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 現在の都道府県と、旧律令国の地図を見比べていると、ある程度の
関連があるような感じがします。

 大体、以下のような感じなのかなとも思います。
(厳密な意味では、国境や島の所属等に違いがあるのでしょうが。)

・律令国がほぼそのまま都道府県になった
 信濃国 → 長野県
 伊予国 → 愛媛県

・律令国がいくつか統合されて都道府県になった
 能登国 + 加賀国 → 石川県
 美濃国 + 飛騨国 → 岐阜県

・律令国が統合・分割されて都道府県になった
 武蔵国 + 相模国 → 埼玉県/東京都/神奈川県

 廃藩置県から現在の都道府県の形に落ち着く時、どのような
基準でその範囲が決められたのでしょうか?
(各地の住民が、「こっちの県が良い!」とか言い出した?)

 以上、よろしくお願い致します。
 

A 回答 (4件)

政府による2回の府県統合が行われた後、統合された県ではそれぞれ盛んな復活・分県運動が行われ富山県,福井県,奈良県,鳥取県,徳島県,香川県,佐賀県,宮崎県がの8つの県が復活して45府県となった。



下記サイトはイッシーさんのHPの地理データ集の中の府県の変遷です。

http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huken/huken …
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この回答へのお礼

 とても面白いサイトのご紹介ありがとうございます。

これを見ると、国のもう一つしたの単位の郡を中心に、境界が
制定されたようですね。
 また、境界が確定するまでの変遷等もわかり、非常にために
なりました。

 ありがとうございます。

お礼日時:2008/08/23 09:58

たいていは統合ですが、たとえば摂津国のように元は大阪堺市~兵庫県神戸市まであったのに分断されたような国もありますよ。

これは明治政府が決定したことです。
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この回答へのお礼

明治政府の考えが色濃く反映されているのですね。

何でこんな風にしようと思ったのでしょうね。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/23 09:56

結局「自然な境界というのはたいして変わらない」というところに落ち着くような気がします.


飛び地として有名な和歌山県東牟婁郡北山村は確か「和歌山県であること」を希望したのでこうなった, はず.
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この回答へのお礼

交通の便等考えるとそうなのでしょうね。

確かに、色々と境界が変わったようなところは、平野の部分が
多いような気もします。

 ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/23 09:55

廃藩置県では


藩→県
天領・旗本領→府

んで、大名家の数だけ県があったのですが、統合。
統合の基本は、徴税単位として同じくらいの人口で、学区制度などもかなり上の方から管理しやすい単位でまとめられています。
人口基準でしたので、島根+鳥取 とか 四国の組み合わせとかで、めちゃくちゃ距離がある組み合わせがあったので、地元の反対があったとのこと。

イレギュラー処理が、横浜・神戸・長崎と東京。前の三つは開港の関係で、武蔵の国にあった横浜を分離して相模と合体。摂津の国にあった神戸を(大阪とは別扱いにして)播磨・但馬と合体、長崎は肥前から分離、東京は武蔵から分離。と管理しやすい形にしました。
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この回答へのお礼

 県と府にはそんな違いがあったのですね。

また、イレギュラー処理の解説で、「何故?」と思っていたことの
大半が解決しました。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/23 09:54

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