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神社で神様にお願いしたことを取り下げることはできるんでしょうか?
また、いただいたお守りをすぐに(1ヶ月たってません)
別の神社に納めるのは失礼にあたるんでしょうか?

あとから思い出したんですが、
1~2年前ぐらいに人からお寺のお守りをもらって、
そのお守りにお願いして叶ったかなぁと思うことを
無にするようなお願いを神様にしてしまい、
とても失礼なことをしたと後悔しています。
そのお寺にはお礼参りにも行かず、お守りも手元にあります。

お寺のことがなくても、神様にしたお願いを取り下げて、
お守りをお返ししたいんですが、
神様にも仏様にも失礼のないようにするには
どうするのがいいのか、教えていただきたいです。

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A 回答 (3件)

神社にはという直日神(なおびのかみ)という神様がいて間違ったことなどを見直し聞き直しして修正する事が出来ます。


ですから、その場合におきましては出来ればお願い事をした神社に行って取り下げて欲しい理由を述べて直日神に見直し聞き直しをしていただいた方がよいでしょう。
もし、どうしてもそこの神社に行けないのであれば神棚または御札に向かっていただくか、もしくはその神社の方向に向かっていただければよいと思います。
お守りについては近くの神社におさめて構いません。
その際にはお寺から頂いたお守りとは別にした方が良いかと思います。
お寺から頂いたお守りはお礼参りの際にお返しいたしましょう。
お礼参りに関しては焦ることも急ぐことも必要ありません。何かの際に立ち寄った時にでも十分です。
仏様も神様もあなたの事はよくわかっています。
きっとあなたの事を暖かく見守っているはずです。
あまりお気になさらずに。
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この回答へのお礼

そんな神様もいらっしゃるんですね。
やはりその神社に行くのは難しいので、
遠くからになりますが、気持ちを伝えたいと思います。
お寺のほうにも、行けるときに、お礼参りをしたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/15 00:39

他の方が回答されている内容は、私もその通りだと思います。


そのもとで、若干分からないことがあるのですが・・・
(1)1~2年前にお寺のお守りをもらい、願い事が叶った。
(2)その後(最近?)、叶った願い事を無しにして欲しいという内容を神社にお願いした。
(3)その神社にお願いした内容を取り下げたい。
(4)1~2年前にもらったお守りを返したい。
(5)別件で、もらって一ヶ月経ってないお守りを神社に納めていいかどうか?
ということでいいでしょうか?

 これで合っていれば、の話なのですが・・・
(1)まず、願い事を叶えていただいたことを感謝する。この場合、お礼参りができれば良いでしょうが、でもお寺に行くという形式よりも、まず気持ちが大事だと思います。朝日に向かって手を合わせるだけでも良いと思います。要は感謝の気持ちを込めて「ありがとうございました」と述べることだと思います。
(2)1~2年前にもらったお守りは、そのお寺に行けないのなら、近くの神社に納めるのでも良いと思います。一年経ったお守りは、通常そのようにして納めるものだそうです。その際も感謝の気持ちを込めて納めると良いと思います。
(3)神様にお願いしたことを取り下げることは、一番良いのは実際に神社に行って、きちんと理由を述べることかなと思います。行かないからといって何か罰が当たるということはないと思いますが、神様にお願いするという行為を、あなたは決して軽んじて行ってはいないようなので、それならば最後までやれることをやった方が、気持ち的に安心するのではないですか?もし再度行くことが難しい場所ならば、その神社がある方向を向いて、その神社を思い浮かべながら手を合わせて、心から謝罪と感謝の気持ちを述べるのでも良いと思います。
(4)もらって間もないお守りも、持っていられない理由があるなら、近くの神社に納めるという形で良いと思います。くださった方への感謝を忘れずに。でも気になるようならば、納める際に、神社の方にまだ一ヶ月経ってない旨を伝えると良いと思います。

 いずれにしても気持ちを込めることが大事だと思います。あなたがそうやって一つ一つ悩んでいること自体、神様も仏様も微笑んで見ていてくださっているように思いますよ。
 何か参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございます。
わかりにくくてすみません。。
叶ったこと自体を無しにして欲しいと願ったわけではなく、
忘れてしまっていて、後から考えると
叶えてくださったことに反するお願いをしたなぁと思ったんです。
忘れた上のことなので、自分的にすごく失礼だと思いました。

