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法治国家では、法によって人々の安全や経済活動の秩序が保証されています。
法は人々を統治するには大変優れた概念と言われていますが、同時に
『見つからなければ何をやっても構わない』
というアキレス腱を絶えず抱えています。
そしてこれは犯罪者の論理として昔からしばしば使われてきました。
皆様と同じように私は犯罪が嫌いです。
ですからこの論理をどうにかして乗り越えたいのですが、愚鈍な私にはどう反論すればいいのか分かりません。
今これを見てくださってる識者の皆様方の中に、この犯罪者の論理を、感情論を抜きにして理路整然と論破してくれる方はいないでしょうか。

A 回答 (4件)

(1)見つからなければ何をやっても構わない


        ↓
(2)見つからなければ何をされても構わない

(1)=(2)なら納得する

違うのなら(1)は間違ってると思う。
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この回答へのお礼

なるほど!確かにそうですね。
『見つからなければ何をやっても構わない』というのは
裏を返すと『見つからなければ何をされても構わない』ということに
たしかになります。
私は個人的感情から犯罪者を一方的な悪に据えて考えてしまっていたんでしょう、
その犯罪者が逆に被害に遭うという状況が思いつきませんでした。
これを聞いた潜在的犯罪者はぐうの音も出ないでしょうね(笑)

大変勉強になりました。
お忙しい中お答えくださいましてありがとうございます。

お礼日時:2008/01/13 02:15

私は良く「泥棒は絶対必ずつかまります。

なぜか判りますか?」という質問をして、『見つからなければ何をやっても構わない』という人に説明しています。

この答は、泥棒が一度成功すると、もう一度やってみたくなります。泥棒してもつかまらなかったという厳然たる事実から、ならばもう一度やってもつかまるわけがないと誰でも思うからです。そうすると何度でもこれを繰り返し、つかまるまで繰り返します。つかまらなければ、つかまるまで繰り返しますから・・・。よって泥棒は必ずつかまることになります。

『見つからなければ何をやっても構わない』という論理は1回限りでは成立する確率は高いです。しかしながら、繰り返し行うと上の論理により、必ず見つかります。私はこれを「繰り返しの罠」と勝手に呼んでいます。

サイコロを1回振って、1が出る確率は6分の1です。しかし6回以上振ったら必ず1が出るはずです。「繰り返しの罠」とはこういうことです。(但し私は数学者ではないですから、数学的にこの説明が正しいかどうかは専門家に譲ります)

確か田中角栄元首相だったと思いますが「酔っぱらった人が、刑務所の塀の上を歩いているとする。刑務所の側に落ちるか、刑務所の外に落ちるかは、その人の運次第である」みたいな言葉を残した人がいます。『見つからなければ何をやっても構わない』と考えている人に対する良い警告でしょう。

「酔っぱらっていて」つまり事情を良く知らないでもしくは自分がそのことについて本当は良く知らないのにもかかわらず「刑務所の塀の上を歩く」つまり重大なリスクを犯すことは「運を天にまかせるような、無謀な行為で普通の人はしてはならない」と私は解釈しています。

「刑務所の塀の上を歩く」ことは違法ではないでしょう。その結果が問題です。「酔っぱらっていて」という条件で「落ちないで歩き通せる」と考えることは無理です。そして塀から落ちた時も必ず、塀の外側であるという論理も無理があります。

「『見つからなければ何をやっても構わない』という考えは、誰でも思うことでしょう。(「必要は法を無視する」という法格言がある位です。この法格言を大学の法学の講義で習いました)しかし、「こういう考えに陥らないよう最大限努力すべきでしょう。」」と私は最後に付け加えますが・・・・・
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この回答へのお礼

とてもわかりやすい回答ありがとうございました。
刑務所の塀の話とてもおもしろいですね。
勉強になります。
お忙しい中でのご回答、感謝いたします。

お礼日時:2008/01/18 23:49

いつ見つかるかわからない危険性を常にはらんでいる。


・・ぐらいしか浮かびませんが、これじゃ弱いのかな・・。
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この回答へのお礼

いえ、決してそんなことはないですよ。
実際に犯罪者の大半は捕まっていますから(笑)。
とは言ってもそれは犯罪が表になっている件だけで、
実際は、脱税や談合・汚職等の事犯はその現象自体が発見されづらいため、やはり
『見つからなければ何をやっても構わない』
という論理はまかり通ってしまっているのかもしれませんね。
特に殺人や窃盗のような犯罪ではなく、社会の上層部が密かに犯している犯罪という意味で。

お忙しいなかご返答くださいましてありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 02:31

この世界には絶対いるでしょう(確信)


母に言われました。「人は動くけど、物は細工をしない限り動かない」
遺留品などを手がかりにして行うべきでしょう!
アメリカでは画像解析(ジーパンの柄など)をして、凶悪犯を捕まえているのになぜ日本は重大な証拠を作ることをしないでしょうか?
犯人は見つからなければ何もやっても構わないと言う理論上、絶対無理です。
そもそも犯人はチンタラチンタラしてたら普通に捕まりますよ。(捜査の技術がもう少しグレードアップしてればそのうち、その理論はなくなることでしょうね)
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この回答へのお礼

迅速なご回答、大変ありがたいです。
「人は動くけど、物は細工をしない限り動かない」
初めて聞いた言葉ですけど、とても重みがあります。
近年凶悪犯罪が増え、残忍な事件に関しても未解決のままのものが増えました。日本の安全神話はもはや崩れたと言っても良いと私は思っています。
『見つからなければ何をやっても構わない』
私は、道を歩いている小学生たちがこの言葉を使っていたのを聞いた時、とても残念な思いになりました。
小学生相手には道徳的な話をしてあげたら納得してくれるかもしれません。
しかし、大人相手にそうはいかないと思います。
人間、特に大人は、時として道徳よりも実益を重視するからです。
実際に世の中に脱税者など五万といるでしょう。
しかし全ては摘発しようがないというのが現実でもあります。

もしこれが、法治国家のサダメであり、犯罪者の論理が間違っていないのなら、やはり捜査技術の向上に期待するしかなくなるのかもしれませんね。

お忙しい中お答え下さいましてありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 01:57

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