街中で見かけて「グッときた人」の思い出

今の日本はお金がないと生きていけません。
自分は3人の子供を育てていますが、将来の教育費などを考えるとお先真っ暗です。仕事の収入もいつまで維持できるか判りません。

もちろんマイホームなんてありませんし、買える見込みもありませんし、貯金も雀の涙ほどしかありません。長男で後継ぎですが、親が死んでも財産は一円もありませんでした。
もともと財産をあてにしてなかったのでべつに不満はありませんが、世の中の幸せのバロメーターがマイホームだと思うので子供達には負い目を感じてしまいます。
現に家に遊びに来た友達が、娘に「自分の部屋はないの?自分の机はないの?」と聞いていて、それを見て胸が苦しかったです。

自分は贅沢をしたいと思わないし、酒・たばこ・賭け事なども一切やりません。会社にもガソリン代がもったいないので片道10キロを自転車で通っています。
ただ普通に子供を教育できて、ちゃんとした大人になってくれればいいと思っています。

でも今のままだと将来の生活がとても心配です。3番目の子供が障害があり妻は手が離せない状況でもあります。

皆さんも将来に不安があると思いますが、贅沢しなくても普通に働いていれば普通の生活ができる世の中であってほしいと思いませんか?

昔、友達が言った「どんな貧乏な国でも家ぐらいは持ってる。」が忘れられません。

A 回答 (11件中1~10件)

幸せ教に洗脳されちゃっていますね・・・


幸せなんて、絶対値があるわけじゃなく、単に他人と比べた時に
不満が生じるか、満足が生じるか?だけのものです。

食事も衛生管理も満足に出来ない国で、家なんか持っていたって嬉しくありませんよね。
いつ他国の軍隊が侵略してきて殺されてしまうか? そんな不安に怯えながら自宅にこもっていて、幸せですか?

今すぐ日本が変わるわけありませんので、当面は、隣の芝を枯らす位の勢いで、生きた方が楽ですよ。
「あいつ家なんか買っちゃって・・・数年もしたら塗装が剥げて、ペンキの塗り替えに30万円かかって、数年もしたら、白アリ駆除で20万円かかって・・・かわいそうに・・・」
といらぬ苦労を想像して、自身の幸せに浸ってください。

以下のBlogを読んで、過去の自分を笑い飛ばして下さい。
http://oyajino-hinkaku.at.webry.info/200805/arti …
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日本は資源のない国であることが影響していると思います。


時代がどんなに変わっても必死に働かないと、一定の生活レベルを維持できないのは資源がなく、かつ労働人口が減少しつつあるためだと、オーストラリアに行ったときに思いました。

でも、働いた結果として家が持てるかどうかは政治・政策にも依存ていると思います。私見ですが、世代間で政治・政策論争が起きないのがとても不自然な状況にあると思います。現役で働いている人の苦しみの裏側で恩恵を受けている人がたくさんいます。そうした社会を選択してきた結果として今があるのではと思います。

住宅の建材が輸入されるときの為替レート、土地の適正な値段、住宅ローンの金利、住宅を建てる時の人件費、可処分所得を増やすための減税、これらはすべて政治・政策に関連づけて考えることができます。

例えば、建設業界に移民をたくさん受け入れれば労働賃金が減って、家を安く建てることができるかもしれませんし、税負担のさじ加減なども間違いなく影響しています。

また、社会全体の生活レベルを落とせば家をもつことは可能です。
土地を所有する価値を減らすことで実現できるわけです。
ですが、現時点で日本は生活レベルを落とさないように借金を重ねているわけです。

家が高いか安いか、という値段の話にしてしまうと、近所の不動産屋や時代が悪い、などの結論に至りがちですが、本当は値段が問題なのではなく「家を持ちにくい社会」にしてしまっているところに問題があります。

政治色が強くなるのもどうかと思うので、この辺でやめておきますが、
間違いなく税金はもっと効率よく使う必要があると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
世の中には裕福な人、そうでない人がいますが、みんな生きていくのに家は必要です。ですが裕福でないと家を持てないような環境になりつつあるのは悲しいことです。
自分の生活は底辺のほうですが、底辺がしっかりしていないと上層階の人は生活が成り立たないことをもっと理解してほしいですね。
利益優先、弱者切り捨ての世の中に未来はあるのでしょうか...

