アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

もしも原爆が投下されてなかったら、やはり本土決戦、一億玉砕になっていたのでしょうか?原爆以上の犠牲者がでたのでしょうか?
ソ連が侵攻して、北海道はソ連のものになったのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

ソ連参戦の時期によって、ポツダム宣言受諾の日はかわってくるのではないかと思っています。



日本がポツダム宣言を黙殺した理由には、ソ連はまだ和平交渉の仲介を受ける意思があるかもしれないという希望、願望が日本側にあったからだと考えます。

しかし、4月5日に日ソ中立条約を一方的に破棄されたことを考えれば
あまい願望だったのかもしれません。

つまり原爆が投下される8月6日より前に、ソ連が参戦していれば終戦もありえると思うのですが、その場合はソ連の動きにあわせてアメリカも動くでしょうから、アメリカに悪意があれば、なにかと理由をつけて、いずれにしても原爆は投下すると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:19

ANo.10のrin00003です。

補足です。

前になにがしらかの戦争映画で、1億玉砕になった場合の民間人の武器を、そこだけ当時の実写で見た記憶があります。

確か弓矢のようなものだったと思います。

各島で玉砕までし、特攻隊までだし、日本はやめるにやめれなくなったのでしょうか。

私には当時の首脳部の気持ちはわかりませんが、映画[連合艦隊]の宇垣中将が草鹿参謀長に[しかたないで(戦争を)始めて、しかたないでやめるのか。。]といったようなセリフを今でも覚えています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:19

ここのスレで仮定の話題を投げかけても議論百出するばかりで意味がないとおもいます。

しかし当時の日本人がアメリカ人をどのように評価していたかを知らなければ何故特攻隊まで出して戦争をしていたか理解出来ないはずです。アメリカ人は黒人を奴隷としてこき使い、原住民をほとんど虐殺して国を豊かにしてきた国民である。過って国際会議で日本の提案した人種差別禁止法案がアメリカの反対で多数決で可決されるべき案が廃案になっています。それらのいきさつから日本の敗戦は日本人がアメリカの奴隷になることを意味すると解釈していたようである。奴隷として生きるよりも死を選ぶのが日本人のように思います。アメリカは民主主義の国で人権を尊重して人類愛に力を注いでいるような解釈など戦後にアメリカの方針が変わっただけです。戦後になり原爆で一般住民の大量虐殺はまずいことにきずき、原爆投下がなく戦争継続していれば日米で虐殺で死んだ人数の何倍もの人々が無くなったはずだといいふらしてきたがアメリカ軍が日本本土に上陸して来たらの話しであり、なにもそんな危険をおかさなくとも海上封鎖して食料自給出来なくなるのをまてば良いだけであり、ベトナムで散布した枯葉剤は日本の水田に散布するために開発された薬剤だそうです。原爆は相手が日本人であるから投下されたのであり相手が中国軍の場合にはマッカーサーを解任してでも投下させなかったのです。人の考え方など時代と人種により色々変化するものであり後世の人間にその当時の行動など予測できないものです。尚南京大虐殺の話しがでてくるのは戦後の東京裁判の時に初めて出てきた事件です。何故第二次大戦の始まる四年も前の事件が当時外国人も多く住んでいた街での事件が十年後の裁判に登場してきたのか、これは明らかに広島長崎に対向するため日本軍も同じような虐殺を何処かでしているはずだとして作られた事件でしかないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:18

原爆投下がなかったら、本土決戦はアメリカの予定作戦の日程に上っていました。


従ってポツダム宣言の受諾が遅れれば九州、関東地方に米軍の上陸が行われたでしょう。
しかもこの作戦では化学戦(毒ガスの使用)も計画されて準備は整っていたようです。
この場合九州では原爆投下によるよりも遙かに大規模な日本人が殺傷されたと思われます。  しかも米軍は損害皆無で。

もちろん当時日本には戦争継続の手段も能力もありませんでしたからそのような事態は始まった途端に敗戦となったとおもわれますが・・。
少なくとも原爆投下以上の犠牲者がでていたと思います。

北海道の運命はソ連軍の侵攻まで抵抗が続いたかどうかで決まったでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:20

広島に原爆が投下されたのが8月6日、ポツダム宣言の受諾を決めたのが


8月9日(打電は10日、11日に再確認、14日に正式受諾、打電、15日に発表)。
その3日間に原爆の威力や被害状況を正しく把握することができたでしょうか?
原爆の存在を知っていた一部の科学者以外には把握できていなかったでしょう。
今のようにニュース速報も無かったし、テレビも無かった時代です。
それにたった3日で一億玉砕から降伏に転換できるほど国策というのは
簡単に変更できないものです。郵政民営化にかけた時間は何年ですか?
日本はそれ以前から既に終戦に向けた体勢に入っていたのです。
どのタイミングでどの程度の条件をつけて降伏するべきか、政府内、
軍部内での駆け引きが無駄に続いていただけです。
日米にとって誤算だったのはポツダム宣言公表後にソビエトが満州に侵攻した
ことでした。日本政府にとっては原爆よりソ連の参戦が痛かった。
アメリカはソ連を牽制するために原爆の開発に成功したことを誇示する必要が
あったのです。広島、長崎への原爆は対日ではなく、対ソのために落とされたと
見るべきでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:20

