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みなさんは、
死にたい時、どうやってその考えを捨てますか?

今まで僕は死にたいと思ったことが何回もありますが、
何とか楽しい事を見つけて、のりきってきました

でも最近、ずっと鬱のような気持ちが続いてて、
本当に死んでしまいそうです。
今日も、非常階段から女の子が飛び降り自殺をしたニュースを見ました。
次は自分かもしれない、と思います
何日か前、駅のホームでボーっとしていて、急行の通過が来た時、発作的に飛び込もうとしてしまいました。
体が勝手に動いた感じでした

もっと人生を楽しみたいけど、それが出来ません
親が宗教に入ってて、幼い頃からそれを強要されて、つまらない人間になってしまったから
神が世界を救うとか 世の娯楽を捨てろとか そんな事を

今、一番楽しいはずの時期だけど、友達がいません
同世代の人はきっと旅行やカラオケに行って、良い思い出を作ってるだろうけど、僕は毎日をだた虚しく過ごしている
勉強して寝るだけの毎日
人と関わりたいけど、誰も僕と一緒にいようとは思わない
誰からも相手にされない

親は僕を見捨てたみたいです
「もう一度はじめから子育てが出来たらちゃんとした子に育てられるのに」、と、僕が聞こえるところで言っていました
でも親を憎いとは思いません
16年間、ほぼ毎日食事を作ってくれたと思うと涙が出る
あんな宗教に入って欲しくなかった

もう将来に何の希望もありません
きっと、何の思い出も、何の出会いもないまま学生生活が終わって、社会人になって、孤独のうちに人生を終えるだろうとしか考えられません

今死んでも、60年後に死んでも、結局は同じこと
60年間の孤独の苦痛を考えたら
今死んでしまう方が楽なんじゃないか、と、そう思います

生きていたいけど、死んでしまいたい。
この世から消える事は寂しいけど、消えて楽になりたい。

2つの気持ちが入り混じっている感じ
そして最近、死にたい、という気持ちが勝ってしまいそう

次は本当に電車に飛び込んでしまうかも知れない
早くこの「死にたい気持ち」を捨てたいです。
どうすれば、ポジティブに生きる事が出来ると思いますか?

A 回答 (15件中1~10件)

死にたいと思った事ありますよ。

死のうとした事も。
結局怖さが前面にきてしまったので、橋から飛び降りる事はできませんでした。
雨の振る中、傘もささずに真夜中とぼとぼと歩いて行ったのに・・。
泣きながら歩いて行き、泣きながら帰ってきました。
その時の感情はただ、虚しかったですね。

質問文を見る限り、質問者様が気にしている所=改善させた方が良さそうな所がチラチラと私には見えてきましたよ。

多分自分でもあれこれ考えていて本当は何が必要なのかを察しておられるのだと思います。
(~だったら良いのにーとか妬んでますよね、きっと)

一人で考えてよくわからなくなった時には信頼できる人に相談するか、専門家に助言を求めるかすると良いと思いますよ。
あとはよくわからなくなった時には自分で意識して考える事を止めてみるのも良いですよ。
落ち着いてから再度考えてみると「なぁんだ」と思う事が結構あります。

色々楽しいだろう未来に期待をしたいけど、できないのって本当に悲しいですよね。

「死にたい気持ち」を捨てたい

との事ですが、
私からは

「何も考えない事。ただ今を生きるという事実を許すこと」
「人は人、自分は自分と思って比較しないこと」
「たまには良い事も起こる」

こんな事をアドバイスさせていただきます。

人は苦しんだらその分良い事に敏感になれると思います。
なので、底まで沈んだ人はとても心豊かに以降を過ごせる可能性を持っていると思いますよ。

それを活かせるか、殺してしまうかはその人次第だと思います。

私は今でも悩みはあり、苦悩の日々ではありますが、一時より自分の事をより掴めてきたし、暮らしやすくはなっています。

やはり、マイナスイメージで過ごしているとマイナスになってしまう気がします。何とかプラス思考でいたいですね。

私がポジティブに生きるようにできるようになった事は
元来人の喜ぶ事で嬉しくなれる質を持っているので、
例えばこのサイトでこの様に経験談やアドバイスをして偽善かとは思いますが、
「こんな私でも誰かをきっと助けられる事もある」

