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 信長は両者を併用していましたが、それは何故でしょうか?
 秀吉が石高制を採用したのは、貫高制より優位性があったからでしょうが、つまりそれは何なのか、端的具体的に教えていただきたいのです。

A 回答 (4件)

貫高制は土地から得られる収益を銭に換算し金納させる制度ですが銭そのものの普及率が低く、絶対量が不足しており実際には米納と併用でした。



領主が家臣に課す軍役や負担は貫高によって決められていました。
貨幣の品質、数量もまちまちなので基準も同一に成りにくかったのです。

秀吉は太閤検地を全国規模で同一の基準で行いましたから全国の収益を把握出来たのです。  貨幣の供給量の不足は改善されなかったので米納に切り替え軍役の負担も石高によると定めたのが石高制です。
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秀吉が与えた知行に矛盾が噴出したからです。



枡は全国まちまちの大きさで、田畑の面積が曖昧で、
土地の権利者が二重、三重は当たり前だったからです。

これでは知行が多い、言った量の半分だったなどと不平不満が噴出してしまいます。

これでは大名の申告する貫高などあてになりません。
現に、山内一豊が土佐を検地すると実際には20万石もの増高であったのです。

土地の権利を1人に定める。
京枡で統一する。
検地尺(6尺3寸)を1間と定める。
田畑の取れ高で上、中、下、下下田の等級を定める。

特に、大名の領地内で年貢の中間詐取をしていた地侍、土豪、名主百姓
は一揆や暴動を起こします。

時に、検地大名を殺す時もあったようです。
秀吉は首を取って晒すなど、強行に検地を進めます。

この件と刀狩により、大名に仕える侍と、土地に縛られる百姓との構図(身分制度)がほぼ完成します。
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訂正


× 中国の銀の生産が減ったから。
○ 中国の銅の生産が減ったから。

生産が減ったのは 銅 でした。失礼
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中国の銀の生産が減ったから。


というのが、根源のようです。

貫高制は、銭で納税することを前提として成立します。この銭とは、明からの永楽通宝などの銅銭です。十分な銅銭の供給が安定的に存在しないと、貫高制は成立しないわけです。日銀が紙幣を発行しないで、給料が銀行振り込み、しかし、税金は 現金で払え!と言われても税金を払えないようなものです。
明では、銀本位制で、この銀はアメリカからヨーロッパ経由で供給されていました。なので、銅銭は明の国内では使われず、もっぱら輸出用です。その重要な輸入国が清盛の時代からの日本でした。
この、根源の明で銅の生産が減り、銅銭を作らなくなったので、日本で銅銭不足になった。そのために貫高制をやっても、銅銭で納税できなくなった、というのが貫高制から石高制への移行の背景です。
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