参考にさせていただきます。
できる限りの範囲で気持ちを伝えようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/15 00:18

神様も仏様もそんなに気の小さい方々じゃないですよ^^



「すみませんでした」
と貴方が思っていたならそれでいいんです。

「よし、あいつは我々に恥をかかせたから懲らしめてやろう」
ってそんな人間みたいな事をしません。
そんなチマチマした感情から超越した絶対的な存在だから人間から敬われてるんです。

よく「キリストは信仰した者を天国へ導きます」とか「信仰した者だけが・・」とか街頭で言ってますが、あんなのを聞く度に「神様って気が小さいなあ」って思ってました^^
自分の支持者だけを救うって。。そんな人間みたいな
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この回答へのお礼

安心しました。そうですよね。
人間みたいな小さい心では神様仏様やってられないですよね。
私は自分に対する感情を投影してしまっていたのかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/14 23:46

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Q神社の仏像を写メしてしまいました

今日家族で薬師寺如来の大祭に行ってきました。
お堂の前には常香炉?があり、私が煙を浴びている時、母が携帯のカメラを向けてきたので私はピースしたりして写真を撮りました。
しばらくして母を見ると、母が携帯でお堂の中にいらっしゃる仏様の写メを撮っていました。
私は母をとめましたが母は聞きませんでした。
撮ってしまった後、私は母に「なにかうつるよ~」などと言って半分ふざけて母を脅しました。

後からいけないことじゃないかと思って調べてみると
やっぱりすごく失礼なことでした。
神様仏様は激怒していらっしゃると書いてありました。
撮った本人だけでなく肉親、子孫にまで影響するとも書いてありました。

母も私も仏さまをバカにするとかそーいうつもりはなく、ただ今日の思い出の一枚として撮りました。(母はどちらかというと神様仏様を信じないタイプです)

ですが知らなかったとはいえ、仏様を怒らせてしまったのには変わりありません。
私は3週間後大学の試験で、このことが原因で落ちるんじゃないかと不安です。

仏様の写メは母に言って消してもらいました。
すごく反省しています。
これからどうすれば良いか教えてください。
よろしくお願いします。

ちなみにその仏様の写メはすぐ消してしまったのであまり詳しく覚えていませんが、お顔のあたりが黄色に光で反射してよく見えませんでした。

今日家族で薬師寺如来の大祭に行ってきました。
お堂の前には常香炉?があり、私が煙を浴びている時、母が携帯のカメラを向けてきたので私はピースしたりして写真を撮りました。
しばらくして母を見ると、母が携帯でお堂の中にいらっしゃる仏様の写メを撮っていました。
私は母をとめましたが母は聞きませんでした。
撮ってしまった後、私は母に「なにかうつるよ~」などと言って半分ふざけて母を脅しました。

後からいけないことじゃないかと思って調べてみると
やっぱりすごく失礼なことでした。
神様仏様は激...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

「神様仏様は激怒していらっしゃる」
今、その書いてあるサイトを確認しました。信じる人はいないとは思いましたが、仏教の知識が全くないから、そんないい加減な内容を書いているのです。

私は、仏像にも興味があるのですが、どちらかというと、インドのマトゥーラ遺蹟やガンダーラ遺蹟にある古代遺蹟に関心があります。アフガニスタンのバーミヤンの大仏が破壊されたことはとても残念なことです。しかし、それ以上に、アフガニスタンの農業指導をしていた、伊藤和也さんの尊い命が失われたことの方が大きなことです。

仏像って何か、ということが分かれば、何も気にしなくてすみます。

もともと、仏教では、仏像を作ることは禁止されていたのです。お釈迦様は、自分の亡くなった後に、仏像などは作ってはいけないと言われたのです。だから、人々は、100年ぐらい我慢したのです。その代わり、太陽のマークのようなものを、お釈迦様の印として人々は、石に刻みました。しかし、民衆は、それでは、仏様のイメージが沸かないというので、専門家に頼んで、それらが作られるようになったわけです。

仏様というものは、悲しみは癒してくれますが、怒りは示しません。
「貪瞋癡」といって、欲深く物を欲しがること、怒り・腹をたてること、実体のないものを真実だと思い込むこと、の3つを三毒といって、仏教では、強く戒めています。