と思えるように積極的に考えた事ですね。
自分には生きているだけで価値があるのだと思うようにしています。

人間はたくさんいますが、それぞれ全く同じ人っていないんですよ。
だから、たった一人の人に、その人にしかない何らかの価値が絶対あると思います。
神秘的ですね。ちょっとうさんくさいけどww

人生にゴールはないってよく聞きますね。
でも目標などの通過点はその時その時で存在するとも聞きます。

だから結論なんてないんですよ。

生きているうちに明日はこうなるかもしれない、1年経ったら・・かもしれない。・・ちょっと意味不明かもしれないです^^;。

何だか色々深く考える所が似ているなあなんて思ったので、もしかして?と思ったので書籍紹介しておきます。

↓ ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。
http://www.bk1.jp/review/0000029861

↓ 書籍に関連しているブログです
http://rashiku.blog43.fc2.com/blog-entry-117.html

あなたに変なレッテルを貼りたいわけではないので、誤解されてしまいそうですが、理解いただければと思います。
思い当たる節がなければ華麗にスルーしてください。

問題はたくさんありますけど、一気にはやろうとしても無理だし、実際無理です。
マイペースにちょっとずつ快適に近づければそれだけで嬉しくなれますよ。
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ありきたりできれい事だけれど、いつか必ず「生きていて良かった」と思える日が来ます。

それはどんな瞬間かはお楽しみです。美味しいものに巡り会えたとき、気になる人が出来たとき。これからの人生、山あり谷ありの連続です。あなたは両親や親戚、いろんな人たちに囲まれて歓迎されてこの世に生を受けたのです。あなたを育てるためにお母さんは一生懸命美味しいご飯を作ってくれているのです。あなたが学校に通えるようにお父さんは一生懸命働いてくれているのですよ。本当に見捨てたというのは、そういうことではないような気がします。何が孤独なんですか!!私なら我が子に自殺されたら、後を追います。お願いだから死なないで!
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質問者さんは、とても優しい心をお持ちだと推察します。


恐らく、親に反抗した事はないのではないでしょうか?
いくら子供が可愛いとはいえ、親の思想や信仰を子供に押し付けて良い訳がありません。
Digiloveさんは被保護者ではありますが、「嫌なものは嫌!」と主張し、自由な考えで
生活する権利があります。
思春期の反抗は自我を確立する為に必要で、いたずらに否定されるものではないと思います。
激しい言い争いになると思いますが、納得できない生き方の押し付けには、
反発してみては如何でしょうか?

親と子の関係だけに限らず、意見をぶつけ合う事が重要な場合は、時折訪れます。
親としては良かれと思い信仰を勧めるのでしょうが、そのせいで子供が抑圧され、伸びのびと学び、
考え、育つ事ができないのならば、それは本末転倒です。
例え親を罵ってでも、自分を守らなければならない時は、頑なになる事も必要だと思います。

Digiloveさんの近くには、相談できる先生やカウンセラーはいませんでしょうか?
自分が危機的状態だという自覚があるのなら、迷わず周りに助けを求めて下さい。
周り相談できる人がいなければ、電話相談等でもいいでしょう。
それは全く恥ずかしい事ではありませんし、正しい宗教なんかよりも、何よりも話を聞いてくれる
人間が必要です。
変な話かもしれませんが、相談して問題が解決しなくてもいいのです。
Digiloveさんの話に、耳を傾けてくれる人がどうしても必要だと思います。

死ぬ事はいつでもできます。
親元から離れ、独立して自由に生きてみて、それから考えても遅くはないのではないでしょうか?
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死にたい気持ちを捨てるもなにも、嫌でもいずれ人間は必ず死ぬんだから、別に無理に死に急がなくてもいいな、って。


そう思うと無理に死ぬこともないと思いませんか?
嫌でも必ず死ぬのですから・・・。
あなたも自分も、今日産まれた赤ちゃんだっていずれ必ず死ぬんですし・・・。
まあでも、癌になって生きてても苦しいだけとか病気が完治しない、そんな状況なら「死んだ方が楽かも」なんて思うかも知れません。
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(往々にして言切れるのは)質問者さんがカキコんでいる間は時間的余裕が残されているのが常で、"本当に自殺したいとしか考えぬ向きは既に現世にいない筈だ!"と言う事です。