お礼日時:2008/05/11 22:54

再度登場です。


他の回答者様の文章を読みつつ、とても考えさせられました。
涙が出そうな文章もありました。

はい、実は私の両親は念願のマイホームを買い、
直後に母はリストラ、3年後に父は病気で他界しました。
父は若かったので病気の進行が早く、わかりにくい病気でしたので
入院した2週間後に亡くなりました。

父が亡くなる前の3年間は、私(当時、若干20歳!)が
家のローンを払っていました。母も内職をしていましたが、
徹夜続きに更年期も重なり相当苦労を強いられました。
暖房費をきりつめる為に、北側の部屋で
寒い状態の中眠りました。でも、外側を見れば新築のぴかぴかの
家です。外側と内側のギャップがありすぎます。

家は母親が切に欲しがり、
無理やり購入した雰囲気があります。母も苦労人だったので
なんとかしてこの家を守りたい、母の念願だったマイホームを守りたい一心で私は少ない給料から
毎月7万、ボーナス時23万をねん出していました。

父が他界し、保険でローンは完済しましたが
住んでいても全然楽しくないんです。ローンも無し、父親の遺族年金が
ありましたので、食べるにも困らない状態なのに…。
それこそ、本当のマイホーム状態でした。
それなのに、何で住んでいて楽しくないのだろう…?

答えはもう出ていますよね。
大切な人を失った虚しさと虚無感です。
母はぽつりと言いました。
「家なんて買わなければよかった…」
必死でローンを払ってきた私にしてみれば、何てこと言うんだ
この母親は!!と当時は激怒しましたが、もし、
「家が手に入って本当によかった」と母がつぶやいたなら
今現在の私は母とは縁を切ってもいいぐらいの思いです。

住んでいて楽しくなければ、新築の家なんてただの箱です。
住んでいて楽しくて、笑顔が毎日続くのであれば
貸家でも立派な自分の居場所です。

貸家暮らしで嫌になるとおっしゃる方も中にはいらっしゃるでしょう。
考え方も人それぞれです。家を買う事は決して悪い事ではありません。
自分の身の丈を考えず、多額のローンを組む事が私はいけないと
考えています。(否定ではありません。あくまで、私の個人の体験による個人的な意見です)30年、20年とローンを組みますが、
その間に何が起こるかわかりません。また、それを考えていたら
家なんてとても買う気にはなれないでしょう。

すごく辛い経験をした私ではありますが、やはり音楽だけは
聴いていましたね。当時、よく聴いていた音楽を今聴くと
涙が出ると同時に、神様は私に、なんて貴重な体験をさせてくれたのだろうと感謝の気持ちさえ湧いてきます。多少綺麗ごとですが
本音でもあります。

そして、そのマイホームは売ってしまいました。
そのお金で母はとても環境の素晴らしい養護施設に入っています。
ものすごい倍率で抽選に当たりました。
マイホームは手に入れられなかったけれども、
母はひとりぼっちにならず、栄養の行きと届いた食事を3食食べさせて
もらっています。おかげで母の肌はキメが細かくきれいです。

…ただ、やはり母と一緒に住めないという事実があるだけに
虚しさは残ります。一番の宝物は心の文化ももちろんですが
やはり、家族、愛する人間そのものです。愛する人の笑顔があれば
どんな苦境も乗り越えられると思っています。この意見は
綺麗ごとではありません。美しい事実です。
(私はひとり暮らし、母は介護認定を受けていて常にだれかがそばにいないといけない状況なのです)

この質問を読み、他の回答者様の回答を読み、
生きていく上で一番大切な事は何か?
改めて考えさせられたと同時に生きていくエネルギーにもなりました。
私は回答という立場ですが、お礼を言いたいくらいです。
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この回答へのお礼

いえいえ、こちらこそ感謝、感謝です!
いろいろな人の経験や、生きていく上での考え方を教えてもらいほんとうに助かりました。
「愛する人の笑顔があればどんな苦境も乗り越えられる」ってとってもいい言葉ですね!!
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/11 00:46

通りすがりのものです。


>…贅沢しなくても普通に働いていれば普通の生活ができる世の中であってほしいと思いませんか?

