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大分県中津市耶馬溪の青の洞門。
禅海和尚が約30年かけて、ほぼ一人で掘り抜いたと言われるトンネルですが、
さるサイトの年号で計算すると39才、
さる冊子で見ると、49才から掘りはじめたと書いてあります。

正確には、何才から掘り始めたのでしょうか?

伊能忠敬は50才から日本地図の計測を始めたとの事ですが、
49才からなら、これも凄いと思います。
39才でも凄いですが。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

49才でしょう。


(あまりあてにはなりませんが)ウィキペディアでは
83才で陸道の掘削が完了した11年後に没したそうなので、工事期間の
約30年を引くと、掘り始めは42才となりますが、
工事期間は28年とか16年という「30年もかかっていない」説も
ありますので、39才の可能性は低くなります。

ちなみに、真偽はわかりませんが
・禅海和尚が一人で掘っていたのは最初の1~2年ぐらいで、あとは近隣
 の村民が掘った。禅海和尚はほとんど托鉢などの資金集めを
 していた。
・禅海和尚が過去の罪滅ぼしで掘り始めたというのは菊池寛の創作で
 実際は両親の死後、諸国を流浪して耶馬溪にたどり着いた。
・青の洞門の完成後、通行料を徴収して生活費にしていた。
 (かなり裕福な生活だった。)
・現在の青の洞門は、明治~昭和にかけて陸軍が爆破等により一直線に
 掘り抜いたもので、禅海和尚時代のトンネルはほんの一部。

だそうです。
耶馬溪にある羅漢寺には、禅海和尚の使った道具の他
禅海和尚を伝える書簡等があるそうなので、直接行かれて見た方が
正確だと思います。
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この回答へのお礼

詳しい回答+補足ありがとうございます。

たしかに、30年はかかってないようです。

bossnassの言われるように、一度行って見る事も良いかと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/05 16:45

人名辞典では完成10年後88歳で亡くなったそうで、49歳から30年ということになりますね。

  (数え、満年齢があるので)

この回答への補足

ひゃー、早速のご回答、ありがとうございます。

なるほど、胸のつかえがとれました。

本当にありがとうございます。

補足日時:2008/04/05 16:37
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この回答へのお礼

お礼に入力したら、なぜか?補足にアップされました。

すみません。ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/05 16:41

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