プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

親御さんの立場の方は、ご自分のお子さんの学校ならと想定してください。
学生さんなら、ご自分のクラスと想定してください。
もちろんその他の方の回答も歓迎です。

もし養護学校ではない、一般の学校に車椅子など身体的障害のある生徒(学生)が入学するとしたなら、あなたはどう思いますか?
(注:精神障害や知的障害ではありません)

車椅子の生徒のために、常に階段昇降やトイレなどのために誰か周りの生徒や教師の補助が必要です。
手が不自由なら他の生徒がノートをコピーしてあげたり、実験の時間には補助が必要です。

自分のお子さんや、自分自身がそのクラスに居るとしたなら、あなたはどのように思いますか。

・迷惑だ。人の補助が必要なら養護学校に行くべきである。
・別に構わない。自分に迷惑がかからないならどうでもいい。
・可愛そうだから皆で助けてあげるべきだ。
・居てもいいが、その子の親などが校内で補助してあげるべきで、周りの生徒に負担かけるべきでない。

などなど色んな意見があると思います。

あなたはどう思いますか
お教えください。

※アンケートを誘導したくないので、お礼・感想は申しますが反論はしません。
また誘導防止のために、私の考えは締め切り時に申します

A 回答 (22件中1~10件)

#17です。

私自身の意見で、

>私の子供のクラスに車椅子の生徒がいたら、
「同じクラスでよかった」と思います。

と書きましたが、これも結構失礼ですよね。自分の子供のことしか考えてないのかって感じで。
子供には差別をするなと言いながら、差別・逆差別をしている自分。

自分自身が生徒・学生の時は、「別に構わない。自分に迷惑がかからないならどうでもいい。」と考えていました。
私が高3の時に、一年生で車椅子の生徒がいたようですが、全校生徒1400人くらいで、校舎は4階建て。会う機会が全くありませんでした。
もし同じクラスだったら、私はどう接していただろうか・・・・

私自身、もっといろいろ学んでいきたいです。

こんなの回答ではありませんが、考える機会を与えてくださり、ありがとうございました。

またまた余談ですが、我が子の学校は1階建てなのでエレベーターは必要ありませんが、徹底的なバリアフリーがしてあります。

車椅子の生徒(うちの子とは学年が違います)の周りの子を見ても、ごくごく普通に振舞っています。でも意地悪な子もいるでしょうが、ごくごく普通に接している子供が増えていくことを願っています。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
よろしければご覧ください

補足日時:2007/11/17 01:09
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この回答へのお礼

わざわざの補足回答をいただきありがとうございます。

確かに人間は誰でも自分を中心に物事を考えてしまうものです。

しかし、あなたのようにそこで一歩下がって別の視点から物事を見返してみようとする姿勢を持てること。

それだけで充分、人間として他を慮っていらっしゃるお人柄と評されるべきではないでしょうか。

あなたの回答でより深くこの問題を考えることができました。
ありがとうございました

お礼日時:2007/11/17 00:17

実際経験しましたが、ハッキリ言って迷惑でした。


隣の席だったのですが授業中でも何かと言えば介助
させられたし、移動教室でも介助させられたし
授業に集中出来ませんでした。

自分が介助しなくて済んでいたら、迷惑とは思わなかったでしょう。
口先だけで協力してあげましょうと言うのは簡単ですが
実際子どもだった自分にはかなりの負担でした。

この回答への補足

質問を締めるにあたり、この場を借りて皆様に改めてお礼を申し上げるとともに、この問題に関する私の考えも示したいと思います。

アンケを誘導したくないので、自分の考えは出さないようにしましたが、各位への「お礼」で、賢明な方にはもう既にご推察いただけた通り、質問文の例示として出した考えは、私の考えとは違うものでした。

私の考えは当初以下のようなものでした。

障害を持った子供も当然皆と一緒に学校へ入学すべきである。
確かに、障害者が居ると周りの生徒への負担が生じるであろう。
また口では「力を貸すべき」とか言いながらも、実際に身近に居ればその負担に疎ましさを覚えてしまうのも、また人情であろう。
しかし社会と言うのは、運動能力の優れた人間も居れば、とろい奴も居る。そして「とろい」のレベルを通り越して、人の介助さえ必要とする人間も居る。
勉強においても、また「優しさ」や「誠実さ」「真面目さ」などの性格面でも人それぞれ一長一短があるのである。
それぞれの人間がそれぞれの面で、人を助けたり助けられたりするのが社会なのである。

