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私は人生においてひきこもり期間があって・・・4年。そのうちの残り1年半はバイトができるほどに。今は20代後半なのですが、若い時期を無駄にしてしまいました。
深く後悔してます。毎日後悔してます。一番いい時代を無駄にしたと。
でも、これからを真剣に生きて、価値のある人生を送りたいと思ってます。でも、やはり過去になにもやってこなかった時間を悔いてます。同世代は家庭をもったり、いい仕事をしてたり。私は専門学校へ行き、専門職を目指す方向に決めました。それは来年には就職できる予定であります。ですが、今までの空白期間をすごく悔いてます。いろいろできたのに、遊べたのに、なにかできたのに、こもってた。
さらに、周りは「悲惨な人生だね」「楽しめたのに、重要な時期を失ってるんだね」とか言ってきて追い討ちをかけてきます。

私は今までは後悔の過去でしたが、これからを充実した人生にしていきたいと思ってます。そこで質問ですが、私のように過去を無駄にすごしてしまって後悔しているって方、おられましたら、どの無駄な時間にどういう意味づけをされてるのでしょうか?私は無駄にすごしてしまったことをバネにこれからのモチベーションにして活用していきたいです。例えば、やる気ないときに「無駄な時間をすごしてしまった・・・」って後悔の情念をわきおこし、漸進するための活力にしようと思ってます。やはり負の遺産をもってるので、負の力としてしか利用できないです・・・ポジティブに考えて、「ひきこもったことが実はよかったことなんだな。ああ幸せだったなあ」とは無理に思えないんです。やはり後悔してる、その事実はゆるがない。

過去を無駄にしてしまった後悔を皆さんはどのようにとらえてますか?

A 回答 (18件中1~10件)

無駄ねぇ...


前を向いて生きようとする人には過去後ろを向いたいたことも無駄にはなりません。若い時にそういう時間を過ごしたとしてもそれは経験として生かせます。
体力でのカムバックは無理ですが、人生全体であればその位の年齢なら世の中はまだカムバックを許します。
せっかく前を向いたんですから、「無駄な時間」の発想もやめた方がいいように思いますね。それも経験です。
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変な質問です。


何が無駄な時間で、何が無駄な時間じゃないのか、どっかに書いてある本があるんですか?見てみたいです。

私からしたら、全員無駄な時間を過ごしてます。
逆に、「私の人生は意味があった」なんておこがましい人が愚かなのです。

今が幸せじゃないから、過去を肯定できないんでしょ?
過去があなたを不幸にしているのではなく、あなたが過去を不幸にしているのです。
その後悔こそ無駄な時間ですね。はははは
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どのようにとらえてますか?




うーん
どうにもとらえてない
が正直なとこです

反省すべきこととか、学んだことは思い出したり
楽しい思いだとかは
思い出したりするけど

過去を無駄にした後悔なんて、いちいちこだわったりするの
そんなのすごく疲れます

今や、今からが大切だから
過去の後悔なんて考えてる暇がないです

楽しく生きなくっちゃ
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人間は本能的にバランスをとる生き物だ


という本を読んだことがあります。

例えば、学生の試験期間中などで、勉強しなければならないのに、
TVを見てしまったり、漫画を読んでしてしまったり、
音楽、ラジオに耳を傾け過ぎていたり・・・・・。

その後、駄目だ駄目だと、勉強に集中する訳ですが、
これは、人間の持つ「本能」だそうで、
バランスを保っているそうです。

仮にTVを見たであろう時間勉強しても、全ての時間集中している
訳ではないので、TVを見た後集中してやった分と、
頭に入った内容はほとんど変わらないそうです。

大事なのは、「悔いていること」。
rockstarmaさんの後悔の深さがあれば、
自身をrockstarmaさんの目指す水準まで上げるのなんて、
あっという間だと思います。

きっとあの時引きこもったお陰で、今頑張れているのかも?
とか思う時もやってきますよ。

さあ、バランスを取りに行きましょう!
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私は20歳の男性ですが、過去に色々とありました。



私は幼い頃から病がつき物だったり、身の回りで家庭問題が頻繁におこっていました。そのせいで、一生懸命やった勉強もその他の事もストレスが原因で記憶喪失になってしまって失ってしまいました。

現在も進行形で、色々と問題もあります。
記憶を失ったせいで、幼い頃から積み上げてできる自学学習能力というものがないせいか、学校で周りの人と比べちゃうと相当遅れてしまいますし、学校についていけないのが現状です。

なんでこんな目にあわなきゃいけないんだと思うことも沢山あります。
自分は無駄に過ごしたというか、ちゃんとやっていたのに全く報われなかったのです。

私は人生が平等なものだとは思っていません。むしろそうでしょう。
過去を無駄にしたと思ってるというか、現在もなのでとても受け入れがたく葛藤しています。
でも、私はこういう人生でも受け入れてやっていかなきゃいけないと思いますし、沢山の人々に支えられてきてますし、生きたくても生きれない人も沢山いるんです。私は同世代でももっと苦しんでいる人入院中の時に沢山みてきました...。

