、平均的なレベルの向上は国を安定させるために重要です。教育の自由競争(資本主義)も大事ですが、ある程度の管理教育(社会主義)も必要だと思います。
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 neuro さん!(^^; この質問者は別に同じ質問を立ち上げました。

まったく neuro さんみたいな良心的な回答者を振りまわすなんて、こういうの本当に何とかならないものでしょうか?

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=342594
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 ゆとり教育の意義が本当に活かされるのであれば、民主主義(ここでは単にみんなが自由としましょう。

)にとっては、自由に思想を学べるので良いことです。好きなことを学んで良いと言うのですから。

 社会主義(単に国全体のためとしましょう。)にとっては、とんでもないことです。まず、国家のためにならないことを学ぶ人ができるかも知れず、また、その分国家のためになることを勉強させる時間が減ります。

 でも実際は、ゆとり教育は名前ばかりで実効性がなく、受験の弊害や英語力の低さを何とかしろと言われた文部省の無能な役人が、苦し紛れに考えたもので、これによって、何のゆとりも産まれないし、受験戦争もなくなりません。これによって、さらに学生の学力が低下するのではないかと、みんな心配しています。
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 民主主義と社会主義が対立する思想とは考えられないのですが(別に私が社会主義者ということではありませんが)、



 質問の意義がよくわかりません。民主主義と社会主義という思想がゆとり教育で対立するわけでもないですよね。評価に関しては、結果が出ないと出せるものではありません。その結果の予測(効果)を争っている論調はみられますが。

 ゆとり教育は、十数年ほど前からいわれてましたけど、単に受験戦争をなくすための対症療法として文部省が提案しただけで、当初は学力の偏りに対して行われた(マニュアル人間の大量排出・・・真偽はともかく)単なる指針だけだったと記憶しております(訂正があればお願いします)。
 この週5日制については誰でも何でも言えると思います。しかしながら、1週間のうちの2日に関しては、少なくとも家庭の配慮が反映されるようになっています。
 文部科学省の人(別に隠すまでのことはありませんが)が言うには、学校の先生のオリジナリティ、いわゆる自由裁量を期待した点が大きかったようです。でも、思ったより自発的に学問をしようとする先生が「はじめから」いなかったので、いかにも文部科学省が低学力を推奨するようなマスコミ報道になったとか。
 一方の意見のみで判断することではありませんが、文部科学省だけではなく、末端の先生方の努力も(苦労されている先生はおられますが)、噛み合えない理屈があるのでしょう。
 でも子供は一度しかない教育の場です(中には意地悪で小さい頃は勉強せずとも一生勉強できると言う人もいますが)、大人でも結論のつかない議論より、生きる力(教育)を子供に与えたいですね。

残念ながら回答になってないね。(質問の内容から年下にみちゃったかな?;失礼!)
 
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この回答へのお礼

貴方に言われてふと考えたところ<民主主義>と《資本主義》の見解からというのに間違えて社会主義にしてしまいました。よろしければまたご教授ください。

お礼日時:2002/08/24 15:45

あなたは、まずどう思われるのか、述べてみてはいかが?

この回答への補足

自分ではまだ述べるほど頭の中でせいりできてないもので。

補足日時:2002/08/23 15:26
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