「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

太平洋戦争で日本は途中でなぜ戦争をやめなかったのですか?
1945年で日本軍軍人の戦死率が一気に上がりました。1944年で降伏していれば無益な血を流さずに済んだハズです。
なぜ日本は途中で戦争をやめれなかったのでしょうか?

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A 回答 (11件中1~10件)

回答:以下の理由より、連合国が受け入れられない条件を出していた為です。



前の戦争は、何も考えず開戦してしまったという意見がありますが、間違いです。
天皇が神と思われていたと言うのも間違いです。だとしたら、立憲君主制の憲法を制定したりしません。
また、開戦までは自由な言論が行われていました。でなければ何度も首相が変わったりしません。

開戦前の昭和16年に、当時の日本政府は、「総力戦研究所」を作り、軍・官僚・マスコミ等、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っています。
その結果は、現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
ということは、軍部も勝てるとは思っていなかったということです。
しかし、僅かな可能性に掛けなければならない程、アメリカのハルノートは厳しいものでした。
(質問者様は、その内容と交渉の過程をご存知ですか。また、受諾した場合の影響を考えたことがありますか。)

戦争とは、武力で目的を相手に認めさせる為の、手段に過ぎません。
この場合の目的とは、対中戦争の為の資源の確保ですが、それはアメリカが輸出を再開すれば達成されます。
日本は初戦で勝って、戦意を挫き講和させようとしましたが、あの国を占領統治しようなどとは思っていません。
予定通りには行きませんでしたが。

一方が戦場から出て行けば、戦争は終わるというのも間違いです。
そして、それは戦争=相手国の占領・消滅という、誤った短絡思考から来るものです。
戦争は戦闘の終了ではなく、講和によって終わるものです。
極論すれば、戦闘に負けても、講和条件で目的が達成されていれば勝利です。
戦場(領土)の占領がその戦争の目的であった場合、撤退=目的が達成できない=失敗です。
更にその土地を失う事が、更なる損失を招く可能性も考えければなりません。

日本は、もっと早く講和しかったのですが、できませんでした。
理由は、アメリカの講和の条件に、国体(天皇)の保持が明記されていなかったからです。
当時の日本が、これを受け入れられる筈はありませんでした。
アメリカは、これによって原爆を準備する時間を稼ぎました。
目的は、人体実験と他国に力を見せて戦後の国際社会での影響力を確保する為です。
(遅れすぎるとソ連が日本本土まで占領し、日本が朝鮮やドイツのようになる怖れもありましたが)
実際、ソ連は北海道を取るつもりで侵攻してきましたが、日本軍により北方領土までで阻止されています。
無条件降伏についてですが、これは軍隊だけで国家に対してのものではありませんでした。
それを調印後に連合軍が勝手に国にまで適用してしまいました。
しかし、軍を失った日本はそれに抵抗できませんでした。
ドイツは国として無条件降伏しましたが、これは政府が崩壊し消滅していた為です。


軍が国民を騙していたとも言われていますが、これは戦後のアメリカの洗脳で間違いです。
アメリカは、自分を正義の解放者と思わせる為に、戦争は日本政府が国民を騙して始めたと宣伝し、国民に責任はないと宣伝しました。これを信じると、国民は罪悪感からは解放されますが、自国への不信とアメリカへの劣等感を抱き、アメリカによる戦後の統治はより容易になります。

大日本帝国の最期  第参幕


http://www.youtube.com/watch?v=-0PzqrHjeKU&featu …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
新しい歴史の見方をありがとうございます

ハル・ノートは名前だけ知ってます
どうせ無条件降伏するなら早いほうがよかったのに…

お礼日時:2011/01/29 11:09

何事においても「引き際」ほど難しいものはありません。

その質問と全く同じ質問を馬券売り場で最終レースの前におじさんたちにしてごらんなさい。みんな、「最後に勝って帰るんだ」と口を揃えますよ。
株やFXで損を出した人に「今売ってしまえば100万円の損害で済みますよ」といっても大抵の人が「ここで100万円損害出しましたで引き下がれるかよ」といって強気の勝負に挑んだり、「もしかしたら反発して80万円の損害で済むかも・・・」といってそのまま様子見に出たりして、結局さらに大損をします。

「1944年まではさほどの損害ではなくて、1945年だと損害がすごい」というのは結局歴史の後知恵に過ぎません。野球の試合が終わった後に「先発投手を6回で代えていればね」というようなものです。史実は1945年で終わりましたが、もし本土決戦までやっていたらさらにすごい損害が出ていたはずです。もしそうなったら「なぜ1945年でやめなかったのか」となります。

