この人頭いいなと思ったエピソード

姪(小学生)の学校では、忘れ物が多かったり、
人に迷惑をかけたときには、放課後、トイレ掃除をさせられるそうです。

「罰として掃除」が適切かどうかはともかく、、、、
なんで、「トイレ」なんでしょう?

最近のトイレは水洗で、キレイなのに?
むしろ、教室掃除とかの方が大変そうなのに?

どうして、いまだに、罰掃除というと、トイレなのでしょう?
くだらない質問ですが、、、ちょっと気になったので、
わかるかたいらっしゃったら、教えてください。

A 回答 (5件)

こんばんは。



ご自分が、不特定多数の入る水洗トイレをお掃除なさったことがありますか?
わたくしなどは、ゴムの手袋を三重くらいにして行うほど、精神的な抵抗があります。
心では、汚くないと戒めながら、でも雑菌や、大腸菌や、普通のお部屋には充満していない菌だらけなのがトイレです。だから、人がやりたくないことが簡単なバツとして与えられると同時に、精神的なバツも加味されているのではないでしょうか?
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> 人に迷惑をかけたときには、放課後、トイレ掃除をさせられる


> そうです。
> どうして、いまだに、罰掃除というと、トイレなのでしょう?

私もその昔、思いましたね…水洗トイレ清掃が罰則なんて、
時代錯誤も甚だしい、以前、清掃の仕事をしていた経験も
有りますが…未だにそんな事を罰則とされてる教師が存在
するとは、何を考えているのか?それで、生計を立ててる
人達に対して、どの様に言い訳するのか一度傍でその教師
の話を聞いて見たい…
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なぜ、トイレ掃除かは、他の方が言われたとおりに、昔のトイレのイメージや状況があるのだと思います。

そして、同時に、ここには「人の汚物などの処理をする者は、劣った者である」というイメージが付加されているのだと思います。
ご質問への回答からは少々逸脱しますが、そのようなことを罰として教育現場で課した場合、その子供達が成長して、実際トイレ掃除を仕事として行っている人を見たときとか、ゴミ収集などの仕事を行っている人を見たときとか、どのような印象を抱くでしょうか。そう考えると、過去現在通して、非常に問題のある罰則だと思います。
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特権者は掃除なし、ふつうの人は当番、罰はその都度掃除という「儒教の差別主義」と「教育の序列意識」が合わさったものでしょう。

労働を差別する意識でもある。
日本ではまだ小学校低学年でも給食当番はあり、他の人にサービスすることも自然でサービス受けた側も感謝の気持ちでありがとうといえます。

どこかの国の政治みたいに勝てば万能でやっていると「愛の歌」歌うけど、教室はごみやタバコの吸殻であふれる女子学生並みです。
パリの日本人学校なんて遠足の帰りにロータリーに乗り入れると子供がバスの窓からごみを捨てる! 新任の教師がびっくりしてやめさせようとすると子供はなぜダメと言い、古い教師はそれを拾う人がいるからいいという下品さです。

質問の罰掃除がいいかは議論がある。しかし他の人がいないところでこころ細い思いさせるのはそれはそれでありです。
家庭で押入れに閉じ込めるみたいなものです(^^) それがいやなら次ぎからは避けようという動機が生まれる。
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学校が木の校舎だったころから、罰としてトイレ掃除をさせていました。

そのころのトイレは薄暗くて、子供たちにとって一人で入るには怖い場所だったそうです。その恐怖さゆえに、もういたずらはしまいと気をつけた子が多かったそうです。
学校の怪談には「トイレの花子さん」がありますよね。そのことからも、やはり昔のトイレは、そうとう怖かったのかもしれません。
ただ、花子さんは女子便所、いたずらをする子は男子が多かったと思うので、関係ないかもしれませんが。

現代となっては理由があいまいですが、何となく受け継がれて、罰→トイレ掃除になっているのではないでしょうか?
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