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もしも日本がトルーマンの予想に反してポツダム宣言を即日受諾し、原爆投下のタイミングや、ソ連対日参戦の機会を逃してしまった場合、戦後連合国が腹いせに天皇皇族の処刑や、日本政府の解体などに着手していたという可能性はありますか?
皮肉なことに原爆が投下されて、ソ連が対日参戦して、樺太や千島列島を取ってくれたから、戦後天皇制が廃止されなかった、という見方は妥当ですか?

A 回答 (5件)

この手の質問には、数多の方が「歴史にもしもは無い」と答えてます。



事を始めるのは勢いで始まりますが、事を終了させるのは難しいのです。
唱えた者は殺されますから、猫の首に鈴を付ける人は、居なかったの
です、議論さえも出来ない位、大本営は腐りきって居たのです。
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回答を一部訂正。

ソ連の対日参戦自体はヤルタ会談で決められた事でしたね。失礼しました。ただその点以外は先の回答で撤回する所はありません。そもそも原爆投下は「ソ連の手柄にさせないため(では?)とも言われているそうですから、原爆投下と天皇制存続が無関係(少なくとも直接的には)と言うのは疑いの余地はないでしょう。
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むちゃくちゃ。

牽強付会。論理のかけらも見受けられません。

そもそもアメリカがソ連の対日参戦を期待する理由は? アメリカにしたらむしろ対日参戦なんかして欲しくないはずです。アメリカにとっていい事なんか何もないわけですし。
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トルーマンが危惧していたのは、ルーズベルトがスターリンと密約していたソ連の対日参戦であり、なんとしてもそれを阻止したかった、というのが正しいと思います。



天皇の件は全く別問題だと思いますので、結果は変わっていないと思います。

今も昔も何も変わっていないソ連のクズ指導者どもがなんとも思わないことを米国大統領は非常に憂慮します。
それは、当時の対日上陸作戦での米軍死傷者数の多さです。ルーズベルトがスターリンを頼ったのはこういう背景がありますが、トルーマンはスターリンがクズ野郎だと即座に見破るとともに、密約の存在を知って愕然とします。

トルーマンはソ連の対日参戦阻止と米軍の日本本土上陸作戦回避の解決策として原爆投下を選択しています。しかし、原爆投下でもポッダム宣言受託とはならず、ソ連の対日参戦が決定打になったというのは悲しい結果だったと思います。
ソ連は休戦の8月15日から戦争終結の9月2日まで、北海道を分捕るため樺太と北方領土でガムシャラに攻撃して日本軍に痛い目にあっています。満州では休戦により日本軍が武器を返納したため多くの日本人が悲惨なことになり、ソ連は対日戦では何もしていないのに、まんまと北朝鮮を手に入れています。

歴史から学ぶべきは、ソ連指導部のクズレベルの酷さであり現場に投入された兵士の残虐さだと思います。
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何を言ってるやら。

ソ連の対日参戦期日は、ヤルタ会談で決まっていました。それを知らなかったのは日本だけでしたが。ヤルタ会談は、ルーズベルト・スターリン・チャーチルです。

一方、トルーマンは原爆完成の時間稼ぎの為にポツダム宣言を発したのです。”日本がトルーマンの予想に反してポツダム宣言を即日受諾”なんてヘマをトルーマンがやるわけない。腹いせ?なんのこっちゃ。漫画の見過ぎ。
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