ショボ短歌会

ローザンヌ条約について質問があります。
クルド人に関することを調べていて
『トルコ政府は「兄弟民族であるトルコ人とクルド人」として発言しました。「対等のパートナー」であるので「マイノリティ」の保護条項の適用をうけないことになり、また「対等のパートナー」を理由に、トルコに併合されることになりました』
という情報を見つけたのですが、「対等のパートナー」を理由にトルコに併合されたと言うのがよく分かりませんでした。対等のパートナーであればどちらか一方に併合されるのはおかしいと思ったのですがどうなんでしょうか?
また、クルド人はムスタファ・ケマルに「トルコ人とクルド人の国家を作る」ということで協力していたらしいのですがこれの意味の解釈としてトルコ人の国家とクルド人の国家をそれぞれ別に作るという意味なのか、トルコ人とクルド人が一緒に統治している国を作るという事なのどちらしょうか?
ご存知の方がいましたら回答よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

歴史は専門ではないのですが、回答がなかなかつかないようなので、分かる限りで答えさせてください。



セーブル条約とローザンヌ条約の概略と経緯については、すでに調べてらっしゃると思います。
問題はローザンヌ条約で決議された以下の部分に関わる条項ですが・・・

>『トルコ政府は「兄弟民族であるトルコ人とクルド人」として発言しました。「対等のパートナー」であるので「マイノリティ」の保護条項の適用をうけないことになり、また「対等のパートナー」を理由に、トルコに併合されることになりました』

ローザンヌ条約では新生トルコ共和国の定義とその基本概念が明らかにされました。
それによると、
「地域によっても民族によっても分断されることのない統一国家トルコ国内に居住する、もしくはトルコ国籍を有することでトルコ国家に属する全ての民は、平等で同等の権利を有するトルコ国民である」
というようにこの条約は、トルコ人であろうとクルド人であろうと、同じトルコ国民として平等であることを国際的に認めさせるものでした。

しかも少数民族条項があり、
「あらゆる少数民族はトルコ国民として、いかなる形であれ差別されることはない」としながらも、
「トルコ国内に住む、キリスト教徒であるギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ人の少数民族は、動産・不動産の所有権と信仰の自由を保障される」
とされ、クルド人は少数民族とも認められなかったのです。

これらの基本概念が、クルド人の独立国家建設を絶対に容赦せず、後年クルド人の同化政策を推進する際の堅固な理由・裏付けとなっていると思われます。


>クルド人はムスタファ・ケマルに「トルコ人とクルド人の国家を作る」ということで協力していたらしいのですが、

こちらの真相はよく知りません。クルド人・クルド独立擁護派の書いた文献を読むと、「アタテュルクが、クルディスタン独立の約束を反故にした」的な文章が頻出しますが、記録に残っている第一次大戦~救国戦争前後のアタテュルクの発言を追ってみても、それらしき言葉が登場しないばかりか、反対に「トルコ人とクルド人の友好は絶対に壊さない」「クルド人はトルコ人の同胞であることから離れない」というように独立を断固として許さない態度を崩していません。(裏で取引があったかどうか、あるいは後に発言に手が加えられたかは不明)

セーブル条約では確かに、クルディスタンの独立に関する条項があります。クルド地域における地方主権の確立と、望めば1年後に独立を申請できる、とするものです。ローザンヌ条約締結によって、事実上セーブル条約は失効したので、「反故にされた」というのは、これを意味しているのだとは思いますが・・・。


>これの意味の解釈としてトルコ人の国家とクルド人の国家をそれぞれ別に作るという意味なのか、トルコ人とクルド人が一緒に統治している国を作るという事なのどちらしょうか?

クルド人が主張しているのは、あくまで「クルディスタン」という独立国の設立です。
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなり申しわけありません。
非常に丁寧に回答をしてくださりありがとうございました。
自分でももっと調べて勉強したいと思います。
重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2007/12/29 22:32

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