島崎藤村の「初恋」という作品に

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

とありますが、これはどういう意味なのでしょうか。
それと、この2人は両想いなのでしょうか、それとも男の片思いなのでしょうか。
回答よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

 懐かしいですな。

中学時代にほぼ丸暗記するほど何度も読み返しました。今でも空で暗唱できます。ほとんど難しいところのない明快な詩ですね。

> わがこころなきためいきの

 これは「こころにない」と言う事ですから、思ってもいない、つまりつい出てしまったため息と言うような意味です。

> たのしき恋の盃を
> 君が情に酌みしかな

「恋の杯を酌む」というのは比喩的な表現で、「恋の楽しさを知る」という感じでしょう。「情」は相手を思う心の事ですから、「君のおかげで恋のすばらしさを知る事ができた」というところでしょうね。

 なお、最後の節でリンゴ畑の木の下に自然とできてしまったこの道は、いったい誰が踏み固めたんでしょうねと問いかけるのは、もちろん誰のせいか知っていながら、悪戯っぽく笑いながらからかっているわけで、はっきり言って「のろけ」です。要するに、この詩全体がベッタベタに甘いのろけの詩になっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

解説ありがとうございます。
暗唱・・・普通にすごいと思います。

お礼日時:2008/03/10 17:11

今もってたいへん有名な詩のようですね。


七音・五音で一行をなす、いわゆる文語定型詩で、口調がいいのでついすらすら読んでしまいがちです。
確認を兼ね、いま一度はじめから読み返してみましょう。

 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛(はなぐし)の
 花ある君と思ひけり

これが第一連。少女から抜け出たばかりのうら若い花やかさのある女性のようですね。
続いて第二連。

 やさしく白き手をのべて
 林檎をわれにあたへしは
 薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
 人こひ初めしはじめなり

リンゴが実る秋の出会い。うたい手に恋心が芽生えました。
ここで読者に、すがすがしく甘酸っぱいリンゴの香りがただよいはじまればしめたものです。
いわばそんな初々しい恋、初々しい女性が相手なのです。

 わがこゝろなきためいきの
 その髪の毛にかゝるとき
 たのしき恋の盃(さかづき)を
 君が情(なさけ)に酌みしかな

「こゝろなき」がやや難解な語句かもしれません。
辞書を引くと『おもいやりがない』とか『思慮がない』とか出てくると思いますが、
ここで想像してみましょう。詩は(短歌でも俳句でも)想像することがとても大切だと思います。
人を恋すると、胸がいっぱいになります。切なくなり、ため息も出ます。
恋しい女性を目の前にして、心ならずもため息が出て、それが髪の毛にかかったんですね。
それが「こゝろなきためいき」だと思います。
さて、これは苦しい心のはずなんですが「たのしき恋」といっています。
そういう状態の自分を客観視し、そうした状態をもたらしてくれた「君」、
固有のあなたの存在をことほぎ祝杯をあげています。
恋に酔ってしまったということでもあるんでしょう。
さて最終、第四連。

 林檎畠の樹(こ)の下(した)に
 おのづからなる細道は
 誰(た)が踏みそめしかたみぞと
 問ひたまふこそこひしけれ

人を恋すると、出会った場所、出会えそうな所に何度も足が向いてしまうものです。
うたい手は女性が住んでいる家も、ひょっとしたら名前もまだ知らないのかもしれません。
こうして道のようなものが、通い路がいつのまにか出来てしまいました。
それを女性は、どなたが踏み固めたんでしょう、なんであんなものが最近になってできたんでしょう、などと不思議がったのかもしれません。
道を踏み固めてしまった当の本人に聞くんですから、女性は全く気がついていず、それほどまだ無邪気なんですね、きっと。
そしてそういうあなたを見ていると、よけい恋しさがつのります、といってうたい終わっています。

以上が私の解釈です。
したがって、これは男性の片思い。恋の告白もしていません。女性もまだ気づいてさえいない。
そんな状況にある「初恋」をうたったものだと思います。
全体を通じ、リンゴの香りが実によく効いています。愛唱されるゆえんでしょう。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