ところで、我々は当時の人々を笑うことや批判することはできません。今日本も再び経済という分野で大きく失速しつつあります。「失われた10年」は「失われた20年」になろうとしています。色々と抜本的改革をしなければならないとみんな思いつつも何も手をつけることができない状態でいます。
無駄をなくそうと事業仕分けをしたら、「ウチの事業の予算を削るとは何事だ!ウチの事業は無駄ではない!」という怒りの声続出で結局ほとんど頓挫してしまいました。大阪府は、もう金がないから職員を3割減らすといっていますが職員は猛反発です。名古屋市も、市議会議員が多すぎると市長が言い出したら議会は猛反発しました。半世紀後の若者が「あのとき思い切って改革をしていれば無益な損害を出さずに済んだのになぜ改革できなかったのですか」とここで聞くかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
確かにそうですね。今は勝ってるでも明日も勝ってるとは限らない。でも今勝ってるから手は引けない。ジレンマ

結局歴史の後知恵に過ぎません。
でも、軍部は相手の戦力を知っていますよね?

お礼日時:2011/01/29 11:05

「日本は」と言う書き方をされていますが、国家に人格がある訳ではないので、その意思決定というのは、結局数人の個人によって行なわれます。



様々な考えの人が居て、後から馬鹿だXXXだと言う人はいますが、その時にはその人は意思決定者ではなかった、つまり権力闘争としては馬鹿だと言う人より劣っている訳です。

それは今の自民党政権と民社党政権の交代にしても同じだと思います。

要は「ある目的」を達成するには戦争が不可避と判断した人が政権を担い、開戦に突入した訳ですから、その人が回心するか除かれなければ、「ある目的」達成まで戦争を辞める事は出来ません。

他の方が仰る様に、「戦争をやめる」と言えば確実に軍に殺される状況でもあったので、国内事情だけでも戦争をやめる事は出来ませんでした。

政権自体が変わらずに「戦争をやめる」事が出来たのは、英国や米国の様に自国外に出て行って、その戦争を放棄すると言ったケースに留まります。

英米間の独立戦争~ボーア戦争~ベトナム戦争~???では、一方が戦闘を放棄して出て行けば、勝者側が相手の本国まで攻めて行く事は出来ませんので、一方的にやめる事が出来ました。

そう言う意味では中国と満州から一方的に大陸から引いていけば、中国との戦争はやめられたでしょうが、それが出来た人ならそもそも対米開戦をしない事が出来た筈です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2011/01/29 11:03

「日本は」と言う書き方をされていますが、国家に人格がある訳ではないので、その意思決定というのは、結局数人の個人によって行なわれます。



様々な考えの人が居て、後から馬鹿だXXXだと言う人はいますが、その時にはその人は意思決定者ではなかった、つまり権力闘争としては馬鹿だと言う人より劣っている訳です。

それは今の自民党政権と民社党政権の交代にしても同じだと思います。

要は「ある目的」を達成するには戦争が不可避と判断した人が政権を担い、開戦に突入した訳ですから、その人が回心するか除かれなければ、「ある目的」達成まで戦争を辞める事は出来ません。

他の方が仰る様に、「戦争をやめる」と言えば確実に軍に殺される状況でもあったので、国内事情だけでも戦争をやめる事は出来ませんでした。

政権自体が変わらずに「戦争をやめる」事が出来たのは、英国や米国の様に自国外に出て行って、その戦争を放棄すると言ったケースに留まります。

英米間の独立戦争~ボーア戦争~ベトナム戦争~???では、一方が戦闘を放棄して出て行けば、勝者側が相手の本国まで攻めて行く事は出来ませんので、一方的にやめる事が出来ました。

そう言う意味では中国と満州から一方的に大陸から引いていけば、中国との戦争はやめられたでしょうが、それが出来た人ならそもそも対米開戦をしない事が出来た筈です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
日本はアメリカと違って閉鎖的な軍だったんですね
確かに戦争をしよう!と言ったひとが戦争を撤回する訳じゃないですよね
でも、サイパンが落ちた時に降伏すればよかった

お礼日時:2011/01/29 10:56

えっ?勝ち戦を放棄するんですか???



先の戦争ですけど、日本は戦闘に負けたけど目的は達した(=日本の戦略的勝利)戦争なんですけど

あの戦争で失った物
朝鮮半島・台湾・南沙諸島・千島列島・樺太
得た利権
フィリピン・ベトナム・マレーシア・インドネシア・インド・・中東・アフリカへの経済進出
よく考えてみてください。東南アジアや中国貿易の今の状況って『大東亜共栄圏』じゃありませんか?

戦勝国の失った物
中国国民党政府…中国本土
アメリカ…フィリピン
イギリス…ほとんどの植民地
フランス…ほとんどの植民地
オランダ…ほとんどの植民地

戦勝国の得た物
日本に勝ったという自慢
アメリカ…韓国・ベトナム問題など
中国国民党…台湾
イギリス…なし
フランス…なし
オランダ…なし

44年で止めてたら無茶な要求(例えば日本人・韓国人は北極圏への強制移住とか公用語をエスペラント語にとか←私の思いつく範囲の無茶要求ね)をされても受け入れねばなりません。45年7月に連合国が戦略的敗北を認めた(ポツダム宣言)から今の日本があるのです。

100年・200年後の歴史書には「WW2は日本が戦に負けて政治的に勝った戦争」って書かれてますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
エエエェェェェエエエ。流石にそれは戦後の結果論ではないですか?

