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学校で、明治政府によう五か条の御誓文と五ぼうの掲示(すみません漢字がでません↓)を学びました。しかし、五箇条の御誓文は近代国家の新たな考えや方針を誓っているのに対し、民衆にだした五ぼうの掲示は、江戸幕府と何ら変わりない、ということも知りました。
 なぜ、このように内容の異なったものを出したのでしょうか?
本を読んで調べても、内容が違う、という事実のみで、その理由はのっていません。。気になって仕方ないので、よろしくお願いします!!

A 回答 (2件)

五箇条のご誓文のほうは、これから明治政府がする政策について、ガイドラインを示したものです。


たとえば、「一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と会議を広く行い、政策を実行するといっても、選挙も行っていないのですから出来るわけがありません。
つまり、明治政府になったのだから、旧態依然の幕府や藩とは違い、このようにしていきますよ、と方針を発表したのです。

しかし、庶民の暮らしは今日も明日も変わらず続きます。「一、旧来の陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」(旧来の因習を取り払って、公平な国を作ります)という文章を読んで、いきなり借金を返さなくなったり、まずしいからと庄屋を襲ったりする人が出てきたら困ります。
まだ動乱が続いていますから、警察だってまともに機能していないのです。
ですので、五榜の掲示で、(とりあえず新しい法律が出来るまで)庶民の服すべき法律は、旧来のとおりにせよ。と宣言して秩序を保ったのです。
このとき明治政府は、政府と名前はあるものの、実際には薩長土肥の寄り合い所帯で、政府とよべるものでは有りませんでしたし、その他の藩は幕府が勝つか、新政府が勝つか見守っている状態で、新しい政策を実行するなんて無理な状態でした。

ですので、政府としては「新しいことをするよ(御誓文)でも、時間がかかるから、とりあえずそのまま秩序を守ってね(掲示)」としたのです。
また、御誓文は太政官日誌(官報)のみで発表していますので、見れる人は見れるし、知らない人は知らないのです。これは貧富のためではなく、知識の差でした。
それに対して五榜の掲示は、高札として全国に掲げられましたので、国民全員が目にすることができました。

明日の生活のためには、ガラッと法律が変わったら困るのです。ですので、五榜の掲示はそのままの生活を続けなさいということなのです。
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相手が違うからということですね。


ご誓文の方は、これから近代国家を作っていく支配層の同志に向けています。
掲示の方は、支配される対象に向けています。
普通選挙が実施されたのが、明治維新のあと半世紀以上たってからですから、支配する側と支配される側が画然と分かれていると認識するのは、おかしな事ではないかと思います。
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