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日本は明治維新以降富国強兵をスローガンに掲げ、1894年の日清戦争では日本が勝利し、台湾、遼東半島、賠償金などを獲得しましたが、それと関連するビゴーの風刺画「列強クラブの仲間入り」では、日本が列強入りする姿が書かれ、それに驚いている列強諸国が描かれていますが、この当時のオスマン帝国と日本では、どちらが強い国なのでしょうか?オスマン帝国は、クリミア戦争で勝利したもののその後の露土戦争では敗北しましたが、この時点ではまだオスマン帝国のほうが日本より軍事的には上ですか?

「日清戦争とビゴーの風刺画「列強クラブの仲」の質問画像

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A 回答 (1件)

この当時の日本とオスマン帝国を比べるのは難しいですね。



トルコは露土戦争でクリミア半島からセルビア地域を失うわけですが、まだ本土(今のトルコ)地中海側領土とアラブ側領土は失っていませんでしたから、陸軍の軍事力は相当に強かったでしょうし、経済的には余裕があったはずです。

逆に日本は、日露戦争で陸軍は苦戦、海軍はなんとか勝ったものの、そもそも戦争資金がなくて高橋是清がヨーロッパで借金に奔走するわけです。

戦争が国家の総力であるなら、間違いなくトルコのほうが当時の日本よりも格上だったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/03/11 22:55

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Q三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦

三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。
そこで気になったのですが、当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??
また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所と考えてよろしいのでしょうか?
どなたか詳しい方に教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それすら両陣営ともやや盛った数なので十万に届いていたかどうか。

>何十〜100万の兵
この数は当時の人にとってはSFファンタジー設定でした。
近代の戦争でやっと兵数「数十万」規模の戦闘が記録に登場します。古代と現代の人間の数がこれだけ違うことを考えれば、十万~100万の兵数がいかに思い切った架空設定であったか理解できるはずです。
あり得ない数で架空のお話を創って当時の観客を驚かせたのでしょう。なんでも派手なほうがエンターテイメントとして客を呼べますからね。

なお小説やコミックの『三国志』は三国時代以降に民間で演じられた舞台劇をもとにしたフィクションです。
小説家やマンガ作家の中にも現実を全く学ばずに書いている人が多いですから、あまり本気に受け取らないことです。


>また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所

他の方が回答されている通りです。
日本的に言えば「都市」「街」です。
城を攻略することはすなわち街を攻略することになります。
「●●城が陥落した」という表現があれば、日本では「江戸が陥落した(江戸城ではなく)」というイメージになります。

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それす...続きを読む

Q太平洋戦争に関して質問です。

アメリカ軍は、当初日本軍相手に苦戦しても、ガダルカナル島奪回後1943年以降は圧倒的な物量を投入して日本軍を圧倒していき、サイパン島陥落以降の1944年後半からは本土に対する空襲が激しくなっていきましたが、もしこの時にアメリカ軍がサリンを入手し日本の都市に使用していた場合、のちの広島や長崎の原子爆弾投下並み或いはそれ以上の被害というのは生じていたのでしょうか?日本では防火訓練が行われていても、ほとんど役にたたかなかったと言われていますが、もし日本の空襲でサリンが使用されていた場合、その都市の人口というのは壊滅だったのでしょうか?

Aベストアンサー

>原子爆弾投下並み或いはそれ以上の被害は生じたか?

規模にもよりますが、死者で原子爆弾を上回るのは困難です。
ただし、ガスによる負傷者を考慮すると、被害は上回るかもしれません。



>サリンが使用さた場合、その都市の人口というのは壊滅だったか?

前述のように、死者はそれなりに出ますが、問題はガスによる負傷者。
人数では壊滅しませんが、都市機能としては壊滅的被害になります。



化学兵器は「貧者の核兵器」と言われるくらい殺傷能力の強いものです。
第一次世界大戦で実戦に使用された時には多くの犠牲者がでました。
しかし、ガスはその特性上すぐに拡散します。
第一次世界大戦では、塹壕戦という溝にこもっての戦いだったので、
空気より重いガスがたまって非常に効果的でした。
市街戦での使用であれば、風向きを考慮して効果的な地点に
逃げ道を塞ぐように計画的に散布すれば、小さな町なら壊滅できます。
また、サリンは被害者への後遺症は非常に深刻です。
致死は少なくても、被害は大きなものになります。