お礼日時:2011/01/29 10:54

>なぜ日本は途中で戦争をやめれなかったのでしょうか?


 なぜも何も連合国は、戦争を途中で止める気は全く無かったからです。
 (勝手に枢軸国と講和して戦争を終わらせないよう約束しあっていた。)

 1943年1月14日のカサブランカ会談にて、既に枢軸国に対して無条件降伏を迫る事を要求しています。
 (つまり史実と同じ状態に成るまで戦争を止めない事を決定。)

 そもそも、日本側が不利になったから戦争を止めましょう、何て虫の良い話が通るわけないじゃないですか…。
 (連合国側にだって少なくない被害が出ています。この被害を埋め合わせるに見合う条件は、無条件降伏しかないと連合国首脳陣は判断した訳です。)

 実際に終戦に向かって出来ることなんて、1945年7月26日に連合国が出したポツダム宣言(無条件降伏)を何時受け入れるか位しか、日本側に取りうる選択肢は有りませんでした。

 1945年8月14日に受け入れを表明したのですから、当時の状況を考えれば遅いとは…。

 なお、日本の終戦工作は1942年の頃から、一部の政治家・官僚・民間人にて行われていました。
 (だから1943年の段階で無条件降伏しか認めないという宣言が出てくる。)

 1944年に東条内閣が倒れて以後は、かなり積極的に行われるように成っています。

 ただ実際の連合軍(米軍)は、広島・長崎以外にも多数の核兵器の投下や九州・関東の軍事侵攻・占領計画(1946年以降も戦争を継続)を練っていたのですから、史実の降伏のタイミングはこれ以上の無益な血を流さずに済ます事が出来たといえるかと。

 ちなみに、終戦の仲介として日本が期待したソ連は史実が示すように満州・朝鮮・千島列島および北海道への侵攻作戦を計画していたぐらいで、戦争が1日でも長く続いてくれたほうが良いような状況でした。
 (事実、ポツダム宣言を日本が受諾しない様、甘言を弄していた。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
カイロ会談や太平洋上会談でも散々、無条件降伏しんいと駄目って言ってましたもんね…
じゃ無条件降伏すればよかったのに!

ソ連はポツダム宣言に加わってませんね…

お礼日時:2011/01/29 10:53

>1944年で降伏していれば無益な血を流さずに済んだハズです。



でも、そこで降伏したらそれまで流された血は無益になってしまいますよ?
そんな事になったら政権は国民から袋叩きにされます。

ギャンブルと同じなんですよ。
損をしたら次で取り替えそう、それでも損をしたら更にその次で、というようにスッカラカンになるまで続けてしまったのです。
大損してしまったら、それを取り返すまで止めれないのと同じです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
危険なギャンブルですね。人の命をかけてる訳ですから…

お礼日時:2011/01/29 10:49

回答が長文になります。



降伏する事はありえません。降伏とは負けを認める事ですよね?じゃあ、講和(戦争終結と、平和回復のための交戦国間の合意。)はあり得たのかというと、これもおそらく無理だったと思われます。

当時の日本軍内部は、戦争と政治が不可分の存在である事が忘れられており「講和を考えながら戦争を行う事は、自らの弱さを表す事だ。」という誤った認識(精神論に基づく無意味な強がりとも言えます。)が存在していました。

この為、日本政府内部では、大戦末期のポツダム宣言受諾が議論されるまで、又、開戦前にも「対米戦争を、いつ何時に、どの様な形で、どんな条件で終結させるか。」を具体的に議論をした事が、一度として無かったのです。

当時の日本は陸軍と海軍が決定的に不仲でした。又、陸海軍内部においても派閥抗争と縄張り意識が強かったのです。

この状態では、たとえ戦争の継続は不可能だと思っていたとしても、講和に乗り出す事を主張してしまえば、派閥抗争のあおりから絶好の攻撃材料として非難を浴び即座に失脚してしまう可能性が高いです。それが分かっているから、誰もやりたがらなかったとも言えます。

つまり、日本はまともに戦争終結の方法を考える事なしに、ただひたすらに戦争を続行し、そのうち連合国側から講和の手を差し伸べてくれる事を、漫然と待っていたと言っても過言では無いかもしれません。

次に、「死んだ人間に悪いから」論理があります。

当時に日本では、戦争で勝ち取ったものは「犠牲を無駄にしない為に、その成果を決して手放してはいけない。」という認識が世間一般のモノでした。

(これは、一度獲得した占領地を手放す事に、強烈な心理的抵抗があるという事で、戦争中に日本軍内部で撤退を躊躇させ、作戦を硬直化させる原因の一つになりました。)

