14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

チベットについての質問です。近年でさえも、中国の支配下にあるチベット!そんな国を昔から学んでいこうと思い、最近本を読んでいます。
チベットはモンゴル→清→中国とたしか、支配下にありましたが、清の時代についてのチベットが知りたいです(全部知りたいのですが・・・・)清はそもそも、なぜチベットを侵略し始めたのでしょうか?
モンゴル帝国が支配していたときは、まったく彼ら独自の文化や宗教をうばわれなかったと聞きました、しかし清は多くの規制や圧力をかけ支配下に置いたと聞きました。
清のチベットへの侵略の動機を教えてください。

A 回答 (2件)

清がチベットに派兵するのは、現在のウイグル自治区にあったジュンガルがチベットに攻め込みラサを占領したため、チベットに軍を送り、ラサを解放したのに始まります。

(1718年)
清軍は、ラサに攻め込み、捕えられていたダライ・ラマを解放し、蕃王とします。
この段階で、チベットが清の支配下になったとされています。
蕃王は、清に逆らわずに朝貢する事により、内政的自治権を有していました。
年表によりますと、1724年にラサに監督官を置いています。
また、1727年、1750年とチベットで内乱が起こっているようですが、なぜ起こったのかは、わかりませんが、内乱鎮圧のために派兵しています。
1790年、ネパールがチベットに侵攻した時も派兵しています。
その翌年1791年にチベットで反乱がおきていますが、その乱と派兵の関係は知りません。
これ以後チベットの反乱の記載が年表にありませんので、清末の反乱が多発した時代でも、比較的安定していたと思われます。

1880年、1890年、1893年、1906年と、イギリスとの間にチベットと英領インドとの国境条約をしていますから、このころイギリスのチベットへの進出が活発だったのでしょう。

モンゴル支配の時のチベットは、清の時と同じく属国になっていますが、モンゴルが中国との対抗上チベットは特に優遇された扱いをうけ、逆にモンゴルにチベット文化を広める事になります。
そのため、現在でもモンゴルではチベット系仏教を信仰しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。チベットについてさらに深く勉強しなければいけない意欲がわきました。

お礼日時:2008/02/19 22:20

清がチベットに侵略したのは、清帝国滅亡の数年前20世紀初頭の時だけですよ。


これは、旧態依然としたチベットの体制ではインド側から侵攻してきたイギリスに対抗できないと判断したためです。
すでに沿岸部をはじめ首都北京にも外国軍が駐留している状態で、さらに内陸部からもとなれば、国の存亡の危機ですからね。
もっとも、このチベット侵攻の2~3年後に清帝国は崩壊してしまいますが。

なおこれ以前に何度か清はチベットに軍隊を送っていますが、これは全てチベット側の要請です。
2度の外国軍撃退の為と内乱後の秩序回復だったような。
清側も遠征費用が馬鹿にならないので、この援軍以降大使兼御目付役をラサに駐在させてますね。

清の乾隆帝の「29条の布告」を臣民統治の勅命ととらえる人も居ますが、清の派遣司令官だった将軍が
「これは皇帝の提案で判断はチベット人がすべき」と言い、実際チベット人はその様にしていますね。

この回答への補足

ありがとうございます。ということは、清は''侵略''をしたという事ではないのでしょうか?
チベット政府が好んで清と契約していたのでしょうか?
もしそうでしたら、モンゴルの支配から清の支配までずっと迫害を受けていたわけではないのでしょうか?どうも本を読むと、侵略という言葉を使っているので、迫害されていた事として捉えてしまいます。その辺いかがでしょうか?
また、もし回答者さんがご存知であるのなら、パンチェラマとダライラマの違いも知りたいです。
宜しくお願いします。

補足日時:2008/02/10 23:41
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