同世代として全く同感で共感します。
しかし質問者さんは十分普通の生活を送っているのではないのでしょうか?
いやむしろ普通以上の生活をしていて幸せなのかも知れません。
そしておっしゃる「不安」は「不満」なのかも知れませんね。
この不安を満足に置き換えたらいかがでしょうか。
・子育ての不安→可愛い子供がいてくれて満足
・住まいの不安→帰る場所があって満足
・仕事の不安→仕事をして給料を貰えて満足
・老後の不安→妻がいて満足
多少こじつけがましいですが私ならそう考えます。
不安は気持ちを蝕みますから出来るだけ遠ざけるのが良いと聞いたことがあります。

>もともと財産をあてにしてなかったのでべつに不満はありませんが…
質問者さんは親御さんの財産を当てにしないで妻子を持ち生活出来ているわけですから素晴らしいと思います。
真面目で家族思いの質問者さんのお子さんたちならきっと自立心旺盛で優しい大人に成長してくれると思います。

マイホームを持つ手段は本当に様々です。
住んでいる地域に固執しなければ手が出る範囲もあるでしょう。
無理をせず夢を諦めないで頑張りましょう。
そんなお父さんをきっと家族は応援してくれると思います。
差し出がましい文面で失礼しました。
以上
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この回答へのお礼

自分はすごく大切なことを見失っていたのかもしれません。
子供達や妻には与えてるばかりではなく、
それ以上に与えてもらっていることに気が付きませんでした。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/11 00:06

お金がかかるのではなくて「かけ過ぎる」のではありませんか?


所得に応じた生活をする・・・これは仕方がない事です。

心に「文化」を育てる事は誰にも可能です。
「文明」は「貧富の差」があるから起きた・・・
という説に私は頷いています。
自由平等という名に誤魔化されない事です。
人々の間には格差や違いは必ずあります。
自分(達)に応じた暮らし振りが、もっとも安定します。
人を羨まない、背伸びをしない、比べない・・・
心が安らかな方が幸福だとは感じませんか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分も含め世の中の人は、目に見えるもので幸か不幸か判断してしまっているように感じます。
心に文化を育てるとは思ってもみませんでした。子供に好きなゲームを与えて、喜んでる姿を見て満足しているようじゃまだまだです。
なかなか人を羨まない、背伸びをしない、比べないは難しいですが、
それができるときは心が安らかなときなのでしょうね。

お礼日時:2008/05/09 19:43

>世の中の幸せのバロメーターがマイホームだと思うので


この発想が質問者さんの不安をあおっているのだと思います。
私の友人の旦那さんも同じような発想の人でした。とにかくマイホームを欲しがるんですよね。
結婚して2年ぐらいで中古の木造のマイホームを購入しました。
それから3年ぐらいして、マイホームを売って旦那さんの実家に近いところに引っ越しました。しばらくしてまたマイホームを買いました。新築の庭付き一戸建てです。
8年ぐらいして友人の家族のいる地域にマイホームを売って引っ越しました。そこでも1年ぐらいして猫の額ほどの庭のある安っぽい新築一戸建てを買いました。
二軒目の家の時には、旦那さんは結構仕事を変えて、一時は超貧乏でした。収入とローンの金額がほぼ同じで、彼女のお母さんが食品を送ってくれて、その中にこっそりお金が入っていたという話もあります。彼女自身は体が弱かったのと、3人子供がいることで働けませんでした。彼はそれでもなかなかマイホームを手放そうとはしませんでした。
三件目の家のときには、彼は昼間普通に仕事をこなしたあと、夜のバイトに出かけていました。睡眠時間はかなり少なかったと思います。
なんだかんだあった後、友人は離婚し、子供たちは皆彼女についてきました。
この一家にとってマイホームってなんだったのでしょう。

あるお金持ちは、家を買わずにアパート暮らしをしていました。「家は税金・メンテナンス・保険にお金が掛かるし、ローンで買うと余計な利息も払わなくてはいけない。また、一旦買ってしまうと家族の人数に合わせて居住空間を変える事が出来ない。なので、借りるのが一番だ」といっていました。
確かに買う時には家族が5人なら、成人が5人いても暮らせる家を買いますよね。でも一人ずつ独立していって夫婦2人だけになった時あるいは1人きりになった時、その家は広すぎてもてあましてしまいますよね。
私は家が幸せのバロメーターとは思えません。支払うために多くの時間とお金を費やすからです。「家とは、お金があるなら持つに越したことはない物」という感じです。