仮に、1944年に講和のテーブルに着いたとすると、連合軍側は南方の占領地や中国からの撤退が講和条件として出されるはずです。

これは、太平洋戦争の開戦前どころか、日中戦争開戦時より日本の支配地域が減少する事を意味します。

それをもし受け入れたら「英霊(戦死者)の血で獲得した占領地から撤退した上に、賠償金すらとれない国辱的な弱腰講和だ!」として、国中で大騒動になり暴動につながる事にもなりかねません。

(現に、1905年に日露戦争におけるポーツマス条約調印時の「東京騒擾事件」もあった訳ですし。)

実際、1945年の8月の段階ですら、(まさに終戦の直前ですよね。)阿南陸軍大臣は「英霊にすまぬから、無条件降伏する事は出来無い。」と主張していた程ですから。

結論としては、途中で戦争を止める事が出来たのは、連合国側であり、日本側では無理だったという事になります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
なるほど、死んだ人間に悪いからと考えることを放棄していたんですね
思考停止状態だったですね

確かに当時の人の視点はそのようなものかもしれません

お礼日時:2011/01/29 10:47

当時は、「日本には、天皇陛下がいる!ガムをくちゃくちゃ噛んでる米国になど負けるはずが無い!」と本気で思ってました。



天皇は当時、神と同等の存在で神が居るのだから負けるはずはないだろうと馬鹿げた空想の下に動いてました。それに、一度刀を抜いたら勝つまで納めないという武士精神もあいまって、とことんやっちゃったんですね。
結果的に、しびれを切らしたアメリカは実験がてら原爆を投下し、これはもうダメだ…と思った日本はポツダム宣言を受け入れてめでたく第2時世界大戦は終了!残念ながら(というかわかってたことだけと)日本は敗戦!

結局、当時の軍部は馬鹿ばっかで常識的に勝てるはずの無い国に喧嘩売っといてボコボコにされたという、なんともアホなオチとなった訳です。そんなくだらない戦争のために、何人の尊い命が失われたことか…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
まったくその通りですね

お礼日時:2011/01/29 10:45

戦争を始めたのは陸軍が悪いんだ。


これが通説ですが、会議で反対すれば開戦は否決されます。
国民が全員反対であれば否決されます。

鬼畜米英討ちてし止まん。(殺したくって、殺したくって仕方ないのであります!!!)

これが米国で言う、指導者が悪いのであり、国民には罪が無いのだ。
(東条1人が悪の枢軸で、日本人は正しいのだ。)

に結びつきます。

何故戦争を途中で止めなかったか?

講和を言い出すだけで右翼に襲撃される恐れがありました。

当初は陸軍を革新すると人事改革で望みましたが、
逆にその人事は満州事変や盧溝橋事件を起こされてしまい打つ手無しの状態に陥ったと言います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F% …

ガダルカナル島の戦いでは最前線の師団長が更迭され、指揮系統が破壊。
物資調達面で参謀が東条に馬鹿野郎と怒鳴って更迭。

しかし、インパールを夢と嘲っていたのが話に耳を貸すまでに陥っていたのは事実です。
藁にもすがると言います。

226事件のように、いつ殺されてもおかしくありませんから、講和など言い出せなかった。
これが理由のひとつです。

この回答への補足

なるほど、当時はスターリンの様に少しでも反動的な事をすると殺されてしまうのですね
だから国民は我慢するしかなかったのですね
恐怖政治ですね…

軍部の腐敗が戦争の継続を促したということですか

補足日時:2011/01/25 23:18
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
なるほど、当時はスターリンの様に少しでも反動的な事をすると殺されてしまうのですね
だから国民は我慢するしかなかったのですね
恐怖政治ですね…

軍部の腐敗が戦争の継続を促したということですか

お礼日時:2011/01/25 23:19

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Q太平洋戦争を早く終わらす事ができなかった理由

皆さんこんにちは。

昭和20年8月15日に太平洋戦争は終わるわけですが、
日本政府が勝つ見込みがないと、考えていたのは、
いつぐらいからなのでしょうか?

そして、それならなぜもっと早く終わらす事ができなかった
のでしょうか?

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

ええと、負ける云々の前に早期和平について、

はじめる前は当然、早期和平ではじめましたが具体的な方策がありませんでした。

真珠湾攻撃前、アメリカ国民は戦争賛成派は極少数でしたが、外務省の馬鹿のおかげで奇襲攻撃とされ、アメリカ国民が一挙に戦争賛成派にかわりました。

ある一定の有利(?)な条件で講和が進められる可能性のあったのはイタリアが降伏する前でしたが、相手のあることで上記のような理由と、海軍がミッドウエーの敗戦を海軍内部のみの秘密としていたため、東条総理ですら1年間しりませんでした。

負けを政府が悟ったのは?