日本への使用の場合、空襲による場合はガス弾の使用になります。
このため、少しずれると効果は限定的です。
サリンやマスタードガスの場合、液体で散布して揮発させます。
うまくいけば、車のタイヤや靴について拡散できますが、
基本的に空気より重くて停滞する性質にしていますので、
離れると被害は少なくできます。
もし、米軍がどこかで化学兵器を使用すると、以後は警戒され
ある程度の被害は出ますが、壊滅するほどの被害は困難です。



現実問題として、毒ガスの使用はジュネーブ議定書違反です。
よく勘違いされますが、毒ガスの製造・開発・所持は
この議定書を含め禁止されていません。
また、アメリカや日本などは署名していますが批准していません。
しかし、実戦で使用された場合、日本が使用する口実になります。
日本は、今はウサギの島で知られる大久野島などで毒ガスを
製造していました。もし、米軍が市街地に無差別攻撃をすれば、
日本が米軍への反撃で使用する口実になります。
小さな基地なら奇襲で攻撃されると防ぎきれません。
ちなみに、アメリカはイタリアで毒ガスを持ち込もうとして
貨物船が攻撃され、拡散されて大きな被害を出しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%AA%E7%A9%BA%E8%A5%B2#.E3.82.B8.E3.83.A7.E3.83.B3.E3.83.BB.E3.83.8F.E3.83.BC.E3.83.B4.E3.82.A7.E3.82.A4.E5.8F.B7.E4.BA.8B.E4.BB.B6
Wikiにもありますが、この時ドイツの攻撃を憂慮したアメリカは
「毒ガス使用は報復限定」と声明を出しています。
日本にも用意していたとされますが、規模は分かりません。
アメリカは毒ガスの使用は可能でも使用しませんでした。
サリンを入手しても、あくまでも報復のため限定的な地域が対象で、
都市に使用することはありません。

>原子爆弾投下並み或いはそれ以上の被害は生じたか?

規模にもよりますが、死者で原子爆弾を上回るのは困難です。
ただし、ガスによる負傷者を考慮すると、被害は上回るかもしれません。



>サリンが使用さた場合、その都市の人口というのは壊滅だったか?

前述のように、死者はそれなりに出ますが、問題はガスによる負傷者。
人数では壊滅しませんが、都市機能としては壊滅的被害になります。



化学兵器は「貧者の核兵器」と言われるくらい殺傷能力の強いものです。
第一次世界大戦で実戦に使用された時に...続きを読む

Q玉音放送で国民がなぜ天皇陛下の声を知っているのか

https://www.youtube.com/watch?v=YbdCWdRNgz4
このラジオ放送です。
ラジオだから音声だけで顔は見えないはずなのに何を根拠に天皇陛下だと判断したのでしょう。

Aベストアンサー

>ラジオだから音声だけで顔は見えないはずなのに何を根拠に天皇陛下だと判断したのでしょう

玉音放送の時点で「この声が天皇陛下だ」と思った人はほとんどいなかった、というのが真相です。

ただし、玉音放送がある、仕事の手を休め学校も中断して聞くように、という命令が事前に出ていたこと、放送内容が「日本はポツダム宣言を受け入れて降伏する」という内容だったことから、「天皇直々に話をされた可能性が高い」と思っただけです。

その後の新聞やラジオのニュース、降伏後の敗戦処理などの内容が伝わるにしたがって「あれは本当に天皇がしゃべったんだ」という認識が広まった、ということです。

Q戦争が進むと日本軍に独立部隊が増えるのはなぜ?

日本の戦史を見ていて気づいたことが有ります。旧日本軍では師団に属しない部隊は頭に「独立」がついて独立部隊と呼ばれます。日清日露戦争では独立部隊は少なく、砲兵旅団とか騎兵旅団が少しある程度でした。しかし日中戦争あたりから混成旅団などで独立部隊が増えだし、太平洋戦争では独立混成連隊・独立歩兵大隊・独立速射砲大隊・独立戦車中隊など独立部隊がどんどん出現し細分化されていきます。師団を離れた小兵力の部隊が増え続けた理由は何なのでしょうか?