怒りを示している仏像らしきものはありますが、それは、仏の姿ではなく、お釈迦様を社長とするなら、遥かに下の課長クラスにあたる明王という位に属するものたちの姿です。また、「阿修羅」という神様がいたのですが、神様の帝釈天が、自分の娘を奪われた怒りに、帝釈天の軍勢に阿修羅の軍隊が戦いを挑むというお話もあります。阿修羅軍は神様を降格されて、今でも、その怒りと悲しみは言えないと言われています。阿修羅は正義の人でしたが、怒りで戦いを挑んではいけないという教えのように、私は感じています。

それはともかく、仏像はあくまでも、物でしかありません。そう仏教では教えます。
キリスト教徒の一部の人は、「偶像崇拝(idolism)」と批判しますが、何があっても、動じない仏教の安心(あんじん)の世界を表現した、美術工芸品です。その穏やかな気持ちを感じ入ることは、信仰の始まりです。

激怒したり嫉妬したりすると言われるのは、キリスト教の神様です。日本の神様は、怒るのかもしれませんが、例えば、国常立神(くにとこたちのかみ)は、祟り神とは言うものの、それは宗教上の話です。

なお、堂内撮影禁止だったはずですから、マナーとしてはいけませんね。ただ、それだけの話です。

こんにちは。

「神様仏様は激怒していらっしゃる」
今、その書いてあるサイトを確認しました。信じる人はいないとは思いましたが、仏教の知識が全くないから、そんないい加減な内容を書いているのです。

私は、仏像にも興味があるのですが、どちらかというと、インドのマトゥーラ遺蹟やガンダーラ遺蹟にある古代遺蹟に関心があります。アフガニスタンのバーミヤンの大仏が破壊されたことはとても残念なことです。しかし、それ以上に、アフガニスタンの農業指導をしていた、伊藤和也さんの尊い命が失われたことの...続きを読む

Q神を冒涜するようなイメージが浮かびます。雑念恐怖助けてください。

私は病院で強迫性障害といわれました。
私の場合は、雑念と不安、完璧主義で困ってます。

雑念恐怖としては
神社やお寺を見ると、反射的に悪い事や失礼な事、など神様に失礼なイメージが浮かぶ。

会社にある神棚に対しても、冒涜してしまい、良いイメージが出るまで行ったり来たりしてます。
それはもちろん、お客様の神棚であっても、失礼な想像(この会社は嫌い、汚いなど)反射的に想像してしまいます。

また、例えば自分の会社の名前の入った紙や小物が
捨てられない。また、お客様からの注文書や受注伝票など、捨てられずに溜まっています。

捨ててしまうと、注文をくれた会社の神様に失礼で
今後注文が来ないのでは?と考えたり自社の悪口を
言う人がいるが、自社の神様や亡くなられた諸先輩方に反抗するのではないか?などです。

実際に何もないと分かってても、不安なので完璧なよいイメージが出るまで繰り返します。

どうしたらいいでしょうか?
神を冒涜するとやはり悪い事がおこりますか?

Aベストアンサー

質問者様の家に仏壇はありますか。なければ小さな仏壇か仏像を備えられて

『般若心経』

のお経を手に入れ(仏壇屋で売ってます)を5回でも10回でも一心不乱に読経されることをお勧めいたします。読経中の雑念は気にしないことです。これは法華経の教えなのですが、仏様はその救いを信じない人間や仏様を冒涜する人間でさえお救いになられるのです。

>神社やお寺を見ると、反射的に悪い事や失礼な事、など神様に失礼なイメージが浮かぶ。

見るだけじゃなくて、ちゃんと拝殿に足を運び、お参りをしましょう。神社の場合は両手を2回叩いて拝む、お寺の場合は両手を叩かずに拝みましょう。頭を下げるのも忘れずに。そして神社やお寺でお守りを頂いて、肌身離さず持ち歩きましょう。神様や仏様をあなたの守護神・守護尊にしてください。そうすれば神様や仏様を冒涜するようなイメージは消えると思います。

もともとあなたには信仰心があるのです。それに目覚めないからそういった失礼な雑念が浮かぶのです。素直な気持ちで神様や仏様と向き合いましょう。救いの手を差し伸べてくださいます。

