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実存された方ですが、あまり詳しい文献がみあたりません。
どうか、くわしい方、教えてください。

A 回答 (2件)

このひと 伊達家の重臣の家柄ですね まあ家老クラス 仙台人名辞典を見てください 伊豆の守 冶部 いろいろ戦闘には参加しているようです 天正16年2月中新田の戦いで陣代です 二本松の戦いでも陣立で重要な役についています  


秀吉の小田原攻めがあったでしょ そのとき葛西氏・大崎氏は不参加のため所領は没収されて、豊臣家臣の木村吉清・吉久父子に与えられました。その原因で一揆が起こりましたが この一揆は木村父子の暴政、太閤検地・刀狩りの強行などを原因として起こったとされています
 天正18年秋に発生した一揆により、岩手沢城・古川城らが占領され、木村父子は佐沼城に押し込められました。秀吉の命令によって伊達政宗と蒲生氏郷が出動しましたが、この伊達・蒲生共同戦線において両雄間にトラブルが起こり、疑惑を抱いた蒲生軍が名生城に籠もっている間、伊達軍が独力で佐沼城に籠城していた木村父子を救出しました。
しかし、政宗に一揆の扇動の嫌疑が生じたため、政宗は秀吉に呼び出されましたが、巧妙な弁明により政宗は窮地を脱しました
 しかし、翌天正19年春に再び旧大崎葛西領は一揆の勢力下になり、そのとき一揆勢の交戦場所となったのが、加美郡宮崎城・遠田郡百々城・志田郡古川城・栗原郡宮沢城・玉造郡一栗城・登米郡佐沼城などでありました。一揆には政宗一人がその討伐を命ぜられました。 伊達軍はまず宮崎隆親が籠もる加美郡宮崎城を攻めました。伊達軍が総攻撃を加えましたが 一揆勢の抵抗は激しく この時 鉄砲で撃たれ浜田景隆が戦死しました。38才でした その場所に土葬するよう言い残したそうで いまも現存しています。そのぐらいですかね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仙台人名事典は、もう手にはいらないでしょうか?

お礼日時:2008/09/06 11:45

仙台藩関係者について調べたいのであれば、一日仙台に行って



仙台市図書館 http://lib-www.smt.city.sendai.jp/index.html
宮城県図書館 http://www.library.pref.miyagi.jp/
のいずれかに行って徹底的に調べるのを勧めます。活字になっている郷土史の文献はこの両図書館(仙台市図書館は複数ありますが)が一番多く所蔵しています。

特に、宮城県図書館
http://www.library.pref.miyagi.jp/riyou/floorgui …
には
「20 みやぎ資料室
宮城県や旧仙台藩領にかかわる資料を集めています。
県内出身の文学者などの資料もあります。
伊達家の旧蔵書「伊達文庫」をはじめとする古典籍のご利用はこちらのカウンターへどうぞ。」
という専門の資料室があり、専任の職員がいると思われますのでわざわざ遠くから行くならここへ行くべきでしょう。どの本を調べれば良いのかも助言してくれるはずです。
なお、宮城県図書館は仙台市の郊外にあり、例えばJR仙台駅からの往復に時間がかかりますので留意して下さい。

また「仙台人名辞典」とは、
仙台人名大辞書 菊田 定郷 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E4%BA …
のことだと思いますが、はっきり言ってあまり信用できる本ではありません。
昔の人は複数の名前が伝わっていることがありますが、同一人物が複数の名前で立項されていて、それぞれ書いてあることが違ったりします。他の文献と照合して裏を取らないと、うかつに信用できません。

戦国時代の大名の侍大将クラスの人の「正しい事績」を探るのは、仙台伊達家のように明治維新まで戦国時代からの家臣団を維持して存続し、藩の文書が大量に残っている大名家についてでも容易ではありませんが、頑張って下さい。
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この回答へのお礼

訪問する場所を教えていただきまして有難うございます。
必ず、行ってまいります。
仙台市博物館は、以前行きました。

お礼日時:2008/09/09 10:35

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