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先日知人の家で、その方の祖父の軍隊時代の日記がでてきました?
昭和12年から14年までのものです。
具体的な戦闘記録もあり、リアルタイムで書いたのか、あとでまとめた書いたのか、不明です。
徴兵された軍隊生活(中国)で日記を書くことは可能だったのでしょうか?
日記は手帳ではなく、ざら紙と便箋に小さな字で書かれています。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

日記をつけていた人は多かったみたいですね。


『ノモンハンの夏』にも従軍した兵卒の日記がところどころ引用されていました。

大岡昇平さんが『俘虜記』の中で確か、酒保で日記帳を売っていたと書いていました。
戦闘をしていないときは暇があるので、日記を書く人が多かったらしいです。
大岡さんなりの日記を付け始めた心境が書いてあったのですがよく覚えていません。
彼は米軍の攻撃が始まったときに、同僚に頼んで日記を燃やしてもらったそうです(自分はマラリアか何かで寝ていた)
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日本軍では手紙は上官ないし憲兵などが機密事項の漏洩しないよう検閲していましたが個人の日記までは検閲していませんでした。



この為かなり自由な内容の記載があったのです。
南方戦線で日本軍の戦死者の死体を調べたアメリカ軍はこのような事実に気が付き、日本語文書解読の必要を認め、専門教育を施した情報将校を送り込み戦死者から日記の回収命令をだして収集と解読に努めました。
これで兵士の出身地、部隊の編成地、編成の内容、転戦地の履歴、戦闘記録、士気、などかなり正確に把握できたといいます。
また日本軍捕虜の尋問に利用し、アメリカ軍が日本軍の内情にかなり精通していることを知らせて応えを誘導し、知りたいことを尋問しました。

アメリカ軍の情報活動はいろいろな面で日本軍をしのいでいました。
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 軍隊生活の中で日本軍の多くの兵が日記をつけていたようです。



 それがよく解る例として、藤井忠俊『兵たちの戦争 手記・日記・体験記を読み解く』 朝日選書は、中国大陸の戦いの中で書かれた日記を集めて解説した好著です。
http://d.hatena.ne.jp/higeta/20070929

 同書に収められている『太田伍長の陣中手記』の著者は、武漢作戦中に戦死した方ですが、早くも二年後の1940年(昭和15年)に岩波書店から出版されています。その日記や書簡には支那の珍しい風景などを描いた挿絵もあり、また作戦行動についても具体名が書かれています。

 たとえば

> 牛駝鎮の南方を更に討伐する。匪賊は逃げてしまってどこのにもいない。固安に行く。昼飯。再び永清固安街道に戻り、左の方の密林地帯を討伐、永定河の堤防まで出る‥‥

 という具合で、勝ち戦にせよ、この日記が何のお咎めもなく出版されていた、というのですから当時の軍上層部は情報に関して大らかであったといえるし、軍隊の中でもかなり自由だったというのが実態ではなかったでしょうか。たしかに当時の日記からは、一般戦史では見えない戦場の雰囲気がよく伝わってきます。

 しかし、その後の太平洋戦争で、米軍は日本語教育を施した情報将校を前線に派遣し、戦死した日本兵の日記から様々な情報を収集し弱点を研究しました。当時の将校の一人がD・キーンで、NHKのテレビ番組「ドキュメント太平洋戦争 第2集 敵を知らず己を知らず  ガダルカナル」にも紹介されていました。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A% …
 
 日本軍の情報管理に対する認識の甘さを突かれてしまったといえるでしょう。残念ながらそれは今日にもつながっているのですが。

 
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米軍は最初、謀略だと思った。


ニューギニア戦線など、最初に米軍が日本軍占領地を取り返した地域では、日本兵の死体に日記がたくさんあったそうだ。
で、米軍は、その日記を読んだら「どこどに転進だ」とか書いてあったので、日本軍の謀略だと思ったそうだ。ところが、その日記に書いてある通りに日本軍が転進していたので、びっくりしたそうです。
そのくらい日本人は日記が好き。
ちなみに、世界のブログで一番多い言語は日本語だそうだ。
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可能です。

たくさんの手記が残ってます。
かなりが出版もされてますね。
兵隊は日々の生活はかなり暇があるので、
そういうときは手紙を書いたり、日記をつけたりです。
また読んだりね。
内容には制限があって、具体的な地名とか作戦行動は書いては
いけないことになってます。
手紙は憲兵が閲覧して、不適切な部分は塗り潰したり、破棄したりします。
ガダルカナルの生存兵が、大量の遺書を預かっていたんだけど、
国内に実情を伝えるのはご法度だったんで、破棄されたそうですね。
しかし兵隊は、隠したりして、もって帰った人もいるようです。
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