アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

江戸時代から明治時代にかけて、尊王派と旧幕府で争いが勃発しました。

実際に新幕府(尊王派)と幕府では、どちらが国民的には良かったのでしょうか?

教えてください。

A 回答 (9件)

幕府体制下で利益を得ていた人もいるしそうでない人もいた。


単純に平均化できる問題ではなく「どちらが国民的には」という質問には答えられない。

最たるものは江戸の住人。
幕府がなくなれば幕府体制下で成り立っていた多くの産業が潰れる。
「そうなったら職を失った大勢の浮浪者が溢れ日本の治安は悪化する」
というのが勝海舟の江戸首都継続論の大筋で、大久保も納得せざるを得なかった。
大久保は大阪か京都への首都移動を考えていた。
    • good
    • 0

#8さんに賛成です。



黒船以降、急速に明治維新に向かうわけですが、それは日本人が「このままでは西洋列強の植民地になる」と意識したからです。

だから薩長土肥は「徳川幕府に任せてはだめだ、天皇親政の政府を作る筆王がある」ということで討幕運動を行い、幕府も必死に近代化を進めるようになったわけです。

で「植民地にならない」という事がたぶん「日本国民にとって最も良いこと」だったと私は考えますので、となると「幕府がどれだけ改革して明治維新がなかったとしても、結局四民平等で富国強兵、そして民主主義国家にする必要はあった」という事になると私は考えています。

となると、討幕運動は「それを早めただけ」ということになるのですが、あの当時はスピードが大切で、10年または20年遅れていたら日本の独立はかなり危ういものだったように思います。

ようするに「幕府の改革と改革反対派の権力争いに列強各国が裏で参加し、清朝のように政治がぐずぐずに壊されていく」という事が起きた可能性が高い、ということです。

明治維新というのは、たしかに犠牲があったのですが、その分スパッと権力闘争に決着がつき、列強の介入する隙をほとんど与えずに日本が転換できた、といえるのではないでしょうか。

だとすれば、やっぱり討幕は正しかった、のだと思います。
    • good
    • 1

かつては、どこの国でも、国家は


王侯貴族だけのモノでした。
戦争も、彼らと傭兵でやりました。

それを、国家は国民、皆のモノだ、と
したのが民主制であり、国民国家です。

この国民国家は、国民を動員出来るので
強力なのです。

だから、最初に国民国家化に成功した
西洋が世界を席巻できたのです。



日露戦争では、彼我の戦力差があるので
多くの国はロシア勝利を予測していました。

しかし、米国大統領ルーズベルトは日本の
勝利を予想していました。
「ロシアはニコライの独裁だが、日本は
 民主化が進んでいる。
 故に、日本が勝つ」
日本は、天皇から庶民まで、一丸となって
戦争に協力しました。


こういうことを考えると、旧幕府の体制では
武士の特権を排除して四民平等にすること、
つまり民主化するのは難しく、
西洋列強の植民地にされていた可能性が大だと
思います。

つまり、国家、国民全体という目で見れば
新政府の方が良かったのではないですか。
    • good
    • 1

無理やり徴兵されて挙句の果てに日本中が焦土と化したわけですから、薩長主導の新幕府(尊王派)が良かったとは言えないでしょう。



とはいえ、大政奉還後に徳川慶喜が計画していたように、旧幕府勢力中心の中央集権国家体制がどのように国家を運営していくつもりだったのかは、よくわかりませんからね。

どっちもどっちだったかもしれませんが、旧幕府系の新政府のほうが少なくとも国中が焼け野原にはならなかったと信じたいですね。
ただ、旧幕府系新政府の場合は、大久保利通のように版籍奉還・俸禄処分で武士を全員解雇するような大ナタを振るえた人物が出たかどうかは疑問なので、それはそれで焦土にならなくても大変な事態を迎えていたかもしれません。
    • good
    • 0

迷惑でしか有りません。

平和な時代にドンパチやられて家を焼かれた人は多くいます。
幕府政治になれてます
    • good
    • 0

尊王攘夷は革命派です。

革命といっても天皇を担ぎ出し自分たちが実権握りたい野望集団。幕府は統治実績もあるが体制としては古い、自己改革できない、慶喜はそれを見越して大政奉還した。
慶喜の策が成功していたら戊辰戦争は起きず薩長の野望はついえた。
明治維新は歴史的必然のある統治体制の変換であったと思います。西郷は慶喜を殺すという怨念執念で戊辰戦争に突っ込んだ。西郷の私的戦争で不必要な戦争だった。西郷の銅像は上野から撤去すべきでしょう。
    • good
    • 0

後の歴史を明治政府が書いてるので、明治政府がいいように感じますが


・江戸時代は自給自足できていた
・約300年戦争しなかった、治安もよかった
・京都・江戸・大坂などの都市ては諸外国にくらべて衛生的であった
明治政府のおいては
・士農工商の身分制度がなくなったので平等である
(華族制度がうまれいびつな身分制度が生まれたので無意味)
・コメを税金とする制度から地租改正で、現金納入になった。
(不作の場合、年貢は、比例して低いが、地租改正では逆に高くなるケースもあった)
・地方分権から中央集権になった
(年貢を藩の判断で低減していた藩もあったけど、そういうのができなくなった)
・徴兵制の施行と戦争への道
(これについては太平洋戦争敗戦につながる)
    • good
    • 0

争わなければ、余計な被害受けずに済んだのに・・・・



です
    • good
    • 0

新幕府??


庶民はどっちも嫌でしょう。
そこら中で血生臭い事してるんだから。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!