これは難しいですが、まず、サイパンが陥落し、東条内閣が総辞職したときと判断するのが適切と思います。

なぜもっと早くできなかったか?

特攻隊の生みの親と言われる大西中将は、特攻などという戦術として成立しないことを行えば、臣民にたいし慈愛ある昭和天皇は、即刻、講和を行うと考えていたが、天皇は「不憫ではあるがやむなし」とお褒めになったので、やぶ蛇になった。

まず、陸軍は中国戦線では負けてないので感情的にも負けてないのに講和考えられない。海軍は特攻のやりすぎで、今までの死んだものに顔向けできんと自暴自棄状態だった。そうした現場の殺気だった中間管理職層を陸軍も海軍も抑えきれるものがいなかった。

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アメリカと和平工作を開始しようとした途端に、その責任者にしようとしていた吉田茂が憲兵に拘束され、対アメリカ工作ができなくなった。

などなど、あげればきりはありませんが、そもそもは、最初に負けたときのことを考えていない。勝ち方も考えていなければ、負け方も考えていなければ結果はああなるということです。よく、それで戦争を始めたという無責任ぶりに呆れるばかりです。

ええと、負ける云々の前に早期和平について、

はじめる前は当然、早期和平ではじめましたが具体的な方策がありませんでした。

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ある一定の有利(?)な条件で講和が進められる可能性のあったのはイタリアが降伏する前でしたが、相手のあることで上記のような理由と、海軍がミッドウエーの敗戦を海軍内部のみの秘密としていたため、東条総理ですら1年間...続きを読む

Q軍部の暴走を止められなかった理由

戦前の軍部はなぜ暴走したのですか?
張作霖爆殺は、なぜ軍の指揮権を持つ天皇に許可無く行われましたか?
そして、その実行犯を天皇が罰しろと言ったのに、罰せられませんでしたか?
柳条湖事件、満州事変、盧溝橋事件、日中戦争と、軍部と天皇との関係も教えてください。

Aベストアンサー

もともと戦前の日本の軍制は政治と軍の統帥を明確に分離するものでした。
これは明治政府の権力基盤が不安定であったことから、反政府勢力と軍が結びつくのを恐れた結果です。
当然ながらこのような軍事と政治を分離した体制は、対外戦争において非効率的なものですが、日清・日露戦争では伊藤博文や山形有朋などの元老が言わば超法規的に軍と政府の意思統一を図ったため、問題は表面化しませんでした。
ですが皮肉にも日清・日露戦争の勝利はこの体制の「正しさの証明」となってしまい、加えて共産主義革命に対する恐れから、戦前の日本では本来過渡的な体制であったはずの明治体制の抜本的な変革は、さしずめ戦後日本における改憲のごとく、タブー視されるようになってしまいました。
しかしながら元老のカリスマ性に頼った体制が長持ちするはずが無い事は自明の理であり、このために大正期は「軍の統帥権とはあくまでも純粋な作戦面に限定される」という言わば「解釈改憲」でこの問題を乗り切っていたのです。
しかしながら抜本的な改革が行われなかった結果、軍と政府の分立状態は次第に亀裂が大きくなり、張作霖爆殺事件でも真相究明ではなく田中義一内閣総辞職で幕を引く結果となりました。
そしてロンドン軍縮条約調印時、野党であった政友会は政府を攻撃するために「海軍軍令部の同意の無い軍縮条約の調印は統帥権の干犯である」と非難し、軍の統帥権を一気に拡大解釈してしまいました。
この結果、これ以降に政府や議会が軍の行動を統制しようとすると「統帥権の干犯だ」と揚げ足を取られる事になってしまいました。
(当時の書籍を読むと現役の軍人でも「統帥権の独立は時代遅れであり、国家の将来に禍根を残す」と激しく非難している例もあります)

そしてもう一つ重要なのは、当時の日本では中国大陸に有していた利権(いわゆる「特殊権益」)は「日露戦争で多大な犠牲の末に獲得したものであり、絶対に手放してはならない」という、これまた戦後の日本における一時期の憲法九条のように、その是非を論じる事の出来ない不可侵の存在であるかのように評価されており、その利権の保持を目的とした武力行使は世論やマスコミの強い支持があったのです。
この為に満州事変では軍中央の意向に逆らって占領地を拡大し、現地軍が勝手に満州国建国を行った事をマスコミがこぞって支持し、軍中央も政府も暴走を追認してしまいます。
当然ながらこの結果として「軍中央や政府を無視しても戦果さえ挙げれば認められる」という「下克上」の風潮が生まれ、その後の日中戦争においてズルズルと占領地を拡大する現地軍を止めることが出来なくなってしまいます。