>会社にある神棚に対しても、冒涜してしまい、良いイメージが出るまで行ったり来たりしてます。

行ったり来たりするだけでなく、神棚の前で両手を叩いて手を合わせ、頭を下げて一日無事に過ごせるように神様にちゃんとお祈りしてください。あなたは心の病を患っておられるのです。神様や仏様はそんな辛い境遇のあなたを見守っておられます。ちょっとくらい失礼なイメージを持っても見逃してくださるでしょう。

正しい気持ちで神様や仏様に向き合ってください。

それが一番大切なことです。

質問者様の家に仏壇はありますか。なければ小さな仏壇か仏像を備えられて

『般若心経』

のお経を手に入れ(仏壇屋で売ってます)を5回でも10回でも一心不乱に読経されることをお勧めいたします。読経中の雑念は気にしないことです。これは法華経の教えなのですが、仏様はその救いを信じない人間や仏様を冒涜する人間でさえお救いになられるのです。

>神社やお寺を見ると、反射的に悪い事や失礼な事、など神様に失礼なイメージが浮かぶ。

見るだけじゃなくて、ちゃんと拝殿に足を運び、お参りをし...続きを読む

Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む

Q神社のご利益

わたしは神社参拝に良く行きます。宮城県出身なので、仙台の大崎八幡宮と塩竃市の塩竃神社に良く行きます。そこで、みなさんに質問ですが、神社参拝したことによって、何か御利益や不思議な経験をした方いらっしゃいますか。もしいらっしゃったら、どういう経験をされたのか、よろしければ教えて頂けないでしょうか。また、関連する話題でも構いませんので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私は神社に参拝はとくにしないのですが、こんな経験があります。

ある日家への帰り道に、ふと脇を見ると小さなお堂がありました。
私は霊感の強いたちなのですが、このような場所は苦手なのです。
というのは、なんとなく怖かったり、色々溜まってしまっているように感じる場所が多いからです。
なので、そのときも少し身構えてしまったのですが、思い直して、
「神様、すみません、つい怖がってしまって。悪い気持ちではないんです」
みたいなことを心の中で言って、謝りました。
すると、ひょいと上空から、自分に何かが取り付いた気がしました。
感じてみると悪いものではないようだったので、そのままにしていると、
すうっと体の中に入っていきました。

それから数日間、心身ともに調子がよく、やる気が出て、神様のおかげかなと思いました。
でも数日後、友人とお茶をしていたときにその話しをした瞬間、ひょいと出て行ってしまいました。
あれはなんだったのかなーと思います。

その2
友人が神社で神主をしているので、町の祭りのときに彼の晴れ姿を見に行きました。
神前で彼が祝詞をあげ始めると、急に周囲の色彩が澄んで、鮮やかになったきがしました。
祝詞が終わると元に戻りました。
後日友人に、「なんだか祝詞のときだけ神様が来たみたい」というと、
「なんで分かるんですか!」と驚いていました。
なんでも、神様は常にお社にいらっしゃるわけではないそうです。

その3
別の友人で神社に神様がいるいないが分かる人がいます。
(外見はごく普通の女の子です)
彼女が言うには、神無月にはほんとうにあらゆる神社から神様がいなくなるそうです。
また神様にはやはり力の強い弱いがあるようです。
ちなみに、彼女がこれまででもっとも力を感じたのは
伊勢神宮
大阪の住吉大社
奈良の三輪神社
だそうです。

私は神社に参拝はとくにしないのですが、こんな経験があります。

ある日家への帰り道に、ふと脇を見ると小さなお堂がありました。
私は霊感の強いたちなのですが、このような場所は苦手なのです。
というのは、なんとなく怖かったり、色々溜まってしまっているように感じる場所が多いからです。
なので、そのときも少し身構えてしまったのですが、思い直して、
「神様、すみません、つい怖がってしまって。悪い気持ちではないんです」
みたいなことを心の中で言って、謝りました。
すると、ひょいと上空...続きを読む

Q神様はどんな人や時に罰を当てる?

神様はどんな人やどんな時に罰を当てると思います?

不慮の事故で亡くなったり若くして病気でなくなる人もいる一方
悪い人間もぬくぬく生きてますよね?