又、次の http://b.hatena.ne.jp/entry/248949 様に、一見物騒な面を有するURLも(2007年10/20)現時点で実際するのも確かではありますが、発想を逆転させ、「この中に登場する人物みたいに何等かの業績を上げて名声を得る迄自殺なんて、おこがましい」と考えて見るのです。
川端康成はノーベル賞を受賞後に自殺した作家ですが、(文学や他分野での)ノーベル賞受賞後迄、先延ばしし、当座凍結し続けると言う風に発想すれば遠退く、と感じるのですが・・・・
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アンケートカテゴリですので、その旨の回答をします。



短時間の間、できる限り落ち込みます。
そして少しずつそれを反省していきます。自身の非を認め、現状を受け入れ他人の言動を許容します。
駄々をこねる自分を諭すのです。
相手は自分ですからとにかく加担したくなりますが、それに付き合ってはいけません。
正論を繰り返し「自我の自分」に聞かせ間違いを正させます。
完全に「自我の自分」を説き伏せたら、「自我の自分」を慰めます。
相手は自分ですから間違いを認めたのであれば誰よりも「自我の自分」を大切にしましょう。

その頃には死のうなんて気は無くなりますよ。

これが難しいのであれば、全部捨ててしまえば良いです。
大事にしている物があるから悩むのですよ。
大切なものも何もかも全部捨てて、またひとつずつ集めなおせば良いじゃないですか。
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宗教には入っていても宗教家にはなっていないんですね。


友達が出来ないのは宗教のせいですか?
それともそのネガティブな気持ちのせいですか?
たまには親に内緒で外へ出て、思いっきり娯楽を味わってきたらどうでしょうか。
少しは気持ちが楽になると思いますが・・
それがムリなら、とにかく今は勉強をして就職をすれば自由になるお金が入ります。
家から出て独立する事も可能です。
新しい人間関係も生まれるでしょう。
どうせ死ぬなら、思いっきり楽しんでからにしてみてはどうですか?
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現実逃避しましょう。


とりあえず家の外に出るとよいでしょう。
行先はどこでもいいのですが普段行かないようなところへ。あてもなくさまよってみましょう。
変なところで変なものが見つかって楽しめるはずです。
お腹が減ったら入ったことのない店に入って食べたことのないものを食べます。
夜になったら家に帰って寝ます。

無駄だと思うでしょうけど、実際やってみるとこれがなかなか有意義な一日になるんですよ。
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まあ僕は人生うまくいってないんですけど、参考程度に。



死ぬことには苦痛が伴うはずですよね。その苦痛を考えると、死にたい気持ちは幾分か減っていきます。結局「~したい」と思っても出来ない臆病者なんです。ただそれだけのこと。

嫌なことがあったとか、物事がうまくいかなかったときとか、今の状況を変えたいとか、理想と現実にギャップがあるとか、そういう時に「死にたい」と思うんです。それは死ぬということではなく、より良く生きたいという事なのではないでしょうか。ある意味ポジティブとも考えられます。あとは何かしら動けるかどうかでしょうね。まあそこがなかなか難しいんですけど。
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死にたい気持ちがあるのなら、死んでみればいいんです。



自分で自分を殺しましょう。
ただし、肉体を殺してはいけません。

と、まぁベニスの商人みたいなことを言ってしまいましたが、
死にたいと思っている自分を殺して、
まったく正反対の自分を生んでください。

明るく快活な、さらに言えば軽薄で構いません。
どうせ死んだ人生なら、どうしようといいわけです。
犯罪にさえ手を染めなきゃいいんです、人生なんて。
(ちなみに人を殺せば犯罪です。もちろん自分を殺してもね)

あと、孤独といっても世捨て人になって、
山の中で一人サバイバルな生活を送るというのでもなければ、
どこかで社会と関わっているものです。
文面からするにまだ二十歳も来てないくらいの方だと思いますが、
そんなに先まで人生見通せますか?
10年先でもどうなるか分からない世の中です。
とりあえず、
今日一日を過ごして明日まで生きてりゃいいや、でいいじゃないですか。

人生投げとけばいいんです。
楽になります。死ぬよりもね。
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