プロが教えるわが家の防犯対策術!

わかりにくいタイトルですみません。

今、ある友人のことで悩んでいて別のカテで
相談させてもらっています。
簡単に言えば、周りから評判はいいけど
私はそうは思わないっていう感じです。
私も長年ずっと素直に周りと同じように思っていました。
でも、最近「なんか違う」って思い始めてしまって。
(これだけの説明だと、単なるやっかみじゃないの?って
思われるかもしれませんが^^;)

周りが思うAさんと自分が思うAさんに
ギャップがあると感じたことがある方
経験談をお聞かせください。
できるだけ、具体的にお願いいたします。

もちろん私とは逆で、
「周りからは悪くいわれているけど
私はすごく良い人だと思う」でも
OKです。

回答お待ちしています。

A 回答 (4件)

高校時代の1回だけ担任になった先生。


生徒にフラットに話し、たいがいの生徒には「ケン」とか「ケンちゃん」とか呼ばれ、慕われていました。
・・でも当時の私は、その「生徒に理解あるいい先生」みたいなのが鼻につき、好きではありませんでした。なんか、「いい人」をがんばって演じているように見えて。
 最近その先生と話す機会があり、今なら彼のことも受け入れられるとは思いました。

以前勤務していた歯科医院の院長。
この人もやはり、がんばって「いい人」を演じるタイプでした。万人にいい顔したいらしく、嫌なこと、臭いものにはフタ。しかも院長なのに、責任の取り方を知らないんです。
・・経営が傾き、本性がバレてきて(追い詰められてきていい人を演じられなくなってきた)、患者にもスタッフにもそっぽをむかれちゃってますけどね。

私もけっこう斜めから人を見る癖があるので(笑)、周りが「いい人」と言っている人を疑ったりしますよ。でも人それぞれなので、いいと思います。
もちろん、自分では「?」と思っていた人を、後で「けっこうやるじゃん」と評価できることもあります。
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この回答へのお礼

変なタイトルにしちゃったな~って後悔していたので^^;
回答していただいてホッとしました!ありがとうございます^^

「いい人」を演じているように感じてしまうと、
受け入れられなくなりますよね。
私も周りの評価よりは、自分で感じた印象を
大事にしています。

>>けっこう斜めから人を見る癖があるので(笑)

なるほど!そういえば私も、一回り年上の人に
「世間を斜めから見てるよね」って言われたことあります。
こういうこともその1つなんですね。ん~納得です。

参考になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/13 19:55

なんだかなぁ~?な人はいますね。

評判いいんだけど、ちょっと臭うとでもいいましょうか。そういう人に関わって、わたしは傷ついたことがあります。ふと気がつくと、いいように利用されていました。便利なツールの一人がわたしだったのですね。

それ以来わたしは周囲の評判より自分の観察を重視するようになりました。それからは同種のトラブルはなくなりましたが、人間は怖いものだと勉強した次第でした。

参考URL:http://www.journey-k.com/~riku/article/022.html
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この回答へのお礼

URL興味深く読ませていただきました。
おもしろいですね~。

敵の特徴の「他者に善人だと思われることを強く望む。 」
これに私が今反応してしまってるんでしょうね。
ちょっと臭うっていうのは的確な表現ですね。
うさんくさいというか。

実はここのサイトでこんな投稿を読みました。
かいつまむとこんな感じです。
「告白してくれた男の子は評判もよく優しい人です。
みんなはあんないい奴いないよっていうけど、
迷ってます。実は・・・」といった感じで
不審に思う点をあげていました。
回答者の方は、「あなたの見る目が正しい。
周りが騙されているんですよ。でも、多くの人は
そういう人に騙されるでしょうね」っていっていました。
私もそう思いました。

みなさんにもこんな経験あるのかな~と思って
今回質問させていただきました。
GodSaveUsさんと同じく今私も痛い目にあっている所です^^;