Aベストアンサー

師団では戦闘単位として大きすぎるようになってきたからではないでしょうか。

師団はそもそもそれ単独で方面の戦闘行動を継続できる諸兵科連合の戦闘単位であり最小の戦略単位です。
ところが、師団では大きすぎて小回りがきかない場合というのが往々にして発生するようになってきます。
そこで必要な戦域に必要な戦力を投入するために師団の隷下に属さない独立部隊が増えていったわけです。

同じような事はヨーロッパでも起きていますよ。
ドイツ軍の重戦車大隊はほぼ独立部隊として各戦域を転戦していますが、まさにこれがいい例でしょう。

参考程度にどうぞ。

Q日本では店員の方が礼を言います。また、三波春夫の唄う ”お客様は神様です” も、知れ渡っています。

日本では店員の方が礼を言います。また、三波春夫の歌う”お客様は神様です”も、知れ渡っています。
 日本人がこれらを受け入れることができた心情は、どのように涵養されたのでしょうか?
(私は、根拠はないのですが、江戸時代の近江商人や江戸商人によって育て上げられたのかな、と空想していますが)

Aベストアンサー

三波春夫さんの言う、「お客様は神様です。」については、1961年宮尾晋さんとの対談で生まれた言葉です。ここでいう、お客様は、金を払う人ではなくて、ファンのことですね。ですから買い物客とは少しニューアンスが違います。

そして、買い物客に礼を言う行為は、やはり、頭の低い大阪商人から始まったのではないでしょうか。
元来、近江商人は、かける経費に利益が少ないので、行商などが多くて、<近江商人が歩けば、ぺんぺん草も生えない。>と言われましたから、それほど全国を駆け巡ったのでしょうね。そして、彼らが日本全国の動向を伝える、マスコミの役割もしたと考えられます。
また江戸商人は、下級武士や地方農民が始めたのが広がって言ったので、それ程、商売にたけなくても、膨らむ江戸の町で利益は上がったと思います。
そうすると、比較的手広く売買をした、大阪商人は、次 来てもらわなくてはいけないし、顧客確保の四苦八苦したと思います。「まいど!!」と言う言葉も、大阪商人が使いますが。覚えていますよ!!
と言うことを言葉に出したのが、「毎度毎度ありがとうございます。」を縮めて、「マイド!!」と言いますね。そこからすると、ありがとうございますのお礼も、大阪商人から出て、近江商人を経て、江戸商人へ渡ったと考えれば、辻褄が合いますね。
そして、毎度という言葉も、今でも関西では、使われていますね。
ということではいかがですか。

三波春夫さんの言う、「お客様は神様です。」については、1961年宮尾晋さんとの対談で生まれた言葉です。ここでいう、お客様は、金を払う人ではなくて、ファンのことですね。ですから買い物客とは少しニューアンスが違います。

そして、買い物客に礼を言う行為は、やはり、頭の低い大阪商人から始まったのではないでしょうか。
元来、近江商人は、かける経費に利益が少ないので、行商などが多くて、<近江商人が歩けば、ぺんぺん草も生えない。>と言われましたから、それほど全国を駆け巡ったのでしょうね。...続きを読む

Q日本史に出てくる人物で一番の卑怯者とは

日本史に出てくる人物で一番の卑怯者を挙げるなら誰を挙げますか?

Aベストアンサー

徳川慶喜。

己の命令で部下が戦っているのに、
さっさと逃げだし、大政奉還。

この時、家康以来の金扇の馬印は置き忘れたが
お気に入りの愛妾は忘れずに同伴していた。

その後は、金が無く苦しむ部下を見捨てて
趣味三昧で、天寿を全う。

Q元号は現在、天皇陛下が代わられると元号を変える事ですが、江戸時代やそれ以前の時代では、どのタイミング

元号は現在、天皇陛下が代わられると元号を変える事ですが、江戸時代やそれ以前の時代では、どのタイミングで変わっていたのでしょうかか?

Aベストアンサー

今のように、天皇の代替わりのときにだけ元号を変える制度になったのは、明治からです。その結果、天皇と年号が1対1に対応するようになりました(ということと関係があると思いますが、明治以降の天皇は、明治天皇のように年号で呼ばれています)。
それ以前は、めでたい事があった、天変地異、疫病がはやったとか、いろいろの理由で年号を変えていました。

Q真珠湾攻撃をアメリカが事前に知ってたは明らかにウソでは?

戦死2,345民間人68。
これだけ犠牲が出たのを事前に知ってたけど戦略的な理由で黙ってましたは関係者が遺族から袋叩きになりません?
アメリカは民間人も銃を持ってます。
予想される犠牲者が数人ならともかく有り得ないと思いませんか?