教育費については、奨学金等があるので心配はないと思いますよ。私立大学の理系はきついかもしれませんけど。

お金をかけずに、手間と愛情で子育てをするという発想はいかがでしょうか。子供たちは愛されたと実感できますから、家なんて問題にしないと思いますよ。こういうのはヨーロッパ・オセアニア人が結構得意ですね。彼等は収入で言えば日本人より貧乏です。でも生活に対する満足度は日本人より高いです。
ただ、3番目のお子さんの将来は心配ですよね。家よりもよっぽど。

>どんな貧乏な国でも家ぐらいは持ってる
この方は失礼ですが、世の中を知らなさ過ぎます。貧乏な国の庶民は家なんかもてませんよ。持てたとしても日本人から見ればただの箱でしょうね。
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この回答へのお礼

マイホームに対する考え方もいろいろあるのですね。
無理して買って、マイホーム貧乏になってしまうのも怖いですね。

手間と愛情で子育てをするという発想は、人間本来のあるべき姿だと思います。これ忘れかけてるひと多いのではないでしょうか?

3番目の子の将来は非常に心配ですが、この子は自分たちを選んでくれて生まれてきたと思っています。普通の子よりできないことも多いですが、家族を一つにしてくれる力も持ってるんですよ!
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/09 19:09

アメリカで暮らすものですが、お金があってもなくても 楽しみを見つけながら生きることじゃないでしょうか。

 
統計によると南米やフィリピンのような貧しい国の人のほうが幸せを感じているということです。
それに日本では安い家やアパートはぼろいだけですが、アメリカでは安い家は危険な地区にあるんです。 
私も離婚して子どもを一人で育てていた8年間は経済的には余裕はなかったものの、誰にも気兼ねせずに、毎週末海や山にサンドイッチをつくって行っていた時代もとても楽しかったです。
現在は再婚してマイホームも購入しましたが、出費が多いし夫に生活をあわせていくのが大変です。  
大変なのはわかりますが、なんだか質問者様は優しそうだし、いい家庭を持っておられるように感じられました。 お子様たちも、大金がなくても自分で勉強してえらくなる方法がいくらでもあります。 実際私も子どもを抱えてフルタイムで働きながら学校にいってました。 
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この回答へのお礼

子供を8年間も一人で育てることってすごいことですよね。
相当苦労なされたと察します。
まだまだ自分は器が小さいです。
「お金があってもなくても 楽しみを見つけながら生きること」
これができるように心にもっと余裕を持ちたいと思います。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/05/09 18:13

IT屋の者です。



貴方のおっしゃられることは、考え方次第だと思います。

現在の我々が心に描いております「安定」と言いますもの。
つまり「住宅を持ち、旦那が家族を養い、奥様が専業主婦になる。
三種の神器を揃え、車を持ち、巨大な住宅ローンを抱え、長期的に
返済をする」。
こういうモデルは、あくまで1960年以降の高度成長期の典型モデル
でして。
今の時代の考え方に必ずしもマッチしないものではないかなと
思います。

昭和初期の頃は、当然家電など、インフラはなかったわけですし。
親御さんも重工業、農業等でお忙しいので子供はほったらかし。
ま、その分近所のコミュニティが盛んであったり、大家族&子供が
多くて相互扶養していた面が強くありますが。
それ以前になると、また違う文化があったと思います。

今の時代は、ごく単純に、我々の周りが、物流・情報の進化と
海外との商業自由化で、安定した右肩上がりのビジネスモデルが
長期的に生みにくくなっただけ。
我々が安定して同じタイプの大量生産される商品を欲しがらなく
なったため、産業が安定しなくなっただけ。
日本列島改造の頃から、土地に資産価値が生まれ、庶民が手に入れる
価値よりもかなり高めに設定されているだけ。
これだけだと思います。

ですので。
多分、我々が思っている「普通」の水準が古すぎるだけかと。
本当に必要なものと、そうでないものを見極めたとき、答えが
見えるのではないかと思われます。

持ち家なんて、たぶんあと20年もすれば、人口減少と、ローン
破たんでかなり価値が下がるのではないですかね?
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この回答へのお礼

なかなか考えさせられる内容ですね。
たしかに時代の流れがとても速いし、人の考え方や行動も変わってきてますよね。
何が必要で、不必要か考えたときに自分はマイホームより教育費と考えているのですが、
この先子供に家を残すという考えもあまり必要ではないかもしれませんね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/09 00:19