だから、身体面で劣る人間が居たとしても、それを許容するということを学ぶことこそが「教育」なのである(この点はNo20さんのお礼欄で少し触れました)。

であるから、車椅子の生徒が自分の子供の学校に入学してくれるのは、迷惑であるどころか、むしろ自分の子供にとって「よくぞその機会を与えてくれた」と感謝するほどのことである。

以上のように考えていました。

その意味で、No12さんのお子さんの卒業式のお話は、まさに「自分の子にもこんな教育を受けさせたい!」と思うようなエピソードでした。

しかし一方、No18さんのお話をうかがって、なるほどこんな考え方をするのは、別の視点からはいわば他人様の障害を自分の子供の教育に「利用」するような、厚かましい考えとも言えるのだなとも思いました。

そしてNo15さんからは、自分が障害者で他人から世話を受ける立場になった時の気持ちまでも、思いをいたす機会を頂きました。

No12さんからは「迷惑」という言葉の意味を再考させる機会をいただきました。
____________
私は先述の通り、大学のゼミで車椅子の友人と出会う経験がありました。
その時は、ゼミの仲間はみんな普通に彼と接していたし、またエレベーターもない当時のオンボロ校舎では皆で当然のように階段の上げ下ろしを普通に手伝っていました。

思い返してみると、当時は別に普通に当然のこととしてそのような行動をとっていたのですが、改めて考えてみると、もっとこの問題について考えるべきだったと反省しています。
(これは彼にもっと情けをかける、みたいな意味でなく、社会の一員として当然にもっと「他人様」の立場にたって物事を考えるべきだった、という意味です)

私の考えを言うだけ言って「言い逃げ」のように締め切りたくないので、もう1~2日だけ締めずにおきます。
皆さん本当にありがとうございました

補足日時:2007/11/17 00:33
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この回答へのお礼

経験者のお話はとても貴重なものであると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/17 00:33

知的障害や精神的障害ではなく、足などが不自由で車椅子、ということですよね。


それなら別に養護学校に行くべき!とは特に思いません。
人を助けてあげることも学べるし別にいいと思います。
が、常に補助が必要で周りの生徒の負担が大きいとだんだん
疎ましく感じる人もいるかもしれません。執拗に『助けてあげましょう!』
的なことを言うのではなく、あくまでも扱いは他の生徒と同じ、
どうしても本人だけじゃできないことは周りの人が補助するというのなら良いと思います。

でも私はクラスに車椅子の人がいても多分積極的には助けたりはしない気がします。
友達が不慮の事故で足が不自由になった、とかなら積極的に助けると思いますが。
冷たいのかもしれません。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
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補足日時:2007/11/17 01:05
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この回答へのお礼

段々と疎ましく思うという感情、これもまた人間として当然ある感情であると思います。

ありがとうございました

お礼日時:2007/11/17 00:32

こんばんは。


>迷惑だ。人の補助が必要なら養護学校に行くべきである。
>別に構わない。自分に迷惑がかからないならどうでもいい。
>可愛そうだから皆で助けてあげるべきだ。
>居てもいいが、その子の親などが校内で補助してあげるべきで、周りの生徒に負担かけるべきでない。
◎取り合えず、例として挙げられたことに関してですが(質問者さんへの非難ではありませんよ)私は、全ての「例」に反対ですね。

・迷惑だ。人の補助が必要なら養護学校に行くべきである。
※このような考え方は、人としての優しさもないし、自己中心的です。
また「自分と異なる存在は否定する」といった人格まで見えてきます。
>別に構わない。自分に迷惑がかからないならどうでもいい。
※これは、単に「無責任」なだけですし「自分さえよければいい」というのでしょうか?これも「自己中心的な」性格の持ち主ですね。
>可愛そうだから皆で助けてあげるべきだ。
※「車椅子」を利用している子は「可哀相な子」ではありませんよ。
走るのが遅い子もいれば、目の悪い子もいるし、勉強が苦手な子もいる。何が違うのでしょう?
目の悪い子には眼鏡やコンタクトが必要なように、その子には「車椅子」が必要だというだけの事です。
そんな考え方をすると「可哀相でない子」なんて、いるのでしょうか?
>居てもいいが、その子の親などが校内で補助してあげるべきで、周りの生徒に負担かけるべきでない。
※これも「自己中心的」な考え方ですね。
学校は「勉強をする為だけの場所」なのでしょうか?
今、学校が抱えている問題は、何も学校側・教師側だけにあるものではありません。
親の我が儘や都合のいい放任主義。勉強のみならず、家庭で行うべき躾けまでも学校側に押し付け、要求しています。
そのくせ、何か子供に問題が起きれば「教師や学校の責任だ!!」と噛み付いて来る。
子供は「そんな親」を見て育ちますから、子供まで学校の存在意義を取り違えてしまっています。
「親を見れば、子供は知れる」「子供を見れば、親がわかる」でしょ?
学校という場所は、勉強だけでなく、社会に出た時に必要となる「集団行動」や「個人の権利の大切さ」や「人を思いやる心を育てる」場所ではなかったのでしょうか?