ここは質問して回答を得る所です。

「仮定についての質問」には確たる回答をすることができず、議論になってしまいます。ここでは「議論のための『質問』」は認められていません。

「原爆が投下されなかったら?」という議論をしたいのなら、その筋の掲示板等にトピックとして投稿されることです。そういった掲示板は山ほどありますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:20

もしも、の話ってむずかしいですよね?



原爆が投下されなかったら、「もっと人が(アメリカ人も日本人も)死んでいたでしょう」とアメリカ側は言っていますけど・・・この意見は、日本側にしたら言い訳にしか聞こえないですし。
「降参後、自決して、みずから死を選ぶ日本人に驚いた」って発言もしています。降参後、自決する人がたくさんいたそうですが、原爆以上の犠牲者の数には上らない、と私は思います。

死者約14万人ですよ、しかも、原爆戦争はまだ続いています!今もなお、放射線によっての病気や死者がいるんですから・・・

ソ連侵略もどうでしょうか?
アメリカ(民主主義)とロシア(社会主義)は主義・宗教も違い仲悪かったので、お互いが(中国を含め)日本侵略していけば、日本はバラバラになっていたカモ知れませんね。でも、その後またバラバラの日本を巡って戦争していたかも知れませんよね?
結局は原爆投下してポツダム宣言により、今の日本があるという事実がありますが、当時、原爆を持っていた・原爆を投下できる図太い神経を持っていたのが、アメリカだけならば、他の国は勝ち目なく降参していたはず。落とす前から独り勝ちだったとすれば、北海道はロシアのもの=無理だったのでは?あくまで、想像でしかないのですが。これも、原爆投下したアメリカ側の言い訳にしか聞こえません。戦争、反対!以上
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:21

 もし原爆が投下されていなかったらですが...



 本土決戦:可能性は高くなりますが、必ずしもそうなっていたとは限りません。既に日本は継戦能力が著しく低下していた訳ですから、米軍としては本土上陸して人的損失を被るより、通常爆弾や焼夷弾の爆撃を継続して降伏させる手段をとったかもしれません。

 一億玉砕:かなり確率は低いでしょう。ポツダム宣言受諾や終戦処理でもめたように、国体護持は非常に重要な課題であったことを考えると本土での戦闘が進捗した途中の節目で降伏した可能性が高いと考えられ玉砕は考えにくいと思います。それ以前に、厭戦気分が著しいと思われ、また捕虜を使った宣伝工作等で積極的に降伏する可能性もあったと思うので玉砕するほどの抵抗がなされたかどうかは疑問です。

 原爆以上の犠牲者がでたかどうか:可能性は高いと思います。降伏のタイミングにもよりますが、原爆投下が降伏決定に重要な役割を果たしたことを考えると、戦略爆撃による被害者が原爆のそれを超えることは十分考えられます。

 ソ連侵攻:北海道に進攻することは十分に考えられますが、日ソ中立条約の破棄もまた降伏決定の一要素であったことから北海道上陸前に降伏していた可能性の方が高いと思います。

 ソ連による北海道の領有:ソ連が北海道に進攻していたらその可能性は高いと思いますが、その可能性が低いと私は思うので領有はより可能性としては低いのではと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:21

 原爆が落ちてもポツダム宣言受諾は極めて危うく、天皇暗殺の危険もありました。

落ちていなかったらポツダム宣言受諾はなかったでしょう。その揚句には北海道はソ連に占領され、分断国家の形で講和条約を結ぶ破目になった可能性が高いですね。
 だからと言って原爆投下は正当化されるものではありません。非戦闘員を無差別に殺戮した罪は明らかにジュネーブ条約違反であり、それは正当化される理由にはなり得ません。それが正当化されるなら毒ガスや生物兵器を使ってもいいことになりますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:22

私の考えなら、原爆投下されなかったら、終戦が伸びていたと考えます。

 降伏の準備は考えていたとは思うけど、日本の首脳陣の考え方が
バラバラで、混乱していたと思う。
ちゃんと、降伏の準備ができていたなら、広島の原爆投下後すぐに、
降伏していたなら、長崎の原爆は回避出来たと考えます。
首脳陣の判断の迷いが、長崎投下に繋がったと思います。
私は首脳陣の頭の固さが原爆投下になったと思う。
他の人はどんな回答が出るかな??
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/23 17:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!