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「わらしべ長者」という物語をご存じの方は多いと存じます。
わらしべを交換していくうちに長者になる男の話です。
しかし、素人考えでは、わらしべを単に等価交換していくだけでは、最初わらしべの持っている価値以上のものが入手できるわけがありません。
なぜ、「わらしべ長者」のような事態が成り立つのか、経済学的に説明していただけないでしょうか。

特段急ぎの質問でもないので、しばらく開けておきます。ご了承下さい。

A 回答 (6件)

> わらしべの持っている価値


18世紀から19世紀初めの経済学者は、価値というものを、個々の商品に内在するものと考えて
いました。あたかも、物理現象において質量やエネルギーが一定に保たれるように、商取引に
おいて価値が保たれる「等価交換」が為されると考えていたわけです。
しかし、その当時でも、異なった社会では異なった価値尺度が適用されることが知られていました。
農村においては農作物が安く都市においては工業製品が安かったのです。これを、当時の経済学者は
各社会において同じ物を生産するのに必要な労働の量が異なるためと考えて辻褄を合わせようと
しました。
現代の経済学者はこんな考え方はしません。そもそも「価値」などというものが存在しないかの
ように理論を構築しているようにも見えます。(私の偏見かもしれませんが。)では、「価値」の
替わりに考えられているのが何かというと、「市場の価格決定メカニズム」というやつです。
個々の市場において、需要と供給のバランスによって価格が決定される、それが全てなのです。
市場が異なれば形成される価格体系も変わってきます。
「わらしべ長者」の話に戻りましょう。この話で特徴的なのは、個々の取引が極めて限定された
市場において成立しているということです。しかも、各市場は双方独占ともいうべき状態ながら、
取引の必要性は常に主人公の相手側において強い。このため、主人公は常に独占に近い立場で
有利な取引を行える状況に置かれたわけです。
・・・何だか身もふたもない気がする。No.2さんのように考えるのが前向きかな。
誤解のないように付け加えておきますが、「市場メカニズム」自体は現代の経済学者が初めて
見つけたものではありません。ただ、昔は「価値」という概念を捨てられなかったのです。
アダム・スミスは、その両者を結びつけるものを「神の見えざる手」と表現していました。

この回答への補足

わらしべ長者は、独占的事業者であった!(いや、事業者ではないけれど)
面白い御回答ありがとうございました。確かにそうですよね。

補足日時:2002/08/27 22:59
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#4です。


>貨幣価値によってこの交換が仲立ちされた場合には、このような交換は
>起こらないということでしょうか?

貨幣価値を仲立ちにするということは、自分のものはいくら、相手のものはいくら、
と評価することですよね。その評価は市場での評価で、つまり第三者の目による評価です。
(たとえば、製造原価+諸経費+適正利潤のような)
ここには個々の使用価値の尺度は入り込みません。

このような場合には交換には、欲望による使用価値より、損得による交換価値の意識が
強くなる、と思います。「相手のが300円、自分のが1000円」というとき、
それでも欲しいと思えるか、のワンステップが入り、使用価値だけの判断に
ブレーキがかかるのではないでしょうか。

で、余談ですが、売り手側としてはこんな場合、貨幣価値を逆用して相手の欲望を
かきたてたりする手がありますね。「鑑定団」で、にせ物を「これは本当は○百万円
するんだけれど」とかいって、お宝と交換するとか、よくありますね。

この回答への補足

ここでの、「貨幣価値」というのは、多数の者が参加する市場によって決定された(決定されるであろう)価値ということですね。了解しました。ありがとうございます。

補足日時:2002/08/30 12:07
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下の方たちの回答でほぼ出尽くされていると思いますが…。



あれは等価交換、というニュアンスよりも
商品の提供+サービスの提供
ということではないかと。
等価に対する価値観の違いうんぬんよりも、そのとき必要であるものを
タイムリーに提供してもらったというそのお礼代(つまりサービスに対する支払)が、
その価値を徐々に押し上げていったということです。

この回答への補足

商品の価値に、適時の提供という付加価値がついたという考え方ですね。
であれば、今までの御回答とは、また違ったお考えのように思います。
ありがとうございました。

補足日時:2002/08/30 12:09
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経済学的には、物(商品)の持つ価値(交換価値)と使用価値の二重性、


それに個別商取引の特異性によるものだと思います。

等価交換が成立するには、供給と需要の十分な量が必要です。
貨幣価値の仲立ちはそれを理念的に保証します。
個別の交換はその比率を中心として、求心的にばらつきます。

わらしべ長者では、まず物々交換することによって、貨幣価値の仲立ちを断っています。
その上で、個別商取引をしますが、そのときに自分の品物より相手の品物の価値が
自分にとって大きくなるよう、選定します。相手にとってこちらの品物の使用価値が
彼のものより大きく見えるような、欲望と欠乏を読み取るわけです。
(このとき、相手と自分とは厳密には対等ではありません。相手は選択されたものであり、
自分は選択したものです。相手には拒否権だけがあります。)

こうして彼の「不等価交換」は実現しますが、このとき彼は労働をもしています。
品物を持ち運ぶ(同じ土地では価値の増加は難しい)、相手の選定をする、交渉をするなど、
いずれも時間がかかります。その間の生活費もかかるでしょう。交換はこれらの
労働と費用を上回って初めて成功と言えるでしょう。

かなり前のことですが、アメリカのテレビで、鉛筆一本から相手を募集し、交換していって、
最後に邸宅か何かにまで替えていました。でもこれは不対等の取引であることは明らかですね。

この回答への補足

ポイントを示したわかりやすい御回答ありがとうございます。
一点だけわからないのは、貨幣価値によってこの交換が仲立ちされた場合には、このような交換は起こらないということでしょうか?
貨幣価値によって、自分にとっての価値と、相手にとっての価値が変容を受けるということでしょうか。
よろしければ、補足をお願いします。

補足日時:2002/08/27 23:04
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No.1の方のご意見でだいたいよろしいかと。



あるモノにどれだけの価値を見いだすかについては、個人
個人で異なっているので、その価値(モノやサービス)を
もっとも必要としている人に提供することが、ビジネスでは
重要であるということです。

人が必要としている価値(モノやサービス)を提供し、与えていく。
人によって必要とする価値は違うので、その人にあった価値
を提供を行う。すると需要と供給の法則により、需要の度合
が高いほど高い値段で販売することができるので、必然的
に利潤を計上することができます。

現代でいうところの、ワンツーワンマーケティングに相当
するのではないでしょうか。(ちょっと大袈裟な表現かも)

男の子にとっては、わらを結びつけた蠅が必要であり、
のどが渇いた娘には、みかんが必要であり、
武士は不必要な馬を処分したかったのでそれを引き取り、
屋敷の主人には馬が必要であったので、馬を提供し、
とうとう、わらが屋敷にまで変わってしまいました。

一見不思議な話ですが、この不思議さを実現するのが商売の
醍醐味というものです。

この回答への補足

ありがとうございます。
なるほど、経営学的な見方ですね。

補足日時:2002/08/27 22:50
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『等価』のそれぞれの価値が評価する人物によって違うからです

この回答への補足

ありがとうございます。
そうですね。そうなんですが、でも、それは一般の市場でも同じことですよね。
でも、普通の社会ではわらが屋敷になることはほとんどありません。なぜわらしべ長者のケースにはそういったことが起こるのでしょう。
、ということも伺いたかったのです。舌足らずで申し訳ありません。

補足日時:2002/08/27 22:49
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