総じて言えば本来、過渡的な体制であった筈の明治維新体制が、皮肉にもその成功故にこそ維持され、時代に合わなくなった状態で行われた普通選挙による民主化が、党利党略しか考えない近視眼的な政治家を生んでその問題を拡大し、また政府及び軍中央が武力行使を支持する世論に阿って誰もが責任を取ることを回避していった結果だと言えるでしょう。

もともと戦前の日本の軍制は政治と軍の統帥を明確に分離するものでした。
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当然ながらこのような軍事と政治を分離した体制は、対外戦争において非効率的なものですが、日清・日露戦争では伊藤博文や山形有朋などの元老が言わば超法規的に軍と政府の意思統一を図ったため、問題は表面化しませんでした。
ですが皮肉にも日清・日露戦争の勝利はこの体制の「正しさの証明」となってしまい、加えて共産主義革命に...続きを読む

Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

2・なぜ日本が戦争をしなければならなくなったのか
  またその引きがねとなった理由は

3・日本はどこと戦争していたのか

4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Q昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

軍幹部や閣僚、枢密院の事実上の強制である「助言」に逆らえなかったのはなぜなのでしょうか?
天皇は、軍部を最終的に指揮・統括する統帥権を持っていたのですよね。
様々な事由で軍や政治家の意見を聞き入れなければならない状況もあったと思います。しかしミッドウェー以後の戦況を正確に知っていたなら、最早戦況は絶望的で、このまま戦いを続けたなら軍人のみならず、多くの国民の命が失われることは火を見るより明らかであったことは知っていたはずです。
軍・政治家の「助言」は飽くまで助言であり、例えそれに反したものであっても、最終の決断を下す権限を当時の天皇は持っていたのですよね。そしてそれは、何人たりとも妨げることはできなかったのですよね?
にもかわらず「本当の」統帥権を発動できなかったのは一体なぜなのでしょうか?

Aベストアンサー

>昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

大日本帝国憲法の第4条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」とありますが、続いて「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、55条に、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責任ニ任ス」、同2には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」とされています。天皇は憲法上「統治権の総攬者」ではありますが、輔弼と副署と言う制限された存在でもありました。これが「天皇機関説」の根拠ともなりますし、NO7の方が回答されていらっしゃるように、昭和天皇が自身を「立憲君主」として律していた根拠でもあります。
つまり、統帥権を含め国務は輔弼の臣の輔弼行為に依拠し、天皇は積極的な国政への関与を控えていたと言うことです。皆さんがおっしゃているように田中首相への叱責、二二六事件、終戦の決断以外には判断を下していません。終戦についても最高戦争指導会議構成員会議および閣議が意見の一致をみないために、最高戦争指導会議に枢密院議長を入れ、御前会議の形式をとり、天皇の判断を仰いだために天皇が決断したのであって、昭和天皇も決断を求められるのは本来の形でないと思っていらしたようです。
ですから、戦争がいかに不利になろうとも、国務・統帥の輔弼がない限り停戦・休戦・終戦にならなかったのではないでしょうか。また、統帥部の輔弼がない限り、終戦への統帥権の発動もなかったと思います。
このように輔弼を受けることにより、責任は輔弼の臣が取るべきもので、天皇自身には及ばない体制が成立しています。西園寺が天皇に田中首相叱責で注意したのはこの点であり、長い伝統を持つ公家社会(天皇を含め)の伝統的方策(生き残るための知恵)にも合致していたからです。

以上、参考まで。

>昭和天皇はなぜ軍部の暴走を止められなかったのでしょうか?

大日本帝国憲法の第4条には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」とありますが、続いて「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、55条に、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責任ニ任ス」、同2には「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」とされています。天皇は憲法上「統治権の総攬者」ではありますが、輔弼と副署と言う制限された存在でもありました。これが「天皇機関説」の根拠ともなりますし、NO7の方が回答さ...続きを読む

Q[歴史]アジア太平洋戦争を止めるには

課題でアジア太平洋戦争はいつの時点なら防ぐことができたと考えられるか、あなたの見解を述べなさい。
というものが出たんですが、一応私なりに考えてみたのですが-3箇所くらいあると思うのです。

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること。
2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ。
3,東条英機を首相にした祭に、天皇から直接戦争を止めるよう会議で言わせるべきだったといこと。

※個人的には、石橋湛山の小日本主義なんかもありなのかな?と思っています。

という考えがあるのですが-どう思いますか?観点がズレていたりなど何かご指摘や追加すべき要項がありましたら教えて下さい><

ちなみに、解答サイズはB4用紙の1/4程度だそうです。

Aベストアンサー

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること

満州で相次いで日本人及び朝鮮人への襲撃事件が発生しております!満州各地の軍閥も独立宣言を起こし収拾がつかなくなっておりますが、いかがいたしましょうか?
国民は政府を無能・無策、中国人に味方して日本の国益を失していると喚いております!