今の世の中、世間一般のレールに乗っていれば


お金はかかりますよね…結婚→出産→マイホーム→子供の学費→その他諸々…老後だってお金かかりますよ。民間の介護施設に入ろうものなら下手すると家が一軒建っちゃうかもしれません。

私の子供時代の話を聞いてくれますか?20年30年前の話なので
今とは時代が違うとは思いますが…

子供の頃の私の家は、あまり裕福では無かったと思います。
まず、車がありませんでしたし、家は築何十年と経っている県営の
団地でした。居間には母親の内職で使う工業用ミシンがあったり、整理箪笥があったり、そこでみんなでご飯を食べて、夜はちゃぶ台をたたみ
親はその部屋で寝ていました。私の学習机なんて買う余裕がなくて、
お婆ちゃんが使っていた桐の文机で勉強していました。その机を見て
友達に馬鹿にされた記憶があります。今考えれば、桐の文机は市販の学習机よりも高価でした。テレビゲームが出始めた頃でしたが、私の家のテレビにはゲームを繋ぐ端子がなかった為、いつも友達のゲームを横で眺めていました。

すごく悔しくて羨ましかった記憶がありますが、父親と母親はあるひとつの事に関してはものすごくこだわりを持っていました。それは音楽を聴くことです。主にクラシックだったのですが、音楽なら歌謡曲であろうと、ロックであろうと文句は言いませんでした。あんなに狭い居間に
大きなスピーカーが4つ天井付けで設置されていて、レコードプレーヤーもダイヤモンド針にこだわり、当時のものとしては結構高価なものだったと思います。

家族旅行など行った記憶ありません。ステーキを初めて食べたのは私が高校1年の時。焼き方の好みが言えず”普通で…”と小さな声で言った記憶があります。クロワッサンなんてパンは給食で初めて食べましたし。けっこう貧乏してましたよ。お金が無くて、塾にも行けませんでしたが勉強は出来たほうだと思います。しかし、大学に行くお金の余裕がなく、高卒で就職しました。今思えば、私が大卒で就職していたなら
バブルがはじけた直後で就職難に合い、まともな就職活動が出来なかったのでは…と思っています。

大人になった今、辛くて悲しい時は必ず音楽を聴きます。クラシックもロックも、その時の自分に合ったものなら何でも聴きます。父は他界してしまいましたが、両親が私にくれた最高の宝物は音楽のすばらしさです。お金が無くても、心に文化を持つ人間は生きていく事に関しては強いと思います。特に音楽・絵画。言語を選ばず、目が見えなくても耳が聞こえなくても楽しめる文化は強いと思います。

これは私の思い出をただ語っているだけです。
お金が無くても、心に文化があれば大丈夫だと信じています。
これはただの夢物語として聞いてください。
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この回答へのお礼

ご両親はとても大切なものを残して残してくれたんですね。
昔、財産はお金じゃなくて、あたまに残せ!と言われたのを思い出しました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/08 23:38

同感です


私もマイホームなんて夢どころかもう100%不可能です
(旦那の実家はなし)
貯金もないです
毎日の生活がいっぱいいっぱいです
夫も勤続年数も多く、それなりにお給料も少しづつ上がりました(現在年収400万くらい)
しかし上がった分だけ全部税金にもってかれます
なので手取りは数年前からまったくかわってません
ほんとに国には頭にきます
旅行もいけません
私も扶養内でパートにでてますが、お給料が出た途端、右から左に出て行きます
子供はふたりいますが、年が離れていて、上の子はあと2年もしないうちに高校受験です
うちもお先真っ暗です
下の子がまだ小さいのに、これ以上また無理して働かないとならないのか?と思うと、ほんとに精神的にやられてしまいそうです
上の子には塾にも行かせたいのに、経済的余裕もありません
持ち家については、私も夫も、ものすごい欲しいわけではないのですが(子供はもちろん欲しがってます)集合住宅住まいで、特に贅沢をしているわけではないのになんで?と思ってしまいます
うちもほんとに将来不安ですが、あまり先の事考えると、ノイローゼになりそうなので、なるべく考えないようにしています
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
自分だけじゃないんだな、と思えると少し気が楽になりました。
でもお互いにお金がなくても家族という財産がありますね!

お礼日時:2008/05/08 23:03

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