私には子供はいませんが、もし「学校に車椅子を利用している子がいる」と聞いたら「その子と友達になりなさい」と言うでしょう。
そして「もし、手伝ってって言われたら、気持ちよく手伝ってあげなさい」とも言うでしょう。「その子を特別な目で見ないで、みんなと同じ友達の一人として接しなさい」と言うでしょう。「馬鹿にしたり、苛めたり、嫌がらせをする子がいたら、胸を張って注意しなさい」と言うでしょう。

私は、車椅子は必要としていませんが「身体障害者」の一人です。
自分が「身体障害者」となって気付かされた事がたくさんあります。
健常者だった時には、全く気が付かなかった、見ようともしなかった事に、どれほど気付かされた事か。
私にとって、屈辱を与える言葉は「大変ですね」「可哀相に」「お気の毒に」といった、健常者の人にとっては「慰め」のつもりで発しているであろう言葉たちです。
「大変ですね」って、何を知っているのでしょう?
「可哀相に」って、何が可哀相なのでしょう?
「お気の毒に」って、何が?

学校は、障害を持った児童を拒否・拒絶するのではなく、率先して受け入れるべきです。
その為に校舎の施設の改装に予算を使って何がいけないんですか?
「この学校をモデル校にしてやるぞっ!!」ってくらいの気合があってもいいんじゃないんですか?

学校も「公共施設」です。
「公共施設」が「障害者」に利用し難い構造になっている事自体が問題なのではありませんか?
障害を持った子供には、何の責任もないでしょう?違いますか?

必要のない道路や新幹線、高級な議員宿舎や誰も使わないリゾート施設を作る予算があるのなら、全ての学校を「障害者がなんの不安もなく利用出来るように改装する」くらい、出来ない事はないでしょう?

エレベーターか車椅子用エスカレーターの設置。車椅子でも使えるように広いトイレに改装する。教室のドアを広く開けられるようにする。段差をなくし「バリアフリー」にする。
これぐらいの設備は、昔から設置されていても良かった筈です。
今、ゴタゴタ言っている事自体、おかしい話ではないと思いませんか?
車椅子を利用していた児童は、何も最近になって増えて来た訳ではないのですから。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
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補足日時:2007/11/17 01:07
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この回答へのお礼

とても丁寧な回答をいただき本当に感謝します。

学校に通うという一番の目的とは何でしょう。

勉強をすることでしょうか?

だとしたら、全教科に専門の家庭教師を雇うことが出来る、大金持ちはその子息を学校に通わせる必要はなくなります。
全教科の専門家に個人指導をさせたら、学校なんかで集団指導を受けるなんかより、はるかに学力は上がるでしょう。

しかし、実際に大金持ちであっても、独裁者であっても自分の子息は「学校」へ通わせます。

それは何故かといえば、学校というのは、単に学力を伸ばすのが目的ではなく、多くの友人や教師との関わりの中で、人間とのかかわりを持ち、「社会」という人間の中での生き方を学ぶ、それこそが究極の目的なのだと思います。

そういう意味で、社会には当然一定割合存在する障害者という存在は、学校という「社会」の中にも存在するべきであり、かつ子供というのは、その「社会」での生き方を学ぶべきだと思うのです。

あなたのご回答を拝読し、その思いに確信が持てた気がします。
ありがとうございました

お礼日時:2007/11/17 00:31

息子は現在中学生ですが、小学校時代にも現在の中学にも車いすのお子さんがいます。



答えは先生が助けてあげましょう的な指導をするのはどうかと思いますが
基本的には養護の先生が付き自然に皆が出来る範囲で手を貸すことが出来るなら全然OKだと思います。