2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ

モンゴルへの軍事侵攻は成功するでしょう(ノモンハン以外のソ連軍は大打撃を受けていた事がロシアの情報開示で判明しています)
brainex閣下、大変でございます!海軍が勝手に北部仏印に進撃を開始しました。このままでは二正面で戦わざるを得ません!いかがいたしましょう?


3,東条英機を首相にした祭に、天皇から直接戦争を止めるよう会議で言わせるべきだったといこと

brainex閣下、大変でございます!海軍が東太平洋上で米太平洋艦隊と衝突を起こしました!米国政府は日本が無警告で攻撃を仕掛けてきたと非難しております!

   1の段階
1929年に世界恐慌が起こり、29年・30年は連続で冷害が起こったため農村は疲弊しています。31年は大豊作で米価は大暴落しました。32年・33年は大冷害で農村恐慌が起こります。満州事変を強引に止めて回復途上の経済(事変特需)を不況に持っていきますか?戦争で人減らしできたのに戦争を中断して疲弊した農村に兵隊を戻しますか?

   2の段階
陸軍が反対しているにも関わらず海軍によって強引に推進された北部仏印進駐をどうやって止めるのですか?陸軍がクーデターでも起こして海軍省を制圧でもしますか?間違いなく内戦になりますよ。また、日中戦争で得られる特需で命を繋いでいる中小企業を潰しますか?

   3の段階
東條英機は首相ですので国家方針決定権がありませんし(当時の首相は内閣の総代なだけで、各省の方針は各省が決める。内閣内で方針が一致しない場合は内閣不一致となって総辞職せねばならない)、幾ら陸軍が対米戦に反対しても陸軍大臣が首相であるため反対投票することが出来ません。唯一、対米戦を止める方法はクーデターで以下の様な内閣を作ることです。
首相・陸相…東條英機
その他の大臣は全て陸軍将官ないし陸軍の都合にあった文官
海軍大臣通達によりタカ派の山本五十六を更迭し陸軍の言いなりになりそうな提督を連合艦隊司令長官に据える
対米交渉担当を海軍系から英米駐在武官経験者の陸軍将官に変更し、交渉の引き伸ばしを徹底させる
交渉の合い間にサイパンなどの防備を固める
フィリピン・ビルマ・インドネシア・ベトナムの独立運動を焚きつける
特にインドネシアの独立運動は全面支援を行い、石油の確保を行う

1,満州事変時に石原莞爾を含む陸軍へ適切な処罰をすること

満州で相次いで日本人及び朝鮮人への襲撃事件が発生しております!満州各地の軍閥も独立宣言を起こし収拾がつかなくなっておりますが、いかがいたしましょうか?
国民は政府を無能・無策、中国人に味方して日本の国益を失していると喚いております!


2,日中戦争時、南進論ではなく北進論をとるべきだったということ

モンゴルへの軍事侵攻は成功するでしょう(ノモンハン以外のソ連軍は大打撃を受けていた事がロシアの情報開示で判明しています)
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Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q第一次、第二次世界大戦

課題で困っているので、教えてください!!!
第一次、第二次世界大戦はなぜ避けることができなかったのでしょうか?
そして、もし避けることができたならどのように避けることができたのでしょうか?

Aベストアンサー

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、ということもできます。
実は、1870-71年のプロイセン・フランス戦争の後は、第1次世界戦までヨーロッパで列強同士の大きな戦争は起こっていません。しかし、激しい軍拡競争は展開されていました。また、局地的武力衝突が起こったときに、前面戦争を回避するためのメカニズムが整備されておらず、電報で瞬時に情報が伝わっていくことにも不慣れなところがありました。

第2次世界大戦の場合は、先行して満州事変につづいて日中戦争が東アジアで起こっていたことはまず1つの前提となります。日本が、軍事力による領土拡張と国際連盟の脱退という点で、ドイツに先例を与えたことの意味は大きいと思います。
第2次大戦に先行する時期にも、ナチス・ドイツは戦争も覚悟の賭けを何回かしています(1935年のザールラント併合や徴兵制復活・再軍備宣言、36年のロカルノ条約破棄とラインラント進駐など)が、これを米英仏が容認したことが、ドイツの領土要求のエスカレートの直接の要因となっていて、ミュンヘン会談が有名ですが、英仏はその要求も認めます。この段階で、英仏がドイツに対してもっと強く出ていたならば、早期に戦争になっていたら、ドイツの軍備拡張が追いつかず、早々とドイツの敗北で終わっていたでしょうから、ドイツ側が戦争回避に動いた可能性があります。戦争が防げたかどうかはわかりませんが、もっと違った展開になっていたのは確かだと思います。
1939年9月のポーランド侵攻のときも、ドイツは英仏と全面戦争になるとは予想していませんでした。これに対して英仏は対独宣戦布告はしますが、ポーランドの独ソでの分割占領の段階では、ドイツと英仏の大規模な軍事力の衝突は起こっていません。それで、ドイツは英仏を恐れるに足らず、と考えるようになって、その後、北欧・ベネルクス3国・フランスを「電撃戦」で次々に占領下に起きますが、そこには英仏の油断があったことは否めません。英仏がドイツを甘く見たということです。これはソ連についても言えます。ドイツが、英仏やソ連に勝てないと思うような状況だったら、また違う歴史がありえたとは思います。

