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軍部や官僚に多かったそうですが。

反共主義で日本を守るためとは言え、財閥が社会主義者と共闘したのは何故ですか?
社会統制や、富の再分配に、心から賛成していたとは思えません。

戦後教育では、皇族、華族、財閥、地主が起こした戦争だと責任を押し付ける教育がされてきました。
だから、悪物は解体されたのだと教育されていました。

社会主義の統制が始まり供出指令、富裕層は憲兵に半強制的に家財や資産を強奪されています。資産税も課されました。長男は取らない約束が、それさえも持っていかれ、子爵の士族と百姓が隣に並ばされ、聞けば戦地では食糧の配給も滞り飢餓に苦しんでいたといいます。
戦後も食糧難が続き、おかしいと思ったGHQが調査してみると、軍部や官僚がためこんでいた食糧が海に投げ捨てられ隠蔽がはかられていたそうではないですか。

何が起こっていたのですか?
真実を教えて下さい。

質問者からの補足コメント

  • しかも何故、敗戦後、共産主義者と社会主義者が手を取り合ってGHQと共に戦後構造を作り上げたのですか?公職追放後に社会主義者、舞い戻って来ていますよね?

      補足日時:2022/09/05 12:31
  • 変ではないでしょうか?

      補足日時:2022/09/05 12:32

A 回答 (1件)

小中高と日本史の授業があるのに、肝心の近代・現代史を教えていませんよね‥汗。



歴史的に富裕層は社会的安定を大切にします。理由は明白。金持ち喧嘩せずですかね。

確かに、A級戦犯で絞首刑にされた東条英機や板垣征四郎は賊軍の烙印を受けた旧南部藩士の子ども達であり、長州閥や薩摩閥が牛耳る陸軍や海軍を改革しようとした派閥に所属していたようですが、個人としては戦争は望んではいなかったように思います。

江戸幕府の対ロシア海防策、欧米列強の植民地政策に対抗便乗した明治草創期の征韓論、勢いと運で勝ってしまった日清日露戦争等々の延長に培われた欧米列強に対する恐怖と奇跡的勝利による勘違いが、軍部や国論の暴走に繋がった結果であると私は思います。

同じく旧南部藩士の子どもである米内光政は、合理的に当時の世界情勢や各国の国力を把握していたようですが、総理大臣に就任してもこの流れを止められませんでした。

その辺にも止まるに止まれない資本主義や集団心理の落とし穴がある様に、私は感じます‥冷汗。
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