「1リットルの涙」のように高校からしかも途中から体が不自由になり、
先生もどう接して良いかわからなかったり、友人たちも最初は快く手助けをしてくれていたが段々負担になるという悲しい現実も無くはないと思います。
(この場合は本人も辛いので養護学校のほうがいいのかなとは思います)

息子の小学校の卒業式で一番感動したのは
車いすを押し、スロープで檀上まで上げたり下ろしたりの介助を特別なことではなく普通にしている子どもたちの姿を見た時でした。
その時は車いすのお子さんにいてくれてありがとうとすら思いました。

小さな頃から身近にいると「可哀想な人」「特別な人」ではなくいて当たり前という気持ちで接することが出来るのではないでしょうか?

でも大切なのはそれを専門に見守る先生がいることだと思います。
生徒(児童)のみに負担がかかる場合は事故やいじめにもつながる可能性があるし
車いすのお子さんの気持ちも考えてお手伝いをお願いしてほしいと思います。

まとまりのない文章になりすみません

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
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補足日時:2007/11/17 01:07
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この回答へのお礼

ご子息の卒業式のお話しは大変な感銘を受けました。

まとまりの無い文章なんて、とんでもありません。

ありがとうございました

お礼日時:2007/11/17 00:19

私の子供のクラスに車椅子の生徒がいたら、


「同じクラスでよかった」と思います。

「障害者はあれが出来ない、これが出来ない」、と偏見を持って対応しそうですが、側にいることで、違いは違いとして受け入れて、自分と何も変わらないところや自分より優れいるところもたくさんあることを身をもって学んでくれそうですから。

また、車椅子の生徒が自立して学校生活を送るのには、自分はどのように接したらよいかも、迷いながらも学んでくれるでしょう。(自立と互助について)

きっと、車椅子の生徒の親は自分の子供に対して、普通の学校教育を受けさせたい、普通の学校生活を送らせたい、と願っていると思います。
私の子供にはいつも人が傷つくようなことをしない・言わないように躾けているので、障害者には「ごく普通に接しなさい。いいお友達になれるかもね。」とだけ伝えます。

子供同士でも、気が合う/合わないがあるので、無理に友達にはさせません。子供たちに任せます。

ちなみに私たちはアメリカに住んでいます。日本とはかなり環境が違うかもしれません。けれど私の意見はどこにいても変わりません。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
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補足日時:2007/11/17 01:13
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この回答へのお礼

私も20年以上前ですが、数年アメリカに住んでいたことがあります。

当時のアメリカではまだまだベトナム戦争の傷跡が残っていて、傷痍軍人が沢山存命していたのです。

そして街中でそのような方々が当たり前のように車椅子で外出していて、そして街中の人々もそれを当たり前に受け入れていたことの感銘を受けました。

愛国主義者で、アメリカの嫌いな面も沢山ある私ですが、この障害者を受け入れる姿勢や、街のバリアフリー体制も、とてもではないが日本はかなわないと脱帽した記憶があります。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/17 00:13

>・迷惑だ。

人の補助が必要なら養護学校に行くべきである。
ごもっともだと言えばごもっとも。
私はそうは思いませんけど。

>・別に構わない。自分に迷惑がかからないならどうでもいい。
これが一番正直な気持ちかな。

>・可愛そうだから皆で助けてあげるべきだ。
これですが、一つ気にある点が
可愛そうが余計ですね。私は健全者なのでわかりませんが、
おそらく慈悲は求めてないと思います。
私は良心、日本人としての道徳でできる事はやってあげたいと思います。

>・居てもいいが、その子の親などが校内で補助してあげるべきで、周りの生徒に負担かけるべきでない。
ごもっとも。本当に迷惑なら設備の整った学校へ編入するべきでしょうね。
その子が授業を遅らせるとか、奇声を発するとか。
これは車椅子だけに言える事ではなく、立ち歩きや校内暴力でも
同じだと思います。円滑に授業が行えない事が問題です。

例えば車椅子を対象として言いますが、
一番に思うことは教室の移動ですね。階段や段差を超えるのは
困難です。これは学校だけに言えることではありませんね。
今、私たちの周りでも遭遇する事です。困っている人を自分の
できる限りで助けるって言うのは学校教育としても必要だと思います。
車椅子一つ動かすのでも経験がないと何処をどう持ったら良いのか
分かりませんよね。
それを学校で経験していると、社会人になって同じ状況に遭遇した時に
スムーズに補助してあげられますよね。
経験として良い事だと思います。