全文の詳しい解説ありがとうございます。

お礼日時:2008/03/10 17:10

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q島崎藤村 初恋

島崎藤村の「初恋」の訳を教えてください。
特に4連がよく分からないんです…。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情けに酌みしかな


林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ

Aベストアンサー

リンゴの木の下でよく逢引をしたのでしょう。
そこへ至る道は、自ずから(おのずから=自然と)細い道が出来ている。
普段人が通らないはずなのに、なぜこんな道ができるほど踏み固められているのでしょう。
と女性が男性に問うているのです。

無論、それほど何回も二人でここに来たという証なのですが、「それほど何回もあなたが誘ったのよ。」と男性をからかうように含み笑いで顔を見ている様子が浮かびます。
その、恥ずかしげではあったが茶目っ気たっぷりだった様子が恋しい、ということだと思います。

Q島崎藤村「まだあげ初めし前髪の…」がわからない

「初恋」の冒頭です。
意味はわかりますが、正しい日本語でしょうか?

「まだ」に引っかかります。必要ないし、あるとおかしいんじゃないかと。
「まだ」を入れたいのなら、あげ初めし「ばかり」の前髪、というふうに「ばかり」に相当する言葉がないと不自然に感じます。

文語に詳しい方、文法的に変ではないか、その点だけ教えてください。

Aベストアンサー

beat118さんの文法感度(?)はするどく、現在の共通語(「標準語」って呼ばれたりしてた)としてはたしかにちょっと島崎藤村はヘンでしょう。

>名詩といわれるような作品ですから、おそらく文法的な間違いはないのでしょう。

これが、違う、違うよ!!!

まず、わたしもそんなに詳しいわけじゃありませんが、
司馬遼太郎先生もおっしゃっている(らしい)ですが、

明治以前は勿論、その後も、なかなか、

「日本語の文法」は、整理されていなかったのです。
文法らしき文法がなくても、とりあえず通じるのが、日本語のいいところでもあり、悪い(??)ところでもあり。
そういう文化なんです。

司馬遼太郎先生によれば、「日本語」と呼ぶべきもののなかった時代に、あれだけ整った、日本のどの地方の人にも読みやすい、思考の深い、また内容も素晴らしい文学の書けた、明治の文豪は、凄いらしい!!特に、夏目漱石ですね。

話はそれますが、英語のつづりを見ると、「なんでこの発音?」って思うことがよくあるでしょう。英語はつづりと発音が、別の地方出身者たちによってなんとなく決まってしまったという歴史があり、ああなっちゃっています。また、単語の絶対数が少ない。そのぶん、文法はわりとしっかりしてます。

話を戻します!

>名詩といわれるような作品ですから、おそらく文法的な間違いはないのでしょう。

この考え方は、非常に良くない。

まず、文法の確立途中であったということは先に述べましたが、それ以降も、文法が間違っていても名作と呼ばれるものは、実はものすごーーーーーく多いんですよ!

魅力は、文法をも超えるときが多々ある。

また、わたしが個人的に言いたいのは、ちょっと飛躍ですけど、

>法律だから正しいんだろう
>国が定めたんだから国全体にはそのほうが良いんだろう
>校長先生が良いって言ったんだから良いんだろう

みたいに、なんでもかんでも完璧に決まっていると思うのは、この先の人生にお勧めできない、ということです。

beat118さんの文法感度(?)はするどく、現在の共通語(「標準語」って呼ばれたりしてた)としてはたしかにちょっと島崎藤村はヘンでしょう。

>名詩といわれるような作品ですから、おそらく文法的な間違いはないのでしょう。

これが、違う、違うよ!!!

まず、わたしもそんなに詳しいわけじゃありませんが、
司馬遼太郎先生もおっしゃっている(らしい)ですが、

明治以前は勿論、その後も、なかなか、

「日本語の文法」は、整理されていなかったのです。
文法らしき文法がなくても、とりあえ...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報