Aベストアンサー

真実はだれにもわかりません。

しかし状況から見て,おおよそのことは判断できます。
私は質問者さんの感覚は正しいと思います。

知っていたけど黙っていた・・・
そんなことがあとからバレたら大統領どころか
政権も吹っ飛びます。

戦争を始めるにはもっと小さな被害で十分です。
民間人が一人虐殺されれば国内は大騒ぎになり,
戦争へとつながります。

生麦事件だって死んだのは一人です。
そこから薩英戦争が起こりました。

軍人を2000人以上犠牲にする必要はありません。
まあ,No.9さんの回答も説得力がありますけどね。

歴史は証明が難しいため,
とかく自分の都合がよいように操作されるものです。
質問者さんのように「自分の常識で考える」のが
いちばんよいのでしょうね。

Q旧日本軍が満州地方を短期間で占領できた理由

戦前の日本軍は柳条湖事件をきっかけに満州地方を短期間で占領してしまいます(満州事変)。
日本の3倍近い面積をもつこの地域を、日本はどうして短期間に奪い取ることができたのか不思議でならないのですが、その理由は何だと考えられるでしょうか。

ナチスドイツが征服したフランスよりも広大な地域を、わずか半年程度で勢力下においてしまうというのは恐るべきものだと思うのですが。
また、満州事変においては南京大虐殺のような事件(この事件が本当だったかどうかは置いておいて)がほとんど起きなかったのも不思議です。レジスタンスのような運動もあまり起きなかったのではないでしょうか。
あれだけ反日的な中国政府でさえ、満州事変の際の日本軍の暴虐についてはほとんど言ってこないのですから。

Aベストアンサー

もともと満州は清国を建国した女真族の聖地で、清国全盛時代には漢族が入り込むことは禁じられていました。 当時の満州は今の日本と同じように安全で、家に鍵をかけて外出する必要がなかったと言われています。 ところが清国が衰退し始めると満州に漢族たちが次々と入植を始めました。  漢族が入植した土地は、強盗団が跋扈して、安心して暮らせず、満州の治安も酷い状態になりました。 そのため、日本が女真族をバックアップして女真族の国である満州国を建国したのです。その結果、満州国は以前のように安全な国になりました。 満州国は日本軍が中国人(漢族)を追い払って女真族の皇帝を担いで作った傀儡国では決してありません。 日本が満州を中国から奪い取って、日本の傀儡である満州国を作ったと言うのは、戦勝国のでっち上げでしかありません。 この事実を知れば、質問者さんの疑問も自ずと氷解するでしょう。

Q戦後、社会主義国家が世界中に成立したのは何故でしょうか?

ソ連の崩壊を以て、社会主義は資本主義に負けたと言われますが、第二次世界大戦の後に、世界中で社会主義国家が成立し、完全な資本主義国と言えるのはアメリカと西欧と日本だけになりました。

70年前にソ連の周辺国を始めとして世界のあらゆる場所で社会主義国が成立し、中国やベトナム、キューバでは資本主義が社会主義に敗退する結果になったのは何故なのでしょうか。

Aベストアンサー

理由は「植民地支配から独立する時に左翼主義者を共産国が応援したから」です。

フランス革命とアメリカ独立はどちらも18世紀後半のことですが、この後ヨーロッパは20世紀初頭にかけて、民主主義革命が相次ぎます。もっともこれには立憲君主制も含みますが、今までの絶対君主制が崩壊していくわけです。
 
これがヨーロッパで進んだ背景にはイギリスの産業革命の影響もあります。産業革命は農本主義とイコールだった絶対君主制に風穴をあけ「資本を投下する自由」ということで、階級社会よりも資本を持って居る人を優先する「資本主義社会」への変革を推進したからです。

資本主義社会は階級にかかわらず「資本を持っていれば自由に経済活動ができる」ことを要求し、その結果として富の再分配システムでもある政治システムが民主主義(多数決主義)に変わることを推し進めたからです。

しかし、主に19世紀の資本主義への変革は農民を労働者に変えただけで、君主による搾取よりもひどく、再分配システムはうまく機能していませんでした。また民主主義社会への転換は革命によるものでしたので「革命的手法による民衆の幸福の追求」は権利とされていて、そこにマルクス=レーニン主義が入って、1917年のソビエト革命につながっていくわけです。
これにより、ロシアとその周辺地域は社会主義的な体制になっていきます。

重要なのは、20世紀の初頭、第2次世界大戦までは意外に共産主義がうまく機能したことです。理由は様々ですが、現代ほどには自由経済ではなかったし、農民を労働者に変化させる工業化も各国で中途半端だったために「モノを作って生活を成り立たせる」ということが資本主義でも共産主義でもあまり違いが出なかった、からでしょう。
生産性に違いが無いなら、共産主義的な労働のありかたも一定の評価を受けていたのです。