このようなのは運命ですか?神様は守ってくれないのですか?
神様が罰を当てる基準とかあるのですか?それとも罰は当てないのですか?

Aベストアンサー

ノアの大洪水とか、ソドムとゴモラの話や、近いところでは地震による津波で数十万人が死んでしまうなど、天罰って思えるようなことがありますね。(古い話はどこまで本当か不明ですが・・)

>>不慮の事故で亡くなったり若くして病気でなくなる人もいる一方
悪い人間もぬくぬく生きてますよね?

はい、そのとおりです。「因果の理法」ってありますが、あれは、この世だけでなく、あの世や次回・次々回の転生などもひっくるめて作用します。だから、この人生で犯罪をやりながらも逮捕されることもなく豪奢な暮らしで天寿を全うすることもあります。でも、そのツケはいつか支払うことになり、帳尻は合うのです。逆に他人に親切にしながらも、貧困と苦しみの中で死ぬ人もいます。これは逆の意味で将来、帳尻が合うようです。

>>このようなのは運命ですか?神様は守ってくれないのですか?

スピリチュアルな書籍を読まれるとわかると思いますが、神様の力かどうか不明だけど、絶対に大怪我をした場面や死んでいたはずの状況を不思議な力で逃れた人は多いですよ。
(福知山線の事故でも、いつも静かな犬が、当日に限って吠えるので、しょうがなく散歩に行って、いつもの2両目に乗らずに助かった女性がいますしね)
でも、すべてのシーンで守ってくれるとは限りません。人間である限り、100年近く過ぎれば多くの人は死ぬわけですから。また「貴方は人生の役目を果たした」と神が判定すれば、リンカーンのように暗殺される場合も、阻止はしないようです。逆に言えば「お前は人類にとって役にたつ。もうちょっと生きていなさい」と判定されれば、寿命は延びる場合もあるようです。
それから運命は、「天命」というような、ほぼ決まっている部分と自らの努力などで変えられる部分があるようで、それぞれ50%くらいの比率みたいです。とはいえ、そういう情報を知らせること自体が、運命を狂わせることもあるわけです。これに関しては死んでからのお楽しみでしょう。

>>神様が罰を当てる基準とかあるのですか?それとも罰は当てないのですか?

どうも、生きている間は、罰をあてることはないようです。それは、最後の瞬間まで、後悔・反省のチャンスをくれているからだと思います。もちろん死後は、そんな執行猶予はつかないでしょうけどね。

ノアの大洪水とか、ソドムとゴモラの話や、近いところでは地震による津波で数十万人が死んでしまうなど、天罰って思えるようなことがありますね。(古い話はどこまで本当か不明ですが・・)

>>不慮の事故で亡くなったり若くして病気でなくなる人もいる一方
悪い人間もぬくぬく生きてますよね?

はい、そのとおりです。「因果の理法」ってありますが、あれは、この世だけでなく、あの世や次回・次々回の転生などもひっくるめて作用します。だから、この人生で犯罪をやりながらも逮捕されることもなく豪奢な...続きを読む

Qお稲荷様を祀っている家では犬は飼わない方がいいんですか

我が家では何かペットを飼いたいと考えています
私は長男ですが結婚して実家とは別に所帯をかまえました
実家ではすぐそばにお稲荷様を祀っています
昔実家でも犬を飼った時代があったとも聞きましたが
そのせいか、怪我が続いたような話を聞いたような気もします
お稲荷様を祀っていながら犬も飼っている家は実際ありますが
どうなんでしょうか?
特に差し支えなければ飼ってみたいのですが
どなたか詳しい方おられましたら教えてください

Aベストアンサー

昔話の類ですけど、お稲荷様と犬は狐と犬なので相性が悪いと言う言い伝えは各地にあります。
但し、本来の意味から行くと誤解や長年信仰している内のずれが多いんですけどね。

まず狐はお稲荷神の使いや眷属とされています。
お稲荷様を守護する狛犬が、狐の姿をとる場合もありますし、狛犬に狐の姿の物を置く所もあります。
(ちなみに狛犬は本来犬じゃないですよ。獅子もしくは獅子と言う名の神獣とされています。)
元々お稲荷様自身は穀物の神の総称で狐ではないですけど、地方によってはお稲荷様自身を眷属の狐と同一視している所もあります。