自分の目で判断するというのは重要ですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/13 20:08

私は、周りから悪くいわれてる人がいると気になります。


本当に悪い人なのか自分自身で確認したくなります。
評判の良い人が実際どうなのかを確認したことは無いのですが、
評判の悪い人は、人から勘違いされているのかな?と思ったこと
が多いです。
評判の良い人に私が思うことは、イメージが良すぎたら大変だろう
な~です。カタチを崩せないから辛くないかな~と思います。
評判が悪い人は、周囲が関心を示さないから一度の失敗などで
認められないままという人もいます。
評判の悪い人の変わる時、成長した姿をみることで、
私自身の悪いところを直せるように思えるから。
だから、私は周りからは悪くいわれているけど、
実は、この人良い人だな~と思うことが多いです。
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この回答へのお礼

hirarichanさんは私とまったく逆ですね!
すごく良い事だと思います^^

例えば誤解されやすい人でも
hirarichanさんのような方に出会えたら
幸せですよね。

>>評判の良い人に私が思うことは、イメージが良すぎたら大変だろう
な~です。

本当にそうですよね。
私も周りからどう思われてもいいとは
思っていませんが、「良い人キャンペーン」はできません。
何事も持続性がないんです^^;

これからは、評判の悪い人に積極的に関心を持ってみようかな^^
新しい発見ができそうです!

参考になりました!
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/16 21:14

こんにちは。


そういったことはままあることだと思います。
少し深い付き合いになったとしても「友人」程度であれば所詮見えている部分は限られていますし、大体の人はその表面部分しか見ていないものです。
これは相手が八方美人的な性質を持っていればいるほど起こり易いことでもあるでしょう。
八方美人的な性質を強く持つ人ほど、人からのどのように見られているか体面的なことを非常に気にしている訳ですから、その奥に「滅多に他人に見せない部分」があるのは無理からぬことです。
それは多くの場合当人によって「隠されている」かたちになっている訳ですから、多くの人がそれを知らないのも当然と言えば当然でしょうし、何かのきっかけで垣間見てしまったり独自の嗅覚によって感覚的にそれを捉えてしまうような人からしてみると「あれ?」という一種の違和感を感じてしまったりする訳です。
そうしますと多数の人が「あの人は間違いなく良い人だ」などというものですから、違和感を持ってしまったほうは「ここまで言われるということは自分が間違っているのだろうか」と思ってしまうこともある訳ですが、人間とは一面を見て決め付けられるような単純なものではありませんから、それはそれで間違いではないのです。
身内のことを言うのは少々気が引けますが「具体的に」ということですので自分の母親を例に使わせてもらおうかと思います。
母は他人の目にはとても穏やかで優しくそれなりの社交性もあって、子供時分には良く「良いお母さんで羨ましい」とか「うちもあんなお母さんだったら」などと言われたものですが、私は当の子供でしたので母がそれだけの人ではないということがよくわかっていました。
母は家族の前でも概ね穏やかで優しい人ではあるのですが、実際その奥にはとても激しいものを持っており、強いストレスなどに晒された際にはそれが相当な勢いで顔を出すようなことがあったのです。
しかしそれを知るのは本当に家族だけですから多くの人には前述のような評価を受ける訳で、それに対し子供の私は「実際あの人の子供になってみないとわからないこともあるんだよ」と心の中で思っていたものです。
何かこのように書きますと母は表面だけを繕っている「嫌な人間」のように思われるかもしれませんが、実際にはそのようなことではなく、母は母なりに一生懸命生きているだけのことなのです。
私も子供時分にはわからなかったことも今となっては良くわかる部分もあるのですが、本当は母は気が小さく何よりも体面を重んじる性格の為出来れば皆が思ってくれているような人間でずっといたいものの、やはり人間そこまで悟ったような心持ちに完全になることは出来ず、その歪みのようなものがある時噴出してしまうような具合なのだと思います。
「装っている」というのではなくどちらも母の顔なのですが、やはりどこかで無理をしてしまっているようなところがあるのでしょう。
勿論中には積極的にというか明らかに自分の利益の為に「装っている」人もいるでしょうが、そのように弱い心の裏返しであることもある訳です。
これが弱かったり御し易いと判断した相手のみに対して発揮されるというたちの悪いパターンも良くある訳ですが、それとて心の弱さが原因である可能性は高いかと思います(無論だからといって許すべきであるというのではありませんが)。
私は人とはそのようなものであることを子供時分から肌で感じていた為に、多くの人に思われているのとは違った一面を持っている人がいたとしても何も不思議には思いませんし、何よりどんな人でも多かれ少なかれ多くの顔を使い分けているのは当たり前のように思う訳です。
会社の顔と家での顔は当然違うでしょうし、目上・目下といった相手との関係性によってもいくらでも違う顔は出来てきます。
そういうことが少々極端な人もいるというだけのことです。
そのような人は家族にでもならない限りは違った面を見せないかもしれませんし、家族にすら別の顔を隠しているような人もいる訳です。
多くの人はそれに気が付かない訳ですがそれはそれで良いのです。
そのほうがお互い幸せかもしれませんし(「知らぬが仏」とは良く言ったもので世の中存外深く知らないほうが良いようなことも多いものです。知ってしまった人ほど怒りや悲しみ・不安などといった負の感情に苛まれて不幸になってしまうようなことはしばしば起こります)。
ただ、そのようなことに何らかのきっかけで気が付いてしまうことも十分起り得ますから「皆がああいうのだから私のほうが間違っているのだろう」などと多数決的に思われる必要はないということです。
それを感じ取ってしまったことが幸か不幸かはわかりませんが、もしその相手と何らかのかたちで深い付き合いになる可能性があるのだとしたら、気が付けたことで無用な軋轢を回避出来るかもしれません。
そうしたことをきっかけに「皆が思う良い人」に対し悉く疑いの目を持ってしまうようになっては、本人にとって少し不幸なことかもしれませんが、多くの人は表面的にしか他人を見ていないことは頭に入れておいても良いかと思います(現実的にそれで事足りる訳ですから一概にそれが悪いことであるとも言えません)。
そういうことですから逆に「良い評判は聞かない」ような人であっても、本当のところはどうかわからないようなこともいくらでも起り得ると言えるでしょう。