ですから第2次大戦前の共産主義国は非常に強大な経済力も、人民動員力もあり、近代国家としてかなりの力をもっていたのです。そのため、ソ連は多くの国へ共産主義を広げる機会を狙っており、中国でも毛沢東の人民解放軍はソ連から軍事的援助をもらっていました。

第2次世界大戦の結果は誰でもご存知だと思いますが、ここで問題なのは「西側諸国の荒廃」と「日本の敗戦」です。
日本が敗戦したことにより、ソ連は朝鮮半島に容易に進出し、中国も人民解放軍が優勢になって手本主義側である国民党軍を大陸から追い出すことに成功しています。

つまり日本が抑えていたアジア大陸の共産化に歯止めが効かなくなり、結果としてアメリカは朝鮮戦争・ベトナム戦争とアジアの共産化に対応することに迫られることになるわけです。

同様に、それまで植民地支配していたヨーロッパ各国も戦争で荒廃したため、植民地統治能力を失い、各地で植民地が独立していきます。イギリスはインドを失いますが、この地域はソ連から見ても中国から見ても中央アジア山脈が邪魔をしているので、共産化には至りませんでしたが、中国大陸と接していたベトナム、ラオス、カンボジアは日本撤退とフランス再統治に反対してインドシナ戦争を行い、その結果フランスが撤退すると、今度は民主主義国か共産主義国かで独立のための指導権争いを行い、激しい内戦に突入していきます。

同様に、ヨーロッパでも第一大戦の結果ドイツの敗戦により、オーストリア=ハンガリー帝国が弱体化し、事実上この地域がヨーロッパを共産主義から守ってきた地域だったため、この辺りの国はドイツとソ連で分割されるか、独立時に共産主義政府が樹立されることが多くなり、ナチスドイツの侵攻の結果一時的に王国に戻ったり、明主義勢力がもりかえしたものの、ナチスドイツの敗戦とともに多くの国がソ連の永世国家になっていきます。このように衛星国になったヨーロッパの国を東欧というわけです。


第二次大戦後、なぜ社会主義国が生まれたかというと、その地域を支配していた日本や西洋国という植民地支配国家が撤退し、権力の空白、無政府状態が現れたからです。日本やドイツは占領されなすすべがありませんでしたし、ドイツはソ連に分割統治までされています。

日本国土は、ドイツ分割を反省したアメリカのおかげで分割されることはありませんでしたが、その代り日本が撤退して権力の空白ができた朝鮮半島にソ連がすかさず入って、傀儡国家である北朝鮮を作ってしまいました。

東欧にしてもアジアにしても、日本と戦った地域の西洋国はその後の独立機運を抑えるほどの国力をすでに持っていなかったので、各地が独立し、結果としてソ連から多大な支援を受けた共産勢力が優勢な状態であったといえます。
もっともカンボジアなどはタイが共産国を嫌ったこと(王国なので危機感を持った)、イギリスやアメリカなども積極的に民主勢力を支援したことなどから、逆に激しい内戦を呼んでしまいます。

ベトナムに至っては、大戦中ホー・チ・ミンはアメリカからも援助をもらっており、戦後の独立処理で共産主義の対立の時にアメリカがあまりにも主権を侵しすぎたので、ベトナム戦争になっていくのです。結果アメリカは負け、ホー・チ・ミンですら共産主義をえらんだわけです。

結局第2次世界大戦でアメリカを除いた資本主義国が疲弊し、植民地の支配ができなくなり独立機運の高まりに共産国が援助したことが大きな理由であり、当時のソ連はアメリカと宇宙開発競争ができるぐらい、経済に余裕のある国であったわけです。またソ連は地上を移動するだけでの軍事援助など各国に影響を及ぼすことができますが、アメリカは本国から船で移動しないと影響力を行使できず、それが結局朝鮮戦争での苦難・ベトナム戦争の敗北につながっていくのです。

第2次世界大戦前は、西洋と米ソ、そして日本しか独立国はありませんでしたから、戦争終結で起きた権力の空白が当時強大だったソ連の台頭を許すことになったのです。

理由は「植民地支配から独立する時に左翼主義者を共産国が応援したから」です。

フランス革命とアメリカ独立はどちらも18世紀後半のことですが、この後ヨーロッパは20世紀初頭にかけて、民主主義革命が相次ぎます。もっともこれには立憲君主制も含みますが、今までの絶対君主制が崩壊していくわけです。
 
これがヨーロッパで進んだ背景にはイギリスの産業革命の影響もあります。産業革命は農本主義とイコールだった絶対君主制に風穴をあけ「資本を投下する自由」ということで、階級社会よりも資本を持って居る...続きを読む


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