なので、過去に後悔しても周りの優しさに感謝し、そのもらった分を返してあげようと今の自分をうれしく思い頑張って前向きに頑張っていただけたらと思います。

あと、最後に一言。
後悔するな。明日あると思ったら大間違いだ。
色々過去にあったと思いますが、それもあなた自身です。
いつになっても悩みはつき物だと思いますが、元気で笑っていられることが何よりも美しいものだと思います。

いたらないこともありますが、これにて失礼させて頂きます。
お互い頑張りましょう。
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まず、楽しいだけの人生なんてあり得ませんよ。


あなたは今、周りから「悲惨だ」「重要な時期を失った」などと言われてストレスになってますよね。
人付き合いをすれば、そういう「イヤな思い」が必ずついてきます。
それに耐えながらの楽しい青春時代ですからね。
そう考えると大してうらやましいとも思えないでしょう?

反省と後悔は違います。
反省は次に生かされますが、後悔してもむなしいだけ。
それに、先の見えない未来に期待するのもどうかなあと思います。
先がどうなるかなんて誰にもわかりませんから。
「青春時代を取り戻したいが今からでも遅くないか。」と言われても「遅くない」という保証はできませんよ。だって、まずは人間関係でストレスをためないようにしないと、仲間と一緒に何かを楽しむことはムリでしょう?
それに、何を幸せと感じるかは人それぞれだし。

とにかくね、自分の手に入らなかったもののことばかり考えて生きてると損します。これだけは事実。
幸せというのは、与えられたものの中から自分で見つけるものですから。
そりゃあ、引きこもった時間が有意義だったとは私も思いませんよ。
でも仕方がないじゃないですか。
あなたにとっては必要な時間だったわけだから。

ちなみに私は現在、専業主婦で仕事もせずに子育てしてます。
中学受験して大学に入り就職しましたが、それが全く生かされてません。
「勉強、大変だったでしょう、でも無駄になっちゃったね」とか「もっと若い頃を楽しめばよかったのにね」と言われれば確かにそうですよ。でも、後悔はとっくにどこかへ消えましたねえ。むしろあきらめに近いかな。
自分が背負ってしまった運命だと思ってます。
人生をやり直すというより、今を精一杯生きることが未来に繋がっていくんじゃないでしょうか?
死ぬ瞬間に、「悪くない人生だった」と思えればサイコーだと思ってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/12/10 08:56

>過去を無駄にしてしまった後悔を皆さんはどのようにとらえてますか?



それはこれからのアナタしだいではないでしょうか?

「だるま」をご存知でしょうが、あれは、だるま大師という実在?の人物の姿だそうです。
壁にむかって、悟りを開くために座禅の業を何年?(30年?15年?)やった姿を模したものだとか。

どういう悟りを開いたのか、話を聞いたのですが、忘れましたが、
ご本人がそう思うから、悟りなのです。
確か・・・「無」とか「空」とかの悟りをひらいたというようなおち?(だるま大師ごめんなさい)

悟りとは本人でなければわからない。
宗教人(お坊さん)は壁にむかって引きこもって、「悟りをひらく」ということになれば、衆人は感心して、尊敬する、尊敬した?
しかし、どうでもよくなって、途中でやめてしまったのかどうかは、
わからない(だるま大師ごめんなさい)

いってみれば、壁に向かって座禅をくむのも、ひきこもるのも
環境的には同じです。
昔は、ただ、パソコンもなかっただけ。

あとあと、その時期の経験がどのような形にしろ、生かされてくることが必ずあります。
ただ、それ自体がお金になる(体験談を本に書いて、うれる?)とか、仕事のスキル(パソコンのスキルを身につけた?)として直接に役立つとかいうことではないでしょう。

なんだぁ、あほらしいと思って、前向きに。
そして、時々、
そういうこともあったなと、「悟り」を開けばいいのです。
間に合うとか、間に合わないとかもなし、明日は事故死してしまうのかもしれない、それは誰にでもある可能性ですから。
池袋駅から「女」が降ってきて、下敷きになった男性は本当にお気の毒です。
暴力団員に人違いで撃たれてなくなった男性も大変にお気の毒です。
みな、明日は、1時間後は普通に「アル」と思ってなくなった。

「無」「空」も何にもないという意味でしかないのだから。

ちなみに我が家の18の息子も16のときから半分引きこもりの高校中退です。
昼夜逆転の生活を送り、覚醒しているときにはパソコンかゲームか、
ピアノを弾いています(ヘッドホン)。
どうなるか、まったくわかりません。
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後悔のない人生ってまず存在しないでしょう。

