【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

三宅島火山活動災害


遠くはなれた異国の地ではないのだけれど...
同じこの国に住み暮らしているのだけれど...
近くて遠い三宅島...
近くて遠い有珠山...
近くて遠い普賢岳...

ちりじりになった人たちへの支援どうなっているのだろうか?
時が経つほどにニュ-ス・報道もうすれていく
同じこの国にすみ暮らしているのだけれど...
その後の消息は?
拉致問題が加熱すればするほどにこのことが気にかかる。


http://edu2.mitaka.ed.tao.go.jp/jiji/common/spec …
http://www.cmpk.or.jp/user/aiueoscl/EJUAIS/tiri/ …
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/fugen/tokusyu …

A 回答 (2件)

moonroseです。


お礼のお言葉有難うございました。

>『ニュ-ス等でも取り上げられており』とありますが、たまたまなんでしょうか?それともわたし(神戸)の住む地域での放映が少ないのか?わたしがみていなかっただけなのでしょうか?こと、その後についてあまり伝わってこないもので

私は東京在住のために目にしているのだと思います。そういえば,放映枠も全国ニュース枠でなく「首都圏ニュース」と呼ばれるものが主だと思います。

>ニュ-ス番組等、おおきな出来事が起こるとトップニュ-ス・スク―プとばかりに書き立てひとところはその話でもちきり、しばらくすると汐が引いていくようにそんなことがあったのかといつしか何もなかったように穏やかに...

確かに世界がめまぐるしく回る中全てのニュースを継続的に放映し続けるのは困難であると思います。そして,そんな世界だからこそ,雑誌や本という媒体が存在するのだと思っています。一つのことに興味を持った人が居て,その事件や現象を追いかけた結果として人々に読んで貰うのも文字媒体の存在の一因ではないでしょうか?
そして,いつかそれらが歴史となって,後の人々の中にも疑義を生じさせ,再考する機会を与えると思っております。
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この回答へのお礼

moonroseさん、重ねてお言葉いただきありがとうございます!

お書きいただいたように、居住地域によってTVで放映されるもののおおくはたとえば、関西圏に住まいすれば関西圏の暮らしに身近な番組がおおくなりますね。都心部にお住まいであれば、これまた首都圏ということでもありますから身近な番組が首都圏ニュ-スであったとしてもなんらおかしなことではないですね。逆をかえせば、近畿圏身近な番組情報は首都圏もしくはその他の地域までには届きにくい現状がまだまだあるのかもしれませんね。知っているようで知らないことがね。全国ニュ-スはあるもののある種ダイジェスト版ですもんね。全国ニュ-スで伝えられたものがすべてではないでしょうから。

■確かに世界がめまぐるしく回る中全てのニュースを継続的に放映し続けるのは困難であると思います。

↑、確かにおっしゃられることごもっともだと思います。
困難なことではあるのだけれども、なにかいま以上に他の地域のことがリアルタイムで身近にかんじられないものかと...。たとえば、近畿圏の夕方に放映されているTV番組を近畿圏ではない地域へ近畿圏側から発信していくとか。ええ、他の地域にとったら身近な話ではないのだから視聴率はとれないだろうと企画の段階でボツになるかもしれませんが、とってつけた関西の番組ではなく日頃近畿圏の人たちがみている地元の生活情報番組を放映することの方がよりよく近畿圏を他の地域の方々にしってもらえるのではないかと。逆も同じくです。他の地域の地元の生活情報番組を近畿圏で目にすることができれば、よりよく他府県への興味・関心がわくのではと。TVをつけていろんな地方のおくになまりにふれるのも人と人のふれあいにつながりませんかね?言葉の弊害が、こと、人と人をへだてたり。はじめは聴き取りにくい言葉であっても繰り返し見ている中で、あっ!この言葉はわたしの地方のこの言葉と同義語なんだ!といった言葉への理解につながるやもしれないとかんがえるのですが...。

活字媒体、そうですね、こうしてmoonroseさんとお話しているのも活字を通してです。インタ-ネットをもちいてキ-ボ-ドで文字を打ち、活字となり画面に文字が浮かび上がる。たくさん学ばせてもらっています。ありがたいことです。雑誌・本・書き物に書き記された方たちがいる。一度、文字となり書き表されたものはmoonroseさんのお書きのように「後の人々の中にも疑義を生じさせ、再考する機会
を与える」と、わたしもおもいます。

ただ、先にも申しましたが、
困難なことではあるのだけれども、なにかいま以上に他の地域のことがリアルタイムで身近にかんじられないものかと...。

ということをかんがえますと、「いま」というときがはじめからないのではないかと、「あと」はあとでいいのですが、「いま」はこれでいいのか!という素朴な疑問がわいてくるのです。現在・過去・未来。先を見つつまたいまを見、過去をカテにとはいかないものかと。

http://www.aids-chushi.or.jp/c6/shinri/kodama-ha …

お礼日時:2002/11/15 20:31

参考URLは,三宅町役場と東京都の共同HPで,避難状況や現在の三宅の様子などが掲載されています。


街頭での募金活動も見かけますし,三宅島の皆様を対象としたイベントなどがある場合は,ニュース等でも取り上げられており,決して忘れられたわけではないと思います。

参考URL:http://www.miyakemura.com/
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この回答へのお礼

moonroseさん、お返事ありがとうございます。
ええ、決して忘れられてはいないとはおもうんです。
『ニュ-ス等でも取り上げられており』とありますが、たまたまなんでしょうか?それともわたし(神戸)の住む地域での放映が少ないのか?わたしがみていなかっただけなのでしょうか?こと、その後についてあまり伝わってこないもので...


ニュ-ス番組等、おおきな出来事が起こるとトップニュ-ス・スク―プとばかりに書き立てひとところはその話でもちきり、しばらくすると汐が引いていくようにそんなことがあったのかといつしか何もなかったように穏やかに...

よくもわるくも翻弄された人たちだけが歴史の生き証人のように闇の彼方へ葬り去られる。その人たちがいたから、いまがあることを忘れてはいないかとついおもったりして...

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Ningen/yaked …
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/90/90n …

何か見過ごしてはいないか?
ただひとつのことに目をやると、そこばかりに話が及ぶ、いろいろなものが礎になりいまがあるとおもう今日この頃です。

お礼日時:2002/11/14 04:47

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