根本的なところでは、他の方の回答は的を得ていると思います。各国が、軍事力を用いてまで領土を拡張するという意思を持たなかったならば、戦争は防げたというのは、基本だと思います。僕は、もうちょっと細かい技術的なところを書きます。

第1次世界大戦の場合、多分に偶発的な要素がありました。当事者たちも何がどうなっているのかよくわからいないまま、軍事同盟網を伝って戦火が全欧に広がっていったようなところがあります。軍事力の均衡による平和という考え方のもろさを第1次世界大戦は示した、という...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Qアメリカは日本になぜ原爆を落としたのでしょうか

先日、テレビで広島に落とした原爆と長崎に落とした原爆では、種類が違うということを聞きました。
私はなぜ違うのだろうと疑問を感じました。

早く戦争を終わらせるためという理由だけでしたら、同じ種類の原爆でいいんじゃないかなと思ったのです。
アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

B:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)


この質問は過去にも何度か出ており、警告については、連合軍は爆撃前にビラをまいて避難を呼びかけていたという意見がありますが、それには【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)

実は、小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。
長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。
(アメリカはこの事を隠していますが)


アメリカの原爆の使用について、日本が降伏をしなかったからだという意見もありますが、それは間違いです。

当時の日本は条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。
しかし、アメリカは曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇制の維持等が保証されていない)を出すことで、日本が降伏できないようにして、原爆を使用する準備をしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えることとなり、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はでいませんでした。
更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そのような内戦になった場合、中ソが介入して朝鮮やドイツのような分断国家になり、冷戦の最前線になってしまう事も考えられます。

以上から、敗戦後の外交や政治まで考えれば、安易に降伏できる状態ではありませんでした。
そもそも、原爆の使用自体が、民間人の虐殺という国際法違反であり、日本が降伏しないことを理由に正当化するのは間違いです。


原爆の使用について、東京裁判で糾弾されていたという意見もありますが、それは誤りです。
原爆については、日本の弁護についたアメリカ人(ブレイクニー氏)が語っていますが、その目的は↓を指摘することで「裁判自体の無効」を訴えるもので「原爆の使用そのもの」を糾弾するものではありません。

【戦争は国家の行為であり、戦争指導者であっても個人に責任は発生しない。
なので、日本の戦争指導者が個人として責任を追及されているのは間違っている。
日本人が「個人」として裁かれるなら、原爆の使用を決定した者も裁かれるべきである。】

それに、彼の意見は、↓の動画では、裁判所の意向に拠って却下されています。

【A級戦犯は冤罪】(動画:東京裁判の映像)
http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo


この類の質問ではよく言われることですが、戦争は政治であり、外交の一手段です。
である以上、国家間の約束や契約である条約は守る必要があります。
戦争では【国際法】がそれにあたります。
そして、【法】である以上、一国の【都合】や【政治的判断】とやらで解釈や判決が変えられるべきではありません。
勝てば何をしても不問になるなら、国際法は無意味になります。


ご質問の主旨とは外れますが、
対立する意見の者を「ネトウヨ」と呼んで、「歴史の一部」だけを取り出して、「事実」を歪曲したり、印象操作、誤解、させるのは愚の骨頂である。ということを書き加えさせて頂きます。



>だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

質問者様は、WW2が人種差別との戦争であると言われている事をご存じないのでしょうか。
またアメリカ国内の人種差別を知らないのでしょうか。

アメリカには1964年までジム・クロウ法という、黒人は白人と同じ公共施設を使用できないという内容の法律がありました。
こんな法律があるくらいなので、民間でもそれぞれ専用の店があり、トイレも分離されていました。

徴兵されたアメリカの黒人兵は、
【何故我々が、白人と戦っている日本人と戦争をしなければならないんだ】
と言っています。
(アメリカ軍内では、戦闘では黒人がまず先に出され、枢軸軍に応戦させて位置を調べてから、砲撃をしています。)

黒人だけでなく、日系人(アメリカ国籍)も差別の対象でした。

【第442連隊戦闘団(アメリカ日系人部隊)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3
(アメリカ政府は、アメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)不安視していたことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された。)

同じアメリカ人同士ですらこの有様なので、日本人への扱いは更に酷いものでした。

【大東亜戦争における米軍の残虐行為】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=g6MmpEuGipQ

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為...続きを読む


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