で、狐と犬の話になると、狐を狩る猟犬のイメージから、「化けた狐が犬の鳴き声で正体を現す」話とか、「狐憑きの対処方法は犬や狼を使う」なんて言う民間信仰から相性が悪いと言う話があります。
(この時点ではお稲荷様関係ありません。)

日本の稲荷神社は2万社とも3万社とも言われるほど無数に存在する上、上記の他にも色んな話が混ざって伝わっていますので、地方独特の信仰があふれているんです。
ですので、先ほどの理由で犬は絶対ダメな地方信仰もありますし、狛犬=犬の解釈で、犬は神社を守護する物とする地方も、そもそも犬とお稲荷様に関連性無いので相性なんか気にしない地方もあります。

気にしないのが一番でしょうし、別に犬を飼う程度で障りがある様な度量の低い神様では無いんですけどね。

ただ地方の信仰で、もし御実家が本気で犬は障りを起こすと信じていた場合、何か起きた時に理由を犬に求めるかも知れません。
その際御実家から手放すことを求められる事もありえます。
信仰がかかわる事は理屈では無い部分ですので、良くお話をしてからの方が良いと思いますよ。
もしダメだと言う話になったら、犬は障りの元って言うのが本当にその地方の伝承か調べて見ても良いかもしれません。
御実家の方の思い込みの類かも知れませんしね。
(そもそも相当真剣に信仰しているのでも無い限り、こんな話杞憂ですけど。)

昔話の類ですけど、お稲荷様と犬は狐と犬なので相性が悪いと言う言い伝えは各地にあります。
但し、本来の意味から行くと誤解や長年信仰している内のずれが多いんですけどね。

まず狐はお稲荷神の使いや眷属とされています。
お稲荷様を守護する狛犬が、狐の姿をとる場合もありますし、狛犬に狐の姿の物を置く所もあります。
(ちなみに狛犬は本来犬じゃないですよ。獅子もしくは獅子と言う名の神獣とされています。)
元々お稲荷様自身は穀物の神の総称で狐ではないですけど、地方によってはお稲荷様自身...続きを読む

Q神棚のある部屋で寝てはいけない?

神棚のある部屋で寝てはいけない?

 私の家では居間に神棚があります。
 「仏間では寝てもいいが、神棚のある部屋では寝てはいけないのだ」と祖母が昔言っていたのですが、現在は家族の皆は平気で居間で寝ています。罰当たりなような気がするので、私は居間で寝ませんが……
 祖母の言っていたことは本当なのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

昔の大きな家での話です

現在の住宅事情では無理でしょう

御婆様の言い分は

神様が居られる部屋で一緒に寝るなんて

不敬だと言う事ではないですか。

Q因果応報なのでしょうか・・不幸な人は不幸な人生を歩み易いと思いませんか

因果応報なのでしょうか・・不幸な人は不幸な人生を歩み易いと思いませんか?
たまに幸せになれる人もいますが、
幸福な人と比べ、人生を立て直すのに大変辛い思いをしていると思います。
どれだけ頑張っても変えられない過去があり、自分のせいではなかったのに
ある人のせいで影を背負って生きなければなりません。
そんな心のまま生きるのって寂しいですよね。
開放されるのは死ぬ時だけだろうな。


なんていうか、不幸な人はそれだけで辛い経験をしているのだから
幸福な人に比べて簡単に幸せが手に出来る縁が回ってくればいいのになーと思います。
たとえば私の場合は、一般的に不幸の下に産まれてきたのですが(もっと辛い人もいますが、レベルで言うと10のうち8かな。)
悪状況で育ったので、品がある立ち振る舞いも身についておらず
他人を信用する事がないんで、他人に牙を向けている状況でした。
また思い込みも激しく、劣等感がすごい。
そんな人生だから過去に私と出会った人達とはもう顔を合わせられません。
今、まともな人生を送っていても過去の行いがバレてしまえば
これまでの信用も崩れ去るような気がします。
自分に対しても一気に自信を失くすような気がします。
たとえばですよ、仲良くなった友達がいて実はその人が昔、殺人を犯していたら
どう思いますか?
きっと離れるでしょ?

不幸の連鎖はどこへ行ってもいつになっても続くのか。
世の中ってやっぱりそうゆうものなんですか?