人は多かれ少なかれ後悔しながら生きているものです。
 私も今30代半ばながらいろいろと頑張ろうと努力しています。引きこもりはありませんでしたが、20代はほとんど、自分のちょっとした趣味と仕事だけに使ったようなものでした。人付き合いなどもあまりありませんでした。30過ぎて後悔もしました。でも今頑張ろうと思えているのは、生まれてから今までのさまざまな経験や後悔があってその積み重ねとしての結果だと思います。決して偶然そうなった訳ではない。もし20代までの人生の後悔がなかったら、30代、40代は過去に満足して何もせずに生きていくことになったでしょう。そして50代になって後悔したと思います。人間は生まれてから死ぬまで常に100%の力を発揮しつづけるなんてできないと思います。どこかで気が抜けたり、ボーっとしてしまったりして、あとからその時間を無駄だと思うものでしょう。そしてそのことをエネルギーに変えて前へ進む。またいつかエネルギーが切れて、そういう時期がくるかもしれない。で、また後悔して・・・という繰り返しだと思います。
 無理にポジティブにとらえる必要はないのではないでしょうか。負の部分を持って生きるのもまた人間の宿命だと思います。後悔が人生のつきものである以上、それは仕方のない部分だと思います。100%ポジティブだけで生きてる人なんて絶対いないでしょう。

あと、
>「悲惨な人生だね」「楽しめたのに、重要な時期を失ってるんだね」
こういうことを言う人間は、自分の過去に本当は自信がないのに、あなたを下に置くことによって「あいつよりはマシだ、よかった」と自分を安心させているだけです。他人と比較することでしか納得できないような人生こそ後悔すべきだと思いますけどね。そしてそういう人間は安心感から今後も大した努力はしないでしょう。
 彼らの言う「重要な時期」を充実させて生きてきた人なら、人間的に成長しているからこういう言葉は口にしないでしょう。このことが彼らが大した20代の人生を送ってないことを証明していると私は思います。
 質問者様が今の気持ちを忘れず、努力を続けていけばいつか彼らもそんなことが言えなくなるような状態になると思います。

 それと人間は一人一人違うのですから、どの時期が重要かなど一律に決められるものでもありません。20代に最も輝く人もいれば、30代、40代あるいはもっと遅くになって充実期を迎える人もいます。
 それを標準として20代に決めてしまうのもまた間違いです。
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自分の経験と重なり、思わず書き込ませて頂きます。


私も今年から20代後半、仕事も契約社員ですが何とか頑張っています。

私は19~23の頃に引きこもっていました。
ろくに仕事もせず、友達の誘いを断り、気付けば友達0で完璧に社会から孤立していました。

しかし、2年前に偶然旧友と再会し、活を入れられ社会復帰し、今では趣味のバスケットで友達も増え、地元の飲み会等にも誘われるようになりました。
しかしそれでも周りの同年代の人と比べれば、まだまだ友達は少ないです。”いつも一緒な仲間”というのもいないと思います。
私が憧れているのが、キャンパスライフ?というヤツでしょうか。19~23歳、大学時代と言えばお金も多少入り・お酒も飲めるようになり、車も運転出来るようになり、遊びの幅も増える時です。
サークル等に入り、皆で遊びに行ったり、飲み会や旅行や色々経験しておきたかった…。
と、今でもしょっちゅう考えています。

しかし引きこもった頃に比べれば全然マシです。


>「ひきこもったことが実はよかったことなんだな。ああ幸せだったなあ」とは無理に思えないんです。
これは当然だと思いますよ。私も「引きこもったことが良かった」と思えた事はまだありません。
しかし、「今はあの頃とは違う」「あの頃よりは前進している」と考えるようにしています。
引きこもってしまった過去は変えられません。後悔もして当然だと思います。
しかし大事なのはこれからですよ!
あなたは自分の力で一歩踏み出しています。とても素晴らしいことだと思います!
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私はあなたの考え方を「全否定」します。



「後悔」から生まれるものは「後悔の肯定」でしかない。
それは「事実」を非常に小さく捉えるだけの手段であり、格好の「逃げ道」にしかならない。
ていの良い「いいわけ」程度の事でしかない。

「人生のやりなおし」の意味を勘違いしている。
「やりなおし」は「仕切り直し」。
過去の反省、肯定の上にこそ成り立つ「一段高いグレードアップ」を望むものだ。
昔の出来事を「後悔」などとしか呼べないようでは、先に進んでも「新たな穴」にはまってしまったり、否定を続けていく事で「自分が進む道を狭く取るしかない」ということにつながる。

人生の必然は「出来なくなる事」だ。
年を重ねていくうちに出来なくなる事ばかりが多くなる。
なのに「過去の事を否定しつづけて」いれば、ただでさえ狭くなっていく道(可能性)を「穴ぼこだらけで歩けなくなっていく道」にしてしまうのだ。

だからこそ「やりなおし」をはからないと、手詰まりになっていく。
失敗という穴ぼこは、自分で「補修」していくものだ。
そして「何故穴が開いたか?」を追求していく事だ。
そうすることで「歩いていける道」を広くしておかないと先には進んでいけない。

自分を苛めていても、誰も誉めちゃくれないし、助けてもくれないぞ!!。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/12/11 08:20

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