私の子供には迷惑だとかという考えは持って欲しくないです。
質問者様もいっておられるように
「障害は不幸なのではない、不便なだけだ」
私も同じ考えです。
私の場合は「私が頭悪いのと同じように、車椅子も個性だ」です。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
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補足日時:2007/11/17 01:10
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この回答へのお礼

学校時代に障害者への補助を学んでおくことこそが、大事な教育の一つであるというお考えと解釈しました。

ありがとうございました

お礼日時:2007/11/17 00:07

男性です。


ご質問者様がずいぶん気を使って 質問文を書いているのに
思い切り無視した回答があるのには困ったものですね。

前提として 全く普通の精神状態で身体に不自由がある場合ですよね。
立場によって意見が変わってしまうのですが、
1、友人、知人がそうであれば、まず考えるのが「逆差別」は しないようにする。ということです。その上で協力できることがあればするようにしますが、「協力して当たり前」のような状況になってしまうと、違和感を感じます。その違和感は障害をもっている本人に向けて、というより、その親に対して 「少しはなんとかしねーのか?」と思うでしょう。

2、自分がそうであれば、周りの人に助けてもらうのに有り余るほどの感謝をしますけれど、おそらくだんだん 申し訳ない気持ちになって、遠慮すると思います。(かといって 自分ひとりではできないことが多すぎるのであれば家族に助けてもらうか、プロを雇ってもらうのが気分的にすっきりすると思います) 自分は障害があるんだから協力してくれよ、なんて考えにはなりません。

3、自分の子供がそうであれば、難しいですね。。 善意の協力は甘受しますが、基本的には周りに心配させないように手を打っておくでしょうかね。しかし、いつも一緒にいられるわけではないので、よほど信頼できるヘルパーを見つけるか、なるべくバリアフリーなど設備の整った学校を探すか?(身体障害のみで、養護学校(勉強のカリキュラムが違うという意味での)に入れるわけにはいきません。)だと思います。 子供の友人でよく協力してくれる人がいるのなら時々 訪ねていってその子と親にお礼を言いますね。

所詮、障害をもったことの無い奴の意見だ、と思われるかもしれませんが、ご容赦ください。


 

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
よろしければご覧ください

補足日時:2007/11/17 01:12
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この回答へのお礼

私の質問文まで気を配っていただき、本当に恐縮しています。

正直言って、回答者のために「多少の」社交辞令を含んだお礼をすることもある私です。
しかし、あなたの回答には本当に深い思索と思いやりを感じました。

詳しい場合分けまでのご検討をいただき、本当に感謝の気持ちです。

ありがとうございました

お礼日時:2007/11/16 23:59

こんにちは^^



自分の考えとしては、

・別に構わない。自分に迷惑がかからないならどうでもいい。

が当てはまります。
確かに自分が一番可愛いですし、苦労はしたくないです。
しかし、車椅子の方を放っておく事も出来ません。

自分の時間の出来た時にできることをやる・・・程度ですかね。

車椅子の方も好きでその体になった訳ではないですし、
楽しい学校生活を送りたいですよね。
その為の手助けは必要かなと思います。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
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補足日時:2007/11/17 01:15
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この回答へのお礼

自分の迷惑にならなければ良いとおっしゃりながら、実は思いやりのある方なんだなと感じさせられるのですが。

回答ありがとうございます

お礼日時:2007/11/16 23:55

当方の出身高校(公立・全日制普通科)で同級生にいました。


その出身高校は歴史がまだ新しく、当方が入学する年まで車椅子の方がおられなかったみたいで。
で、当方の入学年。
それまでなかったエレベーターが急遽作られ、段差がある所にはスロープが出来ました。

約5年前、当方も一時的ですが車椅子生活送りました。(ひき逃げ事故に遭い腰椎二箇所骨折した為)
迷惑・・・・・という考えを持つ方が異常かと。
迷惑だ!というのに限って、自分が同じ立場になりそう言われると”ヒトの気持ち考えろ!”と自分勝手な発言をするし(素)。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
よろしければご覧ください

補足日時:2007/11/17 01:27
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この回答へのお礼

誰でもいつ同じ立場になるかわからないという視点を持つことが必要と考えさせる内容でした

ありがとうございました

お礼日時:2007/11/16 23:53

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