因果応報なのでしょうか・・不幸な人は不幸な人生を歩み易いと思いませんか?
たまに幸せになれる人もいますが、
幸福な人と比べ、人生を立て直すのに大変辛い思いをしていると思います。
どれだけ頑張っても変えられない過去があり、自分のせいではなかったのに
ある人のせいで影を背負って生きなければなりません。
そんな心のまま生きるのって寂しいですよね。
開放されるのは死ぬ時だけだろうな。


なんていうか、不幸な人はそれだけで辛い経験をしているのだから
幸福な人に比べて簡単に幸せが手に出来る縁...続きを読む

Aベストアンサー

私は、障害を持っている・母子家庭・エリート・高学歴といった経歴関係なく、
これまで数多くの方々と接してきました。

不幸な生い立ちや昔悪いことをした人達でも、反省して正しい行動・生活をしている人は幸せになっていました。

「自分は可哀相だから、みんなに甘やかしてもらって当然。私は自分のことで精一杯」という人達は、
孤独のままでした。

前者に共通しているのは、人を見る目があり、信頼おける人達が困っていたら助けていました。
それで、苦労人・人情があると言われ、人望ができて協力してくれる人が集まりました。

後者に共通しているのは、人を見る目がなく、自分を叱ってくれる人を避け、都合の悪いところを周囲に押し付け、自分はおいしところだけ取りたいというずるい人達でした。
誰かが困っていても手を差し伸べたりしたことは一度もありません。
ですから、人は集まりません。また、彼らの口癖は「1人でも別に困りません」でした。

名監督といわれた野村監督も言っています。
正しい考えや正しい行動を取ることで人間的に成長する。
「人間的成長なくして、野球技術の進歩なし」と。

質問者様は立ち振る舞いや人を信用できないなど、自分の問題点に自覚がありますね。
それであれば、お手本となるような著名人の本を読む・その人達の生涯を調べるなど、
いくらでも自分を正すことができるのではないのですか?

周囲の人には挨拶する。高齢者が街で困っていたら助ける。友人を大切にする。しっかりとお礼・謝罪が言えるようになる。
まずは、当たり前のことを周囲にすることから始めたらどうなんでしょうか。

恵まれない状況を乗り越えて強く生きるという生き様が、その人の人間性なんです。
それで私は相手を判断してますけどね。

質問者様は、逃げているだけのズルイ人にしか思えません。
甘えるな!!!

私は、障害を持っている・母子家庭・エリート・高学歴といった経歴関係なく、
これまで数多くの方々と接してきました。

不幸な生い立ちや昔悪いことをした人達でも、反省して正しい行動・生活をしている人は幸せになっていました。

「自分は可哀相だから、みんなに甘やかしてもらって当然。私は自分のことで精一杯」という人達は、
孤独のままでした。

前者に共通しているのは、人を見る目があり、信頼おける人達が困っていたら助けていました。
それで、苦労人・人情があると言われ、人望ができて協力してくれ...続きを読む

Q神棚にお供えする水の器

神棚に毎朝、お水をお供えするのに、使う器はなんでもいいでしょうか?
先日、上品な素敵なおちょこみたいな器を頂き、大切に使いたいものなので、神様への
お水のお供えに使おうかなと思っているのですが、そういった器でもいいのでしょうか?

Aベストアンサー

基本を知ったうえであれば、上品で素敵なおちょこ風の器をお使いになるのは、神様もお許しになると思います。

通常、神具として使われる素材は、木製のものは白木(しらき)で作られることが多く、また、水や塩、神酒などを供える器には白い陶器が使われることが多いようです。

ご存知のように、仏壇は金箔漆塗りなど、豪華な装飾が施されていますが、神棚は木本来そのままの白木です。
古代からの民俗信仰・自然信仰など、人間の素朴な自然への畏敬を基盤としていますから、神道の祭祀は、無用の装飾を求めない形になっているそうです。

白い器も同じ考え方だと思いますが、とくに決まりがあるわけではなく、祀る心が大事なことであり、お訪ねの器は全く問題はないと考えます。
お供え物は、ご飯(米)・酒・塩・水、それと榊が基本ですが、後は、水をこまめに交換されながら、御祭りを続けられることが一番大切だと思います。


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