プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

親御さんの立場の方は、ご自分のお子さんの学校ならと想定してください。
学生さんなら、ご自分のクラスと想定してください。
もちろんその他の方の回答も歓迎です。

もし養護学校ではない、一般の学校に車椅子など身体的障害のある生徒(学生)が入学するとしたなら、あなたはどう思いますか?
(注:精神障害や知的障害ではありません)

車椅子の生徒のために、常に階段昇降やトイレなどのために誰か周りの生徒や教師の補助が必要です。
手が不自由なら他の生徒がノートをコピーしてあげたり、実験の時間には補助が必要です。

自分のお子さんや、自分自身がそのクラスに居るとしたなら、あなたはどのように思いますか。

・迷惑だ。人の補助が必要なら養護学校に行くべきである。
・別に構わない。自分に迷惑がかからないならどうでもいい。
・可愛そうだから皆で助けてあげるべきだ。
・居てもいいが、その子の親などが校内で補助してあげるべきで、周りの生徒に負担かけるべきでない。

などなど色んな意見があると思います。

あなたはどう思いますか
お教えください。

※アンケートを誘導したくないので、お礼・感想は申しますが反論はしません。
また誘導防止のために、私の考えは締め切り時に申します

A 回答 (22件中21~22件)

知的障害や精神的障害ではなく、足などが不自由で車椅子、ということですよね。


それなら別に養護学校に行くべき!とは特に思いません。
人を助けてあげることも学べるし別にいいと思います。
が、常に補助が必要で周りの生徒の負担が大きいとだんだん
疎ましく感じる人もいるかもしれません。執拗に『助けてあげましょう!』
的なことを言うのではなく、あくまでも扱いは他の生徒と同じ、
どうしても本人だけじゃできないことは周りの人が補助するというのなら良いと思います。

でも私はクラスに車椅子の人がいても多分積極的には助けたりはしない気がします。
友達が不慮の事故で足が不自由になった、とかなら積極的に助けると思いますが。
冷たいのかもしれません。

この回答への補足

No22さんの補足欄に私の考えを書きました。
よろしければご覧ください

補足日時:2007/11/17 01:05
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この回答へのお礼

段々と疎ましく思うという感情、これもまた人間として当然ある感情であると思います。

ありがとうございました

お礼日時:2007/11/17 00:32

実際経験しましたが、ハッキリ言って迷惑でした。


隣の席だったのですが授業中でも何かと言えば介助
させられたし、移動教室でも介助させられたし
授業に集中出来ませんでした。

自分が介助しなくて済んでいたら、迷惑とは思わなかったでしょう。
口先だけで協力してあげましょうと言うのは簡単ですが
実際子どもだった自分にはかなりの負担でした。

この回答への補足

質問を締めるにあたり、この場を借りて皆様に改めてお礼を申し上げるとともに、この問題に関する私の考えも示したいと思います。

アンケを誘導したくないので、自分の考えは出さないようにしましたが、各位への「お礼」で、賢明な方にはもう既にご推察いただけた通り、質問文の例示として出した考えは、私の考えとは違うものでした。

私の考えは当初以下のようなものでした。

障害を持った子供も当然皆と一緒に学校へ入学すべきである。
確かに、障害者が居ると周りの生徒への負担が生じるであろう。
また口では「力を貸すべき」とか言いながらも、実際に身近に居ればその負担に疎ましさを覚えてしまうのも、また人情であろう。
しかし社会と言うのは、運動能力の優れた人間も居れば、とろい奴も居る。そして「とろい」のレベルを通り越して、人の介助さえ必要とする人間も居る。
勉強においても、また「優しさ」や「誠実さ」「真面目さ」などの性格面でも人それぞれ一長一短があるのである。
それぞれの人間がそれぞれの面で、人を助けたり助けられたりするのが社会なのである。

だから、身体面で劣る人間が居たとしても、それを許容するということを学ぶことこそが「教育」なのである(この点はNo20さんのお礼欄で少し触れました)。

であるから、車椅子の生徒が自分の子供の学校に入学してくれるのは、迷惑であるどころか、むしろ自分の子供にとって「よくぞその機会を与えてくれた」と感謝するほどのことである。

以上のように考えていました。

その意味で、No12さんのお子さんの卒業式のお話は、まさに「自分の子にもこんな教育を受けさせたい!」と思うようなエピソードでした。

しかし一方、No18さんのお話をうかがって、なるほどこんな考え方をするのは、別の視点からはいわば他人様の障害を自分の子供の教育に「利用」するような、厚かましい考えとも言えるのだなとも思いました。

そしてNo15さんからは、自分が障害者で他人から世話を受ける立場になった時の気持ちまでも、思いをいたす機会を頂きました。

No12さんからは「迷惑」という言葉の意味を再考させる機会をいただきました。
____________
私は先述の通り、大学のゼミで車椅子の友人と出会う経験がありました。
その時は、ゼミの仲間はみんな普通に彼と接していたし、またエレベーターもない当時のオンボロ校舎では皆で当然のように階段の上げ下ろしを普通に手伝っていました。

思い返してみると、当時は別に普通に当然のこととしてそのような行動をとっていたのですが、改めて考えてみると、もっとこの問題について考えるべきだったと反省しています。
(これは彼にもっと情けをかける、みたいな意味でなく、社会の一員として当然にもっと「他人様」の立場にたって物事を考えるべきだった、という意味です)

私の考えを言うだけ言って「言い逃げ」のように締め切りたくないので、もう1~2日だけ締めずにおきます。
皆さん本当にありがとうございました

補足日時:2007/11/17 00:33
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この回答へのお礼

経験者のお話はとても貴重なものであると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/17 00:33

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