ちょっとわかり難い文章になってしまっていたらすみません。
何かしら思索の足しにでもなれば幸いです。
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この回答へのお礼

読み応えたっぷりの回答ありがとうございました^^
ひとりうなずきながら読んでしまいました。
八方美人であればあるほど・・・っていうのその通りですね。

誰しも多面性があるのは承知の上でも、例えば、誰かのいじわるな部分を見てしまった場合、日頃評判が良い人の方が「良い人ぶってるくせに感じ悪っ!」って思っちゃいます。それが普通の人(っていう表現が正しいかわかりませんが)だったら、まー人間そういう時もあるよねって思えるんです。でも「良い人ぶってるくせに」っていうのは
私が勝手に思ってるだけで、そこに普通の人との差を感じてしまうのは
それは私の問題というか・・・。

お母様のお話、参考になりました。私がmapatoさんの友達だったなら
同じように「優しいお母さんでいいなー」って羨ましがると思います。
子供心に思うところもあったと思いますが、激しい一面も「人間らしい」ですよね。でも親にはどうしても完璧な姿を求めてしまうんですよねー。自分のことはさておき^^;

日頃良い人っぽくしている人でも、嫌なとこの1つや2つあって当然ですが、それが「他人を何気に陥れる人」だとやだなーって思っちゃいます。みんながそれを信用して、私が損をすることが多々あります。みんなからも取り立てて評判がよくない普通の人がそんなことしても嫌だけど、まだ「そういう奴か。もうほっておこう」って一人で割り切れるのですが、「良い人」だと「表向きと違う!みんなはわかってない!」ってフラストレーションがたまりますね。

>>多くの人はそれに気が付かない訳ですがそれはそれで良いのです。
そのほうがお互い幸せかもしれませんし

まったくその通りだと思います。知って得することの方が少ない気がします。私も素直にだまされ続けたかった・・・って思います。
気づいた途端「私って歪んでるな」とか「疑り深いなー」って感じて自己嫌悪に近い感情になります。

どうせ疑り深いなら、これからは「評判が良い」→「実は嫌な奴」より
「評判は悪い」→「実は良い人」を見るようにしたいです。
感じたことを上手くまとめられませんでしたが、mapatoさんの回答はわかりやすかったです。ありがとうございました!
人って奥深いですね~。

お礼日時:2007/11/16 21:08

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